備後國分寺だより
備後國分寺 寺報[平成十九年正月号] 第十五号

 備後國分寺だより

発行所 唐尾山國分寺寺報編集室 年三回発行


 四国遍路行記B  切幡寺から徳島市内へ
      (平成二年三月から五月)


 九番法輪寺前のうどん屋さんを出て、歩き出そうとしたら、自家用車で来ていた二人連れの中年男性遍路さんから話しかけられ、同乗した。

 愛媛の明石寺近くでフジというスーパーを経営している方だった。東京から来たと言うと、自分は明治大学の出身で、学生の頃東京に下宿していたなどという話で盛り上がってしまった。是非、明石寺まで来たら寄って下さい、とのことだった。

 そんな話をしている間に、十番切幡寺に着いた。車で上がれるギリギリまで上がったが、大きな車だったので、下からの上がる道の中間くらいで車を降りた。それでもそこからの石段の上がりはきつかった。息を切らしながらの読経。

 歩き遍路をする人の中には車のお接待を断る人もあると聞いた。確かに歩いて参ることを決めたのだから断るのも当然かもしれない。しかしお接待をしたいと思う人の中には、自分には出来ない歩き遍路さんに、お接待することで自分もその功徳にあずかりたい、そう思っておられる人もある。

 私の場合は、そうしてご縁のあった人の好意はすべて受けることにした。そして車内でなるべく様々な話をし、住所をうかがい、遍路を終えた後、感謝を述べる葉書を送らせてもらった。そうして未だに手紙のやり取りをしている方が何人かいる。本当に四国は、特に歩いて参ると、出会った人とのご縁のありがたさを感じる。

 切幡寺から十一番藤井寺へは十キロ以上の道のりがある。途中吉野川を渡る。手摺りのない橋を渡って、山沿いまで歩くと藤井寺だった。

 新しく新築された本堂の小窓から覗くとお薬師さまがお姿を見せて下さっていた。ふっくらしたきれいなお顔。

 ゆっくりお経を唱えていたら、五時を過ぎていたので、売店でおにぎりを買い、そのままベンチに寝袋を広げた。明日は最難所焼山寺道だ。

 翌朝、藤井寺のベンチで目を覚ます。さすがに身体が痛い。六時頃焼山寺へ向かい歩く。藤井寺の境内の脇から道が続いている。西国の観音様が遍路道沿いに祀られている。それが終わると白い小さな札が木々に掛けられ、赤い字で「へんろ道」と書いてあったり、「同行二人」「ひたすら歩くお大師様の道」などとあって、励まされる。ここからは、民家などまったくない山の道だ。

 二時間ほど歩くと、道の右側に柳水庵があった。番外の札所でもある。大師堂があり、庫裏が古いが立派で、泊めてもくれるようだった。お茶を頂戴し暫し休む。一泊三千五百円とその時うかがった。

 こんな周りに何もないところで、歩いてくる人を泊めようと思ったら、それは大変なことだ。晩に遅くなってくる人もあるだろう。大師堂に参ると、等身大ほどの大きなお大師さんがこちらをご覧になっていた。

 そこからしばらく歩くと、工事中の道を途中横切り、さらに先に進むと石段があった。荷物の重さがこたえる。ふと上を見ると、そこに大きな笠をかぶったお大師さんがおられた。本当にお大師さんが目の前にお越しになったのかと一瞬見間違えたほど驚いた。

 大きな杉の木の前に祀られた、笠をかぶり錫杖を持った修行大師像だった。杉の木は天然記念物に指定されていた。石段を上がるとその先に阿弥陀堂があり、観音堂があった。

 柳水庵で休んでから二時間ばかりで焼山寺の山門の前に出た。何百年もの年輪を重ねた杉の大木が出迎えてくれた。海抜八百メートルもあるという。そのせいなのか建物はみな銅板葺きだ。ゆっくりお参りする。

 本尊虚空藏菩薩。弘法大師が若き日に人生をかけて取り組んだ虚空藏求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)の本尊さんだ。お大師さんがここで求聞持をされたか定かでないが、おそらく後の時代の修行者が焼山寺の道場でも取り組まれたであろう。

 焼山寺を歩いて降りると、途中に杖杉庵がある。ここは、四国遍路の縁起話に登場する衛門三郎がむごい仕打ちをしたことを悔いてお大師さんにあやまるために四国を遍路して歩いて来てやっとお大師さんに出会い、息絶えたところでもある。

 その時お大師さんは衛門三郎が持っていた杖をお墓の上に立て供養したと言われ、後にその杖から芽が出て大きな杉の木になったと伝えられていることから杖杉庵と言うのだそうだ。

 その時醍醐寺で修行された年配のお坊さんがおもりされていた。本当にお大師さんが好きなのだろう、檀家もない小さな庵を一生懸命手を入れて守られていた。確かその時、いらなくなった浴槽をもらってきてやっと風呂が出来たと喜ばれていた。

