備後國分寺だより
備後國分寺 寺報[平成二十四年盆月号] 第三十二号

 備後國分寺だより

発行所 唐尾山國分寺・寺報編集室 年三回発行

 


国際政治を仏教の教えから考える
(米国ストーンヒル大学・宗教学部長)
クリストファー・アイブス教授の論文に学ぶ
『瀬戸際の瞑想・
9/11後の世界における仏教と暴力』

                (二〇〇三年四月三日)

   仏教と暴力

 イラクとの戦争、コロンビアの準軍組織・死の部隊、一万一千人が二〇〇一年と一九七三年の同じ九月十一日に亡くなった大量殺人。このような度重なる暴力は今も私たちすべてに重くのしかかっている。

 暴力にまつわる複雑な問題から逃れるために人々は、仏教を含む宗教に救いを求める。しかしこと暴力に関しては、仏教の伝統に様々なメッセージが提供されている。経典、教理、儀式儀礼にさえアヒンサという他の生き物に害を与えない、非暴力の教えが主張されている。

『すべての者は暴力をおそれ、
 死をおそれる。
 己の身にひきくらべて、
 殺すべからず、
 殺さしむべからず。』(法句経129)

 在家者の守るべき五戒の第一には、生き物の命を奪うことを慎むように私たちに勧告し、僧院の戒律には四つの極重罪の一つとして命を奪うことが明記されている。大乗仏教の経典では、この禁戒を前進させて、たとえば、『十地経』は、どんな生き物をも憎むべきでなく、故意に生きている生き物を殺してはならないと宣言している。上座部の比丘(僧侶)が月に二回戒本を暗唱し自恣(じし)をする布薩(ふさつ)に見られるように、歴史的に仏教徒は制度的にも明確にこのことを規定し、この理想を実現するために儀式として伝承している。

 だが、こうして生き物を殺さないという普遍的な訓戒を外観できるのに、仏教は時にそれらに言葉を濁すこともある。いくつかの仏典では、歴史的なブッダがその過去世においてではあるが、大罪を犯させないため、法のために盗賊を殺したと記している。もちろん、それによって、殺人者たちや中傷する者たちが地獄に報いを受けるのを助けるためだったのではあるが。

 また、『大般涅槃経』には、ブッダばかりか弟子たちがこの第一の戒を無視して、法を守るために武器を手に取る設定を伝えている。また、サンガを守るために信者たちに暴力を用いることを勧める。哲学的論稿では、仏教者は暴力の正当化を明確に表現もしている。数百年後の仏教徒は、アヒンサの教理を再解釈し装飾を施した。仏教のあるセクトでは、戦争に従事したし、ある組織は公に支配者たちとその軍隊による戦闘を援助した。これらは現代の仏教徒たちが自ら指摘していることである。その暴力にまつわる問題について、彼らがどう対処するかはそれぞれの裁量に任せているようだ。

 しかし少なくとも仏教は、暴力を批判し、暴力について個人的に葛藤することや、暴力にどう対処するかということに対する豊富な方策があり、それを理論的に分析し、宗教的に実践したり政治的に対処する方法も持ち合わせている。

   因縁を探究する

 仏教徒が条件反射的に内観を養うよう努める限りにおいて、仏教徒たちは暴力の原因を探求せざるを得ないのだ。純粋な仏教徒の「9/11の同時多発テロ」に対する反応は、その原因を厳密に調べることである。たとえば、それは、その行為を善なることと強いて行わせた組織「悪の行為者たち」によって引き起こされたのであろうか。アメリカ至上主義を憎み、タンクトップを着た女性を敵視する狂信者、悪魔か何かの仕業だったのだろうか。私たちはブッシュ大統領が好むように、それらについての原因を詳細に分析するのを止めるべきなのだろうか。

 そこには、数百年に亘る西洋帝国主義やそれに付随するイスラム教徒への虐待や屈辱はいささかにも影響していなかったのか。アフガニスタンでソビエト軍と戦ったオサマ・ビンラディンとその配下たちを支援したアメリカの長引く影響はいかなるもので、またその後に反勢力となり敵対したのはどうしてなのか。またイスラム世界に厳然と圧力を与え、サウジアラビアの聖地のそば近くに展開するアメリカ軍の恣意的な行動は影響していないのか。

 また、イスラエルとパレスチナとの紛争においてのアメリカのスタンスは、また国際的な富の再分配を阻害するグローバリズムは、そこにどう関係しているのか。特に彼らを援助するとした長年のイスラムとの約束にもかかわらず。こうした事々の関わりをどのように分析すべきなのであろうか。

 そして、特に王権や資産家たちによって、ないし、彼ら自身にとっても原理主義は不評であり、退廃的で世俗に染まった西側の悪霊にも不満のある非民主的なアラブの体制によっても原理主義は後退しつつあるのではあるが、そのイスラム原理主義はこの度のテロとどのようにかかわりがあったのか。

