1983年(昭和58年)11月20日建立。 合祀者502柱。(1)
運送艦「間宮」
復刻版間宮羊羹
「間宮」は大正12年度計画で建造された、日本海軍初の給糧艦である。 新鮮な糧食は、長期行動中の将兵の士気と健康を支えるものであるが、創設期の日本海軍にあっては、適当な貯蔵施設がなかったため、食品は乾物や塩蔵物によるほかなかった。 大正期に入ると、食料品の冷蔵・冷凍技術が急速に発展し、「間宮」はこれらを取り入れた給糧艦として建造された。 18,000名に対する3週間分の生糧品の搭載能力のほか、アイスクリームや羊羹などの嗜好品の製造工場まで設けられていた。 また、限定的ながら、病院および工作施設をもち、無線検知艦としての能力も付与されていた。(2)
艦名は海峡名で、間宮海峡にちなむ。 樺太北部とシベリア東岸との間にある海峡で、最狭部の幅は7.4kmである。 間宮の名称は、1809年に間宮林蔵が踏査したことによる。(3)
完成時 | |
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艦種 | 給糧艦 |
建造所 | 川崎造船所 |
基準排水量 ※1 | 15,820トン |
垂線間長 | 144.78m |
最大幅 | 18.59m |
喫水 | 8.43m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(石炭専焼)8基 |
主機 | 直立式3気筒3段膨張レシプロ蒸気機械2基 |
推進器軸 | 2軸 |
出力 | 10,000馬力 |
速力 | 14ノット |
燃料 | 石炭:3,350 重油:2,100トン(補給用を含む) |
航続力 | ? |
乗員 | 283名 |
兵装 | 50口径三年式14cm単装砲2基 40口径三年式8cm単装高角砲2基 |
搭載能力 | 生糧品 (18,000名に対する3週間分) |
その他 | 1944年10月10日現在の機銃装備数は以下 九六式25mm3連装機銃2基 同連装機銃1基 同単装機銃4基 九三式13mm単装機銃2基 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1922年(大正11年)7月15日 | 川崎造船所において起工。 |
1923年(大正12年)7月15日 | 進水。 |
1924年(大正13年)7月15日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 |
1938年(昭和13年)2月15日 | 連合艦隊附属に編入。 |
1941年(昭和16年)12月12日 | 呉発。 |
1941年(昭和16年)12月19日 | パラオ着。 糧食配給。 |
1942年(昭和17年)1月3日 | パラオ発。 |
1942年(昭和17年)1月11日 | 呉着。 糧食搭載。 |
1942年(昭和17年)1月25日 | 呉発。 パラオ、ダバオ、高雄、タラカンへの糧食配給に従事。 |
1942年(昭和17年)4月8日 | 呉着。 以後、1943年(昭和18年)9月までに、内地〜トラック間を10往復して糧食配給に従事。 |
1943年(昭和18年)10月9日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)10月12日 | 父島西南西でアメリカ潜水艦「セロ (Cero,)」の雷撃をうけ損傷、航行不能となる。 |
1943年(昭和18年)10月18日 | 朝風丸に曳航されて、佐伯着。 |
1943年(昭和18年)10月19日 | 呉に曳航され、修理。 |
1944年(昭和19年)3月18日 | 呉発。 |
1944年(昭和19年)3月23日 | 横須賀着。 |
1944年(昭和19年)3月31日 | 横須賀発。 東松四号船団とパラオに向かう。 |
1944年(昭和19年)4月13日 | パラオ着。 |
1944年(昭和19年)4月19日 | パラオ発。 |
1944年(昭和19年)4月27日 | 高雄着。 |
1944年(昭和19年)4月30日 | 基隆へ回航。 |
1944年(昭和19年)5月2日 | 基隆発。 |
1944年(昭和19年)5月6日 | 五島列島南方でアメリカ潜水艦「スピアフィッシュ (Spearfish) 」の雷撃をうけ損傷、航行不能となる。 |
1944年(昭和19年)5月8日 | 海威に曳航されて、佐世保着。 修理。 |
1944年(昭和19年)10月24日 | 呉発。 高雄、サイゴン方面への補給に従事。 |
1944年(昭和19年)12月20日 | サイゴンからフィリピン方面に補給の途中、南支那海東沙島西方でアメリカ潜水艦「シーライオン (Sealion) 」の雷撃をうけ沈没。 |
1945年(昭和20年)2月10日 | 除籍。 |
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