 そんな話をしているところに九州から来たという団体さんがお参りされ、私もお接待を頂戴した。申し訳ない限りだ。

 藤井寺から焼山寺は山道だが十六キロ。しかしこの先十三番大日寺へは三十キロもある。どうしたものかと思案しながら下山する。前屈みになりながらも信玄師に教えられたように前後ろにほぼ均等に荷物を配分しているので、楽に錫杖をつき降り下った。

 焼山寺からの山道を降りきると、国道を東に向かう。途中工事現場の横を何度か通る。
 近年大型バスで四国を廻る人たちが増え、札所へ向かう道はどこも拡幅工事が急ピッチで行われている。昔は土の踏みならした道だったろうにと思いながらも、焼山寺の帰りなのでアスファルトの道も苦にならず歩く。

 大日寺へあと十五キロばかりという辺りで暗くなる。この日はまだ三日目というのに初めての遍路のせいか少し疲れを感じ、宿へ入ることにした。遍路道沿いの小さな宿。三日ぶりに風呂に入りさっぱりする。

 翌日歩き出すと、大日寺までの道は途中山に入ると番外の札所や奥の院があったりするようだった。余裕があれば覗いてみたいと思いながら、先の長い道のりを思い躊躇した。国道は大型トラックが頻繁に往来する。網代傘が吹き飛ばされそうになりながら歩く。

 十三番大日寺は、国道向かいにある一の宮の神宮寺である。明治まで寺と神社一体で経営されてきたのであろう。

 おそらく今お寺のあるところが僧坊で、社殿に出向き読経によるお勤めが長く行われてきたのである。地域のお祭りといえば、住職が社殿に入り仏式の作法によって神様に御輿にお移りいただき、練り歩いた。そういう時代が長く続いていた。

 明治初年の神仏分離令によって社殿から仏像のようなご神体を廃し、土地の境界を定めた。その境界がここでは国道によって明確に分離された。痛々しいばかりである。

 国道から境内に上がると、大きな合掌した掌の中に仏様がおられた。新たな試みの中に辛い歴史を背負っているが故の優しさが垣間見れるようであった。

 十四番常楽寺へは、国道を少し住宅街に入り、大きな池の先にあった。境内が流水岩と言われる水が流れた後のようなゴツゴツした岩盤で覆われた珍しいお寺だ。

 本尊は弥勒菩薩。釈迦滅後五十六億七千万年後に現れるとされる弥勒仏が仏に成らんが為に修行されているお姿を弥勒菩薩という。四国の八十八カ所の中では唯一の弥勒さん。

 十五番國分寺へは、住宅街を抜けて歩く。本堂の重層屋根の背の高さが目を引く。中に入ると下は土間であった。本堂右手に、諸尊を配した小さなお堂が続いている。大師堂前の「光明真言一切三宝供養の為」と書かれた大きな石塔婆が立派であった。珍しく曹洞宗のお寺。

 十六番観音寺は、住宅街から商店街へ抜けたところに位置していた。お堂の偉容に比べ境内が極端に小さい。往時の繁栄を想像しつつお勤めする。

 そして、十七番井戸寺へは商店街をひたすら歩く。本堂は鉄筋コンクリート造り。本尊は七仏薬師。東方浄瑠璃世界の教主である七仏のことで、薬師瑠璃光如来を主尊とする善名称吉祥王如来、宝月智厳光音自在如来などの七仏を言う。息災と安産を特に祈る仏たちのようだ。ここには霊水の井戸があり、持ち帰れるようになっていた。

 ここから先は徳島の市街に入る。国道に出て徳島駅の前を通る道に差し掛かった頃暗くなってしまった。住宅街の大きな一軒に声を掛けて軒先に寝かしてもらおうと思ったが、断られた。

 そこで、近くのスーパーで海苔巻きとお茶を買い込み、この日は中学校の駐輪場でひっそりと一夜を明かした。                                   つづく (全)


● 五戒のおしえ ●

 今の世の中に、戒律などというものが通用するのか。戒律などあるから世の中かえって、いかがわしいものが氾濫するのではないか。戒律など無くしてしまえ。誰が今の時代、戒律など守る者があろうか。

 そういう声が聞こえてきそうである。今という時代は、戒律にとって、誠に居心地の悪い、受難の時代であると言えようか。

 戒律とは、どの宗教にとっても、ある程度規定されているものであろう。「汝かくあるなかれ」というものは、どこにでも、どの時代にもあったはずだ。

 仏教では、本来、誠に厳格にこの戒律を規定する。他の仏教国では、出家者にとっても、また在家の仏教信者にとっても、未だに大事な基礎的な教えとなっている。

 在家仏教徒の守るべき戒に五戒がある。私たちも、いざというとき、お葬式で、この五戒を授けられ、戒名をいただく。

 五戒とは、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒の五つ。

 これらは、あることをしなければいいというものではなくて、その反対のことを求める教えとしてあると教えていただいたことがある。

 だから、生き物を殺さなければいいというので無しに、その反対であるから、生き物を慈しみの心をもって育むということが必要なのだと。その他の四つについても同様である。

 ところで、お釈迦様の教えは誠に調った完璧なものであるとよく言われる。時代が変わったからと言って加えたり、はぶいたりできないということであり、この五戒は広く人類共通の守るべきものだと言ってもおかしくない。仏教徒だけが守ればいいというものでもない。