 たぶん合衆国内の仏教徒たちは、このような直接的な、また間接的な原因など様々な要素について体系的に分析する必要に迫られたことだろう。しかし、アクバル・アハマドが抜け目なく指摘するように、テロが起きても、米国政府は、その因果関係を厳しく追及し実証することに余り関心がないように見える。ブッシュ政権は、支配的なメディア報道や市民レベルの会話程度にとどまり、それらを越えてもっと広範囲にその原因を追及し分析することから逃れた。そして、自由や民主主義、西側の価値観を憎む悪の行為者たちによるテロであったとの単純な論調を信じ込ませることにおおよそ成功してしまったのである。

   貪瞋痴を観察する

 仏教は、「9/11テロ」の幅広い歴史的、政治的、経済的な原因を分析する独自のツールを提供するものではないけれども、暴力の心理的な原因を探求する枠組みを提供している。仏教徒の基本的な分析によれば、苦しみの原因は貪(とん)(欲)痴(ち)(無知)瞋(しん)(怒り)の三毒ということになる。仏教は、私たち自身についても、立ちふさがる相手についても、その心の汚れを観察することを要求する。どういうことかというと、暴力の加害者も被害者も確かな原因と条件によって、その三毒という邪魔者が行動を引き起こすというのである。

 それらの三番目の汚れである「瞋(怒り)」、それはパーリ語の用語として時に怒りと訳されるのであるが、それは最も暴力と直接関係する。仏教徒のこの三毒についての論理は、アルカイダの外見にも現れ、その源泉にもある、怒りについて深く考えてみることを私たちに強いる。それはアメリカ人が無分別に復讐を選択するように、分析やトリックなど情報をゆがめて伝えることで自分たちの怒りを煽(あお)るような状況の中では、特にそうあるべきだ。

 それから、「貪(欲)」の毒がある。安い石油を追い求めるような、世界中に怒りを買うアメリカの欲はいかがだろう。神の啓示を匂わせるような物言いをしてはいるが、イスラム教徒たちを疲弊させ搾取する者たちの欲こそが問われねばならない。

 では私たちは、「痴(無知)」とどのように取り組むべきなのか。すっかりイデオロギー化して悪魔として西側を塗りたくるべきか。経済的な利益を追求するために見せかけで自由も民主主義も推進しているアメリカによって提供される理論付けや拒絶でよいのかどうか。醜いほど肥大化した外交政策や国際的なビジネスを否定することはいかがであろう。私たちは、メディアに影響されてその真相をつかむことから目をそらされて、全くの無知に置かれていることからどのようにしたら逃れることができるだろうか。

 『歴史の終わり』という書でフランシス・フクヤマが勝利主義者の美辞麗句を語り、サムュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で、地球規模の緊張を誇張して文明を語っていることの盲点を私たちはどのように指摘できるであろう。ハンチントンは世界について述べているのだけれども、私たちがそもそもはたして沢山の文明の一つに属しているということさえ限定できることではない。文明を形成する諸要素はそれぞれの役割を演じるけれども、それらについてのハンチントンの論稿は、経済や政治的グローバリゼーションの波及効果のように、大事なキーとなる諸要素を覆い隠してしまっているようだ。

   二元論を廃す

 そして、もう一つの仏教徒の分析ツールは、ビンラディンとブッシュというように提示される、善と悪という扇動的に単純化して二分するという二元主義にすべてを概念化する、そのような姿勢に対する禅の批評である。

 厳格にイデオロギー的な度合を認識し、それらの本質的な特徴を二つに分けるのに、仏教徒である必要はない。善と悪というように、我々と彼らとに分けてしまうことは、私たちを脅す者たちに客観性や人間性をますます失わせることになる。戦時にあるかのように、敵を悪魔として描写することは、退廃的であり不合理で、獣とまでは言わないが正気とは言えないし、道義的立場とも言えない。禅によって声高に非難される二元主義的な認識論に終止符を打ち、自身から離れて、ある対象としてだけ現実を経験すべきなのだ。

 相手を悪魔、悪、悪の行為者ないし人間以下の動物のように見なすことは、他を絶滅させてもいいように見てしまうことに繋がり、特に危険なことである。彼らへの攻撃は、たとえ世界が浄化されたように思えても、凄まじい報復を促す危険な状態を導くであろう。歴史は、人間性を失わせるような表現が、たとえそれが本格的啓示的な十字軍ではないにしても、ときに絶滅主義者のプログラムの引き金になりうるということを証明している。

 ビンラディン、ブッシュ、そして彼らの取り憑かれたような支持者たちには、人の行為の曖昧さ、露骨な二元主義者の人物評がいかに危険であるかを認める気持ちもないのかも知れない。が、微妙な様々な点を考慮に入れた分析をするならば、私たちは彼らの二元主義を拒絶することが必要であろう。

