「侵略者たちは本当にマヌケか?」論



 よく巷間に、アニメや特撮に現われる侵略者たちはマヌケであるという批判を耳にする。
 確かに、ロボット物などにおいて敵侵略者たちは侵略用ロボットを毎回概ね1〜2体ずつしか投入せず、各個撃破されてしまって兵力の損耗を招いてしまい、その結果滅亡するというケースをよく見受ける。そしてこれだけを見ていると、なるほどそのような意見を抱くのも無理からぬと云うか、むしろ当然という印象を受ける。
 斯く云う筆者も、当初はDr.ヘルやミケーネ帝国、そしてベガ星連合軍の戦い振りを見て、やはりそのように思っていた。
 だが、マジンガーを研究する縁でいろいろと歴史や戦史、そして兵法などを調べるようになると、この考えは変わってきた。どのように彼らの戦略に有用性があるか、以下に各陣営の戦い振りを検証したく思う。

1.Dr.ヘル(地下帝国)の戦法

 Dr.ヘルの戦い振りを批評する言葉として最も多く引見するものは、やはり何と言っても

【機械獣を10体ほど製作してから一気に攻め寄せればいいのに、ちまちまと1体ずつしか繰り出さないものだから負けるのだ。だから愚かなのである】

という論法で語られるものである。
 なるほど、確かにマジンガーZは劇中では1体の機械獣にすら苦戦をすることが多いのだから、10体もあれば善く防ぎ切れるものではないと考えるのは妥当であろう。そして、その戦法を採らないDr.ヘルの手腕を疑うのも至極もっともだ。
 しかし、である。
 ここで当時のDr.ヘルの置かれた状況を考えることは、非常に重要である。

 Dr.ヘルは、第1〜2話にかけてガラダK7とダブラスM2の2体の機械獣を差し向けて、そしてマジンガーZに敗れてしまったのである。つまり、この時Dr.ヘルは自分の存在とその目的を全世界に知らしめてしまったことに他ならない。
 しかも、第3話にてDr.ヘルは自らが語ったように、マジンガーZの出現によってそれまでの機械獣軍団が無力化したことを悟っており、その結果、旧機械獣は破壊してマジンガーZにも対抗できる力を持った新機械獣を製作することを決意するに至ったのである。
 ここで資料に目を向けて、機械獣の製作にどれくらいの期間がかかるものか確認してみると、

「約一週間に一体のわりあい」(『テレビランドS49.2』徳間書店刊より)

とある。そして、ご丁寧にも

「いちどに、たくさんの機械獣がおそってきたら、どうする?」

の問いに

「たぶん、やられてしまうだろう。でも、機械獣は、いっぺんにたくさんつくれないんだ。」

という答えまで同書に載っている。
 さて、そうすると、機械獣を製作するのに約1週間かかるという事実から計算すると、10体の機械獣を作るには約10週間(70日間)かかることとなるわけである。
 ところで、この10週間(70日間)は、Dr.ヘルにのみ流れるわけではなく、光子力研究所と日本政府にも等しく流れてゆく。となると、その10週間(70日間)の間に光子力研究所&日本政府がなにもしないで手をこまねいているとするのは、むしろあまりにも都合が良すぎるというものである。極々正常な思考の持ち主であれば、この10週間(70日間)の間に光子力研究所&日本政府もそれ相応の防備体勢を心掛けると見倣すべきである。
 そして、第47話で破壊された光子力研究所は第48話を経て、第49話までには超合金Zで再建されなおしているという事実や、各話で大破したアフロダイAが約1週間で修理されているという事実、そしてマジンガーZの補修も同様であることを考えれば、驚異的なスピードで超合金Zの精製が行われていることを否定出来ないのである。
 この生産能力を、光子力研究所&日本政府に10週間(70日間)の日数を許すのであれば、その間に自衛隊の戦闘機や戦車を多数超合金Zで装甲を作り変え、かつ、機械獣撃滅に有効な武器としての光子力ミサイルの生産・装備も十二分に可能という答えが出てくる。そして、同じ10週間(70日間)であってもDr.ヘルと日本とを比較すると、当時にして既に世界で十指に優に入る日本の工業力を考えれば、Dr.ヘル側が優っているとは到底思えないところである。
 更に重要なことには、超合金Zや光子力エネルギーという技術的な優位性を持つ光子力研究所&日本政府側のほうが、戦闘には有利であるという点。
 つまり、Dr.ヘルは日を置けば置くほど、圧倒的に不利になっていくというのが答えとなるのである。Dr.ヘルの採るべき道は、絶えず攻撃を仕掛けて敵に軍備の暇を与えないことに尽きると云えよう。
 1週間に1回、機械獣をもってマジンガーZに当れば、あわよくばZを倒せばそれで善し、倒せなくとも、Zやアフロダイ、光子力研究所の修理や光子力ミサイルの補充で光子力研究所は手一杯となる。こうなると、とても自衛隊への配備まで手が廻らなくなるという寸法である。

