備後國分寺だより
備後國分寺 寺報[平成二十四年四月号] 第三十一号

 備後國分寺だより

発行所 唐尾山國分寺・寺報編集室 年三回発行

 



 ー仏の世界は快適なのかー

  救われるということ



 今年一月の仏教懇話会で、DVD『親鸞・白い道』(三國連太郎監督作品)を皆さんとともに鑑賞しました。

 今日では大きな宗派の開祖として祀りあげられている祖師の一時代を切り取った作品でした。流刑後のどん底の生活ながら、己の信じる教えを説き続けた生涯を淡々と描写したものです。

 時代背景人間関係も繋がらないいままに見終わり、消化不良ではありましたが、苦労された祖師があり、今があることを忘れてはいけないのだと思えました。

 鑑賞会の後に、あるご婦人から、「仏様を信じれば本当に救われるのでしょうか」と問われました。時間もかなり超過していたこともあり、きちんとお答えする間もなく終えてしまいましたが、このひと月ほど、ずっとそのことを考え続けていました。

 仏様を信じるとはどんなことだろうか、救われるとはどんなことだろうかと考えました。漠然とそう思っているようにも思えますし、しかしそれは本当に切実な問題なのだろうと思えます。

 仏様を信じるとは、仏様の何を信じるのでしょうか。仏様という存在でしょうか。仏様の慈悲心でしょうか。それともその教えでしょうか。

 仏様というものに対する私たちの漠然とした思いは、もう少しはっきり言うとやはりそのお力、救って下さるであろうと思えるその働きということではないかと思います。仏様のそうしたやさしい心を信じるということであるならば、何もしなくても救って下さるのだろうか、どのようにしていたら仏様はお救い下さるのかと考えねばならないのではないかと思います。

 また、仏様の教えを信じるということになれば、お釈迦様がどんなことをお話になられたのか、どんなことを私たちに願っているのかということを知らねばなりません。

 お釈迦様は、この世の中はどういうものか、私たちが生きるとはどのようなことで、なぜこのような不安の中にあるのか、その心を安らかにするためにはどのように考え、どうしたらよいかということを教えられています。無常、縁起、四諦、十善などなどです。

 そして私たちに早く自分のところへ来ること、つまりは悟ることを願われています。日々少しずつでも研鑽し近づいてくるように願っておられるのです。

 普通、私たちが何かを得ようと思ったら、金品なり、何かすることによって、実現する、かなえられるということになります。人に何かをお願いすることを考えても、それなりに筋を通し礼を尽くしてお願いするということが必要でしょう。

 仏様に何かお願いする場合でも、やはり何か必要であろうかと思います。お供えをしたり、お経を唱えたりということはだからこそなされるものなのだとも思います。お経を唱え、教えを学び、一心にお唱えするところに心静まり、心清まる。

 つまり信じるということは、そうした自らの心が改まる、清まる、変質することを伴うものなのだとも言えます。それこそが信じるということなのであろうかと思います。

 それでは、救われるとは何でしょうか。どうなれば救われたと私たちは思えるのでしょうか。死後の救済ということでしょうか。死んでから仏様のところへいくということでしょうか。死後、仏国土にいけたら幸せでしょうか。それでは、仏様の世界とはどのようなところなのでしょうか。浄土三部経にはきらびやかな荘厳世界が描かれていますが、私たちはそこへいけたら本当に幸せなのでしょうか。

 仏の世界、それは悟りの境地のことだそうです。パラダイスのような、夢のような、何でも願い通りになるような快適な世界ではなく、逆に何もなくても憂いのない世界と表現した方がよいのだと思います。

 それは心の次元の話ですから、仏様の世界というのはとても清らかで簡素な品行方正な厳粛な世界なのだろうと思います。私たちの心が想像する快適な世界と思ってしまうと少し違うのだと思います。仏様方にとって快適な世界なのでしょうから。

 たとえば、今でも、ものすごく心を清らかなものにするために、山に入り修行を重ねる人たちがいます。スリランカやミャンマー、タイなどでは一日瞑想ばかりして、毎日毎日それだけの生活をされている人たちがいます。その人たちは何もなくても、瞑想して心が穏やかで静かな毎日が心地よいのです。一時的にそんな生活に憧れてその場にいれたとしても、一週間、一ヶ月が普通の人には眼界ではないでしょうか。

 一生そこで、周りの人たちの供養を受けていられる人たちの心はどれだけ高次元のものなのか想像もつかないのです。仏様の世界とはそうした人たちよりもさらに心のレベルの高い人たちの世界だと思ったらよいのではないでしょうか。

 ですから、簡単に仏様の世界にいきたい、安楽な世界にいきたいと思っても、ちょっと普通にいられるところではないと思った方がよいのではないかと思えます。それにかなう心を作らねばいられない、安易に立ち入ることが出来ないところとも言えるのではないでしょうか。

 ですから、死後のことよりも、今いるこの世界で、私たちのこの居やすいところで、少しでも救われてあるようにした方がよいのかもしれません。今が不安でつらいならば、死後の世界もその不安のままにそれに相応しいところに身罷ることになります。