 ブッシュ政権が対テロ戦争について色づけしたレトリックを用いて、福音的原理主義的なキリスト教徒の、啓示的ではないにしても救世主的なビジョンに、私は抵抗する。このような神の啓示であるかのような偏った手法は、アメリカがアフガニスタンで大規模に軍隊を展開させ、不死身で絶大な力を持つというように全能であることを再び断言することや、そのために戦闘を支持し、アルカイダの戦士を最後まで追い詰めることを誓約したり、また、ブッシュ政権の現国家安全保障戦略のように、タリバンかイラク政権かと脅しをかけて、どんな政府をも支配することを企てることには役立つだろう。

   坐禅から得られるもの

 しかし、言うまでもなく、暴力一般について、特に9/11における暴力について、多くの仏教徒は、単に理論的に解明したり、単に知的に的を絞った問題などとは捉えないであろう。殆どの人々と同じように、私にとっても9/11はズッシリと重い感覚を体のうちに感じさせる。それは呼吸の中心にあり、そのときの映像として、それを打ち消しつつ座る坐禅の行中にさえ存在する。

 坐禅は、それらの事件やすべての暴力にまつわる自分の怖れ、怒り、悲しみを認識する最初の入れ物となる。つまり坐ると、九月十一日の攻撃が瞬間的に露骨な教訓として立ち現れる。それらは、私たちの体、愛するものたち、業績、所有物など、自己を守るエゴの壁を、たとえ岩のように硬いものでもたやすく壊れることを、私に教えてくれる。それらの攻撃は特に、合衆国に住む特権階級たちのような安全を誰もが共有していると思っていたことが錯覚であったことをも教えてくれた。

 そして、その集団的な意味では、9/11は、米国だけは例外だと思う淡い思い、つまり、富や軍事力、地政学的な位置によって自分たちは不死身で、あるいは世界の他の人々が置かれているような不安定な状態を回避しているかの思い込みや妄想を壊滅させた。

 九月十一日の出来事は、人類の殆どが生きるに際して感じる暴力と脆弱さを改めて認識させ、9/11のような表面的にはまれに見る出来事の暴力ばかりか、国家のテロでないにしても国家の暴力とも言える、経済的な搾取や政治的な抑圧の構造的な暴力に見るような、人目につかず一般に分からないような進行しつつある暴力についても、認知する機会となった。

 9/11は、また、世界中の人々が合衆国に対して怒りを感じているという事実を、アメリカ人に認識させる目覚ましともなったし、アメリカ人が野放図に貪瞋痴を追い求めることで、世界中に歪みをもたらしている現実をも垣間見させてくれた。

 しかし、9/11は、つい十八ヶ月前に起きた何かではない。それは、長い一日であって、終わってはいない。それは私たちすべての者にとって未だ進行していて、十分に安全が図られて回顧的にそれを見つめるようなゆとりを感じられる者は誰もいないであろう。

 感情的なレベルで、たぶん誰もがやりがちなのが、その事件を受けて、そのままそこにとどまっていることである。坐禅は、我々の死に対するショックや怖れ、最近の経済的な脆弱さへの心配、富やあるべき安全に対する執着、引いては復讐に対する執念といったものごとにも、坐禅しつつ気づくことの体系を教示している。

 仏教の実践は、自身の固定的な見識、他者を凝り固まった先入観を持ってみたりすること、硬直したイデオロギーさえも掘り崩してくれる。それは、攻撃と反撃、ないし、苦しみと犠牲者について語り相互にその思いを高じていく悪循環に陥ることなく、直面する暴力に対して、認識を広くとり、概念上も柔軟に、そして、流動的な反応を奨励する。

 またそれは、惜しみなくものを与え、慈しみ愛すること、そして智慧という三つの解毒作用を養い、私たちの三毒を打ち負かすことができる。気づきということを養うことで、私たちは、地球規模で起きている現象のプロセスをもっと深く見たり、他者の怒りや圧力に直面しても落ち着いて対処するというような、智慧や慈悲を以て反応する大切さを理解するであろう。

 坐禅や他の瞑想法は、またテロリストや傲慢なアメリカ人にも怒りを覚えることなく、開放的な心で誠実に耳を傾ける心を養うことができる。私たちは聞いたものすべてを受け入れるべきではない、新たな十字軍についてブッシュ大統領が短絡的にまくし立てることにも。大悪魔として米国政府についてイスラム教徒が熱烈に語ることにも。もちろん、注意深く聞くことは反応を排除することではない。新十字軍についてのブッシュのコメントに沿って、最終的な終結のために戦争することを好感する者たちの善悪二元論的に加勢するのではなく、精神的な落ち着きを養うことによってテロに対する戦争より、私たちには国際警察などの監視によって彼らの行動を規制することのほうが望ましいと理解することが肝要だろう。

   仏教徒の理想

 9/11に対するよりすぐれた慈悲深い対処の仕方は、テロに対する軍事力の役割の代わりに、国際的に警察力を共同して組織し、オサマ・ビンラディンやオウガスト・ピノチェト、・・・などのテロに関わり支援する者たちを逮捕し起訴して隔離するような国際犯罪裁判所など法的な役割をこそ語るべきだろう。

