備後國分寺だより

備後國分寺寺報 [平成十五年盆月] 第六号

 備後國分寺だより




 東京の地下鉄にて

 四月十八日、東京のお寺で観音様のご開帳法要に招かれました。いつものように早稲田大学前のお寺まで、地下鉄を利用しました。地下鉄は窓の景色を楽しむことも出来ないため広告費が高いと言いますが、私はもっぱら人間観察にいそしむことにしています。

 この日も沢山の学生さんらしき人たち、またサラリーマンなどが乗り合わせていました。立っていた私の前には腰掛けた女子学生らしき人たちが話に熱中していました。聞くとはなしに聞いていると、ボランティア活動について語り合っているようでした。

 すると次の駅で労務者風の疲れた初老のおじさんが沢山の荷物を持って私の隣に乗り込み、吊革に身をまかせるように立ちました。前に座っている女子学生たちはその席がシルバーシートであるにもかかわらず、平然と誰に気づかうこともなく話に夢中でした。

 不景気、デフレ、不況、さらには税金を食い物にする人たちの理不尽な振る舞い、厚顔無恥、こうした社会背景の中で悪質残忍な事件も後を絶ちませんが、それも影響してか、そうした環境に暮らす私たちの発想はすっかり内向きになっているように感じます。

 若い人たちにも、自分さえよければいい、知らない人と関わり合いになりたくない、というような考えが染みついてしまっているのかもしれません。

 ですが、私たちにとって、たくさんの人に喜ばれ役に立っているという思いほど幸せを感じさせてくれるものはありません。ボランティアをする人はまさにそんな思いのために無償の奉仕に精を出すことが出来るのでありましょう。

 ボランティアは本来自立自存であって、自ら求めていくことが前提となるべきなのに、それさえもが今の学生たちにとっては評価の対象にされ、義務となりつつあります。ボランティアについて熱心に語りながら、身近な回りの世界さえもが全く見えない人、ないし見ようとしない人を生み出しつつある時代なのかもしれません。

 内向きの発想では本物の幸せに出会うことも出来ず、いつまでも不況と言う疫病神からも抜け出せないのではないか、などと考えている間に地下鉄は目的地早稲田に到着していました。(これは月例護摩供後の法話に加筆訂正したものです)


  雨の四国巡拝 

 今年の四国巡拝は、五月一三〜一五日、伊予一国を巡る旅。三十二人のバス巡拝団。

 天気予報通り曇天の中、中国の桂林を思わせる岩山に聳える最難所岩屋寺より参拝が始まりました。樹齢数百年という杉の大木が参拝者を迎える大宝寺、イラク戦争反対の大きな垂れ幕が多宝塔に掲げられた石出寺など、初日も特色ある札所に名残惜しみつつ、この日のお宿道後へ。

 道後の湯に疲れを癒し、さあ二日目と思い窓の外をのぞいて見ると、朝から大粒の雨。早くも太山寺で足元はびしょ濡れ、今治に入り仙遊寺へと札を打つ頃には強い風に傘をさすのも容易でなくなりました。

 それでもみんなバスを降りると黙々とお寺に歩き、傘をかたむけつつ精一杯の心経とご詠歌を本堂と大師堂であげていかれました。そのあとも伊予國分寺など、この日九ヶ寺の参拝が済むと、着る物から頭陀袋までずぶ濡れになっていました。

 最終日も雨の中、石鎚山と関係の深い前神寺、そして境内をおおうシャクナゲ以外のものから視界を閉ざすかのような深いもやに包まれながらの横峰寺、最後にお大師様がここで三角の護摩壇を作られたのが由来という三角寺をお参りして、全二十二ヶ寺の参拝を終えました。

 雨の巡礼、それぞれに大変だったことでしょう。良い天気、と普通言いますのは快晴のことでしょうか。それに引き替え雨降りは悪い天気。私たちは知らず知らずのうちに雨降りは悪いもの、そしていやなものと決めつけているのではないでしょうか。

 ですが、今回、もしも快晴が続き、照りつけるような日差しの中お参りを続けたとしたら、「暑くてかなわんな、一雨欲しいくらいだ」と思ったかもしれません。暑さで体力を消耗し、冷たい水を飲みすぎてお腹を壊す人が出たかもしれません。