このように考えてゆくと、Dr.ヘルは自分の置かれた状況に対して最も戦局に適った、最高の戦略を採っていたと云えはしまいか。決してマヌケな人間の採り得る戦略ではないということになる。


2.ミケーネ帝国の戦法

 これに対し、ミケーネ帝国はその初期において戦略の根本で大きなミスを犯したと云えるだろう。
 『テレビマガジンS49.12』(講談社刊)によると、

「地下のミケーネ帝国では、戦闘獣が大量につくられ、七大軍団も完成し、いよいよ地上へでてもおかしくない実力がついた。だがこんどは、やみの帝王はしんちょうだった。ただちに、こうげきにうつさず、ちょうほう軍長官アルゴスに、地上をスパイするようにめいじたのである。アルゴス長官は、部下のゴーゴン大公を地上へおくった。スパイのやくわりをおって地上へでたゴーゴン大公は、バードス島でぐうぜんドクター=ヘルとであった。」

とあり、更にその時期とは『テレビマガジンS49.2』(講談社刊)には

「一九五二年 バードス島の遺跡調査団の一員として、出発。そのご、ゆくえ不明になったとされていた。」

『増刊テレビマガジンマジンガーZ大百科号』(S49.7.15 講談社刊)での

「昭和471010日」マジンガーZが完成、「15年の年月をかけた

いうことから、この事件は昭和27年から遅くとも昭和32年までのことであることが確定出来る。
 そうするとミケーネ帝国は、昭和2732年頃には既に戦力が整っていたというのに、この時点で総攻撃をかけずに調査に時間を費やしたため、敵(兜剣造)にその存在を掴まれて防備の時間を与えてしまったということになる。この戦略が重大な誤りであることは、戦史を紐解くと各名将が口をそろえて戒めている。
  「故に兵は拙速を聞く。未だ巧みの久しきを賭ざるなり」(孫子)
  「たとえ慎重に行動すれば多くの利点があると見積もられても、ただちに行動することがもっと重要である。迅速は敵の百の手段を未然に防止する。」(クラウゼヴィッツ『戦争論』)
  「『遅れるな!』最善を求める慎重さは、もっとも恐ろしい敵である。おおむね良しで、ただちに手荒く実行できる計画は、来週までかかって作成する完璧な計画より、はるかに優れている。」(パットン)
  「規則を守ることで満足することは致命的である。各人は、絶えず能力向上を追及せよ。努力を傾注する焦点は『より速く』であり、より速いものが勝利する。」(ロンメル)
 このように、自軍の充実を計ることは、敵にも防備の時間を与えることであり、その結果攻略はますます困難を増すのである。この戦理を忘れて徒に時間を浪費してしまったミケーネ帝国の初期方針は、完全に誤りだったと評するしかない。「慎重すぎる者は将には向かない」とはよく言ったものである。
 だが、失敗は失敗として、彼らが即断をしなかった理由はあながち分らなくもない。なぜなら、彼らはその身体を機械化して3000年もの年月を生きてきたのである。その長大な年月の中のたった20年前後など、彼らの時間感覚からすれば如何ほどでもなかったのであろう。だが、結果論からすれば彼らのこの時間感覚の狂いこそが勝機を逃したと云えそうである。
 
ここに、第一段階においてミケーネ帝国が戦略を誤ったことは、充分に検証し得たと思う。次に、グレートマジンガーが出現して以降の第二段階での戦略の検証に移りたい。
 
 ここでも、ミケーネ帝国は
Dr.ヘルと同じく1〜2体の戦闘獣と要塞や基地の投入という戦法を繰り返している。だが、再び一から機械獣軍団を編成し直さなければならなかったDr.ヘルと、手駒の多いミケーネ帝国とはその意味合いは違ってくる。例えば、昆虫型軍団の戦闘獣は「約250体」『テレビランドS4911』(徳間書店刊)、爬虫類型軍団は「約300体」(同)である。人間型軍団に至っては、「七大軍団の中でも、いちばん戦闘獣の数が多い」『増刊テレビマガジン3大ヒーロー大百科号』(S50.4.15 講談社刊)という。七大軍団全体と、諜報部の戦闘獣を合せると、恐ろしいほどの大軍団である。
 こうなると、グレートマジンガーが出現した時点で一気に全軍を投入して、これを打ち負かすという戦法がとれたはずなのである。
 ただ、アルゴス長官はこの戦法に否定的な発言をしている。暗黒大将軍亡き後、七大将軍は七大軍団による総攻撃を提案しているが、アルゴス長官の答えが

