私の人生物語その6
職場環境の変化と子育て

6. 私の人生物語・その6
職場環境の変化と子育て

 技術研修所を無事に終了すると、人事異動が発令された。電子管分野から半導体分野への事業部間の異動であった。 二十年近く築き上げてきた多くの人脈と別れ、全く新しい環境で新入社員と同様な再出発である。 但し、新入社員に与えられるような実習期間はない。即日、戦力としての従来と異なる技術分野の課題が与えられた。 右も左も判らない。一瞬、パニックに陥った。こうなったら、自分が手探りで新しい人脈を開拓しなければならない。 技術的な知識も不十分、専門が違えば使用する専門用語の意味も異なる。協力してくれる人と部門を徹底的に探した。 社内には様々な人々が存在することを知った。 社外の協力会社や地方の分身会社、素材や装置などの各種メーカーからも関連するあらゆる情報を入手した。 この時、外部の悪徳業者も混在していたのである。他人を信用する場合、人を見抜く力が必要であることを知った。 個人的に騙されるはずがないと思いつつ、見事に落とし穴に嵌ることがある。個人的な問題ではあったが、 騙されたと知るや直ちに上司に報告、上司の適切な協力を得て騙しの落とし穴から脱出することができた。 この処理は秘密裏に行ったが、人事部門にも漏れることになり、この時点で企業内での昇進はストップしたようだ。

 このような事件があっても私の技術活動は続いた。目に見えない固体内の物理現象に興味が沸いていた。 特に、固体内での電荷の挙動は神秘的であり、その解明と技術的な課題をもって、新しいテーマとしての挑戦を考えていた。 科学は自然界の現象や構造を人間が理解できるモデルに置き換える学問である。その手段に言語があり、 特に自然界との会話には数学的言語が用いられる。しかし、このようなモデル化を理解する能力や表現する能力は個人差があるようだ。 また、人間の長い歴史において、この分野は先人達の努力に負うところが多い。 一方、技術は科学によって人間が理解しあるいは経験や勘によって習得した自然界の現象や構造との関係において、 人間のために又は人間が意図する目的のために、自然界へ人工的に変化を与える操作であると言える。 このために、人間は多くの道具を、見つけ、考え、造り、使いこなしてきた。人間のために又は人間が意図する目的のためとは、 人間が生存するため、競争に勝つため、戦いに勝利するため、時には個人のあらゆる欲求を満たすためであった。 その結果、科学と技術は、文化と平和を維持することと密接に関係し、人類の生存を左右する力を持つようになったようだ。 さらに、科学と技術は、進歩を続けており、進歩を止めることができなくなっている。 このことは今後の技術活動にも影響を与えると考えられ、自然環境との調和を考慮した発展が必要不可欠になったようだ。 特に、技術活動は、自然界のルールを正しく理解し、忠実に従って製品化することで、 質が良く正しく機能する成果が得られるとの確信を持った。自然界のルールに逆らえば、 あるいは、自然界をより正しく理解できなければ、良い製品は生まれない。一歩間違えれば、 人類を滅ぼすことになりかねないとも考えた。

 技術者として一人前になったつもりでいた。しかし、技術分野が異なると、その道の初心者となる。 半導体の技術を極めるために、無謀にもさらなる挑戦を試みた。今度は技術研修所の基幹技術研修に挑んだのである。 基幹技術研修は総合技術研修のアドバンスド・コースであり、 会社の各事業グループ内あるいは事業グループ間共通の技術分野での極めて高度な又は先端的な技術の研修がプログラム化されていた。 それは会社の技術戦略に基づき、基幹となる技術の研修課題が選択され、 他を凌駕し将来にとって重要で確立途上で拡大・育成・改善・強化すべき技術がテーマになる。 著名な研究所や一流大学教授および会社内の専門家からなる指導講師と共同で、 研修生の研修は数人のゼミナール形式による輪講やセミナーにより進められた。膨大な最新の原著論文が毎週配布され、 その内容紹介と論題に対する専門的な討議が真剣に行われた。最終的には、研修論文の課題がそれぞれの研修生に与えられ、 その基幹技術研修報告書を作成することが義務付けられた。苦手な英語、膨大な原著論文の内容解読、毎週行われる専門的な討議、 約一年間近くを苦しみ抜いた。さらに、与えられた研修論文の課題に対し、その実力以上の荷の重たさに逃げ出したくなる思いであった。 担当の指導講師は、心配の余り夜中に私の自宅まで電話を掛け、進捗の様子や課題に対するアドバイスおよび必要な文献の紹介など、 まさに一心同体で論文を作成した。苦しみ抜いての修了証書は嬉しかった。