 そんなことを考えますと、雨の中ではありますが、みんな心の中は晴れやかに、だからこそ心一つにお参りが出来たのではないかと思うのは、私ひとりではなかったと思えます。

 かつて歩いて遍路した時のこと、網代傘をかぶり錫杖をつきつつ、小雨模様の伊予路にさしかかりました。夕方登り着いた横峰寺で宿泊を断られ、薄暗くなる山道を十キロも先の香園寺を目指し駆け下りることになりました。

 山中、里へ出るまで、店もあづま屋もないため、ご宝号を唱えつつ一目散に尾根を走り、岩場を飛び降り、先を急いだことを思い出します。里へ下りたときにはあたりは真っ暗でペンライトを指しつつ香園寺へたどり着きました。

 軒先にでも寝かしてもらおうと寺務所に行くと、「宿坊をお接待しますのでどうぞ」と言われ、午後七時を過ぎていたというのに、夕飯にお風呂まで頂戴し、そして翌朝にはお昼のお弁当まで用意して下さいました。

 横峰寺でのつれない物言いに引き替え、地獄から天国に舞い降りたかのように、なんと有り難いお寺かとそのときには思った訳ですが、本当は勝手に横峰寺を今日の寝床と胸算用していた私が悪ったのです。

 横峰さんには横峰さんの事情があり、「どうぞどこへでも寝て下さい」と言われていれば、大変な思いをすることもなく、こうして思い出を語ることもなかったことでしょう。

 雨もまたよし、誠に得難いお参りが出来たと思える、今年の四国巡拝でありました


 読者からのおたより

 『父母の法要』  
 今年、両親の三十三回忌を迎える。秋には法要をしたいと思っている。次の五十回忌の法要はとてもおぼつかない。三十三回忌を「弔いあげ」とも言うそうだから、三十三回忌をもって一応の法要は完了するらしい。

 そう思うと、いつになく、なんとなく緊張感をおぼえる。
 「人は二度死ぬ」という。二度目は、人々の記憶から故人の思い出が全く消え去った時であるという。

 当然のことだが、三十三年前には今の孫たちはいなかった。だから、曾祖父母の思い出はまったくない。時たま曾祖父母のことを話しても、遠いご先祖様の話と言うことになる。

 ふと思いついたのが、この機会に父母の「自分史」を書いておくことである。それが最後の父母への供養になるかもしれない。

 人には、だれにでも長編小説になるぐらいの人生がある。父母たちが、その時その時をどんな思いで生きてきたのか。もちろん、父母は何も書き残してはいないが、わたしの記憶の底にかすかに残っている思い出を呼び覚ましながら、父母の「自分史」を書くことに取り掛かった。

 それからは、折に触れて思い出す度に、一行二行と書き足していたところ、半年後、二十ページほどのものにまとまった。

 わたしの子や孫たちに、これを読むことを強いるつもりはない。仏壇にお供えした後は、そっと引き出しにでもしまっておこうと思う。
                                      (上御領 未歳男)

『仏教懇話会に寄せて』
 この度、当山仏教懇話会に参らせて頂き、真言密教の教えを頂く事が出来ました。浅学の私には難しい事も沢山ありますが、反芻しながら教えを頂いて居ります。三密の教え、身口意は出来ることから実践したい、行いに取り入れたいという思いです。
                                       (福山 河野孜郎)


仏教の話『功徳ということ』

 法事でお経を済ませた後、少し仏教の話をするようにしています。

 話の内容はそのときどきで様々ですが、このところよく、「功徳を積むということが私たちの第一になすべきことであって、この功徳しか死んだ後に持って行けないんですよ・・」などと話をするのですが、あるときそんな話をした後のお斎の席で、「功徳ということがどういうことなのか分かりませんが・・」との言葉を耳にいたしました。

 功徳ある行為が大切だ、善行功徳を積んで下さい、などとよく話すものの、それではいったいその功徳とはどのようなことを意味するのか、ということになるとその説明はそんなに簡単ではないのかもしれません。

