1989年(平成元年)9月22日建立。(1)
香取型練習巡洋艦
「鹿島」は香取型練習巡洋艦の2番艦である。 日本海軍は士官候補生の遠洋航海に旧式化した巡洋艦等を充当していた。 大正期以降は日露戦時の装甲巡洋艦が練習艦任務に就いていた。 昭和期に入ると、老朽化や他用途への転用で、1935年(昭和10年)以降、練習艦として使用できるのは、「磐手」と「八雲」の2隻となっていた。 この間、5,500トン型巡洋艦の転用も計画されたが、実施には至らなかった。
このため、昭和十三年度計画で2隻の練習巡洋艦が建造されることとなった。 香取型練習巡洋艦は、教育上の配慮から主砲、高角砲、魚雷発射管、射出機等の各種兵装が施され、機関も蒸気タービンとディーゼルの併用とされた。 艦型は、遠洋航海で海外を訪問することから、外形の威厳を保つように要求され、長官公室などは儀礼上、豪華な装飾が施されていた。 しかしながら、予算の関係で船体構造は商船構造に近いものとされ、速力も18ノットに抑えられた。
1940年(昭和15年)5月31日に竣工した「鹿島」は、1番艦「香取」とともに昭和十五年度の少尉候補生練習航海に用いられたが、当時の情勢では欧米への航海は不可能で、中支方面の行動にとどまった。 1941年(昭和16年)12月1日、第四艦隊旗艦となった「鹿島」は、海戦後のラバウル、カビエン、モレスビー攻略に参加、その後はトラックにあって内南洋方面の警備にあたった。 1943年(昭和18年)12月1日、呉練習戦隊に編入された「鹿島」は、内海西部で訓練任務に従事する他、沖縄、台湾方面への輸送任務にも従事した。
1944年(昭和19年)12月〜翌年1月にかけて、対潜掃蕩部隊の旗艦とする改装工事が実施された。 魚雷発射管の撤去とその跡への高角砲装備、機銃の増備、爆雷投射機および投下軌条の装備等が行われた。 その後は、上海、鎮海方面で船団護衛、対潜掃蕩に従事、終戦時には無傷で残存していた。 終戦後は特別輸送艦として復員輸送に従事した後、川南工業香焼島造船所(現・三菱重工業長崎造船所香焼工場)で解体された。(2)
艦名は神社名。 鹿島神宮(鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市にある神社。 御祭神は「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)」。 創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼるといわれる。(3)
新造時 | 対潜掃蕩艦改造時 1945年2月 | |
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艦種 | 練習巡洋艦 | |
建造所 | 三菱重工横浜造船所 | |
基準排水量 ※1 | 5,890トン | |
公試排水量 ※2 | 6,300トン | |
垂線間長 | 123.5m | |
水線長 | 129.77m(公試状態) | |
全長 | 133.50m | |
最大幅 | 15.95m | |
喫水 | 5.75m(公試状態) | |
主缶 | ホ号艦本式水管缶(重油専焼)3基 | |
主機 | 艦本式オール・ギヤード・タービン2基 艦本式22号10型内火機械2基 | |
推進軸 | 2軸 | |
出力 | 8,000馬力 | |
速力 | 18.0ノット | |
燃料 | 重油:600トン | |
航続力 | 12ノットで7,000浬 | |
装甲 | なし | |
兵装 | 50口径三年式14cm連装砲2基 40口径八九式12.7cm連装高角砲1基 九六式25mm連装機銃2基 5cm礼砲4門 53cm六年式連装発射管2基 | 50口径三年式14cm連装砲2基 40口径八九式12.7cm連装高角砲3基 九六式25mm3連装機銃4基 九六式25mm連装機銃2基 九六式25mm単装機銃18基 爆雷投射機8基 爆雷投下軌条2基 爆雷100個 |
射出機 | 呉式二号五型1基 | |
航空機 | 水上偵察機1機(定数) | |
乗員 | 乗員315名 候補生275名 | |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
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1938年(昭和13年)10月6日 | 三菱重工横浜造船所において起工。 |
1939年(昭和14年)9月25日 | 進水。 |
1940年(昭和15年)5月31日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 |
1940年(昭和15年)6月1日 | 練習艦隊に編入。 |
1940年(昭和15年)8月31日 | 少尉候補生練習航海で大連発。 中支方面行動。 |
1940年(昭和15年)9月8日 | 佐世保着。 |
1940年(昭和15年)11月15日 | 第四艦隊第十八戦隊に編入。 |
1941年(昭和16年)2月5日 | 須崎発。 南洋方面行動。 |
1941年(昭和16年)4月13日 | 呉着。 |
1941年(昭和16年)5月25日 | 横須賀発。 南洋方面行動。 |
1941年(昭和16年)9月4日 | サイパン着。 |
1941年(昭和16年)9月9日 | サイパン発。 |
1941年(昭和16年)9月13日 | トラック着。 |
1941年(昭和16年)10月1日 | トラック発。 |
1941年(昭和16年)10月8日 | トラック着。 |
1941年(昭和16年)11月13日 | トラック発。 |
1941年(昭和16年)11月14日 | サイパン着。 |
1941年(昭和16年)11月18日 | サイパン発。 |