 そして、この五戒のその順番もおそらく、そこにお釈迦様の深い意図が隠されているのではないか、と私は思う。

〈不殺生〉
 なぜ不殺生が一番先に来ているのか。それは何よりも私たち自身が生きるということ、この生に強い執着を持っているからではないだろうか。そして、それは他の生き物も同じなのだということを教えておられるのではないかと思う。

 自分が生きたいなら、他の者も同じように考えているのだから、他の者たちの命を自分の身に置き替えて大切にしてあげなければいけない。他を殺すなら、自分も殺されるぞということを言いたかったのではないか。私たちは生きている、が、お前たちは生きていなくていいなどということは成り立ち得ないということを。

〈不偸盗〉
 そして、私たちが生きていく上で、食べ物にしろ住まいにしろ道具にしろ、物が無くては生きてはいけない。けれども、その物も、自分の物を大切に思うなら、他者も同様であると考えて、他者の物を取ってはいけない。
 
 かえって、自分の物をみんなと分かち与えることで、自分も良くあるであろうということを教えてくれているのではないか。

〈不邪淫〉
 また生きる上で、私たちには様々な欲があるけれども、特に性的な欲求をそのままに行動していたら、多くのトラブルを抱え、その社会では生きられなくなってしまう。なぜなら、邪な行動を起こす相手の人には家族があり親族があり、様々な人間関係のある人であるから。

 自分や自分の家族を大切に思うなら、他の人や家族を損なうことをしてはいけないということになる。

〈不妄語〉
 そして、その社会の中で、人間関係を築くために言葉がある。誰にとっても自分が可愛い。しかし、自分によかれと思って目先の都合、利益を優先し、嘘をかさねるなら、その人は、いずれ人としての信用が無くなり、やはりその社会で生きていく上で大きなハンデを背負うことになる。

 嘘に限らず、言葉は様々なトラブルを引き起こす。人の悪口、罵詈雑言、おべっか、二枚舌、いずれもその人の人格品格を損なう。口から出たものにフタはできない。口は災いの元。

 自分だけよいようにと思ってはいけない。真実を言うべき時に丁寧に言う、という慎重さが必要だ。

〈不飲酒〉
 それから大切なことは、我を忘れるということがあってはならないということだろう。お酒に限らず、薬物によって、自分というものをなくしてしまってはいけないということだ。

 私たちには、この上なく、時に、何もかも忘れてしまいたい、考えないでいたいということがある。身近な人の不幸であったり、病気のこと、仕事のこと、人間関係のこと、様々なことが心に襲いかかってくるだろう。

 だが、どんなことがあったとしても、お酒などで自分を忘れることで、そのことは解決できないよ、ということではないか。また酔うことで様々なトラブルを作ってしまうこともある。

 やはり、耐えきれない悩み苦しみではあっても、それをしっかりと受け入れて、冷静に生きていかなくてはいけないということではないか。

 五戒も、こうして考えてくると、その順番もしっかりと意図的に、私たちが大切に、重要に思っていることは何か。つまり生きる上で何に本当にこだわって、何に振り回されて私たちは生きているか、ということを教えてくれている。

 お釈迦さまの教えは誠に素直に何のてらいもなく素っ気なく、一見有難味がないようにも感じる。しかし、そこには、この五戒のように、どの教えにも本当はお釈迦さまの深い、誠に思慮深い意味が込められている。

 その意図を私たちが汲み取ることなく、ないがしろにしていては、その教えをただ形骸化していくのみで、その教えの何たるかを知ることはないであろう。

 私たちはその一つ一つをもう一度改めて検証していく必要があるのではないかと思う。                                                   (全)


 「モリー先生との火曜日」を読んで
 愛とは、生きるとは、何だろう 
     


 ある仏教の瞑想法の本に紹介されていたので買い求めた。軽快なタッチで読みやすく書かれてはいるが、そこにこめられた意図は計り知れない。より多くの読者に、恩師が死の床で何を思ったかを知って欲しい。そんな著者ミッチ・アルボムの思いが溢れているようだ。

 一九二〇年代に生まれ、シカゴ大学で修士と博士号を取ったモリー・シュワルツ先生は、五〇年代後半から九〇年代にかけて、マサチューセッツ州ウォルサムのブランダイス大学の社会学部教授であった。

 多くの学生に、その独創的な教育手法によって慕われるが、退官間際にALSという難病・筋萎縮性側索硬化症に侵されてしまう。

 ALSとは、日に日に身体の力が失われていく恐ろしい病気である。足の先から次第に運動神経が侵され、ついには自分の意志で動かせる筋肉がすべて動かなくなってしまう。しかし、手や足、腹筋、背中、顔、呼吸筋まで少しずつ動かなくなるのに、感覚や頭脳が侵されることはない。