 インドなどでは、功徳を積むということは仏教徒もヒンドゥー教徒も子供のころから教えられて、ごく当たり前のことになっています。大人になって給料をもらうようになれば、そこからいくらかは当然の事として福祉施設やお寺に寄附をしたり、または路上で生活する貧困者や遊行者へ施しをすると聞いています。

 そのインドで貧困者などへの施しを盛んに行うというのには理由があって、今の必ずしも恵まれているとは言えない人生、また過酷な気象環境の中で大変な生活を余儀なくされているけれども、誰もが死後再び生まれると信じている来世ではもっと恵まれた良いところに生まれ変わりたい、そのためには今生でせめてもの徳を積んでおくことが何よりも大切なのだということを実感しているからなのだと思います。

 このことはインドばかりのことではなく、スリランカやネパールなどインド文化圏の国々、それに南方経由で仏教が伝わっていったタイやミャンマー、ラオス、カンボジアなどの国々の共通の認識なのです。

 パゴダという仏塔を崇拝供養することを熱心に行うミャンマーの仏教徒の中には、来世のために昼も夜も肉体労働をしてお金を貯めようとする貧しい家族が少なくないと言います。彼らは、貯め込んだお金で楽な生活をしようというのではなく、そのお金で大きな仏塔を造り、高僧を招き盛大な開眼供養をして、来世での安楽を願うのです。

 この二十一世紀の現代に、そうした来世の幸福のために真剣に生きている人々が、アジアの仏教国には大勢いるのです。

 こうした来世観を当然のこととして持っている国々と違い、私たち日本人はそこまでの意識を持たずに成人し、歳を重ねていきます。「それではあなたは死後どうなるとお考えですか」と問われたとしても、自分自身の死後のことなどなるべく考えないで済ませたい、縁起でもないというのが本音ではないでしょうか。

 特に現代に暮らすほとんどの人が、この人生のことだけにしか関心がないというのが実情のようです。ですが、もっと先のこと次の世のことも含めて責任ある生き方をしようと考えた方がよいのではないかと思うのです。

 私たちの仏教は、シルクロードを通り、中国経由で入ってまいりました。それが為にいわゆる仏教徒として当然身につけているべき常識に欠けていると、私の目には映ります。その代表的なものがこの来世観を含む輪廻という生命観だと思います。

 中国では「積善の家に必ず余慶あり、積不善の家に必ず余殃あり」といい、家単位の善行の報いとして楽果を説きます。が、仏教では、前世、現世、来世の三世にわたる個人単位の因果を説くのです。

 いま私たちが不況とは言いながらもまずまずの恵まれた生活が送れるのは、前世を含めて過去の善い行いの結果であり、現在の瞬間瞬間の行いの結果として未来が、また来世があると考えます。そして、今何を見、何を聞き、何を思い、何を願い、何を行うかによって次の自分が造られていく、すべては自分の責任、自業自得だということ。

 そしてつまりは、私たちは死んでもそれで何もかも終わりとはならないということなのです。身体が物質的に寿命を迎えても、最後の心が次に引き継がれていくのです。

 「人々は自分のつくった業にしたがって死んでいく(経集)」「ある人は再び母胎に生まれ、悪をなせる者は地獄に生じ、善をなせる者は天界に生じ、汚れなき者は涅槃に入る(法句経)」などとお経にもあり、その人の人生で行ってきたこと、つまり業によってもたらされる死の瞬間の心に相応しい世界に転生していくと教えられているのです。

 そうして私たちは、生まれては死に生まれては死んで何回も輪廻転生を繰り返す存在であり、その何度も繰り返す輪廻は苦しみに他ならず、その苦しみの連続から解放されるためにお釈迦様がお説きになられた教えこそが仏教なのであります。

 では、よりよい来世を迎えるために、私たちはどうしたらよいとお釈迦様は教えられているのでしょうか。

 「花束をもって多くの華鬘を作るがごとく、人として生まれなば多くの善きことをなすべし(法句経)」

 「善きことをなせる者は、この世にても喜び、死後にも喜び、何れにても喜ぶ、おのれの行為の浄らかなるを見て喜び楽しむ(法句経)」

 「直く、正しく、言葉やさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならない、他人を欺いてはいけない、どこにあっても他人を軽んじてはならない、怒りの想いをいだいて他人に苦痛を与えてはならない、あたかも母がおのが独り子を命をかけて守るように一切の生きとし生けるものに無量の慈しみの心を起こすべし(経集)」

