備後國分寺だより

備後國分寺寺報 [平成十五年正月] 第五号

 備後國分寺だより


悪人とは誰か

 鎌倉時代に活躍された親鸞聖人の言葉で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という悪人正機説と呼ばれる教えがあります。

 親鸞さんは、自力作善の善人が自ら悟りを開こうとして仏に頼る気持ちが薄いのに対して、悪人は自己の力によって悟りえず仏の救済に頼るしかないので、悪人こそ阿弥陀さまの救いの対象になるのだとお考えになられた。

 そこで、一般には悪人が救われるのだから善人が救われて当然と考えがちのところを、親鸞さんは、逆に善人が救われるのであるから阿弥陀さまの救いの対象である悪人が救われないはずはないと、この言葉を残されたのだと言われています。

 しかし、師である法然上人にしても親鸞さんも、共に自己内省を徹底的になさった方であることを考えますと、この言葉の中の善人悪人とはいかなる人のことを言うのであろうかと問い直してみなければならないのではないかと思います。

 私たちは周りの人のことをとかく非難し、陰口を言ってもいっこうに自分自身の心を反省しようとはしないものです。親鸞さんの言われる悪人とは、おそらく、自分の心の本性を見れる人、行動におこさないまでもやましい思い汚れた心を持つ愚かな醜い自分に気づき、自分こそ悪人なのではないかと慚愧に耐えない人こそがまずは阿弥陀さまの救済にあずかれる。

 自らの心を振り返ることもなく、自分こそ分かっている、正しい、偉いのだと善人ぶっている人、それらの人たちにも阿弥陀さまの救いがあるだろうから、自らを見つめ汚れた心を持つ自分に気づいている人には当然阿弥陀さまのお救いがあろうじゃないか、親鸞さんは、きっとそんなお気持ちで言われたのではなかったかと思うのです。

 いま国際政治の舞台で、まさに他国の元首を名指しで悪人と決めつけたがっている人があります。はたして誰が悪人なのか、善人なのか。両者ともに親鸞さんの言われる善人なのかもしれません。

 私たちも同じような轍を踏まないよう心したいものであります。
 (これは月例護摩供後の法話に加筆したものです)


中国四十九薬師霊場巡拝記
                                     上御領 武村充大

 平成九年、中国地区五県に、平成の霊場「中国四十九薬師霊場」が開創され、湯野山東福院は第十一番霊場に、唐尾山國分寺は第十二番霊場となった。

 経典に説かれる薬師の十二大願のうち、特に病苦や貧困を解くという願いが根本となって、薬師への熱心な祈りは、仏教伝来当初から絶えることがなかったという。

 昨今は巡礼ブームとあいまって、人々は癒しを求めて巡礼にひかれ、この薬師霊場巡拝も行われるようになった。 

 今回、神辺結衆六ヶ寺の神辺薬師巡礼会によって、第一回の巡拝が行われ、ご縁があって巡拝に参加することができた。

 今回の巡拝は、九月十八・十九日、一泊二日で、岡山県内の一番〜七番と、鳥取県内の四十番〜四十九番の十七ヶ寺の巡拝である。

 巡拝団は、神辺結衆五ヶ寺(國分寺・東福院・法楽寺・寒水寺・宝泉寺)の各寺方と一般檀信徒十六人の計二十一人。中国トラベルのバスを借り切っての快適な巡拝であった。

 季節が暑くも寒くもない時期で天気も上々。黄金の稲田や真っ白い蕎麦の花、あぜ道を彩る彼岸花を車窓に眺めながらのドライブは快適。

 二十人の団体はこぢんまりとまとまりやすく動きやすい。神辺結衆関係者ということで親近感もある。

 霊場の寺々は、目を見張るような大伽藍の寺があるかと思えば、栄枯盛衰の深い歴史を秘めてひっそりとただずむ古刹で、探し当てるのに苦労する霊場もある。

 私のいままでの巡拝体験は、どちらかというと観光的であったことは否めないが、今回は、先達に導かれて、「作法」に則っての巡拝であり、ほとんどのお寺で、われわれ以外には参拝者を見かけず、森閑とした本堂にぬかずき、荘厳な仏様を見上げ、線香の香と読経の心地よいひびきとに包まれて合掌する境地は純粋であった。