「ばかな。われわれのほんとうの目的は、世界せいふくにある。グレートごときに、そんなむだな戦力をつかうことはできない。」『テレビマガジンS50.5』(講談社刊)

である。
 ここで、戦闘獣とはそんなに弱いものなのかという疑問が湧いてくる。しかし、本編を見ていればグレートに挑んだ戦闘獣とは、みなその力を将軍たちに認められた勇者ということが出来る。一般戦闘獣は、それよりは弱いと考えるのはあながち飛躍ではないだろう。
 それに、半年前に活動していたゴーゴン大公の妖機械獣は、普通に考えれば兵器としては一世代前の兵器に相当すると考えられる。一世代前の兵器は、現実には継続して現行兵器と併用されるのが常であることを考えれば、一般戦闘獣の実力とは妖機械獣に比べて強くはあるだろうが、圧倒的大差はないレベルであると推定できる。
 この妖機械獣をマジンガーZが苦戦しながらも撃退していた事実を考慮すると、どうも一般戦闘獣ではグレートには到底敵わないレベルだったのではないだろうか。実際、『マジンガーZ対暗黒大将軍』で登場した戦闘獣は、グレートにほとんど太刀打ちできないままバッタバッタとやられてしまっているのである。
 そういう、いわば雑兵戦闘獣が大兵力を整えてグレートにかかったとして、おそらくそれは勝利することは出来るのだろうが、アルゴス長官の憂慮したように、その勢力の大半を失う可能性が、いや、ほぼ全滅する事態さえ考えられたのであろう。
 一体、戦争というものは近代戦のような飛道具が飛躍的に進歩して以来、一人の豪傑の個人的な武技によって戦局を左右する余地はなくなってしまったが、弓矢レベルの飛道具しかなかった時代ではこのような豪傑によって戦局が変わることはしばしば見受けられた。
 翻って、グレートマジンガーと戦闘獣との戦いを検証して見ると、戦闘獣の遠距離攻撃がグレートに致命傷を与えたことなどほとんど見当たらず、比較的近接近戦(各ロボットの大きさから換算してせいぜい弓矢レベルの距離)によって決着がつくことが多いことが判る。
 これは、いみじくも彼らミケーネ人が古代に戦ったトロイア戦争のように、一人の武技に優れた英傑ヘクトルによって10万ものギリシア軍が翻弄され、多数のギリシア兵が討ち死にして10年間も決着が付かなかったのに似ている。この戦争では、やはり当時最強の英雄と云われたアキレウスというたった一人の人間が、ヘクトルと一騎打ちをしてこれを打ち倒し、それを機に後いくばくもなくトロイが滅亡している。
 グレートマジンガーと戦闘獣との戦いとは、近世・近代戦のような数的有利の法則が通用せず、計らずも古代の英雄対英雄による一騎打ちによる決着法に逆戻りしてしまったと云えるだろう。だがこれは、そのような形に戦いを変貌させた兜博士の兵器思想の慧眼と云うべきだろう。
 また、ミケーネ帝国のその本来の目的は、若干外部からの協力者を迎え入れることもあったにせよ、基本的にはあくまでもミケーネ人による世界征服であったのだろう。闇の帝王がミケーネ人であった事実や、『マジンガーZ対暗黒大将軍』で暗黒大将軍が「ミケーネ人の頭上に太陽を取り戻すのだ」と発言していることから、それが覗える。
 そうすると、グレートに全軍を投入して戦ってその大半を失ってしまうと、例えその後世界を征服し得たとしても肝心のミケーネ人は半減してしまっており、世界征服の意義も著しく意味を為さなくなるということになる。
 機械化してしまったミケーネ人が、この後生殖により人口が増加する見込みがない以上、人口を減らすような戦法は国を維持出来なくなる危険を孕んでいたと云える。
 