 そして、無知ということに関し仏教徒が指摘すると思われることは、利己的な単独主義を拒絶して、合衆国が他国に対し民主的な自決権を認め、テロ的な暴力を告発する一貫した姿勢を求めることであろう。仏教徒の大局的な見地から言うと、合衆国は、世界的な支配を維持しようとする覇権主義的な超大国としてではなく、最終的には、多極主義や他と共にあるからこそ導き出される相乗的な力、すべての人々の基本的な要望を集約した国家的な協力機構のチャンピオンとしてあることが望ましいと言えよう。

 このような地球規模の共同体にあって、イスラムを怖れるような者があるなら、彼らは、つまり伝統的なイスラム教徒は、本来、貧困者を救済し、社会正義を推進するという公約があることに共通性を見いだすべきであろう。そして、彼らは、無知と貪欲と怒りを智慧と寛大と慈悲に置き換える世界を実現するために、貧困、暴力、環境の悪化に対処して、正義と平和とエコロジーな健康を獲得するために、その運動の協賛者としてイスラム教徒たちと行動を共にできるはずである。

 もちろん、これは仏教徒的な相互多極主義の世界であり、長期的なビジョンとしては素晴らしく結構なものだが、短期的なシナリオとしては注意を要するかもしれない。たとえば、9/11のような暴力が継続する場合に私たちはどうあるべきなのか。

『恨みは恨みによって
 やむことはない。
 恨みを捨てることによって
 恨みはやむ。
 これ、不変の真理なり』(法句経 5)

 罪なき生命に差し迫った脅威があったとしたら、それでも、仏教徒の視点からは、少なくとも経典や論書にあるように、暴力は受け入れられないものなのだろうか。我々は、どうしたら、自分自身を守り、攻撃と反撃という暴力の悪循環を、また両陣営に長期的に被害地域が増大していくことを避けられるのだろう。世界中で攻撃的な態度を見せるアメリカに対抗して、アルカイダやその他の部隊に人を雇い入れようとする行為を回避することができるだろうか。

 仏教徒は、罪なき生命が命を損なうような差し迫った脅威に直面したとき、最小限の力で、恨みなく、貪瞋痴もない最小限に苦しみを食い止めることを前提としながらも、唯一の最後の手段として暴力を容認する理論、正戦論を明確に説き明かすことは可能であろうか。ないし、正戦論は、止めどない下り坂なのであろうか、選択するのは簡単だが、偽の情報や恐怖を煽る者たちの中で、信頼でき正確な情報を入手するのが難しいときには採用しがたい方法論なのだろうか。
 9/11の余波として、中東にさらなる紛争が差し迫るとき、理想的にはこうした事々をこそ、他の宗教指導者たちと対話し、熟考することが求められているのであろう。 (横山全雄訳)

(この翻訳原稿は掲載許可をいただいております。なお、本文中の小見出しと太字は翻訳者が付しました)
 



[解説]

 『備後國分寺だより』第二十六号、中央大学大学院教授保坂俊司先生に学ぶ『二十一世紀の仏活―癒しと鎮めの仏教復活論』において、仏教とは単なる宗教、倫理、哲学などではなく、もっと大きな人類の営み全般に関わる一つの文明として捉えるべきであると学びました。

 「政治・経済・思想・美術・工芸・医学・薬学・建築・土木工学といった文明を形成する諸要素」を学び取ることのできる教えなのだということです。(保坂俊司『国家と宗教』光文社新書一四九頁より)

 そのような目で仏教を捉え、様々な文献を当たっておりましたところ、元毎日新聞記者で足利工業大学教授・安原和雄氏が『足を知る・仏教思想で創る二十一世紀と日本』(毎日新聞社)という本を書かれていることを知りました。経済成長や生産規模、消費の拡大ばかりが奨励される経済学のあり方そのものを転換し、幸福感を感じられる質の高い経済活動と環境に優しい生活スタイルを提案し持続可能な社会に向けて、仏教の少欲知足の経済こそ目指すべきであると主張されていました。

 その中で、E・Fシューマッハーというドイツ人の経済学者が、一九七〇年代に著した『スモールイズビューティフル・人間中心の経済学』(講談社学術文庫)という書が紹介されていました。著者は、若き日に仏教国ビルマの大統領経済顧問として赴任されていたこともあり、「仏教経済学」と題した一章を設けて、仏教経済学者は、モノに関心を払うのではなく、悟りに主たる関心を向けて、その上で八正道の中の正しい生活を実現するために、適正規模の消費で人間としての満足を極大化することを目指すとしています。

 持続可能な社会を実現するという二十一世紀の直近の課題を、本当は遙か以前からアジアの仏教国は実現していたとも言えるのかも知れません。インターネットを用いて仏教経済を検索すると、英文の文献も含め膨大な論文が存在していることが分かります。

