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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

1972年(昭和47年)6月17日建立。 合祀者218柱。(1)

第五三一海軍航空隊慰霊碑

碑文

第九三四海軍航空隊碑文

隊歴(2)

年月日履歴
1943年(昭和18年)7月1日第五三一海軍航空隊は呉鎮守府所管の常設飛行隊として、館山基地で開隊。第十二航空艦隊第二十四航空戦隊に編入。 定数は艦上攻撃機36機(補用9機)
1943年(昭和18年)9月1日第二基地航空部隊第二十二空襲部隊に部署され、本州東方作戦、戦力練成を下令される。 第二基地航空部隊指揮官は、第一警戒第二配備を下令、攻撃待機をしたが、夕刻、待機を解く。
1943年(昭和18年)9月2日攻撃待機をしたが、午後、待機を解く。
1943年(昭和18年)9月3日攻撃待機をしたが、敵情なく、警戒配備を解く。
1943年(昭和18年)11月8日五三一空の艦上攻撃機「天山」12機は、ラバウル進出を下令される。
1943年(昭和18年)11月10日天山12機が館山発。 硫黄島、テニアン、トラック経由でカビエンに向う。
1943年(昭和18年)11月14日天山12機が館山発。 硫黄島、テニアン、トラック経由でカビエンに向う。カビエンに進出。 第五八二航空隊に編入、第六空襲部隊に部署される。
1943年(昭和18年)11月22日五三一空の所属する第二十四航空戦隊は第二基地航空部隊から除かれ内南洋方面部隊に編入される。
1943年(昭和18年)11月23日五三一空の所属する第二十四航空戦隊は内南洋方面航空部隊第四十四空襲部隊に部署され、マーシャル諸島ルオットに進出を下令される。
1943年(昭和18年)11月24日五三一空の艦上攻撃機20機は陸上攻撃機4機とともにマロエラップに配備となり、ルオットから移動。
1943年(昭和18年)11月28日五三一空の天山12機、輸送機4機が館山発、硫黄島、テニアン、ブラウン経由でルオットに向う。
1943年(昭和18年)12月2日五三一空の天山9機がルオットに進出。 天山9機が館山発、ルオットに向う。
1943年(昭和18年)12月3日五三一空の天山3機がルオットに進出。
1943年(昭和18年)12月4日五三一空の天山1機がマロエラップからギルバート諸島マキン島を偵察。
1943年(昭和18年)12月5日アメリカ機動部隊がマーシャル諸島に来襲。 ウォッゼでは艦上攻撃機3機が炎上。 五三一空の天山9機が館山発、ルオットに向う。
五三一空の天山9機が、0630ウォッゼ発進、マロエラップで雷装、0830アメリカ機動部隊の攻撃に向うが、0940以降消息を絶ち、全機未帰還。
1943年(昭和18年)12月11日五三一空の基地員30名、物件30トンを搭載した航空母艦「瑞鳳」は横須賀発。
1943年(昭和18年)12月13日五三一空の天山5機がルオットに進出。
1943年(昭和18年)12月17日瑞鳳はトラック着、基地員および物件を巡洋艦「那珂」に移載。
1943年(昭和18年)12月18日五三一空の天山4機と輸送機1機が館山発、ルオットに向うが、同行の輸送機は19日、硫黄島を発進後、海上に不時着し行方不明となる。
1943年(昭和18年)12月19日巡洋艦「那珂」はトラック発、ルオットに向う。 
1943年(昭和18年)12月22日巡洋艦「那珂」がルオット着。 基地員30名と物件を揚陸。 この頃五三一空はマロエラップからウォッゼに異同。
1943年(昭和18年)12月24日五三一空の天山1機がマキン島を黎明偵察。
1943年(昭和18年)12月25日五三一空の天山3機がマキン島を黎明攻撃。 2機未帰還、1機不時着。
1943年(昭和18年)12月28日五三一空の天山4機が隊本部とともにウォッゼに到着。
1944年(昭和19年)1月30日アメリカ機動部隊がマーシャル諸島に来襲。 五三一空の3機が機動部隊発見を報告。 ウォッゼには述べ220機が来襲し、所在の天山10機が破壊される。
1944年(昭和19年)2月5日五三一空の搭乗員3名は 夜間、飛行艇に収容されトラックに後退。 別の飛行艇に収容された20名は、帰途、トラック東北東約150浬のミント礁南方に不時着。 全員行方不明。
1944年(昭和19年)2月20日五三一空は解隊となる。 司令部はルオットで玉砕。 司令以下本部と基地員は、所在の第六十四警備隊に仮入隊。

参考資料

  1. 梶本光義(編集責任者).呉海軍墓地誌海ゆかば:合祀碑と英霊.呉海軍墓地顕彰保存会,2005,p120
  2. 渡辺博史編.空の彼方―海軍基地航空部隊要覧―(二).名古屋,楽學庵,2009,p591-592

注記

碑文の複製にあたっては、字体および配置を極力合わせるようにしたが、使用している環境の限界により、一部相違しているものがある。