1896年(明治29年)5月建立。 合祀者37柱。(1)
この碑は亀山神社境内にに建立されていたものを現在地に移設したものである。
碑文は「芸備碑文集 上巻」(2)に依った。 これによると、沈没が12月31日となっているが、海軍の記録は12月21日となっている。
清国が広東沿岸防御用に建造した小型巡洋艦である。 広東水師の所属であったが、北洋水師の演習中に日清開戦を迎え従軍した。 黄海海戦に参加後、威海衛で降伏し日本艦籍に編入されたが、9ヵ月後に座礁沈没して失われた。(3)
艦名は清国広東水師の基準により、所属艦に「廣」の字を冠し、これに十干の「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」を配したもので、艦名としては意味はない。(4)
艦種 | 巡洋艦 |
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建造所 | 馬尾造船政廠(清国/福州) |
常備排水量 ※1 | 1,000トン |
垂線間長 | 80.47m |
水線最大幅 | 8.03m |
喫水 | 3.51m |
主機 | 横置型連成レシプロ蒸気機械2基、2軸 |
主缶 | 円缶(石炭専焼) |
出力 | 1,200馬力 |
速力 | 17.0ノット |
燃料 | 石炭:120トン |
航続力 | |
乗員 | |
兵装 | 40口径安式12cm単装砲3基 47mm単装砲4基 15mm機銃4基 38cm水上発射管4門 |
装甲 | 甲板25mm |
その他 | 日本軍艦籍編入時 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1891年(明治24年) | 馬尾造船政廠(清国/福州)において進水。 |
1892年(明治25年) | 竣工。 清国広東水師所属巡航艦。 |
1894年(明治27年)9月17日 | 日清戦争。 黄海海戦後に西京丸と交戦。 |
1895年(明治28年)2月17日 | 威海衛で降伏。 |
1895年(明治28年)3月16日 | 日本艦籍に編入。 |
1895年(明治28年)12月21日 | 澎湖島南岸で座礁沈没。 |
1896年(明治29年)2月18日 | 除籍。 |
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