 と、このように、人としてよい来世をもたらすようなよい死に方をしたければ、善いことをしなさい。そうして善いことをしたという満足感、喜びの中で死を迎えるように努力しなさいと教えられているのです。

 自分がしあわせでありたいと思うのと同じ様に、人の気持ちを尊重し、優しい言葉を語り、自分の出来ることを奉仕して周りの人たち、生きとし生けるものの幸せを願うなど善い行いを心がけねばならないのであり、そのような行為こそが功徳ある行いということになるのです。

 随分と回り道をしてきましたが、つまり『功徳とは、自分自身の未来、そして来世によい結果をもたらす善い行いの果報』ということになりましょうか。そして、仏教の教えから紐解きますと、その功徳をもたらす行為は仏教の実践そのものということになります。

 仏教の実践には、「布施」「戒」「修習」という三つの内容があります。

 「布施」は財施ばかりではなく、身体を用いてなされる奉仕行である身施、優しいまなざしや言葉、笑顔を施す心施、精神的な教えを施す法施などがあります。布施は他を直接利益する善行と言えます。

 また「戒」は、在家者にあっては、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒を内容とする五戒ないしは十善戒を実践することです。

 なぜ戒をたもつことが功徳ある行為となるのでしょうか。それは、悪業を為さないためであり、また正しい生活を送ることで自他によい影響を与え、そうして初めて他を助けるなど善行を施すことが出来るからです。

 「修習」は、専門的には止と観を内容とする瞑想行を指し、心を集中統一する止行と、いまの自分の身の動き、感覚、思い、思考、周りのものごとのあり様をありのままに観察する観行があります。

 ただし、坐って瞑想することばかりを意味するのではなく、日常においても心落ち着き、心静かに穏やかに生活することも含まれます。過去未来に思いをはせ欲や怒りをつのらせるなど、心ここにあらずということなく、自分が今何をし、何を思い、何を考えているのかを知り、常に冷静に自分を観察していることが求められています。

 自らの振る舞い、心を知らず取り乱している人は、他の気持ちを忖度し利益することが出来ないからであり、また逆に心落ち着いた人は、それだけで周りを穏やかに治め、安らぎをもたらしてくれるからです。

 最後に、お寺は福田であると言われます。また袈裟は別名福田衣と申します。この場合の福とは功徳、つまりお寺は功徳を耕す場であり、僧侶は本来功徳を積ませる立場にあるということです。沢山の有縁の人たちがお寺にお越しになり、善行を施し沢山の功徳を持ってお帰りになることを願っています。


お釈迦様の言葉-五

親族の蔭はすずし、
われは釈迦族より出でたれば、
悉くこれわが枝葉に比すべしなり。
(増一阿含経第三十六)


 世界中の人々の反対を押して、今年三月イラク戦争が勃発しました。声高に反対を叫ぶ者参戦しないまでも賛成する者様々な議論が戦わされました。

 むかし、コーサラ国王が釈迦族へ兵を進めようとされたのを知ったお釈迦様は、進軍する通り沿いにある枯木の下で坐禅をされました。お釈迦様に歩み寄った王様が「なぜそんな枯木の下で坐っておられるのですか」と尋ねたのに対して、お釈迦様がお答えになったのが、この偈文です。

 わがふるさとが攻められようとも、激して反対を叫ぶこともなく、静かに、「親族の蔭のもとにあれば、枯木の下にいようとも、涼しげに感じられるものですよ」と、親族のありがたさを説かれて、むやみに戦いを仕掛けることを戒めたのでありました。

 このようにしてお釈迦様は、二度軍を追い返されたのではありましたが、三度目には、枯木の下に坐ることもなく、ただ双方の因縁を深く嘆き、釈迦族の宿縁が尽きたことを知られたということです。

 戦争反対を叫ぶだけではなく、双方のなしたことなさなかったことを冷静に深く理解することこそが、私たちに求められていることを教えてくれているようです。


◎理趣経講読会仏教懇話会毎月第四水曜日午後二時〜四時於國分寺会館

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