1997年〜98年の記録

上海〜開封〜少林寺〜洛陽〜北京
河南の古都を訪ねて
1997年3月13日〜19日

23名で上海〜開封は夜行列車で。途中徐州付近では「麦と兵隊」の歌に出てくる麦畑が延々と続く。洛陽龍門石窟を参観しこれで中国三大石窟の参観完了する。
3月13日
16時中国民航930便で成田空港発。18時25分上海空港着。上海駅発21時32分石家荘行きの夜行列車で第1の訪問地「開封」へ。列車は上海から南京経由の京滬線。徐州で連雲港から西安に向かう隴海線に乗り入れる。南京大橋は寝入りばな、例の徐州は真夜中の2時頃停車したとのこと。
上海駅前
3月14日
中原の名のごとく、河南の原野は一望千里の麦畑。時折現れる村落や町を包んで麦また麦の中を列車はひた走れ12時35分開封駅着。出迎えの現地ガイド段さんの案内で、北宋の古都を観光。相国寺、鉄塔、刺繍工場などを参観後、次の探訪地鄭州へバス移動。高速道を疾走約1時間で、鄭州郊外の黄河大橋に到着。橋上からしばし眺めた黄河はいま渇水期。平原のように広がる黄土の浅瀬にも悠久5千年の歴史と文明を秘めた大河の風格がうかがえるようであった。夕食のレストランは燕紅閣。老酒は「香雪酒」の甘口だ。ホテルは「中州皇冠假日賓館」
 開封・相国寺
開封駅で
開封・鉄塔

鄭州・黄河
3月15日
洛陽へ向けて出発。途中登封嵩地区の中岳廟、拳法・武術の町の少林寺を観光。中岳廟の鉄人像などはともかく、門前で売っていた焼き芋は美味かった。登封より走行1時間で午後4時近く、鈴掛の並木大樹がつづく古都洛陽に到着。ホテルは「牡丹大酒店」
 少林寺にて
中岳廟にて
3月16日
洛陽ガイドは女性の陳紅さん。ベテランの古都美人。上海からのスルーガイドも女性の陳暁峰さん。なんと陳さんが二人の何やらややこしい、洛陽は陳・陳コンビガイド。洛陽陳さんの案内で枇杷峯の白居易(白楽天)の墓を経て、敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並ぶ中国三大石窟の龍門石窟を参観。これで三大石窟を制覇。午後は中国仏教の発祥地の白馬寺へ。若い坊さんも今は現代化で通勤者であるとか。夕食は「洛陽餃子の宴」で一同満腹。
 
                          洛陽・龍門石窟で 
  
                         
洛陽・白馬寺で 
3月17日
民航1358便で空路北京へ。着後、故宮、天安門広場などを散策。夕食後北京雑伎鑑賞。ホテルはお馴染みの北京国際飯店。
 北京・天安門広場で
洛陽飛行場
 北京の雑伎
 故宮太和殿
3月18日
二手に別れ、慕田峪万里の長城観光と市内見物へ。夕食は「北京ダックを」を囲み、黄河と古都を思い出ばなし。老酒を傾け旅のしめくくりのお別れパーティ。
 北京駅前で
慕田峪万里の長城で   
3月19日 
9時20分発、民航925便で北京空港より帰国。



全電通神奈川退職者の会第12回海外旅行
北京〜ウルムチ〜トルファン〜ウルムチ〜上海
中国西域オアシスの町と歴史を訪ねて
1997年10月3日〜9日
伜夫妻同行、31名でシルクロードの足跡とゴビ砂漠へ
10月3日
中国東方航空便で上海経由現地時間午後7時10分北京空港着。中国スルーガイド陳さん同行。ホテルはお馴染みの「北京国際飯店」
10月4日
午前中は「人民大会堂」「故宮」などを見学。午後ウルムチ行き国内便の新疆航空がなんと5時間遅れのあげく欠航となる大ハプニング。飛行機の振り替え便は午後11時時ウルムチ着。現地ガイドの出迎えもなく空港で待ちぼうけ、クルシ?ロードの旅始まる。
ウルムチ行き便が大幅に出発が遅れたため北京空港で座り込み飲む
10月5日
午前中「新疆ウイグル自治区博物館」「バザール(市場)」見学。博物館では3,200年前の「眠れる美女」などのミイラとご対面。午後はゴビ灘をバスで走行200`、一路トルファンへ移動。途中数キロにわたる風力発電所、砂漠の中の大きな塩水湖(周囲は塩で真っ白)を眺め午後8時トルファン到着。宿は「緑州賓館」現地ガイド曹紅さんはウイグル族の美女?だ。夕食後、葡萄棚の下でウイグル族の民族舞踊を鑑賞。一行に数名が誘われて踊りの輪に加わる。
  