 それでは今が安心できるようにするにはどうしたらよいのでしょうか。安心できるとはどういうことでしょうか。

 安心とは、今のこの自分、そのままで良いと思えることではないかと思います。何の心配することもなく、憂えることもなく、苦しみもなく、不安もなく。満ち足りていると思えること。ですが、それは、とても難しいことだと思えるかもしれません。

 誰にも不安があり、心配があり、憂いがあるものなのかもしれません。ですが、たとえ何かあったとしても、それで良い、そんなことがあっても当然だと、世の中とはそんなものですと思えるならば、それはそれで自分にとっては今の自分で良いのだと思えるのではないでしょうか。

 逆に、何かあると、ちょっとでも不満なことがあると面白くない、つまらないと思ってしまったら、どんなことがあっても喜べず、幸せは永遠にやってきません。
 お釈迦様がこの世の中は苦しみばかりですよと言われるように、大変なことばかりなんだと諦めて、何があっても、それで当然なんだと思えたら、何があってもその人はいつも平静な落ち着いた心でいられますし、そうした自分でいいんだとも思えるでしょう。

 そして、少しでも、お経などを唱えたり、お釈迦様の教えを学んだり、日々の生活の中からその教えに得心がいく、そうしていろいろな人やものたちのお蔭で自分は生かされている、大きなそうした存在に自分は支えられているのだと思えるとき、心は清まり、心改まっている自分にも気づくことが出来るでしょう。そのとき、既にその人は救われてあるのではないでしょうか。

 みんな誰もが、毎日大変なことばかりの世の中です。それでもやらなければ生きていけません。言いたいことが山ほどあっても、言ってどうなるものでもないのですから、いずれ何も思わないようになるでしょう。

 何も思わず毎日頑張っている自分にこれでいいのだと思える。そうしてあるからこそ生かされている自分に気づく。今に満足し安心し、自分に納得する。死後のことにも思い煩うこともなく、そうして大切に一日一日を生きたらよいのだと思います。

 それはそうそう簡単ではないのかもしれませんが、日々飽きずに、大変だとは思っても、嫌だと思わずにやり遂げている、そんな自分を誇らしく思え、そんな自分だからこそまた生かされているんだと思えるならば、それこそが救いなのではないでしょうか。そうして、その人はすでに仏様に救われてある自分に気づくことでしょう。

 ですから、今こうしてあることがすでに救われているのだと思えるようでありたいものだと思うのであります。
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國分寺本堂にて団体参拝者へのお話
「備後かんなべ歴史探訪の旅」

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仏の声なき説法を聞く
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 はじめに、國分寺の本尊様は秘仏ということになっておりまして、常に扉が閉まっております。多くのお寺でこのように扉を閉めたままの秘仏というところがあるわけですが、なぜ秘仏にしているのでしょうか。

 一つには神秘性の強調といわれます。また、秘仏ですとご開帳したとき、仏様が目の前に姿を表す疑似体験ができるからとする人もあります。また、保存のためだと言われますが、河内長野の観心寺の国宝如意輪観音様も、美しい原色の仏さまですが、国宝に指定されてからやはり毎年のご開帳で傷んできたと言われています。

 それで、私の考えを申し上げますと、仏様は形ではないよということではないかと思っています。どうしても私たちは形にこだわってしまう。形から入ると鑑賞してしまうんですね。二、三年前に東京国立博物館で、国内の展示としては最高の入館者があったと言われます、あの阿修羅像にしてもそうです。はたして八〇万人と言われる拝観者のうち、合掌してご覧になった方が何人おられたでしょうか。

 姿形から何かを得ることもあるかもしれませんが、その仏様が自分にとってどれだけ意味のあるものか、価値のあるものかという観点から接していないのです。皆様もこの本堂に入ってこられたとき、仏様に手を合わせられた方がありますか。まあ、それはいいとして・・・。

 ところで、「山川草木悉有仏性」という言葉があります。やまかわくさきで、「さんせんそうぼく」。「しつう」はことごとくある。「ぶっしょう」は、ほとけのせいしつと書きます。山も川も草木もみんな仏様なんだという意味です。山川草木悉皆成仏とも、また草木成仏とも言うようですが。

 この言葉は、環境問題の会合でも、時折登場して、みんな仏様なんだから大切にしなくてはいけない、仏教はいいことを言うねぇと、まあそんな言い方もされているようです。

 ところで、山も川も仏様というのは本当でしょうか。私はどうもへそ曲がりでして、何にでもケチを付ける、ほんまかいなと。それで、どうして山も川も仏様なのか、この言葉の意味するところが私は分かりませんで、長年分からなかったのです。ですが、ある時、閃きまして、そうかと。

 それは、仏様というのは何かと言えば、法を説く者、真理を説く人のことです。それで、山や川や草木はというと、それらをよくよく観察してみると、みんな自然の中でそのまま森羅万象の摂理、この世の真理を私たちに表現して説法してくれていると見ていくことが出来ます。だから仏様なのだと。そう思えたのです。