1941年(昭和16年)11月20日 | トラック着。 |
1941年(昭和16年)12月1日 | 第四艦隊旗艦となる。 全作戦支援。 |
1942年(昭和17年)1月18日 | 鹿島陸戦隊、ラバウル、カビエン攻略に参加。 |
1942年(昭和17年)2月20日 | トラック発。 索敵。 |
1942年(昭和17年)2月28日 | トラック着。 警泊。 |
1942年(昭和17年)5月1日 | モレスビー作戦支援のためトラック発。 |
1942年(昭和17年)5月4日 | ラバウル着。 |
1942年(昭和17年)5月13日 | 作戦中止となりラバウル発。 |
1942年(昭和17年)5月14日 | カビエン着。 同日、カビエン発。 |
1942年(昭和17年)5月16日 | トラック着。 警戒警備。 |
1942年(昭和17年)7月19日 | 司令部を陸上に移転。 |
1942年(昭和17年)7月20日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)7月26日 | 呉着。 入渠準備。 |
1942年(昭和17年)8月1日 | 入渠。 |
1942年(昭和17年)8月26日 | 出渠。 同日、呉発。 |
1942年(昭和17年)9月3日 | トラック着。 警戒警備。 |
1942年(昭和17年)11月17日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)11月20日 | クェゼリン着。 |
1942年(昭和17年)11月24日 | ルオット発。 |
1942年(昭和17年)11月25日 | ヤルート着。 |
1942年(昭和17年)11月29日 | ヤルート発。 |
1942年(昭和17年)12月2日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)4月8日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)4月15日 | 呉着。 |
1943年(昭和18年)4月21日 | 入渠。 |
1943年(昭和18年)4月27日 | 出渠。 整備作業、所定訓練。 |
1943年(昭和18年)5月19日 | 呉発。 |
1943年(昭和18年)5月21日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)5月24日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)5月29日 | トラック着。 整備作業。 |
1943年(昭和18年)8月27日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)8月30日 | クェゼリン着。 警泊。 |
1943年(昭和18年)10月13日 | クェゼリン発。 同日、ルオット着。 |
1943年(昭和18年)10月19日 | クェゼリンへ回航。 |
1943年(昭和18年)11月5日 | クェゼリン発。 |
1943年(昭和18年)11月8日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)11月10日 | 呉鎮守府警備艦となる。 |
1943年(昭和18年)11月18日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)11月25日 | 呉着。 |
1943年(昭和18年)12月1日 | 呉鎮守府部隊呉練習戦隊に編入。 |
1943年(昭和18年)12月16日 | 呉工廠に入渠。 |
1943年(昭和18年)12月21日 | 呉工廠を出渠。 |
1944年(昭和19年)1月6日 | 呉工廠に再入渠。 |
1944年(昭和19年)1月12日 | 呉工廠を出渠。 |
1944年(昭和19年)1月23日 | 兵学校生徒の練習艦となり、内海西部で訓練任務に従事。 |
1944年(昭和19年)5月15日 | 呉工廠に入渠。 |
1944年(昭和19年)5月26日 | 呉工廠を出渠。 |
1944年(昭和19年)7月14日 | 下関発。 沖縄輸送に4回従事。 |
1944年(昭和19年)9月1日 | 呉着。 内海西部で訓練任務に従事。 |
1944年(昭和19年)9月18日 | 呉発。 第二航空艦隊の人員物件輸送。 |
1944年(昭和19年)9月20日 | 鹿児島着。 |
1944年(昭和19年)9月22日 | 鹿児島発。 |
1944年(昭和19年)9月25日 | 基隆着。 |
1944年(昭和19年)10月1日 | 呉着。 |
1944年(昭和19年)10月12日 | 呉発。 前回と同じ輸送に従事。 |
1944年(昭和19年)10月28日 | 呉着。 内海西部で訓練任務に従事。 |
1945年(昭和20年)2月12日 | 門司発。 船団護衛。 |
1945年(昭和20年)2月18日 | 上海着 |
1945年(昭和20年)2月22日 | 舟山島方面で対潜掃蕩に従事。 |
1945年(昭和20年)3月13日 | 上海、定海方面で対潜掃蕩に従事。 |
1945年(昭和20年)3月19日 | 舟山島方面で対潜掃蕩に従事。 |
1945年(昭和20年)6月30日 | 鎮海着。 以後、同方面で対潜掃蕩に従事。 |
1945年(昭和20年)7月10日 | 鎮海発。 同方面で船団護衛に従事。 |
1945年(昭和20年)8月22日 | 呉着。 |
1945年(昭和20年)10月5日 | 除籍。 その後、復員輸送艦となる。 |
1946年(昭和21年)11月26日 | 解体。 |
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