現代のように医療技術が発達していなかった江戸時代には、 子に先立たれる母親が多かったのか、 そのような母親への説法がいくつも残されています。
『禅師の御側近く座し、婆子打ち伏して唯高声に泣き、
暫く止まずして漸く歎きを止め、涙を押え申し上げるは、
龍野のものでござりまする。本家を譲りました四十近き惣領が、
煩いまして、色々と養生仕りましたれども、
兎角治しがたき病でござりまして、
本復叶いませいで、このころ失いまして、悲しゅうござりまして、
死にました其の日より今日まで、
食事も下されませず、余りを終わる程に歎き悲しみますれば、
残る子供一類共がきのどくに存じまして、
禅師の御目に掛かりて、御示しを受けましたらば、
歎きも少々は止ろう程に、ひらにと進めまする。
私も御目に掛かりまして、この話をも申し上げたらば、
胸の内もはれましょうかと存じまして、子供や一門どもに引き立てられ、
是まで参りました。和尚様の御側にて、悪い事じゃと存じますれども、
どうも涙が留まりませなんだでござりまする。
夫は御免なさりくださりませい。右申し上げまする通り、
惣領の代取と申す、殊に餘所外の衆まで善人じゃと申しまして、
誠に孝行にござりまして、ついに一度腹を立てさせました事もござりませぬに依って、
朝夕嬉しゅう思うて居た所、老の私は、か様に命ながらえまして、
若き者を先立ちまして、身も世もあられぬ程にござりまする。
あわれ御慈悲に、この歎きが止りまする様に願い上げますると云う。
禅師様の御答えに、善人にて孝行ものじゃとほめさっしゃれども、
夫は大ふ孝の悪人と云う物じゃわいの。其の証拠を言う程に、よく聞きやれ。
先そなたに問うには、この度失やった惣領は、いよいよ親にも孝行に、
他人にもよきもので有ったとや。婆の云う、是に、皆兄弟共も居まするが、
親に誠に一度さからいませず、
兄弟共には、よく合点の来る様に言葉和やかに云い聞かせ、
他人まで、よき事に付け、人のために成る事なれば、
身に掛けた様に致してやりましたに依って、世間の人も誉めまして、
只今終わる後には、皆残り多うがりまする事、人の知りました事でござりまする。
禅師云う、そうした事なれば、成る程歎き悲しみやるがもっともじゃ。
また問うには、何と惣領が死なずば、其の様に深く歎き悲しんで、迷いやるまいが。
婆が云う、右申し上げまする通り、孝行に仕りくれました故に、
明け暮れ悦び居ました物が、其の身堅固に居りまするならば、
何しにか様に迷い悲しみましょうと申し上げれば、
禅師則仰るには、すれば息災で居らるるならば、迷い歎きやるまいに、
子が先に立ちて、存生の親に難儀を掛け、歎き迷わし、
諸人までに残多がらす其の子は、悪人の大ふ孝者じゃわ。
さてこの度一大事の場じゃぞや。歎き悲しみ、迷うて三悪道に落ちたれば、
最早二度人界へ生まれ来る事ならぬ程に、
信心を以って、餘所の事を思わずとも、身どもが言う事、よくお聞きやれ。
親の産み付け給ったる仏心を、我が産の子が死んだとて、
歎き迷うて地獄餓鬼畜生の三悪道仕替える事、先そなたも、
先祖親達への大不孝の人じゃわいの。又、子が息災で居たらば、
か程に歎き悲しむまいとおいやるが、其の様に歎き迷わせて、
先祖までの不孝の我が子が、善人と云う物か、悪人じゃわ。
さて悪人の事なれば、地獄へ落ちる外のことはないわいの。
もし又、善人の地獄へ落ちたと云う事を、身どもは聞かぬが、
そなたは聞きやったか。聞きやるまいがの。又、何程歎いても返らぬ事を悔やみ、
くやくやと思わせて、親を畜生道へ落としたる科に依って、
子を地獄へ落とすが親の慈悲かいの。却って悪むと云う物で、
無慈悲じゃわいの。こうした事なれば親は畜生となり、子は地獄の罪人と成るが、
手柄でもないわ。さて又、云わるる通り、善人の孝行成り其の功徳によって、
成仏疑いない子を、そなたの歎きにて、引き戻し地獄へ落とさっしゃるが、
子が可愛いければ、地獄へは落とされはせぬ。何とそうじゃないか。
其の時婆子申しけるは、今日までは、左様の義、如何と存じませず、
歎きましてござりまする。先ず第一には、歎き迷いまして、
私が三悪道へ落ちますれば、先祖への不孝と成りまする事。
第二には、孝行成り善人と申し上げまして、迷い歎きますれば、
我が子を還って不孝の悪人に仕りまする事。第三には、
誠に孝と善との功徳によって、成仏仕りまする我が子を歎き迷いますれば、
引き戻し地獄へ落とすと仰せ聞かされまする事を、
兎に角申し上う様もござりませぬ。御もっとも千萬至極仕りましたと申し上げれば、