 そして、国際政治と仏教について検索をしたところ、巻頭に紹介したクリストファー・アイブス(Christopher Ives)先生の刮目すべき論文に巡り会い、翻訳してみました。原題は、『 Meditation on the Brink-Buddhism and violence in the post-9/11 world 』です。

 九年前に書かれた論文ですが、米国人仏教学者である先生が、テロという現実に立ち向かうために、仏教を手引きとして思索しつつ、坐禅という実践による対処の仕方について書かれたものです。

 この中で、アイブス先生は、テロの原因を体系的に厳密に究明していくこと、今の現実に気づくことの大切さを説いています。つまり、自分自身の心の中を内観し、様々な感情に自ら気づくことで、思い込みや妄想を断ち、冷静にことの推移を見て、敵味方というような短絡的な発想に陥ることなく、双方がいかに宥和すべきか認識できるとするのです。

 国際政治を仏教によって読み解いていくという貴重な論稿でもあります。日本では活字にならない鋭い原因分析はとても参考になりました。

 この寺報掲載に許可を得るべく、直接先生にメールしたところ、ご快諾いただきました。ここに改めて御礼申し上げる次第であります。                            (全)

 


●万燈会とはなにか

 夏の行事に万燈会があります。燈火会、または燈花会としているところもあります。また精霊流しや燈籠流し、様々ではありますが、夏のお盆の晩にたくさんの灯りをともし先祖代々や各精霊の菩提を弔う行事として、近年にわかに華やかになりつつあるようです。

 高野山でも三十年ほど前からロウソク祭りが八月十三日の晩に行われています。毎年一度はお参りしたいと思っていたのですが、一番忙しい時期でもありなかなか実現しなかったのです。ですが、四年ほど前に、朝日新聞愛読者企画として、高野山万燈供養会参拝(企画実施・倉敷ツアーズ)が企画され同行することができました。

 十三日の朝八時半に福山駅からバスに乗車して高野山に向かい、高野山各地をお参りしたあと奥の院のロウソク祭りに参入し、一の橋から御廟まで参加して下さった皆様と歩きました。前の人の背中を押しつつ前に進むというほどに、沢山の人出にまずは驚かされました。それに沢山の外国人。写真を撮る人、人。

 参道の両側に発泡スチロールが帯のように置かれ、その上にアルミホイールが布いてありました。そこに串に刺したロウソクをともし挿していきます。隙間がないほどに沢山のロウソク。風で消えてはともされ、次から次に新たにロウソクがともされます。一筋に灯りがともる参道は幻想的でもあり、一つ一つ別々の心が一つのいのちに連続しているようにも感じられました。

 ただ、参詣者の中には、やはりロウソクがたくさんともされた風景を楽しみに来たのだろうかという人たちも多くあったようです。奥の院前の御廟橋(みみょうのはし)では合掌して渡ることが信徒としてのマナーとなっているのですが、そんなことは勿論お構いなし。話しながら、単なるお祭りに来た雰囲気の人々も大勢いたようです。

 何万人もの参詣人の中にはそうした人もいるのも仕方有りませんが、そんな光景を見つつ、万燈会とはそもそもいかなるものかあらためて考えさせられました。

 万燈会とは、「罪障を懺悔して四恩に報じ万燈を諸仏に供養する法会」と、『密教辞典』(法蔵館)にはあります。つまり、ただ万燈を供養することが目的なのではなくて、そこに至る思いはいかなるものかと問われる必要があるということなのでしょう。

 何事にも目的や動機があるものです。そもそも一つの灯りをともそうとする、その心はいかなるものかと尋ねなければならないのだと思います。それが罪障に懺悔して四恩に報ずるということなのでしょう。日頃の行いを反省し、知らず知らずのうちに犯している様々な罪過を懺悔する。身と口と心で犯している過ちにまずは気づく必要があります。その上で私たちが生きている以上、欠かすことのできない恩義を特別に感じるべき四恩について思い至らねばならないということなのだと思います。

 四恩とは、父母、衆生、国王、三宝の四つのことです。私たちが生きているということは、この身体を授けてくれた父母がいたからこそこの世に誕生したのであって、何も出来ない赤ん坊の時には何から何まで世話を焼き育て、この世に自分を導いてくれました。この恩はどんなにこの世俗の中で尽くしても尽くしきれるものではない、誠に大きなものだと古い経典に記されています。

 そして、私たちの食べるもの着る物も、すべて何から何まで他の生きとし生けるものたちが居なければ成り立ちません。私たちは、決して一人で生きているのではなく、他のすべての者たちとの相関のもとに生きています。そうした生きとし生けるもの、衆生の恩に気づく必要もあります。

 さらには、国という存在は、平和に暮らしているときには忘れがちではありますが、それでも、海外に出たり、他の国々の様子を知るならばこうして平穏に暮らせるのは、国というものがしっかり存在しているからであると気づくことでしょう。