 十六年前にモリー先生の教え子で、学生時代、先生と過ごす時間の多かった、スポーツライター、ミッチ・アルボムは偶然テレビで恩師が難病に侵されていることを知り、直ちに会いに行く。

 そして、それをたいそう喜ばれたモリー先生が、自ら発案して毎週火曜日、ミッチを自宅に招いて、二人で、「人生の意味」について論じ合った。その様子を綴ったのが本書「モリー先生との火曜日」(別宮貞徳訳・NHK出版)である。

 読みながら、思わず鉛筆でラインを入れていた。そんな箇所をいくつか紹介しながら、本書の概要を述べてみよう。

 最初の火曜日。ミッチが行くと先生は泣いていた。病気のことを悲観してかと思ったが、そうではなかった。その日のニュースで、ボスニアの市民が通りを走っていただけなのに銃殺されたのを知った。それを見ていて、その場に吸い寄せられるように、その人の死を自分の苦しみのように感じてしまったのだということだった。

 そのあと、先生は、この病気になって一番教えられていることは何だと思うかとミッチに問う。
 「人生で一番大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ」と言われる。

 そして、レビィンという賢者の言葉を付け加える。「愛は唯一、理性的な行為である」と。
 他者の思い、気持ちをわがことのように感じ取り、それをやさしく思いやることが愛ということなのであろうか。

 第二火曜日。先生は、徐々に身体が動かなくなっていくことに悲しみが襲い、朝泣いてしまうことがあることをミッチに告白する。しかしそんなときは、思い切って泣いて、それから人生にまだ残っているものに気持ちを集中する。二、三粒涙を流して、それで今日一日さあやろう、と気合いを入れる。

 ミッチの知人には、目の覚めている間中、我が身を哀れんでいる人がいる。それなのに、先生はこんなに恐ろしい病気に罹っているのにどうしてそんなに積極的な考えができるのか、と思う。
 それに対し先生は、「おそろしいと思うからおそろしいだけなんだ」
「私には、さよならが言える時間がこれだけあるのはすばらしいことでもある、みんながみんなそれほどしあわせってわけじゃない」

 どんな情況にあっても、どんな苦境にあっても、できることに光明を見出していくことが、どれだけ大切なことであろう。救われることであろう。

 第三火曜日。死が迫っていることを知らされて、人はどういう思いにかられるのか、過去の行いに後悔が残るのではないかと思いめぐらすミッチに、「今のような文化状況じゃ、死ぬ間際にならないと、こういったことまで気が回らないね。みんな自分本位のことで、がんじがらめだから。仕事のこと、家族のこと、金は足りるか、借金は払えるか、新車を買うとか、暖房が故障したら直すとか、ただ、暮らしを続けるために数知れないことにかかわっていかなけりゃならない。これでは、ちょっと立ち止まって反省する習慣がつかないよ。これだけなのか?何か抜けているんじゃないか?と考えないと」と先生は語る。

 人生とは何をするためにあるのか、これが本当に生きてるってことかと、時に考えるべきだと先生は諭される。

 第四火曜日。先生は死について語る。「誰でも(本当は)いずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない。信じているなら、違うやり方をするはずだ」
「(死に直面すれば)よけいなものをはぎとって、肝心なものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっと変わるよ」
「いかに死ぬか学べば、いかに生きるかを学べる」

 死とはなにかがわかれば、いかに生きねばならないかが分かるということであろうか。
 
 第五火曜日。先生が家族について語る。「互いに愛せよ、さなくば滅びあるのみ」と詩人オーデンの言葉を引用して、
「家族から得られる支えとか、愛とか、思いやりとか、気づかいとかがなければ、人にはほかに何もないようなものだ。愛は最高に大事なもの」

「友だちとか知り合いとか、いろんな人が見舞いには来てくれても、ここを離れない人がいるのと同じではない。誰かこっちに気を配って、始終見守ってくれる人がいるのと同じにはならない。単に愛だけじゃなくて、見守っている人がいますよ、とわからせてくれること。精神的な保護とでも言うかな。そこに家族がいて見守ってくれているっていうことね。それを与えてくれるものは他に何もないんだよ。金もだめ、名声もだめ、仕事もだめ」

 いつも、安心感を与えてくれる、何をしても温かく見守っていてくれる、そんな身近な人々を家族というのであろう。

 第六火曜日。様々な思いからの開放、物や思いに執着しないということについて語る。「それは経験を自分の中にしみこませないことじゃない。むしろその反対で、経験を自分の中に十分にしみこませるんだよ。そうしてこそ、そこから離れることができる。ある女性への愛でも、愛する者を失った悲しみでも、私が今味わっているような死にいたる病による恐怖、苦痛でもいい。そういった感情に尻込みしていると、つまりとことん付き合っていこうという考えを持たないと、自分を切り離すことができない。いつもこわがってばかりいることになる」