ウルムチ自由市場
ウルムチ・ホリディ・インホテル前で
  
トルファン葡萄の木の下でウイグル族民族舞踊
トルファンへの途中トイレ休憩の砂漠
10月6日
「高昌故城」「アスタナー古墳群」「交河故城」「ベゼクリク千仏洞」などの歴史の学習。「火焔山」を目のあたりに見つつ市内に戻る。夕食は羊の1匹の丸焼きの名物料理。恨めしげな羊の貌に食欲喪失者、満腹ご機嫌者などなど。ショッピングは、トルファン名産、砂漠乾燥の「干しぶどう」「楼蘭ワイン」などお土産品を多数購入。
  
                         トルファン 高昌故城で
 
 
                       トルファン 交河古城で
   
トルファン アスターナ古墳群                  トルファン ベセクリク千仏洞
  
トルファン 火焔山をバックに                 
トルファン 特別料理子羊の丸焼き(3万円)
10月7日
午前7時出発。バスで5時間「天山悪路?」をウルムチへ戻り、市内から110`離れた「天池」へ、また、バスの旅。午後4時現地到着。白雪の天山山脈の主峰ボゴタ山を望む山紫水明の秘境に息をのみ、湖を背景に記念写真を撮る。帰途はカザフ族のパオ(天幕住居)を覗く。
 
ウルムチへの移動中のバスから見た砂漠に上がる太陽          ウルムチ郊外天
ウルムチ郊外天池で
10月8日
天山山脈、ゴビ灘を眼下に、上海へ4時間の空の旅。午後1時、上海虹橋空港着。浦東地区の開発状況を車窓から視察?市内に戻り、友誼商店で仕上げのショッピング。夜は雑伎鑑賞。
10月9、
上海空港より中国東方航空便で一路帰国。「天山山脈」と「クルシロード?」のハードな旅だったが、全員元気にで無事帰国。異口同音に「行って良かった」
     