 そして、私たちは身体を維持し安全に暮らせるだけでは人として存在しているとはいえないのであって、やはり人として生きる上でいかに生きるべきかということに思い至るならば、生きる目的と道筋さらには仲間を提供してくれるものが不可欠であり、仏教徒にとってはそれが仏法僧の三宝にあたり、その恩に気づく必要があるのだと思います。

 これら四恩の一つでもなかったならば私たちは人として存在しえないでしょう。これらのお陰で私たちはつつがなく生活していられるのではないでしょうか。

 しかし昨今は、大きくなると父母を忘れ、他を顧みず自分だけが大事で、自分だけよくありたいという考えの人も多いようです。国や県がどうあろうが関心がなく、選挙にも行かない。三宝の心の教えの大切さが分からないから、欲得だけが行動の物差しと化しているのかもしれません。

 それが時代だ、という方もあるかも知れませんが、しかしだからこそ、かつてないほどの精神を病んだ人が、特に若者が沢山いる社会となり、自殺する人も三万人をずっと超える状況になっているのではないかとも思えます。

 占いが流行し、カリスマ性のある霊能力者に老いも若きも群集するような世の中です。

 また、自分のことを自ら決められない、人に言われなければ決断できない、おおかたの人が言うことにすぐに賛同してしまう。無気力な、ものを自ら考えられない人ばかりを作り出してきたのではないでしょうか。

 『報恩』と名付けられた古い経典があります。冒頭に善き人々の立場とはいかなるものかと質問されたお釈迦様は、善き人々とは、恩を知り恵みに気づいている人々を言うのであって、それはまことある人々の習いとすることであると言われています。

 善き人々とは、しっかりと自立して生きている人のことであり、それらの人たちは身に受けたる恩恵にきちんと気づき、報恩感謝の念を持って生きている。だからこそ自分が生きているということは多くの他の者たちのお陰であることを真摯に知り、自分もしっかり生きよう、自立して右往左往することなく頑張って生きようということになるのです。

 四恩に報じて万燈を供養する万燈会の精神は、まさにこの身に受けたる恩恵に思いをいたし、諸仏はじめご先祖様や亡き精霊、すべてのものたちに感謝を捧げることにあると言えましょう。

 全国各地で行われ、華やかになるのは結構なのですが、こうした本来の趣旨をきちんと語る万燈会はあまりないようです。どこもご先祖の供養のためとしか書いてありません。なぜご先祖の供養が大切なのかということが分からなければ、その行為が今に繋がっていかないのです。

 人が多く集まるからするというのでは、単なるイベントにすぎないでしょう。せっかくの大がかりなセッティングを要する万燈会は、本来の目的である我が身を省みるということと報恩ということに多くの参詣者があらためて思いをいたす機会として、その本来の趣旨を語りついでいきたいものだと思います。

 國分寺では、毎年八月二十一日には沢山の提灯や燈籠に灯りをともし、午後八時から結衆寺院方出仕での施餓鬼会が行われます。是非ご参詣下さい。               (全)

 


四国遍路行記R  
  南光坊から栄福寺へ
(平成二年三月から五月)


 翌朝、六時前に目を覚ます。遍路中というのに、ご住職にすすめられるまま、十時半過ぎまで宴をしていたのに頭は意外と爽やかだった。住職は六時過ぎに本堂へ入られ一座の行法を修し、終えられてから、外の地蔵堂や石仏を拝みに行かれた。その後、私も本堂でお経を上げさせていただいた。

 御本尊は高野山別院なので弘法大師であり、その前に大日如来像が安置されている。修法壇にも大日如来が厨子に祀られていた。

 須弥壇の周りはスピーカーやマイク、コードがからみ、器材類が所狭しと散在している。高野山の金剛流御詠歌の詠監さんと言って、とても高い地位におられることもあって、いろいろな行事をされていることが覗われた。

 朝食は、トーストに玉子と生野菜。食べ終えると、すぐに同期の友人は付属保育園のお迎えのバスを運転に出たので、私もほどなくお暇した。玄関を出ようとすると、お昼のおむすびと御接待まで用意して下さっていた。誠に申し訳ない気持ちに包まれながら、隣の五十五番南光坊へ向かう。

 南光坊は江戸時代までは、大三島の別宮としてお参りされていたのであろう。隣に今でも別宮大山祇神社が鬱蒼とした森の中に鎮座している。寺伝によれば、大宝三年(七〇三)に伊予水軍の始祖越智玉澄が文武天皇の勅命によって、航海安全のために大山積明神を大三島に勧請した際に二十四坊の別当寺を建立したのが始まりという。その後和銅五年(七一二)に行基菩薩来訪の折、この地にそのうちの八坊を移した。

 天正年間には八坊が全焼するが、その後今治城を藤堂高虎が築城の折、祈願所に定め復興された。明治初年の神仏分離令に伴い、大山祇神社の本地仏(ほんじぶつ)である大通智勝如来を南光坊に遷し、境内を分割したという。