「そういった感情に自分を投げ込む、頭からどーんと飛び込んでしまう、そうすることによって、その感情を十分にくまなく経験することができる。痛みとはどういうものかがわかる。愛とは何かがわかる。悲しみとは何かがわかる。そのときはじめてこう言えるようになるんだ。よしこの感情を私は経験した。その感情の何たるかが分かった。今度はしばらくそこから離れることが必要だと」

 仏教の瞑想をすると、このように一つ一つの心が分かり、それから開放される。モリー先生は病床に臥しながら瞑想の境地を開かれたと言えよう。

 第七火曜日。この日は老いることについて語る。年をとることに不安になったりしたことはありますか、とのミッチの問いに、先生は「年をとればそれだけ学ぶことも多い。ずっと二十二歳のままなら、いつまでも二十二のときと同じ無知だっていうことになる。老化はただの衰弱じゃない。成長なんだ」

 そして、ミッチが、ではなぜ人は、よくもう一度若くなれたらなんて言うんでしょうか、と問うと「それは人生に満足していないんだよ。満たされていない。人生の意義を見出していない。だってね、人生に意義を認めていたら、逆戻りしたいとは思わないだろう。先に進みたいと思う」

 そしてこう続ける。「いいかい、これはぜひ知っていて欲しい。若い人はみな知っていてほしい。年をとるまいといつも闘ってばかりいると、いつまでもしあわせになれないよ。しょせん年はとらざるを得ないんだから」

 さらに、どうして先生は若い人をうらやまずにいられるのか、と聞くと「ミッチ、老人が若者をうらやまないなんて、そんなことあり得ないよ。ただ問題は、ありのままの自分を受け入れ、それを大いに楽しむことだ。三十代が今の君の時代。私にも三十代という自分の時代がかつてあった」
「本当のところ、私の中にすべての年齢がまじり合っているんだよ。・・・今の君の年代をうらやましがってなんていられないよ、前に自分がそうだったんだから」

 とても正直な言葉の中に、自分の人生を肯定し納得しようという思いに至る思索が読み取れるようだ。

 第八火曜日。この世で大切なものとは何か、を語る。「みなまちがったものに価値をおいている。それが人生へのはなはだしい幻滅につながる」
「この国では一種の洗脳が行われている。洗脳ってどうやるか知っているだろう?同じことを何度も何度もくり返して聞かせるんだ。物を持つのはいいことだ。かねは多いほうがいい。財産は多いほうがいい。商売っ気もそう。何もかも多いほうがいい。みんなそれをくり返し口にし聞かされて、・・・何が本当に大事なのか見境がつかないというわけさ」

 なぜこうも簡単に洗脳されてしまうのだろうか。「これには私なりの解釈があってね。この人たちは、愛に飢えているから、ほかのもので間に合わせているんだよ。物質的なものを抱きしめて、向こうからもそうされたい。だけど、金や権力をいくら持っても、そんなものはさがし求めている感情を与えてはくれない、それを一番必要としているときにね」

 みんな洗脳されて、がむしゃらに間違った愛や幸せを探し求めて、それが人生だと思いこんでしまっているということなのであろう。

 第九火曜日。今という瞬間に存在することの大切さについて、先生は語る。「つまり、誰かと一緒にいるときには、その人とまさに一緒でなければいけない。今、君と話をしているこの時も、私は二人の間で進行していることだけに気持ちを集中しようとつとめているよ」

 ミッチは、死に向かって残り少ない呼吸を数えているモリー先生こそ自分のことばかりにかかずらっていても不思議ではないのに、はるかに些細な問題しか抱えていない多くの人びとは、ただただ自分のことばかり考え、人と、ものの三十秒ほどしゃべっているだけで、目に霞がかかってくる。もう頭の中は別のことでいっぱいなのだ、と思う。

 そして、なぜそうなるのかを、先生はこともなげにこう言い放つ。「みなさん、ずいぶん忙しいってことだね。人生に意味を見いだせないので、年がら年じゅうそれを求めて駆けずり回っているんだよ」と。

 隣の庭はきれいに見えるというのと一緒で、なかなか手元にあるものの大切さ、ありがたさに気がつかないものだということなのであろう。

 第十火曜日。ミッチの年代のほとんどすべての人が結婚に問題を持っている。「今日の若者たちは、自己中心的でほんとうの愛情関係に入るのをいやがるか、あわてて結婚したあげく半年で離婚するか、どちらかだ。パートナーに何を求めるかわかっていない。そもそも自分自身が何者かわかっていない、だから結婚する相手が何者かもわかるわけがない」

 結婚がうまくいくかどうか知る法則みたいなものがありますか、とミッチが問うと、先生は、「そんな簡単なものじゃないよ」と言いつつも、
「相手を尊重していなければトラブルが起こる。妥協を知らなければトラブルが起こる。人生の価値観が共通でなければトラブルが起こる。その価値観の中で最大のものはね、自分の結婚が大事なものだという信念さ」

 まさに至言。本当にそのとおりではないかと思う。

 第十一火曜日。先生は、今の世の中の本質について語り出す。「人間はあぶないと思うと卑しくなる。それはわれわれの文化のせいだよ。われわれの経済のせい。この経済社会で現に仕事をもっている人でさえ、危険を感じている。その仕事をなくしはしないかと心配なんだ。危険を感じれば、自分のことしか考えなくなる。お金を神様のように崇め始める。すべてこの文化の一環だよ」

