相馬盛胤(そうま・もりたね) 1476?〜1521

陸奥国相馬氏第13代当主。相馬高胤(隆胤)の嫡男。通称は孫次郎。従四位下・大膳大夫。初名は定胤。号は日顕。陸奥国行方郡小高城主。
第15代当主の相馬弾正大弼盛胤の祖父である。
『相馬氏家譜』によれば妻は蘆名盛舜の娘で、盛舜から盛の字を受けて定胤から盛胤に改名したとあるが、これは年代的にも疑わしい。
盛胤の事跡には不詳な部分が多いが、『奥相茶話記』によれば、父の高胤が長享元年(1487)に標葉氏の権現堂城を攻めたときに没したため、同年冬に跡を継いだ盛胤が権現堂城を攻略したという。しかし『御家給人根元記』は「盛胤十八歳之時、明応元年(1492)権現堂城に押寄合戦」とあり、高胤の死去と盛胤が家徳を継いだ年、盛胤の生年などは判然としない。しかし、いずれにしても高胤の遺志を継いだ盛胤が標葉郡の標葉清隆・隆成父子の権現堂城を攻めてこの父子を滅ぼし、標葉郡を版図に加えて所領は行方・標葉の2郡に加えて宇多郡の一部にも及んだとみられる。
その反面、明応2年(1493)12月に領内の鍛冶職を任じるにあたっては重臣の目々沢(木幡)隆清と連署で行っていることから、惣領として家中に強力な権力を布くまでには至らなかったようである。
永正18年(=大永元年:1521)7月7日に没した。