禅師又云う、向後嘆きを留め迷いやるまいか。婆の云う、
御示し下されませぬ先は、知りませいで、歎き迷いましたれ。
よく受け合い、決定仕りましたらば、たとい又、迷えと仰せられましても、
迷われは致しませぬ。先ず私が先祖へ不孝の悪人に成りまする。
又、この悪人と成りまするも、元来死にました子故でござりますれば、
親を悪人と成しました科によって、地獄へ落ちまする。
然れば、私が一人の迷いに依って、先祖には不孝と成りまして、
又、子供へ無慈悲となりまする。よく合点仕りましたれば、
迷えと有りても、親子ともに悪人と成りますれば、
迷われませぬ程に、これ以降は、ふつふつ思い切りましょうと申しければ、
禅師云う、其の思案は、悪い事、そなたの、ふつふつ思い切ろうと有りても、
思い切られぬ事じゃわいの。只今この座にては、身どもが側近く居て、
示しをよく合点致されたに依って、思い切ったと云いしゃるが、
中々思い切れぬ事じゃぞいの。又、忘れたことは、忘れぬ事でおじゃる。
抑々子が腹にやどりてより、兎思い角思い案じ、胎内を出てから四十年来、
いとしかわいやとそだていたわりて、愛執骨に徹し居るものが、何と忘れられふ。
又、思い出すまいという事もならぬ。縁に触れて、
ふつふつと、思わずして出て来る物が、思うまいというは不覚、
又、甚だ思う事じゃわいの。然れば、仏心は元来ふ生な物なれば、
其の不生のままに、其の起こる念は、
起こらば起こり次第に取り合わず捨て育てずに置かば、
止むより外はおじゃらぬわいの。其の起こる念は、病と知って其の病を嫌い、
除ふの、忘れふのと思うほど病が煩い、自然とさかんに成る程に、
不生の仏心を物に仕替えぬ様、一切の事に、兎角頓着を離れて、
信心を起こし、仏前に香花燈明を備え、経をよみ、
真言念仏の題目にても唱え、親子諸共に成仏と廻向なされば、
祖父曽祖父子孫迄も、成仏という物じゃわいの。
すれば、死んだ子故に信心者にもならっしゃるれば、
子が身後に親を信心者に仕った功徳と、存生の孝と善とを積たる功徳の力にて、
子の成仏は知れた事、いささかも疑う所はおじゃらぬわいの。
そなたもこの座にて、よく決定めさるれば、今日より仏心にて居りやるに依って、
萬劫億却の活如来というものなれば、永く流転なき事、
歓喜踊躍めされいとの仰せ有りければ、婆は、さてさて有り難き御事かなと、
三拝して立ち退きしと也。』
(後篇六三より)
『大結制の時、丹後、丹波、但馬、出雲、美濃の国より、
あるいは親に離れて愁嘆し、あるいは子どもを失いて嘆きがやまず、
それによって、禅師にまみえたらばむねがはれようと思いて、
国々より来る女儀また多し。
師、その女人のために、示したまいていう。
親は子を失いて嘆き、子は親に離れて悲しむ事、それは、世間一統に、
親子の縁を結びて親となり子となった因縁が深き所で、
親子互いに相離れたらば、そうもあろう事じゃわいの。
しかれども、皆の衆が何ほど嘆きても、死んだ者があとへもどりはしませぬわいの。
そのもどりもせぬ者を、愚痴さに、ひたものと繰り返し繰り返し嘆くが、
もしまた嘆きおおせた人があって、生き返った死人がおじゃるかいの。
ありはしませぬわ。さてそれならが、とても帰らぬ事じゃほどに、
向後すきと嘆きをやめて、その嘆く手間で、一座の座禅をもつとめ、
一遍の念仏、または経をも読み、香華でもとって、
あとを弔うが、親には孝行、子には慈悲というものじゃわいの。
みな愚痴さに、かえって妨げになる事を知らいで、
親がいとおしさに嘆き、子がかわいさに悲しみて、
親や子に嘆きてやるように思うが、嘆けば、かえって死人の妨げになれば、
いとおしいといえども、いとおしいでもなく、
またかわいいといえども、かわいいでものうて、結句、
親や子を憎むというものじゃわいの。親や子が憎くば、
嘆くはず、また、かわゆくば、嘆かぬはずじゃわいの。
すれば、かわいさに嘆くというは、大きな違いじゃわいの。
しかるに、せんなき事を相続して朝夕嘆き、大事のわが身命にかえて、
念に念を重ねて、人のいう事も耳に入らず、手柄でもなき事を、
終日終夜、涙ばかりをこぼして居るは、大きな違い、至極愚痴な事じゃわいの。
愚痴は畜生の因なれば、その愚痴で死ねば、親子ともに、
直に畜生道に落ちて、互いに責め合うという事は、いわいでも知れた事じゃわいの。
人々皆、親の産み付けたもったは、不生の仏心一つばかりで、
餘の物は、産み付けはしませぬわいの。その不生の仏心は、
元来霊明なものじゃに、嘆き悲しみて、
その霊明なものを親子ともに愚痴にしかえくらまして、
