私自身の体験から

 1.少年時代
私は、ごく普通に育ちました。3人兄弟の真中で、小
学校も中学校も公立でした。成績は真中よりは上の
ようでした。受験のとき以外はあまり勉強もせず、今
よりもずっと緑豊かであった東京の一角で、友達と良
く遊んだものです。おかげで足を2回骨折し、擦り傷な
どもよく作ったものでした。
 2.高校時代(変化)
高校は都立で、この頃から、試験がなくても勉強する
ようになりました。成熟しつつある身体と、まだまだ未
熟な心がアンバランスで、思い出すのも恥ずかしいよ
うなこともあったものです。
丁度、高校2年の夏休み(16才)、妙な気分に襲われ
たことがありました。それは、物事を気にすることが気
になったり、人間は無意識のときって一体何を考えて
いるのだろうか?等といったことです。それは、一過
性のものではなく、ずっと心から消えずに続いていま
した。ただ、勉強に支障はなく、日常生活も普通に出
来るので。特に人に相談することもありませんでした。
 3.大学時代(苦悩の時代)
受験戦争(当時はまだこういう言葉があった)を経験
して東京の私立大学に入学した私は、高校までの環
境とのあまりの違い、自由過ぎるほどの生活に、自分
の生活を乱してしまいました。それとともに、私の心に
は迷いや苦悩が次々起ってきて苦しくなる一方でした
。学校内にあった学生相談室へ相談に行ったこともあ
りましたが、理解されず「誰にでも悩みなどあるので気
にしないようにするといい」とアドバイスされても何の
解決にもなりませんでした。
今にして思うと、守護の神霊方が、私に修行させよう
として苦しみを与えられたのだと思っています。医者
に相談しようが、誰に相談しようが解決できる苦悩で
はなかったのです。要は、「もっと真剣に自分のこころ
とか人生の意味を行じなさい」という守護の神霊方の
メッセージであったようです。でも、その頃は、「こころ
」なぞ真剣に考えたことも無かったし、「人生」といった
って、死ねば全て無くなるんだから、自分の好き勝手に生き
ていったって文句を言われる筋合いなぞ無い、と考えており
守護の神霊方の思惑とは遠く離れた心境であったわけです
。大学時代は消長はあれ同じ悩み苦しみにもがきつづけま
した。勉強しているときにもそれらが湧いてきて、随分能率
が落ちました。それでも、仲間の中では、頼られる存在だっ
たのですから、懸命に勉強したということでしょう。今から考
えると、あんなに苦しくてよく自殺をしなかったな、と感心す
る次第です。面白いのは、苦しみがあまりにも深くなってそ
れが数日続き「もう駄目だ」と、最後の諦めをすると、翌日
はそれまでの苦悩が嘘のように軽くなることが間々あった
ことです。きっと守護の神霊が「苦しめることだけが目的で
はない。本人の忍耐を超えるような苦痛は背負わせない。
」とお考えになり、楽にしてくださったのだと思います。
大学4年の卒業間近、橋本ぎょう(漢字を忘れました)胤
というお坊さんが書かれた「仏教の人間観」という本を、
手にしました。それまで、どんなに苦しくても線香くさい宗教
にだけは救いを求めなかったのです。読んでみると、これ
まで学校で続けてきたどんな勉強よりも、心が潤ったことを
覚えています。「もしかしたら今の苦しみは宗教が解決して
くれるかもしれない。」そう思った私は、書店の宗教書のコ
ーナーで「業と宿業」という本を買い、読みました。「業」とい
う言葉は生まれて初めて聞いた言葉でしたが、「だいたい
あんな意味だろう」と見当がついたのが不思議でした。それ
と私と同じ苦しみを経験した人の手記が綴られた本を、卒
業式の帰りに縁の本屋で見つけ「卒業記念」として購入した
ものです。でも、学校は卒業でしたが、人生の勉強はその
ときがスタートみたいなものでした。
 4.社会人に(修行の始まり)
その本を読むと「自分だけではなかった。同じ苦しみを持っ
た人たちがいたのだ。」と思うだけで、安心感が心に広がり
、何度も繰り返し読んだものでした。しかし、読んだだけで
は「最後のところ」がわからず、「限界」を感じました。でも、
「こころ」とか「人生」というものを漠然と意識し、心が洗われ
る気がして「救い」を感じたものです。
 5.生命の実相(心の法則を知る)