 ミケーネ帝国としては、戦力を極力温存したまま、勇者戦闘獣によってグレートを倒すという戦法が、最も望ましい形だったのだろう。



3.ベガ星連合軍の戦法

 ベガ星連合軍の戦いで、まずもっとも時系列でいう初期の段階で、かつ詳細が判明している戦いと云えば、それはフリード星の撃滅戦である。
 ベガ星連合軍は、「同程度の科学力」すなわち軍事力を持つであろうフリード星を奇襲により滅ぼしている。(拙稿「フリード星滅亡の原因」参照)
 ここで、この奇襲という軍事的行為を戦史の名将たちの言辞から見て見よう。
 「奇襲の実行は危険を伴う。しかし、警戒を怠らず、つねに敵の油断に乗ずる指揮官は作戦に成功する可能性が高い」(ツキディデス)
 「珍奇な攻撃は敵を仰天させるが、普通の突発事件には、だれも驚かない。」(ベゲチウス)
 「奇襲の機会を見逃さないことは、軍事的天才の本性である。戦いでは、ただ一度だけ奇襲できる瞬間がある。天才はそれを捕まえる。」(ナポレオン)
 「奇襲には、秘匿と速度の二つの要素が必要であるが、指揮官が強力なエネルギーを持ち、部隊が精強に訓練されていなければ、この要素を満たすことはできない。」(クラウゼヴィッツ『戦争論』)

 このように、世界の名将たちはこぞって奇襲の難しさを説く。しかも、クラウゼヴィッツに至っては、「小規模の奇襲によって(略)大なる成果を収めた戦例は極めて少ない」と云い、さらにそれが戦略レベルにおいては「ますます困難になるのである。」としており、「秘密と敏速さが奇襲の二要因であるが、この二者の実現のためには、政府及び将軍の側における大きな気力と、軍隊の側における軍紀の厳しさが必要である」と云い、「指揮者が柔弱で、規律のゆるんでいるところでは、奇襲に大きな期待をかけることはできない」とし、また、たまたま成功する程度の「小規模な奇襲が(中略)大きな成功と結びつくということは、頭の中では大いに可能だが、現実にはその例が乏しい」と云う。
 そして生半可な奇襲では「もし適切ではない方法で奇襲を行うならば、よい結果をおさめるよりも、猛烈な反撃を受ける恐れがある」などなど、いやはや、手厳しい。
 現代の軍事評論家も「机上で戦争を考える連中は奇襲は素晴らしい作戦だと思い勝ちだが、実際には奇襲くらい難しいものはない」と説いているところである。
 これらのことを考えると、「同程度の科学力」すなわち軍事力を持つであろうフリード星を奇襲により滅ぼすという大戦果を上げたベガ星連合軍は、頗る有能な軍だったことが十二分に立証される。

 次に、初期のスカルムーン師団の戦法について。
 ここでの初期のスカルムーン師団の戦法は、フリード星撃滅作戦と比べる時、ある種のまどろっこしさを確かに感じてしまうところである。
 スカルムーンには円盤獣が常時「7体」『テレビマガジンS51.2』(講談社刊)あり、円盤は1300機、兵士「2万人」、「不足すれば、ベガ本部からおくられてくる」ということである。
 攻城兵力3倍の原則から云えば、全兵力を投入すればグレンダイザーをも打ち倒し、地球を制圧することも不可能ではない兵力数だったと云えよう。そうすると、やはりその作戦を展開しなかったスカルムーン師団は無能だったということなのだろうか。
 いやいや。
 彼らの目的はいったい何であるのか。我々はこの基本的な問題に立ち返るべきである。
 まず、第1話において、スカルムーン師団の目的は地球征服だった。だが、予期せぬグレンダイザーの出現で彼らの第一次作戦は失敗に終わった。
 まずここで、グレンダイザーの存在を掴んでいなかった点がこの作戦の失敗の原因である。加えて、ダブル-=マジンガーの存在をスカルムーン師団は掴んでいなかったようで、(拙稿『ダブルマジンガー不参戦について』)これも戦いを進める上では不利となる点である。  
 だが、実際にそれを実行するとなると、広い宇宙の中で行方不明中のグレンダイザーを探して地球に潜伏しているという情報を掴むなど、砂漠で一円玉を探すようなもので限りなく不可能に近い。
 また、ダブル-=マジンガーの存在については、スカルムーン師団は常識的には地球攻略には米ソあたりと他数カ国の軍隊の装備などを調査して、判断したために調査に遺漏があったものと考える。そして米ソの軍事力が「たいしたことはない」レベルだと判断したものであろう。
 実際、軍の装備にこそ最強の兵器が配備されているのが常識なので、その常識から著しく外れたマジンガーの存在を関知できなかったとしてもそれは無理からぬものである。彼らの、そして我々の経験則から云えば、米ソの軍事力レベルの国がマジンガーのような超強力な兵器を持っているなど、本来有り得ないのであるから。
 それでも、ダブル-=マジンガーの存在は何年も調査をしていれば知り得たことではあろう。だが、調査に何年もかけることの愚かさは、【2.ミケーネ帝国の戦法】で述べたとおりである。その途中で地球側にも察知されてしまって、防備を固められて(マジンガーの戦力強化など)、かえって攻撃は困難になることであろう。
 ひとまず、第1話に至るまでのスカルムーン師団の戦略は、そうひどいものではなかったと結論できる。