皆生きて居るうちからして、内証は、上々の畜生で居るほどに、
死んで後は、直に畜生道に落ちて親子どうし責め合うが、
それが手柄でも有りはせまい。
さて身どもは、それが笑止で嘆かわしいわいの。
そうじゃござらぬか。これをよくお聞きやれ。
子に慈悲を加えるが親の道、また親に孝行をつくすが子の道じゃわいの。
しかるに、子が先に死んで、親を嘆き悲しませて、
親を愚痴の畜生になすが、これが子の孝行であろうか。
大不孝な子というものじゃわいの。その死んだ不孝な子が、
親を畜生道へ落として、その子の未来が安かろうと思いやるか。
やすうはおじゃらぬわいの。親子どうし、悪道に組んで落ちるより外の事はないわ。
さてまた、親はせんなき事を、くいくいと、ひたもの悲しみて、
子ゆえに迷うて、その身が畜生になりて、かわいという子を地獄へ落とす。
これが親の慈悲であろうか。子を憎むというものじゃわいの。
すれば、子が死んで親を畜生になせば、大不孝者じゃわいの。
また親は、その子に迷うて、仏心を畜生にしかえるによって、
親子相互に地獄に落ちて、怨敵となって、責め合い、
地獄の罪人となりまするわいの。
それなれば、子を失いても、親に離れても、
念に念を重ねて嘆けば怨となるほどに、そのあだを顧みず、
嘆こうようは、なきはずじゃわいの。これでも嘆かれようか、
嘆かれはせまいほどに、その嘆きの代わりに、一遍の経をも読み、
また一座の座禅をも勤めて、香華をも取って、その人のあとをもとむらうが、
これこそ、まことに死んだ人をいとおしいと思い、
またかわいと思うというものじゃわいの。子を失い、
また親に別れてから信心のおこった人も、信心を出かし、
志を起こして後生願いとなれば、子を失いたるがゆえに信心者になってあれば、
これは子に親が救われたというものじゃわいの。
すれば、子は死んで親を信心者になしたれば、
かえって死んだが幸いとなりて、生きて居るよりは、
まさって親へ大孝行をつくすというものじゃわいの。
その大孝行をつくして、親を救うた子が、死んだ後のあしかろうと思いやるか。
あしうはないわ。さてすれば、親子ともに助かるというものじゃわいの。
子ゆえに、親が信心を出かして不生の仏心で居れば、子が死んで、
結句めでたいというもので、子は親のために、知識というものじゃわいの。
皆の衆が、寒気の時節に、遠路の所を、
身どもに会うて思いをはらそうと思うてここへござった事は、
奇特に思いまするわいの。したほどに、遠路をござった甲斐の有るようにして、
皆の衆が国もとへ帰るようにめさるるが、人々の徳でござるわいの。
何ほどか悲しき事を、身どもに会うて、むねをはらそうと思うてござった事じゃほどに、
悲しみを国々へ持っていなずとも、ここに置いて帰るようにめされい。
身どもがいう事を、とっくりと、よく合点めされば、
悲しめばあだになると知っては、悲しまれぬはずじゃわいの。
もしそれとも、嘆かずに居られぬという人があらば、
その人は、仏心を愚痴にしかえて居るほどに、
子は親を愚痴にしかえさせたとがによって地獄に落ち、
また親は、子ゆえに迷うて仏心を愚痴にしかえれば、
親子ともに、畜生道に落ちて責め合うというものじゃわいの。
これでは、皆の衆に嘆けというてすすめてが有っても、
嘆かれはせぬはずじゃが、何と、これでも嘆かれようかとあれば、
国々より愁嘆有りて、示しを聞きに来て、座に連なる女人大ぜいありけるが、
皆々残らず申し上げるは、なるほど至極得度つかまつりて、
すきと思いのむねがはれ切りまして、有りがとう存じまするという。
師、またいう。それなれば、この門を出て、国々へ帰りても、
その通りで有ろうか。女人衆のいう。嘆きまするは、
いとおしさ、かわいさの余りにこそ嘆きますれ。
御示しをとくとうけたまわり、とくと得度つかまつりて嘆きますれば、
あだとなりて、死人を憎むと申すもので、かわい、
いとおしいというものではござりませずに、
死人のあだを出かしまするほどに、
嘆きて死人のあだを出かしましょうようはござりませぬ。
それを存じませいで、不覚な事を思いましたほどに、
この座では申し上げるに及ばず、われわれの国もとに帰りまして、
毎日の御説法に、不生の仏心は霊明なものと、御示し下されまして、
聞きうけましたからは、親には離れたとも、離れぬとも、
また子どもは、失いましたとも、失わぬとも、
不生で居まして、仏心を嘆きにしかすえままいと存じたてまつりまする。
たとい嘆けとすすめてがござりましょうとも、自分以後、
すきと嘆きますまいと申し上げて、皆老若の女中、故郷へ帰りしなり。』
(後篇六四より)