 いかがでしょうか、山も川も常に移り変わり、草木も一つとして同じものがない、周りの影響を受け常に変化している、無常や無我という真理をそのまま示してくれています。

 そう捉えると、山も川も草木もちゃんと仏様なんだということになります。ただ受け取る側が、きちんとその説法を聞く、受け取る努力をしなくてはいけないことになります。

 ですから、このように自然を見るのと同じように、仏像を前にしたときも、姿形を見るだけではなくて、その仏様がお説きになっている真理、その説法の声なき声、メッセージを聞く、味わうという努力を私たちはしていかなくてはいけないのではないかと思うのです。

 それで今日は、これからそのように、この本堂の仏様がたの説法、メッセージとはどのようなものかという観点から見ていこうと思います。

 まず、本尊様お薬師様は、薬の師、薬の先生と書きますように、私たちの体や心の病を癒してくださる仏様です。本堂の入り口の外の扁額に「医王閣」と書いてありまして、別名を医王、医者の王様な訳です。

 ですが、その昔インドで医王と言うとお釈迦様ご本人を指していました。お釈迦様のところに行くと誰でも癒されてしまう。その説法も当時の医者の診断処方に則ったものだったと言われています。とても科学的論理的なお話をなさった。だから医王と言われたのです。

 それで、どんなことをお話になったかというと、私たちが生きるとは何か、なぜ苦しむのか、幸せとは何か、いかに生きるべきかということを諄々とお話しになったのです。これを四つの聖なる真理と言いますが、このお釈迦様のメッセージを簡単に申し上げますと、「この厳しい人生、苦しみ多いけれども、自分という執着を乗り越え、最終的には悟りを目指して、今を大切に生きて下さい」ということになるかと思います。このパンフレットのお釈迦様の写真の下を読んで下さると、おおよそのことが書いてあります。

 そして、日光、月光両菩薩が厨子の中に一緒に祀られており、それから、厨子の両側に、インドの古い神である十二神将が祀られています。

 そして、右奥には真言宗の宗祖である弘法大師の御像、そしてその右隣に大きな地蔵菩薩が祀られています。

 お地蔵様のメッセージというと皆さんお分かりでしょうか。涎掛けをしますから、早くに亡くなったお子さんの霊を救ってくださる。それもあるのですが、本来は、六道に輪廻する衆生に法を説いて、みなお救いになるということで、六地蔵がこちらでも仁王門入ったところに祀られています。

 ですから、そのメッセージというのは、「私たちはみんな輪廻するのです、生き方によっていくところが違います。地獄餓鬼畜生などに生まれないように、少なくとも人間の心を持って人間界に生まれる。ないしは善きことをたくさんして天界に行く。そう自らを励まして正しく生きて下さい」と、それがお地蔵様のメッセージであろうかと思います。

 そして、その上には真言宗の仏様の世界を表す胎蔵界と金剛界の曼荼羅が掛けられています。

 次に、本尊様の左奥には、奈良時代の高僧・行基菩薩の御像、そして観音菩薩が祀られています。

 皆さんの中で、観音様を信仰されている人はありますか。慈悲の心を持って苦しんでいる人、困っている人と同じ立場、お姿になってお救い下さるという観音様です。

 ですが、ただ合掌してお救い下さい、助けて下さいというのではやはりいけないわけで、皆さんも、「一緒に観音となって周りの人たちを助けてあげよう、共に寄り添うという思いをもって、誰彼となく差別したり分け隔てをしないで慈悲の心を常に心がけましょう」というのが観音様のメッセージであろうかと思います。

 それからその左の黒い大きなお厨子の中には、明治以降、隣の八幡神社からお預かりしている八幡大菩薩を祀っております。

 それでは、以上のようにそれぞれのメッセージを表現されて沢山の仏様がおられるわけですが、この本堂の中心はどこだと、思われますか。本尊様でしょうか。

 実は、この大壇と言っておりますが、この真ん中に置かれている正方形の壇こそがこの本堂の中心なのです。真言宗寺院の他にない特徴と言えます。

 拝む仏様にこちらにお越し願ってこの塔の中の小さな仏様の御像にお招きする、ここに座った導師がその仏様と一体になって供養をする、正にここに仏様が顕現する。だから、まあ、ありがたい場所でもあり、中心ということになる訳なのです。

 いろいろと器がありますが、火舎(かしゃ)、六器(ろっき)、それらに盛られる御供えをお越しになった仏様に供養するというセッティングになっています。

 最後にこの、内陣の小さな一尺ほどの仏さんをご覧下さい。西側に十二体、東側に十三体で都合二十五の菩薩さんたちがおられます。ご存知の方もあるかとは思いますが、来迎(らいごう)二十五菩薩の皆様です。

 普通は壁画に描かれることが多いのですが、このようにご像として祀られているのは珍しいようです。阿弥陀様の世界から私たちの臨終に際してお迎えに来てくださる仏様方です。

 あれっ、本尊様はお薬師様なのに、阿弥陀様の世界に?と思われるかもしれませんが、私たちはみんな四十九日の仏様であるお薬師様にお参りして現世に来て、ずっとお薬師様の御利益をいただいて生きていくのですが、亡くなるときには、ここにちゃんと阿弥陀様の使いがお待ちになっているという本堂の構造になっているのです。