 また、多くの寺ではご住職の送迎をいただき、御法話、茶菓のお接待、記念品などのおもてなしをいただいたこともきわめて印象的であった。

 私は今まで、四国霊場や観音霊場を何度か巡拝しているが、やや色あせたそれらの霊場にくらべて、今回の巡拝は、これまでの体験とは一味違った新鮮なものを感じた。

 最後に、こまごまとお心配りをいただいた結衆の寺方と同行の方々に心から感謝申し上げる。
                                          合掌


●お薬師さまの話●

 お薬師さまは、お釈迦様の癒す力を象徴する仏さまですということを以前申し上げました。

 お釈迦様が亡くなられるとお釈迦様を慕う多くの人たちが嘆き悲しみ、今現在にお釈迦様に代わる方のないことを憂いて、未来には弥勒さまが現れるであろう、現在にはお薬師さまや阿弥陀さまがおられると信じるようになっていきました。

 インドから中国にこの諸仏への信仰が伝えられ、薬師如来像が造像されるのが六、七世紀ごろのこと。じきに我が国にももたらされ奈良時代には薬師如来像は、釈迦、弥勒、弥陀とともに一般的に信仰された四仏の一つでありました。

 特に天武天皇が皇后の病気平癒を祈願して奈良に薬師寺を建立してからは、天皇やその親族の病気に際して薬師如来像がさかんに造像されるようになりました。

 さらには、当時畿内で度々地震や火災があり、また疫病が蔓延したことも重なり、その疫病対策に薬師悔過法という本尊薬師如来に罪過を懺悔して慈悲を乞う儀礼が頻繁に修せられていきました。

 また、全国に六尺三寸の薬師如来像七体と薬師経の写経が命じられるなど、朝廷の薬師信仰は平安初期まで誠に盛んでありました。 

 そして、この薬師悔過法を諸国で行うことを命じるために諸国國分寺の本尊が薬師如来になったとも言われています。

 そもそも天平十三年に國分寺建立の詔が出される前に、諸国に金光明経が頒布されたり、丈六の釈迦如来像の造立と大般若経の写経を命ずるなど國分寺政策に先行する施策が実施されていました。

 したがって、当初国ごとに釈迦如来を本尊とするお寺が造られ、そこに國分寺建立が命ぜられ天皇宸筆の金光明経を納める七重塔がその中心に据えられ、その後先に述べたように朝廷内の薬師如来への切なる信仰によって、國分寺には薬師如来が本尊として祀られるようになっていったものと考えられています。

 その後も平安貴族や一般庶民にまでお薬師さまへの信仰が広まる中で、単に病気平癒を祈願するにとどまらず、災いを転じ福を招く仏として幅広い信仰を集めることとなり、今日に至っています。                         つづく・・・。


お釈迦様の言葉-四

無病は最高の利益、知足は最高の財産、
信頼は最高の親族、涅槃は最高の安楽なり。
(法句経第二〇四偈)

 私たちは、日々利益あることを求め財産をふやし、家族親族の安泰平安なることを求めてやみません。

 そのために朝早くから夜まで一生懸命に働いているわけではありますが、それも度が過ぎるとかえって健康を害したり、ある程度の財産があってもさらにさらにとより多くの財を求め、それまで仲間であった人たちとも仲違いをするような憂き目をみることもあります。

 また安定を勝ち取るために無理を重ね、かえって精神的な苦しみを味わうこともありがちなことです。

 そこで、お釈迦さまは、最高の利益というのは健康であり、最高の財産とは足ることを知ることであり、最高の親族とは信頼、最高の安楽はさとり、つまり、心に何の欲も怒りも邪な心もおごりも恨みも恐れもないこと、何があっても落ち着いていられることだと言われるのです。

 時々ご覧になり、この短いお経の意味するところを味わっていただきたいと思います。


◎仏教懇話会毎月第四水曜日午後三時〜四時於國分寺会館
◎御詠歌講習会一月より月二回実施予定、日時お問い合わせの上、お誘い合わせご参加下さい。
中国四十九薬師霊場第十二番札所
真言宗大覚寺派 唐尾山國分寺
〒720-2117広島県深安郡神辺町下御領一四五四
電話〇八四ー九六六ー二三八四
FAX 〇八四ー九六五ー〇六五二

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