衡山のひとりごと














































2026年06月23日
自分の中では自分の文字が完成に一番近づいていると感じております。
今は全ての文字が自分の思いと一つになって書き上げる事が出来ている事が幸せを感じております、自分のやってきた事が形になる所までこれたのもただ時間をかけた結果だとつくづく実感致しております。
長く書道と言う世界で一人楽しめたのも幸せな人生だったと感じておりますが、自分のすべてになるものと出会えて人生を共に出来ましたのは偶然出会ったかも分かりませんが、普通ここまでの幸せを感じる事が出来ましたのも出会えた方々との一期一会だと感謝いたしております。
今の衡山の文字も皆さんに与えて頂いたのかも分かりません。

2026年05月24日
良くても悪くても自分の形を作ると言うことから始めましたが、自分らしさは出来上がってきていると思います。何百とあった自分なりの筆の使い方表現が今のところ2つに収まり2つを使い分けるという形に収まって来ましたがいい加減これで最終となればと考えております、今のところは何百と会ったものが2つであれば良しと言うことで後は何も考えずに書けるようになるまで反復練習が有るのみだと。

2026年04月24日
私は何と言っても明治時代や大正のころにご活躍された先生の文字が大好きです。
なので文字としてではなく筆の使い方をその時代の物に絞って練習を致しておりました、凄く遠回りをしたとは思っておりますが自分の理想に近いものが書けるようになって満足度が上がっております古臭いとお叱りを頂いても今の自分の書き方が心地よいので有難いです。

2026年03月30日
お習字の書き方も色々とあると思うのですが最終的には自分の一番書きやすい居心地の良い書き方で良いのではと思っております、筆のどこを持とうが指先で持っても掌で握りこんでも人が何と言おうと自分が良ければ好き勝手に書けば良いと思います。
度の道人は言うことも聞いてくれないものですがそれでも自分以外は誰も困らないと。
自分の書き方を押し通して頂きたいと衡山もそのように致して来ておりますので好きなようにするのが一番です、但し競書も試験も展覧会も全て良い方向に行くことは無いと思いますがそれでも自分の好きなようにして気になりだしたら少しづつ変えていかれれば良いかと究極其処になるのでは無いでしょうか。
お習字は楽しむものであって人と競うのは序でにでも良いのではないでしょうか。