 次に、第1話でグレンタイザーと遭遇したスカルムーン師団は、第2話においてベガ大王の勅命により、「グレンダイザー撃滅」が第一目的となり、地球征服はその後に目指す第二次目的に変更されているのである。
 さて、ここで、スカルムーン師団の主目的は「グレンダイザー撃滅」となったのだが、そのためにはどのような戦法を採れば良いのだろうか。それこそ、すぐに全兵力を繰り出すべきなのだろうか。
 答えは否≠ナある。孫子の兵法に、
「少なければ、則ち能くこれを逃れ、若かざれば、則ち能くこれを避く。故に小敵の堅は、大敵の擒なり。」
とある。意訳すると、「劣勢の兵力なら、退却する。勝算がなければ、戦わない。味方の兵力を無視して強大な敵にしゃにむに戦いを挑めば、あたら敵の餌食になるだけだ。」ということになる。つまり、逆に敵を決戦場に引き込むには、あまり多兵力で挑まないことが肝要なのである。これが2倍、3倍の兵力で挑むと、敵は決戦に乗ってこないことが戦史でも多々認められるのである。
 これは、自国の防衛戦においてすらあり得ることで、史実でナポレオンのロシア遠征に対して、ロシアの総司令官クトゥーゾフは首都すら放棄して、徹底的に決戦を避けて敵の補給を消耗させた上で反撃している。また、近年では太平洋戦争時代の日中戦争で、中華民国軍が首都の南京すら放棄して、広い中国大陸全土に日本軍を誘い込み、疲弊させた事実も存在する。
 このように、自国民すらこのような戦法を採る事例が十分にあるというのに、況や異星人で、地球にそれほどの義理もないと考えられるデュークがその作戦を取らないという保証はないのである。
 結果的には、デュークフリードは地球を第二の故郷として一人の地球人として戦っていたのであり、その推測は穿ちすぎだったことになるのだが、それはスカルムーン師団に知り得るのは不可能事である。
 我々は視聴者という特権をもって神の視点で両者の動向を余さず観察することが出来るが、当事者の一方の軍が敵の状況や意向を正確に把握するなど、どんなに諜報能力やITが発展しても不可能なのである。
 「丘の向こう側をうかがえば、勝利の鍵がある。しかし、丘の向こう側を見に行くことはできない。」(ウエリントン)
 「戦争は不確実性の世界である。作戦や戦闘行動にかかわる要素の四分の三は、多かれ少なかれ不確実性の霧に覆われている。」(クラウゼヴィッツ『戦争論』)
「状況不明は戦争の常である。(中略)世界中の軍隊は状況不明の真っ只中で宿営し、行進している。」
 
スパイ小説などでは、いとも簡単に敵の機密や状態を探り当てることが出来るように書いてあるが、優秀と云われた伊賀・甲賀の忍者を抱えた徳川幕府が薩摩へ忍者を放ったところ、その250年余に及ぶ期間のうち任務を果たして戻って来れたのはたった3人のみだったというエピソードすらあるのである。
 このように、敵の意向を知ったり、敵の重要機密を知るという頗る難事なことを強要して、それを為し得なかったことをもって
スカルムーン師団の能力を無能と詰るのは、あまりにも論理の飛躍がありすぎると云えよう。これも、無理な二分法による詭弁に通じるところがある。
 スカルムーン師団の立場からすれば、グレンダイザーの秘密基地を知らないまま一度に何体もの円盤獣を出動させてしまっては、デュークが決戦を回避して、円盤獣たちが虚しく各地を荒らし廻った結果燃料を消費して、そこを狙い撃ちされてしまうという危惧を抱かざるを得ないのである。
 また、グレンダイザーを倒さずして、目標の第一を地球征服として世界各国を攻撃して占領したとしよう。この場合、世界の各国の占拠に兵力をそれぞれ貼り付けておかねばならず、「兵力の分散による各個撃破」という兵家の最も戒める愚作と成り果ててしまう。
 すると、スカルムーン師団の採り得る作戦としては、デュークが決戦に応じるだけの小戦力の投入によりグレンダイザーを決戦に引きずり出して、あとは作戦の妙によってグレンダイザーの撃滅・拿捕に努めるか(その亜種変形として、人質作戦によりデュークを引っ張り出したり、あるいは、地球の大規模破壊によりデュークを釣り出すという具合に)、秘密基地を探り出して決戦を回避出来ない状態にさせて全兵力を投入するかの方法しか許されていないのである。

