船尾昭直(ふなお・あきなお) ?〜?

佐竹家臣。船尾下野守の子。通称は九郎三郎。山城守。陸奥国船尾城主。
はじめ陸奥国の岩城氏に仕えていたが、天文22年(1553)頃には佐竹氏に属して当時の佐竹氏当主・佐竹義昭から一字を与えられて昭直と名乗ったという。
佐竹氏が陸奥国南部に侵攻するときには先鋒となって働いた。永禄年間(1558〜1570)後期には佐竹領北方の最前線にあたる陸奥国の赤館城に、天正3年(1575)には滑津城に在城した。
天正6年(1578)、佐竹義重の二男・喝食丸(のちの佐竹義広)が陸奥国白河郡の白川氏に入嗣するとこれを補佐したが、天正18年(1590)、陸奥国南郷川上の本領に戻り、文禄4年(1595)の知行割替に際しては茨木郡内に1千6百石を与えられた。
外様の大身である昭直の立場は佐竹氏に不安も与えていたようで、たびたび起請文が交換されている。