 この如来は余り聴いたことのない仏だが、「法華経化城諭品第七」に説かれる如来で、お釈迦様の師にあたるとある。

 ゆっくりとお勤めをした後、御本尊の真言に迷った。とりあえず「南無大通智勝仏」と唱えたが、後から調べたら、「おん まか びじゃな じゃなのう びいぶう そわか」という聞いたこともないご真言があるようだ。

 大師堂前のベンチには、お年寄りたちがのんびりと朝の散歩帰りなのか座られている。のどかな雰囲気に時間が経つのを忘れたかのような開放感を感じた。

 ずっと自分もそこに佇んでいたい思いに駆られながらも、境内に別れを告げ、次なる泰山寺に向け歩き出す。JR予讃線の線路を越えて南西に進む。国道を越えて進むと右側上に綺麗な瓦の建物が見えてきた。

 泰山寺は、珍しく弘法大師開基の寺である。大師が巡錫の折、この辺りを流れる蒼社川が氾濫し、田地、家屋、多くの人を流したことから、堤防を築き、七座の土砂加持を修して祈願したところ地蔵菩薩を感得したので御像を造り、お堂を建てたという。

 元は金輪山の頂にあったと言うが、兵火で焼かれ今はその麓に石垣を積んで境内としている。どの建物も真新しく瓦が白く輝いていた。少し早い気もしたが、別院でいただいた、おむすびを頬張る。そこへまたお遍路さんの団体が来て、御接待を頂戴した。

 しばし休憩の後、五十七番栄福寺へ。南東に道を取ると程なく蒼社川に出た。通りの下に河床を見ながら進む。山手橋を渡り山側に入ると程なく山の上に神社が見えてきた。そこを回り込んだところに栄福寺はあった。

 栄福寺も大師を開基とする。嵯峨天皇勅願によって瀬戸内海の海難事故を防がんと祈願したときに、海中から阿弥陀如来が顕現して、その姿をとどめる御像を彫像して、この府頭山の頂きに寺を建てた。

 その後、貞観元年(八五九)、石清水(いわしみず)八幡宮を造営せんとして行教(ぎょうきょう)上人が、宇佐に向かう折、海が荒れこの地に漂着。府頭山を見ると石清水八幡を造営せんとする地・男山に似ている、さらにそこに祀られる阿弥陀如来は八幡神の本地仏ということで、境内に勝岡八幡宮を建てたのだという。

 現在、少し手狭に感じさせる境内だが、それも明治初年の神仏分離令によって、お寺が山の麓の現在地に移されたためである。軒を貸して母屋を取られるという言葉通りの推移を表しているようだが、このような例はここだけの話ではなく、全国各所に見られるのは残念なことである。

 ところで、行教上人は備後新市の出身。この人の弟がかの有名な本覚大師益信(やくしん)僧正であり、平安初期に最初の法皇となられる宇多天皇の出家の戒師並びに伝法灌頂の伝授阿闍梨となられた。東寺長者、東大寺別当、石清水八幡検校(けんぎょう)を兼任。真言宗の事相法流の広澤流流祖としても崇められている。
                                                  (全)
 



《おたより》

ぼけない為の五ヶ条

 初詣に、淡路島七福神を巡拝した。寿老人霊場の宝生寺にお参りしたとき、本堂の脇に立ててある大きなパネルが目にとまった。
 そのパネルには、次のような「ぼけない為の五ヶ条」が書いてあった。時間があったので、その一条ごとに、「◎○△」で自己採点してみた。

 @仲間がいて気持ちの若い人
   仲間とまではいかないが、同年   配の茶飲み友達が三人いて、平   素よく行き来しているから、一   条は○。

 A人の世話をし感謝のできる人
   人の世話を買ってまでは出来な   いが、頼まれればなんとかやっ   ている。いつも、「感謝」の気   持ちを忘れないようにしている   つもりであるから、まぁ、二条   も○。

 B物をよく読み、よく書く人
   新聞は毎日、見出しだけは一応   くまなく読むことにしている。   回覧板も一通り目を通す。書く   方は、毎日簡単な日誌をつけて   いるし、手紙、はがきもできる   だけ書くようにしているから、   これもまず○か。

 Cよく笑い、感動を忘れない人
   平素、笑うことはたしかに少な   い。友達との会話はいつも「病   気話」ばかり。だからテレビの   「笑点」は欠かせない。「感動」   することはたしかに少ないが、   月一回程度、映画を見て感動す   ることがあるから△か。

 D趣味の楽しみを持ち旅の好きな人
   趣味も年とともにいろいろ変わ   ってきた。はまりこむほどの趣   味道楽はないが、まだそれなり   に趣味を楽しんでいる。「旅」   は好きであったが、近ごろは遠   出はおっくうになったから△。