 このように検証を重ねてみると、初期のスカルムーン師団の戦略には大きな誤謬もなく、基本的にグレンダイザー基地を探り当てるという戦略と、並行してグレンダイザーの誘き出しという実に堅実な作戦を遂行していたことがわかる。
 そして第36話で、宇宙科学研究所から発進したダブルスペイザーがグレンダイザーと合体したことから、宇宙科学研究所がグレンダイザーの基地であることに確信を抱くに至ったのである。
 ここで、スカルムーン師団はそれこそ総攻撃の絶好のチャンスを掴んだことになる。だが、この最大の機会に、ベガ星は不幸としか云い様のない天災――そう、天災に遭うのである。
 それは、第37話に語られる「ベガトロ星が超新星に飲み込まれる」という事態である。これにより、最重要な補給源を失ったため、スカルムーン師団も、作戦の変更を余儀なくされることとなったのである。
 基本的にベガトロン燃料によって動いていたであろうベガ星連合軍の基地や円盤獣、ミニフォーなどは、このベガトロン燃料の停止により兵器稼動を維持出来なくなる危険を迎えてしまったのである。
 こうなると、スカルムーン師団としてはグレンダイザー総攻撃どころの話ではなくなる。まずは、代用燃料の確保が急務となるのは必然で、実際第42話でベガトロンの補給の目途がつくに至るまで、スカルムーン師団は代用燃料の確保に奔走するのは劇中の通りである。
 このような「天災」レベルの事故についてまで、ベガ星連合軍の能力の責任にしてしまう訳にはいかない。これはまさしく「不運」以外の何物でもないからだ。そして、実にこの天災こそが、連鎖して以後のベガ星連合軍の凋落に繋がっていったものである。
 とまれ、なんとかベガトロンの補給の目途が立った第42話で、スカルムーン師団はキチンとグレンダイザー基地の宇宙科学研究所を壊滅させている。
 だが、宇宙科学研究所側では、より堅固な新宇宙科学基地を起動させてきた。スカルムーン師団は大決戦のあとの兵力の回復と、そして新宇宙科学基地・グレンダイザー・ダブルスペイザー・マリンスペイザーのより強大になった敵に対抗するだけの更なる兵力の充実を強いられることとなるのである。
 しかし、第42話でなんとか補給の道がついたとはいえ、それは以前の時のように潤沢にという訳にはいかなかったであろう。そこでスカルムーン師団は兵力の充実を図りつつ前線基地の建設を図り、その間搦め手として新宇宙科学基地攻略を図るわけである。

 が、第51話にてベガ星附近の惑星が多数爆発するという事件が起きる。原因は開発して汚染し尽くしてしまったということである。その惑星は、ベガトロン放射能で充満していた。続く第52話、ベガ星の衛星が大爆発を起してベガ星に放射能が降り注ぎ、居住が不可能となる。そして地下のベガトロン貯蔵庫が放射能の異常高温により爆発を起し、それがベガ星大爆発を引き起こす。
 これにより、ベガ大王はベガ星を放棄して軍人のみを引き連れて、スカルムーンにやって来たのである。