 それでこの二十五菩薩さんたちは阿弥陀様の世界からたった今迎えに来られた姿を表していまして、それで皆さん雲に乗っておられます。

 では、これら来迎二十五菩薩様がたの、または阿弥陀様でもいいのですが、そのメッセージ、思いはどんなところにあるのでしょうか。何をしててもいいよ、迎えに来てあげるから心配しなさんなということでしょうか。

 真宗門徒の皆様も多いと思いますが、法然さん親鸞さんはどんな方だったとお思いですか。私が知るところでは誠に深く自分自身について思索をなさった方であったと、とても厳しくおのれを見つめられた方だったと伺っております。

 それは阿弥陀様の御心を深く理解されてのことと考えるならば、やはり私たちも、何をしてても阿弥陀さんが迎えてくれると考えるのはいささか軽率かもしれません。やはり、「もう来世のこと、死後のことは引き受けました、それは捨て置いて、今のこと現世のことを自分を厳しく見つめつつしっかり生きて下さい」ということではないかと思うのです。

 そして、こういう話をしていますと、「他力」という言葉が思い出されるわけですが、皆様よくご存知ですね。他力は、自分が全く努力しなくても仏様の働きで何事も上手く進む、ただ信じておればいい、そんな教えではありませんね。

 そうではなくて、自分が懸命に努力しながら、何か成し遂げていく、しかし、その底のところ、足元を見てみると自分ではない他の者によって助けられ成り立たしめられている、他の大きなものに支えられているということに気づく、そういう中で知られてくるもの、自分とは他によって存在せしめられているという感覚、そういうものだということです。

 が実は、それは正にお釈迦様のお悟りになられた縁起という教えそのものでもあるのです。縁起というのは、「これあるからかれあり。これなければかれなし」ということで、すべてのものに原因があり縁によって生起して、他のものの影響関わりのもとに成立している。すべての物事が他があるから存在している、そうして繋がっている、というこの世の成り立ち、存在のあり様のことです。

 これを空とも言うわけですが、二五〇〇年前の仏教も、大乗仏教も、そして親鸞さんの教えもみんな深いところで繋がっているのです。

 少し脱線してしまいましたが、以上、お祀りしている仏様がたの、それぞれの声なき説法と言いますか、発しておられるだろうメッセージを聞くという観点からお話しをさせていただきました。

 いかがでしたでしょうか。仏様がたの願いは、「私たちを慈悲深く見守ってくださっているというよりも、やはり、しっかりと悟りを目標に励みなさいという熱いエールを私たちに送って下さっている」ように思えます。

 皆様も歴史探訪の旅の後は、いろいろと疑問を持って仏教を探求し、是非仏様方の声にも耳を傾けてみて欲しいと思います。本日は遠方よりご参詣下さいまして、誠にありがとうございました。                                
 
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若々しくあるために
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 先日ある方から、若々しくあるためにはどうしたらいいですかと質問を受けました。その瞬間、これは初めての質問内容だなと思ったのですが、とっさに「まあ、身体は毎日というか、一瞬一瞬老化していっていますから、それはやむを得ないと思って下さい」と言いました。

 私たちは生まれ落ちた瞬間から老病死を生きています。老いつつあり、病気になり、死していきます。それはもうどうしようもないことわりだと言っていいでしょう。

 ですが、心の方は日々新たに生まれ変わり生まれ変わり新鮮な心を常に蓄えていることは可能でしょう。その時、次に上げる三つのことを申し上げました。

 深く考えて言ったことでもないので、不足のこともあるかもしれませんし、当たっているかどうか疑わしいことではあるのですが、ここに述べてみようと思います。

 まず第一に、「今に生きるということ」です。私たちはどうしても過去にこだわり未来に希望や望みを託します。そして今がおろそかになります。

 「一夜賢者経」という経典にお釈迦様が教えられているように、過去は既に過ぎ去り、未来は未だ来たらず。ただいまなすべきことを正になせ。これです。

 あれこれ過去のことを後悔したり、また過去の栄光に酔ってみたり。過去は過去であって、今のあなたではないということです。
 

 また、先のことを心配し、将来の絵空事に胸を沸き立たせるということもあるかもしれませんが、それも今のあなたではないのですから。

 今にあなたがいないから、今のあなたがもの足りない空虚感に苛まれているのではないですか。あなたは今ここにしかいないということを知るべきでしょう。

 今のあなたが充実して楽しく明るい心であったなら、日々若々しい心でいるということになるのではないでしょうか。

 第二に、「自分のこと、周りのこと、とにかく好奇心をもって様々な物事やその変化に気づくこと」です。漫然と時を過ごしていては、楽しいことはありません。人の言うこと、周りの情勢に流され鵜呑みにしていては、自分自身にとって何の発展も成長もありません。

 日々、何事かに気づき、疑問に感じ、自ら自分の頭で考える。気づくということ。好奇心旺盛であれば、常に心若々しく過ごせるでしょう。

 第三に、「年を忘れるということ」です。年を意識することで閉鎖的な発想に陥るのではないでしょうか。

 年だから何とか、というのが口癖になったりします。身体とは相談しなくてはいけないかも知れませんが、身体に無理ないことなら、年を意識せず、何にでもチャレンジする元気が必要でしょう。