 それから、「われわれ人間の持っている最大の欠点は、目先にとらわれること。先行き自分がどうなるかまで目が届かないんだ。自分にはどういう可能性があるか。そのすべてに向かって努力しなければいけないんだ」

 毎月の稼ぎが気になり、本当にしなければいけないこと、すべきことに乗り出せなくなる。そのため、私たちは自分の本当の開花させるべき才能に気付くことなく人生の大半を過ごしてしまうということであろう。

 第十二火曜日。仲違いしてそのままになってしまった友人についての後悔を語った後に、許しについて語る。「許さなければいけないのは人のことだけじゃない。自分もなんだ。そう、やらなかったすべてについて。やるべきなのにやらなかったことすべてについてね」
「私はいつも、もっと仕事をやっていればよかったのに、と思っていた。でも今では、そんなことやってもむだだったことがわかる。自分と、それから周囲の人すべてと仲直りしなければいけない」

 後悔は前向きな心を失わせていく。常にこの瞬間を新たな心で迎えられるように、悔いを残さない生き方が求められているのであろう。

 第十三火曜日。「死ぬのは生きるのと同じく自然なこと。人間の約束ごとの一部だよ」
「みんな死のことでこんなに大騒ぎするのは、自分を自然の一部だとは思っていないからだよ。人間だから自然より上だと思っている。そうじゃないよね、生まれるものはみんな死ぬんだ」
「人間はお互いに愛し合えるかぎり、また、その愛し合った気持ちをおぼえているかぎり、死んでも本当に行ってしまうことはない。つくり出した愛、思い出はそのまま残っている。この世にいる間にふれた人、育てた人すべての心の中に」

 生命の摂理、自然や生き物たちとの一体感を得られたのであろうか。自然は人間のためにあるとする西洋の発想を超えて、仏教徒としての視点を見出されたとも言えようか。

 そして、第十四火曜日。先生はただ皮膚は青白く、目はぎょろっとこちらに向け、何か言おうとするが、低い呻き声しか聞こえない。それでも、「君はいい子だ、・・・じゃあな」と言い残す。その土曜日モリー先生はなくなった。

 ここに、私が読んだ際に鉛筆でラインを入れた忘れがたいモリー先生の言葉を各章ごとに引用させていただいた。紹介したのは、先生の言葉のごく一部に過ぎない。全編が誠に示唆に富んだ好著であり、また翻訳も素晴らしい。臨場感にとんだものであった。是非ご一読願いたい。

 さて、私の知るALSの患者さんは、人工呼吸器を付けて、亡くなる随分前から声も出ず、顔の表情もなくなり、最後には、瞼だけがかすかに動くばかりになってしまうと聞いた。中には、パソコンに特殊な装置を取り付けて、かすかな筋肉の動きで文字を入力してメールのやり取りや手記を残される方もあるという。

 モリー先生は亡くなる前週まで、愛弟子ミッチと、最期に思うことごとを、人生の意味や愛について、思いの丈を語り尽くすことができたことは幸せなことであったろうと思う。死と隣り合わせに時を過ごしたモリー先生の教えを、この本によって私たちもこうして学ぶことができたことは、誠にありがたいことだと思う。

 願わくば、多くの目の前の雑事に忘れ去ることなく、そのひと言ひと言を、ことある毎に振り返りたいと思う。
                                                  (全)


  即身成仏ということ

 真言宗では、よく即身成仏(そくしんじょうぶつ)ということを言う。他の教え、つまり顕教(けんぎょう)という密教以外の教えが三劫(さんごう)という果てしない時間の末にしか成仏できないといわれるのに比べ、誠に優れた即身成仏できる教えが真言密教であるという。弘法大師は「即身成仏義」という書を著して様々な論証をされ、それに基づいて後世の学僧が研究されてきた。

 はたしてこの即身成仏とはいかなる教えなのか。それらの研究書では専門用語ばかりか、説かれる言葉も難しく、引用される経論は更に難しい。その真義をくみ取り、今の時代にどう、そのメッセージを私たちは受け取るべきなのか。長い間、私にとってのペンディング事項の一つであった。

 ずっとそのままになっていたのだが、つい最近、朝のお勤めの後坐禅をしていて閃いた。閃いただけだから、これが即身成仏の解釈である、などと言えるようなものではない。ただ、今の私にとって即身成仏とはこういうこととして受け取ったらいかがであろうか、というにすぎないことをお断りしておく。

 即身成仏は古来、大きく三つの意味に取れるという。一つは、「すなわち身、なれる仏」と読み、この宇宙森羅万象すべてが仏の現れとしてみる立場から、私たち人間も含めたすべてのものは、そのまま仏であると解釈する。