 ここで、目を転じてベガ星連合軍全体の動向を見てみよう。
 結果的に彼らは、自星を汚染させて居住できなくしてしまうのだが、その際に他の征服済みの惑星に行かずに、まだ未征服の地球を狙って月のスカルムーンに移住してきている。人はこのことを指して、ベガ星連合軍の能力を疑ったり、甚だしくは作品全体へ対する否定の材料とする。だが、それは果たして正しいことなのだろうか。
 劇中の事実を拾い上げてゆくと、ベガ星連合軍が征服した星でその後の星そのものの状況が語られているのは、フリード星、ブルーエンジェル星、ウルス星、である。この三つの星は、あるいはベガトロン爆弾で汚染され、あるいは鉱山開発のため公害で汚染され、あるいは草木も生えぬ岩山ばかりの星となったりしているのである。
 つまりは、サンプルの3例が3例とも、惑星に荒廃が認められるということである。こうなると、他のルビー星や、ザリ星、ベル星、ズル星、ガモ星そしてその他支配下にある惑星も、既に荒廃しているものと見たほうが蓋然性は高いと云える。ベガ大王の立場からすれば、このような荒廃し汚染された惑星を移住先に選ぶよりは、グレンダイザーさえ倒せば制圧が容易であろうと判断された地球を移住先に選ぶことは、さほど奇異なことでもないのである。
 また、そもそもの支配下の惑星を汚染させてしまったことに関する戦略的可否だが、これは逆説的な言い方になるが、ベガ星連合軍が他惑星を汚染させるほどに凄まじく開発の限りを尽くしたからこそ、短期間のうちにアンドロメダ星雲全域と銀河系の大部分を制圧し、その膨大な戦線を維持できるだけの補給元を確保出来たと云うことができるのである。もし、ベガ星連合軍が他惑星の開発に関して、環境の維持に留意しながら開発を行っていたならば、アンドロメダ星雲の全制覇と銀河系の制覇というある種の偉業は到底為し得なかったことであろう。これは、一概に弾劾できる類のものではない。
 ベガ星の崩壊についてとて、もちろんそれまでにも汚染はあったのであろうが、そもそもの崩壊の原因は第37話での「ベガトロ星が超新星に飲み込まれる」という天災によるのである。これによりベガトロン燃料の補給に窮したベガ星連合軍が、第42話でなんとか補給の道がついたというのは、ベガ本星の附近の惑星群や、衛星X4を、それこそ急ピッチで開発したために乗り切れたものであろう。が、結局この無理な開発が、爆発事故へと繋がり、連鎖的に「惑星群の破壊→ベガトロン汚染が進む→衛星X4の爆発→ベガトロン放射能塵の散布によりベガ星、死の星に→放射能の高濃度化により、地下のベガトロン貯蔵庫の爆発→誘爆により、ベガ星爆発」という最悪のシナリオとなったのである。
 本来、「ベガトロ星が超新星に飲み込まれる」という天災がなければ、ベガ星の汚染はこれほど進行することはなかったであろう。そして、「ベガトロ星が超新星に飲み込まれる」という天災がなければ、戦史のモンゴル帝国が周辺諸国を略奪し、殺戮を繰り返した挙句に史上最大の帝国を築いてしまったように、ベガ星はますますの繁栄を誇っていたに違いない。
 人道的には反対ではあるが、ベガ星連合軍は当時最高の戦略をもって宇宙を席捲していたと云えそうだ。
 
これらのことから、ベガ星崩壊そのものに関しても、ベガ星連合軍に多くの責任を問うのは酷というものであろう。予期せぬ天災により、どんどん汚染が予測を上回る早さで進行してしまったのである。ベガ星連合軍とて、将来の汚染の危険は承知して近い将来に移住を検討していたことであろうが、最悪が最悪を呼び、不運が不運を呼んで、ベガ星は予測を超えたスピードで崩壊し、ベガ星の市民を移住させる間がなかったのであるから。
 これら一連の偶発事故が起きなかったら、ベガ星連合軍は順次一般市民たちを新天地に移住させ、その民力を背景として再び勢力の挽回を図ることが出来ていたのである。

 とまれ、ベガ星連合軍の主力は、月のスカルムーン基地へと移住してきたのである。
 ベガ星連合軍の目的は、「グレンダイザーを倒して、地球を汚染することなく手に入れる」ことになった。
 だが、ベガ星は既に崩壊し、兵力も戦力も少なからずその爆発で失っており、かつ、最も重大な問題としては、ベガトロン燃料には限りが出て来てしまったことにより兵器の生産や運用に制限がついてきてしまったことにある。加えて、新兵器であるところのベガ獣は、新規に順次製造していかねばならないのである。
 更に、今までならスカルムーン基地からの出撃も有用だったところだが、エネルギーの消費を抑える観点からも、ますます地球に前線基地が必要になる度合いは高まったと言える。地球に前線基地を築いた上で、戦力の充実を図り、地球の超ウランやマグマなどの代用エネルギーを搾取する必要が出てきたのである。
 そしてその間の攪乱作戦として、ベガ星連合軍は1〜2ケ月の間陽動に出ていたのであろう。
 だが、準備期間のほとんどとれないまま、折角建設した海底基地はあえなく撃破され、兵力の充実が完成しないまま最後の決戦に敗れて、ベガ星連合軍は滅び去ったのである。
 戦には「戦勢」というものがある。これに乗った軍は、その実力の何倍もの力を発揮するものである。結局のところ、ベガ星連合軍は「ベガトロ星の天災」以来この「戦勢」を失い、変わって「戦勢」を得た地球側に押し切られたというのが実情である。そう、最早戦略の問題ではなかったのだ。地球が勝利を得たのは、むしろ僥倖に近い。