 また、年を忘れるというのは、誰をも平等な目で見られるということでもあります。年による上も下もなく、みんなを分け隔てなく見ることが必要でしょう。

 年で相手を見るということは自分の年を意識しているということですから、そこからは若々しい心は生まれません。

 ところで、仕事別に長寿度を測定すると、やはり、僧侶や医者というのが最も長寿ということになるそうです。

 「童心は道心なり」と口癖のように言われ、インドで貧しい子供たちの成長を楽しみにボランティアを続けておられる長老がいます。七十才を過ぎても未だにガキ大将、お山の大将で子供たちともみ合い、遊んでいるようです。
 

 はたして、あの良寛さんもそう言われたかどうかは知りませんが、良寛さんは、飄々と小さな庵に住まい、托鉢して暮らしていました。良寛さんも、近くの子供たちとは、まこと自分を忘れて、童心そのものになって遊んだと言われています。

 自分を忘れるというと、「忘己利他」という言葉が思い出されます。自分自分という思いが私たちの苦しみの根源にあり、それを忘れ他と共に生きることができれば幸いでしょう。

 自分という思いが過去の記憶だとするならば、やはり、過去ではなく今に生きることが大切だということにもなります。それは、年を忘れるということにもつながります。

 まずは目の前の現実を見つつ、様々なことに気づき、今に生きるということに尽きるのかもしれません。それはまさに仏教の実践そのものでもあります。

 以上、とっさに答えたことではありましたが、結局は、仏教の瞑想をそのまま日常にいかすということが、もっとも、若々しい心で生きることができるということのようであります。(全)

 


 常用経典の仏教私釈G 
 やさしい理趣経の話


第七段の概説
「ふぁあきぁあふぁんいっせいぶきろんじょらい・・・」と第七段が始まる。ここに「一切の戯論を無くした如来」とあるが、これは教主大日如来が世間の分別、見方を超越した如来・文殊師利菩薩として登場し教えを垂れるのである。

 前段までの四段は、それぞれ教主大日如来の智慧を分担する阿?如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の四人の如来が登場して、第二段で示した四つの平等の智慧とはいかなるものかを開示するものであった。

 そして、この第七段からの四段は、四人の菩薩が次々に姿を現されて、その智慧を獲得し、悟りの境地に至るにはどのように実践したらよいのか、その具体的な行法について説くのである。

 その最初に登場する菩薩、文殊菩薩は、智慧の仏として有名ではあるが、その智慧とは分別、煩悩を断ち切る智慧を意味する。

 私たちがものを考え判断する際の知識、情報はそれぞれに自己の目を通してその理解力によって捉えたものに過ぎない。だから、何かに悩んだり、人間関係に支障をきたすとき、また心とらわれるとき、私たちはそれぞれのこだわり、損得や名誉、メンツに振り回され、自己を主張して妄想し、自己を正当化し、自己弁護に戯れる。それらは小さな個としての執着、妄想に他ならない。

 このように、およそ私たちの考え、計らいは自他にとらわれ、本質を捉えることなく、煩悩に振り回されている。そのことを戯論といい、そうした煩悩にとらわれた心を断ち切り、真実を観る智慧を持つ仏が文殊菩薩であり、だからこそ無戯論如来と言われるのである。

 そして、第七段では、その文殊菩薩が説く教えを、「転字輪の般若理趣」であると提示する。転字輪とは、字輪を転じること。字輪とは、すべての根源を表す阿(ア)の字を転じ、その立場でこの世の一切を観ることである。

 が、ここでは特別に、文殊菩薩の真言にある五字輪を意味すると教えられている。「(オン)・ア・ラ・ハ(パ)・シャ・ノウ(ナ)」という真言の中に表現されている五字である。

 この五字を転ずることを簡潔に述べるならば、すべての存在は移り変わり、美醜、清濁、長短、軽重など物事を比較、差別、批評する世間的なものの見方により私たちはこだわりや執着を生むのであるが、こうした見方を超越し、なんの差別もない永遠なる時間軸でものごとを観ていくならば、すぐれた心の働きが生じ、真実の姿を開顕することが出来るとするのである。

 それは文殊の利剣によって諸々の戯論を払いつつ真実に近づいていく様に喩えられる。

三解脱門と光明
 次に、その教えを具体的に展開するならば、まず「諸法を空なり」と観よ、とあり、なぜなら「すべてのものは無自性であるから」と続く。自性がないとは、そのものが独立自存ではないということで、すべてのものが他によって他の影響によって生じ存在せしめられているということである。あらゆるものはそのようなあり方をしているのであるから、空、つまり瞬間的に存在するだけの、実体のない、仮の存在に過ぎないものと観よというのである。

 次に、「諸法は無相なり」と観よ、なぜなら「すべてのものは無相であるが故に」という。本来のあり方としてすべてのものが無相、つまりその特徴とするものなどないのだからそのように観なさいということ。

 続いて、「諸法は無願なり」と観よ、「すべてのものは無願であるが故に」とある。これも本来すべてのものに無願、つまり目的などないのだからそのように観なさいということ。