 しかし普通、私たち凡夫は沢山の悩み苦しみを抱えて自らを仏とは思えないものなので、速疾に成仏できるとする密教の修法が必要となる。そこで二つめは、「身に即して仏となる」と読み、煩悩に覆われて隠れている仏を開き見るために、凡夫は身に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を想う三密の修行をもって仏と一体となる境涯を一時的に体験する。

 そして、三つ目が、「すみやかに身、仏となる」と読んで、その一時的な境涯を絶えず積み重ねることで、常に四六時中仏と一つになり仏の働きを生きることができるとする。これが真言密教における伝統的解釈のようだ。

 しかし、人間そう簡単に理論どおりに生きることもできなければ、継続する忍耐にも欠けている。密教の修法も専門に修行する僧侶としてならいくらもできようが、一般在家の人々には及びもつかない。

 それでも即身成仏というその意味するところが現代の私たちにとってまったくナンセンスなこととも言えまい。この言葉を、凡夫の一人である私たちは、それでも意味あるメッセージとしてどのように受け取ったらよいのであろうか。

 さて、即身成仏が言われる前には三劫成仏が唱えられていた。三劫もの時間を経なければ成仏できないというと、果てしない後の世に向けて私たちはどうしたらよいのか皆目見当もつかないということになる。

 劫とは、牛車で一日行く距離を一辺の長さとする大きさの四角の石を百年に一度薄い布で払ってその石がなくなってもその劫は終わらないというほどの長い時間を言う。三劫成仏とは、その劫が三回経過してやっと人は悟りが開けるというのだから、無理ですと言われているのに等しい。

 それに対して即身成仏という言葉が使われたのであるから、そんなに先のことと思わずに、速やかに悟れるのだから、今この瞬間を真剣に、大切にしなさいということではないか、と私は思う。たとえば、来年受験するからさかのぼって今の時期はこれとあれと勉強しなければと思うのであって、それが十年も二十年も先に受験があると思えば、何のことはない毎日遊んで暮らしてしまうであろう。

 悟りもそれと一緒で、今という思いが大切だということなのではないか。明日でもなく、今日の、それも今ということではないかと思う。即身とは、今この自分において、ということだろう。今この自分において悟りということと真剣に向き合って生きよ、ということではないか。

 悟りというと何か縁遠いことに思われるかもしれない。しかし、悟りとは最高の幸せのことであって、誰もが求める幸せの最高のものだと思っていただいたらいかがであろう。お釈迦さまは、自らその最高の幸せである、何者にも依存しない、何にもわずらわされることのない、安穏な境地に至られた。それを成仏と言う。だから死んだら成仏するということでは勿論ない。

 だから今この自分の悟りに真剣になるということは、自分が今本当に幸せであるように生きよ、ということではないか。ではどうすれば本当に心から幸せだと思えるだろうか。今幸せであるようにとは、今さえよければいいという先々のことを考えない刹那主義のことではない。

 また、自分だけ良くあればいい、自分だけ喜べればいい、一人幸せな気分を味わえば満足だということでもないだろう。少しも空しさが残らないように、後悔が少しでもないようにするには、やはり自分も家族も周りの人たちも、みんな良くあることが必要になるであろう。

 周りの人々がにこやかに幸せな顔をしていて、はじめて心からの満足感、幸福感が沸いてくるのではないか。周りの人たちに何か自分がして喜んでもらう、善いことをした満足感、役に立ってうれしく思う、そうしてはじめて今のこの自分の幸せを手にできる。もちろん、そのためには自分もその立場に応じて、しっかり生きていなければいけないだろう。そうして身近な小さい幸せかもしれないけれども、その積み重ねが本当の幸せということに繋がるのではないか。

 仏教では、身と口と心のなすことを行いという。その瞬間瞬間のそれらの行いがすべて業となり、後の自分をつくっていく。今がやはり大切なのだ。
 だから明日ではなく、十年先でもなく、死んでからでもなく、来世でもなく、「今を真剣に最高に幸せに生きようではないか」というメッセージとして即身成仏という言葉を受け取ってはいかがなものかと思うのである。(全)


 般若心経からのメッセージ7

落ち着いた心であれ

 次に「?礙なきが故に、恐怖あることなし。一切の転倒夢想を遠離して涅槃を究竟せり」とある。

 前回述べたように、既に心に何のさえぎるものがないので、何に触れても恐れを抱くこともない。そして、本来無いものをあると考えるような転倒した見方をすることなく、さとりを得ている、という意味となる。

 私たちは物事をその名称とともにそのものがどのようなものかを知り、それがまさしくそこにあると思う。しかし、なにごとも空であるという立場からすれば、すべてはその瞬間だけの仮の姿に他ならない。

 転倒夢想とは、たとえば財産、地位、権力、名誉などを求めたり、永遠なる霊魂や霊能、奇跡を信じたり、権威ある人の言葉を鵜呑みにしたりする世間的なものの考えや認識のことでもある。

 人は安定を求め、それが手にはいるとさらなる欲がつのり、権力や地位を追い求める。しかしそれらを永遠に握りしめていられるものではない。求めるべきでないものを求め、苦しみの中に身を置き、もがいているのではないか。