広州〜海口〜興隆〜三亜〜広州
2月に海南島で海水浴しました
1998年2月21日〜26日
16名で海南島周遊。緯度はハワイと同じくらい、屋外温泉プールと海で泳ぐ
2月21日
7時30分羽田発。関西空港乗り継ぎJD011便で広州白雲空港に13時30分到着。スルーガイド陳慧琴さんが出迎え。陳さんは昨年10月「シルクロードの旅」のやはりスルーガイド。海南島への乗り継ぎ時間を利用して市内に両替に行く。広州16時35分発、海南省航空公司183便、1時間の空の旅で海南島省都、海口空港着。海南島ガイド王さんが迎える。バスの中で海南島の説明「1988年に広東省から分かれ海南省に、人口は約700万、少数民族も多く39民族」等々。今夜の宿は5つ星ホテルの環島泰得飯店。
海口空港で
2月22日
ホテルでバイキング朝食後、市内観光。先ずは明代の政治家で、悪政を憎み貧しい民衆に善政をした「海端の墓」へ、参道には、樫の木と彫刻動物が並ぶ。そして「五公祠」の見学、北宋の1097年この地に流されて来た、蘇東坡を祀った蘇公祠と唐の宰相、李徳裕をはじめ唐から宋にかけて5人の清廉な役人を祀った所を見学学習。市内のレストランで昼食、可愛い女性店員と国際交流後。高速道路を利用、興隆へ移動。途中両側の景色は2月だが、三毛作の田植え直後の苗を見ながら、景勝地東山嶺の岩山に登が小雨でガスがかかり視界不良。夕刻興隆着。ホテルはコテージの廉楽園大酒店、ここも5つ星ホテル、庭には温泉利用のプールと、真水の大きなプールがある。早速土砂降りの雨の中、何人かが両方のプールで泳ぐ。プールは隣り合って温泉・真水と気分は爽快で。夕食後、夜の自由市場を全員で散策する。
  海口 五公祠                                       海口 海端墓で 
東山嶺で
2月23日
昨夕の雨から晴天となる。朝食はプールサイドで摂る。朝食後また直ぐ泳ぐ。そして海南島最南端の観光の中心地で、典型的な熱帯気候である三亜に向かう。途中、軍の射撃場等を見学、昼食は射撃場のレストランで。昼食後、三亜の観光地である「鹿
回頭公園」から三亜市内を一望後ホテルに着く。ホテルはここもコテージ形式のリゾートホテル。早速近くの真っ白な砂浜、エメラルドグリーンの海で海水浴。泳いでいる人は我々以外には数人。海藻の馬尾藻が多数浮いている。頭に被り髪にして記念撮影。中国にもこんな所があったのかと感心する。
  三亜 大東海で、海藻を被る私
三亜 鹿回頭公園で
2月24日
朝食後、ホテル前の海岸を散策。珊瑚礁が岩になってしまったような所に、小さな魚、ゴカイ類が沢山」いる。今日は、三亜市内見学。先ず「天涯海角」海辺の大きな岩に、天涯・海角・南天一柱など文字が彫られている。その中の一つの岩は中国の2元紙幣に描かれている。次は「苗族村」見学、少数民族の踊り等を見る。そして「大東海」ここは砂浜。昨日泳いだ所から砂浜つづき、これでも有料、民族衣装を着た少女が有料スナップ写真の相手。ホテル到着後、飽きずに海水浴。一部マッサージに行った者もいる。夕食後、ホテルの地下のカラオケスナック?に・・・女性従業員多数。
 
                          三亜 天涯海角
苗族村
2月25日
広州へ移動のたま6時に朝食。簡単な食事の筈が飲茶となり溜め息。三亜空港までの車の中で王さんが美声で「知床の岬」を歌う。9時20分広州白雲空港着。8年ぶりに8年振りに市内見学。陳氏書院、六榕寺、中山記念堂等を見学後ショッピング。夕食は子豚の丸焼きをオーダーする。ホテルに帰り深夜まで有志で懇親を深める。
  広州北園酒家でスルーガイドと乾杯
広州 中山記念堂で
 
2月26日
今日は雨となる。海南島に比べて寒さを感じる。午前中「鎮海楼」で広州の歴史を学習。昼食は有名な「北園酒家」で今回の旅行の締めとする。空港までのバスの中で広州ガイド女性の王さんから最近の広州事情について学習。途中8年前にあったバナナ畑はテレビ局になったとのこと。郊外にあったと記憶していた空港が街の中となったようだ。最後にスルーガイド陳さんから「サヨナラ」の挨拶で海南島の旅は終わりJD010]便で19時関西空港着。羽田迄の乗り換え時間を利用して、弁当、缶ビール等でお腹に補充し22時に羽田着。23時30分バスで藤沢着。3人で駅前の中華店で日本酒で乾杯。海南島の温泉、エメラルドグリーンの海、もう一度真冬に行きたいと思うところであった。


全電通神奈川退職者の会第13回海外旅行
上海〜蘇州〜無錫〜杭州〜上海〜桂林〜上海
銭塘江の潮津波を見る江南・桂林の旅

1998年10月5日〜10月12日

36名で江南のキンモクセイの香りと銭塘江の大逆流参観と私の3度目の桂林の旅。
10月5日
中国東方航空便で3時間弱の空の旅で、現地時間16時15分上海空港着。スルーガイド陳さんの出迎え。陳さんは3回目のガイド。早速バスで蘇州に向かう。車窓からは中秋の名月を眺める。今夜のホテルは蘇州飯店で11年ぶりの宿である。