 これら、空・無相・無願は、迷いから解放され涅槃に入ろうとする者が必ず通らねばならない解脱に至る三つの門、三解脱門と言われる。

 私たちは見るもの聞くもの、すべてものに接するとき、ものの出来具合、良し悪し、大小などその特徴を見て、そして、その働き、役割、目的などを見て、自分にとって好ましいものか、役に立つものか、利益になるものかと考え、そのものに関心を持ち、執着し、とらわれていくであろう。

 甘い物が好きな人は、一つの饅頭を見るとき、それはどこの饅頭で、どのような材料で造られ、どのような味のするものかを一瞬のうちに見て取る。そしてそれを手に入れ食べたいと思う。しかし、たとえ好きなものでも食べすぎたら、その嗜好はにぶり、それでも食べ続ければ、様々な障害をきたすことになる。それこそ長くそのような習慣を続ければ、糖尿病など病気になるかもしれない。

 そして、ひとたび病気になってから、その大好きな饅頭見るとき、その饅頭を食べたならば苦痛をもたらす、ないし病状を悪化させるとしたなら、まったくこれまでとは違う感覚で同じものを見ることになるであろう。

 自分にとって好ましいもの、好きなもの、とらわれるものに対して、すべてそのような見方で、無感覚で、つまり、無相、無願に見ていけるならば、そのものの空なることにも通じて、諸々の戯論を廃していくことが出来るとするのである。

 すべてのものは空なのであり、何もそのまま、そのものとして存続するものなどなく、みな移り変わり変遷していく。断定的、固定的な物の見方も同様に、こだわりも、とらわれもなく物事を見ていくとき、そこにはすべてが清浄に光り輝くものとして姿を現す。

 だから、このあとに、「諸法は光明なり。般若の智慧は清浄なるが故に」と続くのである。すべてのものが光を放って存在することを見るとき、自と他の対立を越えた般若の智慧によってすべてのものが清らかなものとしてあることを観るからである。

文殊菩薩の心真言
 以上の教えを説き終わり、文殊菩薩がこの教えを改めてもう一度重ねて明らかにするために、静かに微笑まれ禅定に入られた。そして、自らの利剣でもって一切の如来の教えを断ち切り、この般若波羅蜜多の最勝のすぐれた教えの真髄、すべてのものに阿字を配することで真実なる世界が明らかになる転字輪を意味する、真実なる心真言「アン」を唱えた。
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四国遍路行記Q  
太山寺から南光坊へ
(平成二年三月から五月)


 太山寺の通夜堂は、こぎれいなふた間ほどの建物だった。トイレと簡単な流しだけではあるが、電気ポットと急須も置かれていた。布団も押し入れを開ければあったのだろうが、いつもの寝袋を拡げて一畳分のスペースだけで事足りた。

 翌朝は熱いお茶を頂いて、お参りに向かう。通夜堂から一度外に出て、手水鉢を使い振り向くと、石段の上に国の重要文化財の指定を受けている仁王門が聳えていた。

 五十二番太山寺は、仏教にはじめて帰依された用明天皇の頃に、豊後の長者が高浜沖で難破したとき観音菩薩に救われ、その報恩のために一宇を建立したのが始まりと言われる。後に聖武天皇の勅願で、行基菩薩が十一面観音像を刻み本尊にしたという。

 鎌倉末期の建築で県下最古の国宝本堂の正面厨子には、七体の十一面観音像が収められている。聖武天皇の他、いずれも後冷泉、後三条など歴代天皇の勅願で造られた、一・五メートルほどある御像で、すべて重要文化財に指定されている。

 本堂外陣の土間で一人立って理趣経一巻を唱える。しんと静まりかえった厳かな贅沢な時間を感じた。外に出ると二、三人の地元の人たちの参詣と出会った。境内は小高い台地になっていて、そこからさらに少し石段を登ると大師堂がある。大師堂では心経一巻。大きな声で唱える。

 境内には現代を感じさせるものがない。古びた風情に時間が止まってしまったような空間の不思議を感じさせている。錆びて茶色くなった、寺内行事などを記した掲示板を眺めつつ、太山寺を後にする。

 来た道を戻り、国道に出る。国道を左に海を眺めながら、北上する。北条の町を過ぎたあたりで、山側の小道に入った。鎌大師と矢印があったためである。鎌大師は、小さな番外札所ではあるが、ここには妙絹さんという尼さんが居られると聞いて訪ねたかったのである。

 鎌大師は、弘法大師が巡錫の折、鎌をもって泣きながら草を刈る少年がいて訳を聞いたところ、疫病で姉が死に弟も死にそうだという。そこで大師は、その鎌で自分の像を刻み拝むように言ったところ、弟も村人たちも快癒したといわれ、そのご像を祀りお堂が出来たのだと伝承されている。

 しばらく山に入り進んでいくと、大きな松の木があり真新しいお堂と庫裏が建っていた。知人が訪ねたときには底の抜けるような建物に居られたと聞いていたので、数年のうちに何もかも建て替えられたようだった。

 お四国病にかかり、ある時期になると四国に行きたくなって気がつくと四国を歩いていましたと語る妙絹尼は、当時七十才くらいか、少しそれより若かったのであろうか。

 上品な物腰で、昔からの知り合いのようにお茶をすすめて下さり、よくお話しになった。妙絹さんの遍路はすべて歩くのではなく、女一人旅ということもあり、離れたところへは電車があれば乗るしバスにも乗られながら、その他はなるべく歩いて遍路するというとても自然な遍路旅をされていたそうだ。