4.補遺・戦闘指揮官たち

 配下のあしゅら男爵やブラッキー隊長などの採った戦術については、いみじくも劇中でDr.ヘルたちがこぼしていたように、幾つかのミスが散見される。
 だが、これとても本質的にはハード(Zと機械獣の戦闘能力の差)の問題であって、むしろ、Zと機械獣(orグレートと戦闘獣orダイザーと円盤獣・ベガ獣)の能力が同じであれば勝利していたケースが多いのである。
 例えば、マジンガーZと機械獣が戦って、機械獣の攻撃で甲児が気絶をしてしまい、その間に機械獣がZにとどめを刺さずに放置して光子力研究所に向かうケースが多い。これを見た時はついついとどめをしっかり刺してから行くべきだと考えてしまうが、よくよく熟考すると、当の機械獣の兵器でZを多少なりとも破壊しているケースは稀である。逆に云うと、Zを破壊することの可能な機械獣は、とことんZと戦って敗北しているのであって、Zを破壊するには至らない機械獣の場合は、例え甲児が気絶しているにせよそのままではZの破壊は不可能なため、敵の策源地である光子力研究所の破壊を主目的としていた、もしくは破壊不能と見て目的を光子力研究所破壊に切り替えていると見るべきなのではないだろうか。
 こうなると、彼らの作戦能力が劣っていたとは云い難くなってくる。確かに、彼らの個々の作戦においてミスはあったにせよ、それは戦史を見ればどんな名将でも、勝利した戦いですらその経過においては幾つかのミスを犯していることを考えれば、愚将のレッテルを貼るには当らない。戦争においては、どんな軍もミスを重ねているものであり、ただ「ミスの少ないほうが勝つ」に過ぎないのだ。

 また、彼らの組織内での足の引っ張り合いが「愚か」の証拠として引き合いに出されることが多い。しかしこれとて、古今東西、どこの組織でも起こったごく当たり前のことであり、むしろ、組織の発展のためにはある程度の内部での張り合いが必要である。内部抗争にまで発展して、組織の瓦解を招くものでなければ、特段、マイナス要因に数え上げるほどではない。
 むしろ、彼ら幹部たちにしてみれば、マジンガーやダイザーの撃滅が最終目標などではなく、しょせん組織内での昇進のためのステップに過ぎないのである。いかにして自分が組織内で昇進して重要なポストに就くか、ということが主目的であることを考えれば、ライバルの足を引っ張って自分がのし上がることは、その目的を忠実に執行していると言えるのである。そして、目的に忠実な分、かえって優秀と言えるくらいである。

 兵力の損耗については、あしゅら男爵の鉄仮面兵士の運用、ブラッキーのミニフォーの運用などに疑問を投げかける向きもある。

【マジンガー(ダイザー)に敵わないとわかっていて、毎回無駄に鉄仮面兵士(ミニフォー)を繰り出して、被害を増やしている。愚かだ。】

などなど。
 だが、鉄十字兵士の武器でZのスクランダーが破壊されたり、グレン第7話のように、グレンダイザーすら敵わない円盤獣ギンギンを、ミニフォー数機が致命傷を負わせている事実がある。すると、彼らの兵器がマジンガーやダイザーを倒すことは不可能ではなかったと言える。
 グレン第68話でケインがミディフォーでグレンダイザーの攻撃を余裕でかわしたように、パイロットの腕が良ければ、かなりの形勢で渡り合えることがわかるので、あしゅらやブラッキーの数にものを云わせた力押しは、そう無茶とは云えないのである。いや、過去戦史において、物量作戦で押しきって勝利を得たケースなど幾多も見ることができる。
 敵を倒すことのできる能力を持つものを、戦場に投入するのはごく当然のことであって、それをしない者のほうがむしろ愚かというものである。彼ら幹部連の用兵が特に拙かったというものでもないようだ。


まとめ

 以上のように、彼らは与えられた局面でおおむね最善の戦略を採っていたと言えそうだ。
 彼らの上に「無能」という烙印を押すことの不当性を訴えた上で、論を終わりたい。