 ここでは、そのような転倒した物の見方をすでに離れているので、どのようなものに触れても、波紋のない水面のような澄み切った安らかな心の状態にあるということ。なにものにも心を揺り動かされない落ち着いた心であれということか。
 
最上の者に随喜せよ

 そして、「三世の諸仏は般若波羅蜜多によるが故に阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり」となる。

 過去現在未来の三世の仏たちも、この智慧の完成によって、この上ないすぐれたさとりを得たり、ということ。

 般若波羅蜜多とは、これまで、単に智慧の完成とのみ記してきた。しかし、これは、仏教という教えを説いたお釈迦様の菩提樹下のさとりの智慧、そのもののことであって、それこそ私たちが喜びたたえ、敬い、真に求めるべきものであろう。

 そして、その敬うべき最上の真理、さとりそのものに私たちの様々な行いの功徳を回向することによって智慧の完成が得られるという。

 それによって導かれる阿耨多羅三藐三菩提とは、すべて音訳で、自らさとり他をさとらしめ覚行が円満完成せる最高のさとりのこと。

 私たちは努力すればするほど、他が気になり他を追い抜くことばかりに気を取られる。しかし誉め尊ばれるべき最上の者を喜びたたえ、より良くあれと願うことによって、自らもその者と同じ喜ばしい心を手にすることができる。                           (全)


読者からのおたより 

 
國分寺の楷の木 

 國分寺境内の無縁塔の南側に、昨年、一本の「楷の木」が植えられた。

 「楷の木」は、孔子の死後、孔子十哲の一人子貢が、墓所の小さな庵にとどまって塚をつくり、楷の木を植えてその地を離れたと言われ、その楷の木が世代を超えて受け継がれていったという。

 楷の木はうるし科の落葉樹で、中国では模範の木とされており、書体の楷書の語源にもなっている。儒学の精神のシンボルとして有名な珍木である。

 日本に初めて移入されたのは大正四年、白沢博士が中国・曲阜の孔子墓所から楷の木の種を採取して帰り、播種育苗して、日本国内の孔子や儒学にゆかりのある地に植樹されたのが最初であると言われる。

 その中でも、岡山県の閑谷学校の聖廟に上がる石階の左右にそびえている階の木は、幹の太さ二b、高さ十三bにも達している大樹で、「学問の木」と呼ばれ、紅葉の美しさで知られている。

 市内では菅茶山記念館や大坊福盛寺、近隣では井原の田中苑に見ることができる。                                                      (B)

 
足腰立って元気なうちに 

 今年も数人の友人から暑中見舞い状をいただきました。その中で次の一枚の絵手紙が、私の心を捉えました。その絵手紙には花の絵に添えて次のことばが書いてありました。

 あした死んでもいいように
 百まで生きてもいいように
 考え考え生きていこ
 食べたいものは食べておこ
 行きたいとこへは行っておこ
 会いたい人には会っておこ
 足腰たって元気なうちに

 何かのときに、このことばを思い出すと、気分がずいぶん軽くなるのです。
                                               (K)


 お釈迦様の言葉−十四

『諸行は無常なりと
かくの如く智慧によりて
知らば、苦を厭う心おこる。
これ清浄にいたる道なり』
(法句経二七七)

 すべてのものは、因と縁とによって生じ、つねに変化している。ゆく川の流れだけでなく、大盤石に見える大地であっても、長い時間には大きな変化を遂げる。

 その永遠ともとれる時間の行く末を瞬時に観じられるようになると、私たちの貪瞋痴の行いは、みな苦をともなうものであることがわかるのであろう。それがわかれば、苦にいたる行いを厭う。そのとき、人はそのままに、さとりに至る聖者の道程上にあるという。

 目先に執われ、先を見通すことができないのに、あれこれと先々のことを心配したり。過去に執われ右往左往するのに、過去に学ぶことはなかなか難しい。貪瞋痴の煩悩にとらわれるとは、こうしたことではないか。

 何事も無常なりと覚悟を決めて、思いを残すことが無ければ、先が見えてこよう。過去の過ちにも気付くことができよう。余計な思いに心が曇っていては、無常も見えてはこない。いまここにある、音、身の動き、われ湧き出ずる呼吸に、心澄ませる時を大切にしたい。
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│ 平成十九年度國分寺年中行事
│ 修正会並びに元旦護摩供     元旦未明
│ 月例御影供並びに護摩供     毎月新暦二十一日
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│ 正御影供並びに四国お砂踏み  四月二十一日
│ 四国巡礼(香川二拍三日)      五月九〜十一日
│ 万灯供養施餓鬼会         八月二十一日
│ 高野山参拝              十月五日
│ 除夜の鐘               十二月三十一日
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 ◎仏教懇話会  毎月第二金曜日午後三時〜四時
 ◎理趣経講読会 毎月第二金曜日午後二時〜三時
 ◎御詠歌講習会 毎月第四土曜日午後三時〜四時
 ◎坐禅会    毎月第一土曜日午後三時〜五時
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