 それで、いつの間にか縁あってここに住み着かれたのだとか。それにしても、この鎌大師を再興されたのはこの方の魅力、お四国への信仰がかなえさせてくれたものとも言えようか。

 インドで出会った知人の話をするとよく憶えておられて、自身も若いときにはパキスタンで日本企業の仕事をされていて、懐かしいインドの言葉をいくつか口にされていた。『人生は路上にあり』という、愛媛大学でお話をされた際の講演録を頂戴した。

 鎌大師を昼前にはお暇して、山道からまた国道に戻り、ひたすら国道を進む。途中瓦の町菊間町を通り、ところどころ、通り沿いのお寺の佇まいなどを眺めながら歩く。今治の町の入り口に位置する五十四番延命寺に着いたのは、夕刻四時過ぎだった。

 延命寺も、行基菩薩によって不動明王が刻まれて祀り開基されたお寺。その頃は海上を見渡せる近見山山頂にあったという。弘仁年間に嵯峨天皇の勅願で弘法大師によって再興された際に、五十三番と同じ円明寺と号した。江戸時代まで同じ名前の札所が並んでいたのだが、五十四番当寺の俗称を明治以降名のるようになったのだとか。

 大きな池が左に現れると、藤堂高虎が伊予二〇万石の居城とした今治城の城門だったという山門が姿を現した。山門からサツキに囲まれた参道を進む。左側に土産物屋が入り賑やかな境内。正面には唐破風の大きな庇が印象的な本堂に参る。

 弘法大師再興の後も何度か兵火に焼かれ、現在の地には享保十二年(一七二七)に再建を果たしているから三〇〇年ほどの建物だが、中も暗く威圧感を感じさせている。夕刻に差しかがっていることもあり、急いでお経を唱え、本堂左側の石段上の大師堂に参る。

 今治に来たら、以前から高野山別院を訪ねようと思っていた。それで、そそくさと延命寺から遍路道へ。小高い墓地が両側に広がる道を通り、国道に出る。高野山今治別院は、次の札所五十五番南光坊のすぐ隣に位置していると聞いたので、とにかく遍路道を進む。

 民家や商店がなくなり、大きな木に囲まれた別宮神社が右側に見えてきた。境内を横切り、右側に南光坊を見ながら、別院へ。別院は鉄筋コンクリートの近代的な三階建ての本堂と、それと別に庫裏があり、幼稚園の建物も大きい。

 別院には高野山専修学院の同期生が役僧をしていることもあって、突然の訪問にもかかわらず、ひどく歓待を受けたのだった。・・・・
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大法輪平成二三年七月号特集「仏教の智慧で現代病を乗り越える」より
  (沼津市・龍雲寺住職村越英裕著)
『名僧・高僧の健康名言集』に学ぶ健康法

 私もかつて「臈八接心(ろうはつせっしん)」という一週間の座禅会に参加したことのある静岡県三島の龍沢寺(白隠禅師開基)でご修行された村越師の文章から、長寿が多いと言われる名僧・高僧の健康法を学んでみたいと思います。
 
一、生活のリズムを調える

 まずはじめに、江戸時代の慈雲尊者は「お腹がすけばご飯を食べ、眠くなれば寝ることだ」と言われ、朝起き、着替え、顔を洗い、食事をするという日常生活の送り方に、自分のリズムを持つことが大切だと教えてくれているそうです。自分にとって無理なく、規則正しい生活が何より基本として必要だということでしょう。

二、毎日お経を読む

 つぎに、お経をあげて下さいとのことです。大きな声で少し長い時間お経を唱えますと、素早く息を吸い長く声を出すので自ずと腹式呼吸になり、血流が良くなり、免疫力向上に効果があるのです。仏壇の前で、小さな声ではなく、出来るだけ大きな声で唱えれば、一日はつらつと過ごせます。

三、感謝して食事をする

 「食事は身体を維持するための良薬と心得よ」と五観の偈にもあるように、一噛み一噛み、恵みに感謝して食べることは、自然と適量を適度に食べることになるのです。テレビを見たり、新聞を読みながら食べることなく、食べることに集中することは、胃腸にも消化にも良いでしょう。

四、よく歩く

 お釈迦様も歩いて歩いて旅をしながら教えを説かれました。四国を歩いたときにも、歩くことは人間の基本だと感じたこともあります。足腰の元気なうちはとにかく歩くことを大切にしましょう。 

五、人生は修行と意識する

 村越師の師中川宋淵老師の「老病死という、この思い通りにならない中で修行するから、心のやさしさ豊さ智慧が分かるのです」、また、江戸時代の禅僧至道無難禅師の、「何事も修行と思いする人は、身の苦しみは消え果つるなり」という言葉を紹介され、何があってもみんな人生修行なんだと思えば、苦も苦でなくなることでしょう。

六、欲を捨てる

 白隠禅師に言葉に「ひげ長く、腰まがるまで生きたくば、食をひかえて、独り寝をせよ」、また良寛さんの言葉に「欲なければ一切足る。求むる有れば、万事に窮す」とあるそうです。何事も欲のままに振る舞うことなく、足ることを知れば何も困ることがないということでしょう。