 以上、甘い採点だが、せめて五十点は保持したいものである。 (K)
 



《おたより》


 
タイの水かけ祭り

 去る四月十五日、府中の駅にほど近い妙浄寺(浄土真宗)で、タイの旧正月(四月十三から十五日)を祝う国民的な仏教行事「水かけ祭り(ソンクラン祭)」が行われると聞いて出かけた。

 お祭りを主催するのは、備後地方のタイ文化研究会「サナームナームチャイ(心の広場)」という日泰友好団体で、備後地方の企業で研修や実習に取り組んでいるタイの人に、故郷を懐かしんでもらおうと四年前から行われている行事である。

 会場には、タイの人を主に、県内の一般参加者も併せて五十人ばかりが集まっていた。

 午前十一時、黄衣をまとった二人のタイ比丘も加わり本堂で仏事。聞き慣れない比丘のお経が堂内に響く。仏事の後比丘は托鉢に回る。人々は用意されているお米を比丘に喜捨する。このお米は、東南アジアの香り米と日本米を掛け合わせて作った米だそうである。

 そのあと水かけが始まる。まず、一人ひとり順番に、花弁を浮かした聖水を酌で汲み、仏陀像に半分注ぐ。残りの半分を比丘の手に注ぐと、比丘は祈りの言葉を述べる。それが終わると、会場が突然にぎやかになる。めいめいに聖水を入れた鉢を持って、お互いに入り乱れて水をかけあう。水で心身を清めるのだという。逃げ惑いながらも楽しそうである。

 水かけがおさまると、濡れた衣服を着替え、境内の会館に集まって会食。

 テーブルにはグリーンカレー、果物、お菓子などが用意されている。タイの人々は、懐かしい故郷の味を楽しみながら、なごやかな交流のひとときを過ごしていた。

 タイ仏教と言えば、平成十五・十六年、國分寺仏教懇話会の特別企画で、タイ比丘藤川チンナワンソ清弘師を招いて法話をお聞きしたことがある。

 タイの上座部仏教は事実上の国教で、ほとんどすべてのタイ民族は敬虔な仏教徒である。厳しい戒律で守られた僧侶はこの世で聖なる存在で、仏陀の代理とされており、人々は僧侶に喜捨することで自らの功徳を積み、来世で幸せに暮らせると信じられている。また、仏教信仰と精霊崇拝が習合して人々の信仰世界が形成されていることなど、このお祭りで少し垣間見ることができた。この祭りは福山のローズコム前の中央公園でも行われた。
                                               (24/4 B)

 


お釈迦様の言葉(Voice of Buddha)三十一

                
『すべての者は暴力をおそれ、
 死をおそれる。
 己の身にひきくらべて、
 殺すべからず、
 殺さしむべからず。』  (法句経一二九)

 お釈迦様が最初に説法された、インドのサールナートという聖地にいたとき、滞在していたお寺の壁には、この偈文がインド文字で大きく書かれていました。

 当時はまだ、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の抗争が完全には終結しておらず、戒厳令がしかれることもありました。普段は仲良く商売をしたりしている人たちが、ひとたび何かあると、宗教の違いから相手を分け隔てして争い、一瞬にして平和が損なわれてしまいます。

 己の身にひきくらべてというのは、自分と他者を同じく考えるということでしょう。これを自他同置ともいいます。他者みなと本来的に縁があり、なにがしかの関係で繋がれている、みんなが居て自分があると考えます。だから、自分だけ、ないし自分たちだけよければいいということは、もとより成り立たないと仏教徒は理解するのです。

 子供たちが小さな虫などを心なく悪戯しているようなとき、「自分がそんなにされたらどう?」と聞けば、みんなその手を控えます。不殺生という戒律を言うまでもなく、私たちは自分の身にひきくらべて物事を捉えることで、自ら行いを正していけるものなのだと言えましょう。    (全)


│ 平成二十四年度 國分寺年中行事
│ 月例御影供並びに護摩供 毎月二十一日午前八時より
│ 万灯供養施餓鬼会      八月二十一日
│  高野山参拝         十月九〜十日
│  四国八十八箇所巡拝(土佐伊予)  十一月六〜七日
│ 除夜の鐘 十二月三十一日

  ◎  座禅会    毎月第一土曜日午後三時〜五時
 ◎ 仏教懇話会  毎月第二金曜日午後三時〜四時
 ◎ 写経会    毎月第二金曜日午後二時〜三時
 ◎ 理趣経読誦会 毎月第二金曜日午後二時〜三時
 ◎ 御詠歌講習会 毎月第四土曜日午後三時〜四時

中国四十九薬師霊場第十二番札所

真言宗大覚寺派 唐尾山國分寺
〒720-2117広島県福山市神辺町下御領一四五四
電話〇八四ー九六六ー二三八四
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●毎月二十一日は「作務の日」です。
●八月二十一日午後八時、万灯施餓鬼会にご参詣下さい。  
 



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