コラム:総合技術研修と基幹技術研修

 本来の業務に戻り、半導体の技術分野で着目した問題は、固体内での電流の担い手である電子や正孔の振る舞いに関するものであった。 それはどのようにすれば動作速度が上げられ、電流の抵抗をどうすれば小さくできるかにあった。 一見すると矛盾した課題への挑戦である。半導体はシリコン(珪素)のような物質の単結晶をベースにして作られる。 高純度のシリコン単結晶は、ダイヤモンド結晶構造を持ち、リンやホウ素などの微量な不純物を加える。 リンの原子構造の外郭電子は一個の不安定な電子を持ち、電流の担い手である電子が得られ易い。 ホウ素の原子構造の外郭電子は電子が一個不足した不安定な電子軌道を持ち、正孔が電流の担い手になり易い。 一般に、前者はN型半導体、後者はP型半導体と呼ばれている。半導体の動作速度とは、 電流を遮断した時あるいは電流の流れる向きを反転させた時、 電流の担い手である電子や正孔がトラップされて落ち着くまでのスピードのことである。この現象は大電流になるほど、 トラップされる時間が長いほど、発熱の原因になり、無駄な熱エネルギーを発生させるだけでなく、 放熱のための技術的な工夫が必要になる。通常、N層とP層からなる半導体の内部では、 電流の担い手である電子と正孔がそれぞれ逆向きに流れている。この場合、半導体の構造にもよるが、 電流の担い手であるキャリアを主に電子として、その比率を多くすることで動作速度を上げることができる。 結晶構造内をどのような流れでキャリアが通過するかにも影響される。さらに、結晶構造内に強制的に何らかの欠陥を生じさせ、 電流を遮断した時にキャリアがトラップされ易いようにする方法もある。これらは結晶構造の不純物濃度を変化させたり、 結晶構造をスライスする時の切断面の方位を違えたり、放射線の照射や重金属を埋め込むことによって、 半導体構造との関係を考慮しつつ、多様な実験を根気良く丁寧に繰り返すことが大切になる。 そして、これらの膨大な実験を効果的に組合せ、より効率的に全体像を把握して最適な設計解を見出すことが求められる。 電流の抵抗を小さくする方法は、電流を通り易くすることであり、電流の通り道に障害物を出来る限り配置しないことである。 しかし、半導体結晶から電流を引き出すためには、最終的に導電性の高い金属と接合させなければならない。 異種金属の接合は、その接合面で電流の通過を妨げる障壁が出来易く、電流の抵抗を小さくするための困難が存在する。 金属と金属は比較的に馴染み易いが、金属とシリコンのような石材に近いものとは馴染み難く、接合強度が得られ難いのである。 これらを解決する手段は、オーミックコンタクトと呼ばれ、 電極内部の合金化による組成変化や熱処理条件などの違いによる膨大な実験が求められる。 これら一連の実験結果から、企業として撤退を余儀なくされた品種群の建て直しに寄与することができ、 新しい製品群の開発に結び付いたのである。関連する特許も提案でき、その権利化にも成功した。 その後、これらの特許は、この時に開発した製品群だけでなく、広く使用されることになり、私の定年退職時まで有効に働いたようだ。 しかし、そのことを私が知ったのは退職直前、技術部門を離れて約二十年近くが過ぎていた。

 企業を取り巻く市場環境は、次第に厳しくなってきたようであった。民需の市場を強く意識した事業展開が不可欠になっていた。 民需の特徴は、製品が良くとも、価格が安くとも、会社が有名でも、商品が売れるとは限らない。無制限に生産されることもあり、 無茶苦茶な競争が展開され、場故民需のセールスが必要になり、白紙の見積もりもあるという。 この場合、利益は競争相手の提示する市場の価格から自社の原価を差引いたもの、売上げシェアは競争相手の伸びとの対比となった。 過去の実績からの展開は通用しない。また、製品と価格とサービスを顧客の求めるように組み合わせることができれば、 無限の成長が期待できるとされた。今後は技術主導だけでなく、 臨機に対応可能なマーケティングと生産体制の確立が急務と考えられたのであった。市場での競争が激化し、 市場の細分化や製品のライフサイクルの短縮、技術の進歩のスピード化などが求められ、情報とコストと技術の優位性を確立し、 変化に柔軟な対応が要求されるようになった。半導体市場においても大きく変化する過渡期に直面していたようだ。