七、ユーモアを持つ

 江戸初期の天海僧正は、「長生きするには粗食、正直、毎日風呂に入り、お経を読む、そして時々屁をすることだ」「気を長く持ち、色欲はほどほどに、心は大きく持ちなさい」と言われたそうです。クヨクヨせず、あくせくせず、ストレスを溜めないことも健康には大切だということでしょう。

 これら長寿を享受した名僧方にならい、規則正しい生活、読経、ストレスを溜めない工夫によって、寝込まず何でも自分で出来る長寿を目指したいと思います。 (全)

 


《おたより》
┌────────┐
│ 死んだら花になる │
└────────┘


過日、知人のYさんが私にこんな話をしました。
 「わたしは先日亡くなった主人の法要をしました。その時のことです。檀那寺の住職さんともろもろの話の中で、『住職さん、わたしもあの世へ行ったら、主人に会えるのでしょうか』と言ったところ、住職さんはすかさず、『人間死んだら終わり、あとはなにもない』とひとこと言われただけでした。

 意外でした。わたしにはショックでした。そのあと言葉が続きませんでした。あの世へだれも行って帰った人がいないでしょうから、あの世があるかないかわからないのは当然でしょうが、『死んだら終わり、何もない』という考えでいいのでしょうか。

 もしそうだったら、法要の意味もないと思うのです。もう一言いただきたかったのです。誰でも死ぬのは怖いです。だから、わたしらは安心して死ねる言葉がほしいと思うのですが、どう思われますか」と。

 彼女の顔から涙がこぼれていました。

 私は彼女が言う「安心して死ねる言葉」と聞いて、ふと思い出したことがあります。

 もう三十年も前、先年亡くなった作家の水上勉先生の講演をお聴きしたことがありますが、その講演の中で次のお話が強く心に残っています。

 「私の父は墓穴掘りをしていました。子どものころ、ある日、父に連れられて墓穴掘りを見に行ったとき、父はこんな話をしました。

 『ここに生えている木はみんなツバキだ。このツバキは仏さんを食べて根を張っている。ここに生えとるツバキはみな仏さんの木だ。冬になるとお婆やお爺の花が咲く。お爺やお婆に会いたいと思ったら、ここへ来て花を見ればいい』つまり、私たち墓穴掘りと言われた家族では、人は死んだら花になると教えたのです」と。

 私は彼女にこの話しかできませんでした。
                                                     (B)

(水上先生の講演引用部分は、「大法輪」平成二十四年第一号「リレーコラム」を参考にしました)

 


お釈迦様の言葉(Voice of Buddha)三十

                
『久しく遠くにありし人、無事に帰来せば、親戚朋友、これを歓迎するが如く、
善業をなして現世より来世にいたる者は、
その善業に迎えられる。
親戚、その愛する者を迎うるが如く。』
(法句経二一九・二二〇)

 誰でも死ぬことは怖いものです。ですが、この偈文にあるように仏教では善きことをなした善業によって死後迎えられる。つまり善きことをしてきたことをきちんと忘れずにいたら、心配せずに来世に旅立っていけるということです。

 みんな誰しも、多少の悪いこともしているものです。何十年もの間には心に残ることもありましょう。ですが、そうしたことを心配するよりも、もっと沢山の善きことをしてきたのだと、いろいろと思い出されることの方が大切です。

 「蜘蛛の糸」のカンダタのように、一つくらい善いことをしてもお釈迦様が救いの手をさしのべて下さるのです。一つと言わず、あれもこれも、大変な思いをしながら長年自分はこんなに頑張ってきたのだと善きことを沢山思い出されて、心温かく、その時を迎えるようにしたいものです。

 そうすれば決して死は怖いものではないと、お釈迦様がこの偈文で約束して下さっているのですから。                                                 (全)



│ 平成二十四年度 國分寺年中行事
│ 月例御影供並びに護摩供 毎月二十一日午前八時より
│ 涅槃会並びに土砂加持法会    三月二十五日
│ 正御影供並びに四国御砂踏み 四月二十一日
│ 四国八十八箇所巡拝(土佐)    五月八〜九日
│ 万灯供養施餓鬼会      八月二十一日
│ 高野山参拝         十月九〜十日
│ 四国八十八箇所巡拝(土佐伊予)  十一月六〜七日
│ 除夜の鐘 十二月三十一日

 ◎ 座禅会    毎月第一土曜日午後三時〜五時
 ◎ 仏教懇話会  毎月第二金曜日午後三時〜四時
 ◎ 写経会    毎月第二金曜日午後二時〜三時
 ◎ 理趣経読誦会 毎月第二金曜日午後二時〜三時
 ◎ 御詠歌講習会 毎月第四土曜日午後三時〜四時
中国四十九薬師霊場第十二番札所
真言宗大覚寺派 唐尾山國分寺
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電話〇八四ー九六六ー二三八四
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●毎月二十一日は「作務の日」です。 
◎四月二十一日は、本堂で四国八十八箇所の御砂踏みがあり  ます。是非ご参加下さい。



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