10月6日
朝食前に11年前の記憶を辿り近くの運河を散策。午前中のコースである虎丘・寒山寺・拙政園の歴史を見学学習。昼食後、特急列車で30分の無錫へ。錫恵公園・蠡園の歴史を見聞し、夕食は日本人の料理長がいるレストランで寿司の前菜で中華料理。今夜は太湖に連なる・蠡湖畔の湖濱飯店、ここは7年ぶりである。
 
蘇州のキンモクセイ
蘇州・寒山寺で

無錫 蠡園  
10月7日
午前、1時間の太湖遊覧、船窓から多くのジャンクと湖畔の三国志時代のセットの城壁などを眺める。下船後、げん頭渚公園で無錫旅情の中国語の歌碑をを見た後、開原寺へ。ここの「キンモクセイ」は満開で道は黄色の絨毯となり、香りも凄かった。昼食後、恵山泥人形工場を見学し作品を見た後、14時46分発杭州行き特急で上海経由18時56分杭州着。車中では2階建列車の2階席で盛り上がる。杭州はスルーガイドの陳さんの地元。今晩と明日晩は杭州五州大飯店に泊まる。
10月8日
今日は銭塘江の潮津波を見る時刻に合わせて行動。先ず「天下第三泉」と言われる名水が出る「虎ほう(漢字=足偏に包)泉」で学習。そして美しい西湖遊覧。西冷印社で印鑑についての学習。昼食後、霊隠寺、中国茶葉博物館で歴史とお茶の学習。スルーガイドの陳さんの地元なので奥深い説明を聴く。15時過ぎ六和塔近くの銭塘江河畔に着く。途中、銭塘江に沿って見物人で埋め尽くされる。銭塘江大橋も人の山だ。15時35分、下流から大波の逆流が押し寄せて来る。これは旧暦の8月中秋の頃、杭州湾の満潮が銭塘江に逆流するものであり「波濤が万馬一斉に疾駆する如く、山岳を連ねたる如く、音は雷霆の如し」と表現されているが、そのとおりと思った。逆流は何回も押し寄せ川は大雨の後のように水嵩を増した。中国の人は親切で私達を川面が見えるよう前に出して呉れた。その後、六和塔を見学。夕食は名物料理で、叫化鶏(鶏の蒸し焼き)東坡肉は美味しかった。
 杭州 銭塘江の大逆流
杭州 西湖で
 

10月9日
桂林に行くために2時間列車で上海に戻る。飛行機に乗るまで、高速道路を利用して黄浦公園へ。バスの車窓からの眺めで高層ビルの多いのに驚く。黄浦公園を散策した後、上海動物園でパンダ・虎・金絲猴等とご対面。パンダは有料写真を撮る人に近づくのに感心した。上海航空331便で2時間で桂林へ。ここの航空会社は全員がリストラされた人が雇用されているとのこと。
10年ぶりの桂林であるが新空港となり、大きく綺麗になっていた。、今夜と明晩は桂山大酒店に泊まる。
  上海動物園で
上海 黄浦公園で
10月10日
今日は一日船で漓江下り、9時30分頃竹江で乗船し、陽朔まで山水画の世界を堪能する。昼食には漓江の川海老の唐揚げ特別注文、美味しかった。夜は希望者で民族舞踊の鑑賞、足のマッサージに。
 桂林漓江下り

  桂林漓江下り
10月11日
午前中、蘆笛岩の鍾乳洞を見学後、中国東方航空5344便で14時40分上海着。市内に戻り、友誼商店で仕上げのショッピング。夕食は旬の上海蟹を注文、1匹130元(約2,000円)、夜は恒例の雑伎鑑賞。今夜の宿泊は7年前に泊まりカラオケバーがある上海賓館。深夜に有志13名でカラオケに。テーブルチャージ100元、一曲7元、ビール小瓶35元バーは7年前と料金以外は変わっていなかった。
桂林・鍾乳洞内で
10月12日
2時間くらいの睡眠で6時45分ホテル出発。バスでスルーガイド陳さんが歌う「星影のワルツ」を聴きながら空港へ。朝の中国東方航空便で一路帰国。
今回の目的の一つであった桂林の「キンモクセイ」は若干早く咲いていなかったが、しかし全員色々な場面を堪能出来た旅でした。
  
                                         

NEXT