 職場生活では一人の技術者として日々悪戦苦闘していた頃、家庭生活では、知人や家内の実家の助けもあり、娘や息子が成長していた。 ほとんど家内を頼りにしていたが、家計を助けるための内職やパートにも積極的であった。我が家のエピソードの一つに、 娘が小学校低学年の頃、家庭内でお母さんの一日の行動を観察して作文にしなさいという宿題が出された。 ある日、娘の作文を見て驚いた。私のお母さんの一日「朝内職、昼内職、夜内職」とあるではないか、家内は朝食も作り、 掃除洗濯もし、買い物や夕食の仕度もしていた。しかし、当時、娘の目から見ると、家内の行動はそのように映っていたようだ。 子育ての中で知り合った知人達や懇意にしている家族と家族ぐるみで頻繁に旅行へ出掛けた。この中で我が家の子育ての基本的な方針は、 学業成績よりも人間性の育成を重視した。特に、善悪については、親の判断基準に基づき、無条件で躾を叩き込んだ。 この場合、子供に必要なのは親による無限の愛情という思いがあった。子供の頃の息子は、かなり腕白に育った。 狭い家の中では遊びに夢中になり、ガラス戸に頭から飛び込み大怪我をする。外では駆け回って、狭い路地で転んで怪我をし、 血を流し泣きながら帰ってくる。家内は面倒を見るのが大変だったのではないかと思う。幼稚園に入園する前のこと、 一人で三輪車に乗り、数kmも離れた幼稚園の近くまで出掛け、我が家では隣近所の人の助けを借りて必死に探し回ったこともあった。 娘と息子に対する習い事は家計の許す範囲で何でも挑戦させた。飽きてしまった習い事は無理に押し付けなかった。

 息子が小学生の高学年になる頃、少年野球に入団させた。親父は柔道などの個人プレイのスポーツを中心に過ごした。 これからの時代は、組織による集団の動きが大切と考えたのである。私は本格的に野球を考えて挑戦したことがなかった。 しかし、息子と一緒に野球の練習をして試合を観戦すると、あることに気が付いた。 少年野球の指導者はしっかりとした野球の基本を教え、礼儀やチームワークを重んじた指導をしていた。 この頃、野球のルールや技術はほぼ完成していたようだ。子供の細かい動作やプレイは訓練により上達していった。 問題はルールや動作は親の代で確立したもの、子供たちが工夫をして創造しながら生み出したものではない。 試合の運び方にしても大人の監督のサインと指示で行動する。子供たちの自由な自主性はどのようにしてどこまで育てられるのだろうか、 規則やルールに縛られた行動だけが正しい行為とされ、子供たちの失敗や勝手な行動が排除されるような指導で良いのだろうか、 という疑問が生まれたのである。私が組織や集団の中で息子に学び取らせようとしたものは、 このようなプレイや行動のみにあったのだろうか、多くの疑問を強く感じるようになったのである。 この問題は一つ息子と一緒に考えて見ようと判断した。早速、息子に私の持つ疑問点についての話をしてみた。 息子は小学生、この疑問点の本質にどの程度の理解ができるのかも問題であった。但し、少年野球は小学校を卒業するまで、 最後まで真剣に打ち込んでみよう。お父さんは最後まで応援するし、出来る限りのサポートをする。息子は納得したのか、 良いプレイを見せてくれた。小学校6年生になると、チームのキャプテンにもなった。対外試合にも数多く出場した。 他県との交流試合にも出掛けた。親は親達で父母の会なるものを結成して応援した。 父母の会には、職業も異なればそれぞれの家庭の事情も異なり、多種多様な人達の集まりであった。 皆が子供のために協力してくれた。一人の人間として学ぶべきことも多かった。やがて息子は中学生になり、 高校生になった。その息子は何かを感じたようだ。中学生では、主に体操や陸上など、個人プレイを中心とするスポーツに打ち込んだ。 そして、高校生になり、組織的な集団スポーツであるラクビーを選択したのであった。 親といっしょになって考えたスポーツの世界、何かを学び成長してくれたのではないかと考えている。

 娘の問題は進学にあった。娘には小さい頃から、ピアノ、算盤、塾など、できる限りの習い事をさせていた。 中学生時代になると、親達は、休みになると、息子の世話に手をとられていた。特に、親父は娘との接触が少な過ぎたようだ。 娘の普段の考え方を十分に理解していなかったように思われる。親父は一人勝手に技術者を自負していた。 さて、高校進学の時期が近付くにつれて、娘は商業高校へ進みたいという。親は出来ることなら、 短大か大学まで進学してもらいたいと考えた。また、もしかしたら、技術系の道に進むのではないかとも考えた。 娘との考え方の違いに悩んだが、商業系への道は高校で学ぶ過程でその進路を考えてはどうかということで、 かなり強引に普通高校へ進学させてしまった。高校では、少しばかり音楽が理解できるらしく、 ブラスバンド活動などに夢中になっていたが、学業にはあまり身が入らなかったようであった。 しかし、簿記や商業などには強い興味を持っていたようだ。自ら見つけて働いたアルバイトはレジの仕事やレストラン、 高校を卒業する頃には、簿記の専門学校に通うと言って、早々に進むべき道を決めてしまった。今度ばかりは反対の余地がない。 娘の好きな道を応援することにした。専門学校を卒業すると、短大卒業の資格も同時に取得したという。 これで親父との約束は果たしたと言って、憧れの金融機関の仕事へ進んでいった。親は子供の進路を強制してはならないようだ。 子供が自ら好きな道を歩ませることが子供の幸せに通じるのかもしれない。

(文責:yut)

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