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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

1898年(明治31年)7月23日建立。 合祀者3柱。

本碑は、1897年(明治30年)11月26日 台湾方面警備に従事中に発生した船艙火災による殉職者の慰霊碑である。(1) この碑は亀山神社境内に建立されていたものを現在地に移設したものである。

軍艦天龍遭難死者紀念碑

碑文

碑文は「芸備碑文集 上巻」(2)に依った。

軍艦天龍遭難死者紀念碑

軍艦天龍について

倒幕により成立した明治政府は、国力を充実させるために富国強兵政策の一環として海軍力の整備に乗り出し、1878年(明治11年)〜1889年(明治22年)にかけて、「天城」、「海門」、「天龍」、「葛城」、「大和」、「武蔵」、「高雄」の7隻を、横須賀造船所と小野浜造船所で建造した。 「天龍」は「海門」の拡大型として計画され、12cmクルップ砲を6門から4門に減じた代わりに15cmクルップ砲1門を搭載した。 この他、多くの改正が加えられたため、重心が上昇し、復原性が悪化したので、水線部にパルジを装着し、船体を約1m延長して就役した。(3)

艦名

艦名は河川名。 天竜川は、長野県の諏訪湖にその源を発し、南アルプスと中央アルプスから流れる支川を集めながら伊那谷を流れ、飯田市の天竜峡より山間部に入り、佐久間ダムなど発電ダム、天竜市鹿島地先を過ぎると浜松の広い平野を経て遠州灘に注ぐ、幹川流路延長213km、流域面積5,090km2の河川である。(4)

要目(3)(5)

艦名天龍(初代)
艦種スループ
艦型3檣バーク型
船質
建造所横須賀造船所
常備排水量 ※11,547トン
垂線間長67.36m
水線最大幅9.75m
喫水4.95m
主機横置還動式2気筒連成レシプロ蒸気機械1基、1軸
主缶円缶(石炭専焼)4基
出力1,260馬力
速力12ノット
燃料石炭:256トン
航続力
乗員214名
兵装25口径克式17cm単装砲1基
25口径克式15cm単装砲1基
25口径克式12cm単装砲4基
克式7.5cm単装砲1基
諾式25mm4連装機砲4基
装甲
その他新造時

※1:英トン(1.016メートルトン)

軍艦天龍艦歴

年月日履歴
1878年(明治11年)3月5日横須賀造船所において起工。
1883年(明治16年)3月5日進水。
1885年(明治18年)3月5日竣工。
1888年(明治21年)6月16日〜1891年(明治24年)10月12日兵学校練習艦。
1894年(明治27年)7月13日〜1895年(明治28年)5月2日日清戦争。 遼東半島、威海衛攻略。
1898年(明治31年)3月21日三等海防艦に類別。
1904年(明治37年)1月14日〜1905年(明治38年)6月21日日露戦争。 神戸港警備に従事。
1906年(明治39年)10月20日雑役船。
1911年(明治44年)12月21日廃船。

参考資料

  1. 梶本光義(編集責任者).呉海軍墓地誌海ゆかば:合祀碑と英霊.呉海軍墓地顕彰保存会,2005,p60
  2. 桜井 照登編.芸備碑文集 上巻.広島,友田誠真堂,1921年,p302-303
  3. ab日本巡洋艦史.東京,海人社,1991,p15,世界の艦船.No.441 1991/9増刊号 増刊第32集
  4. 日本の川 - 中部 - 天竜川 - 国土交通省水管理・国土保全局.https://www.mlit.go.jp/river/toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/0505_tenryu/0505_tenryu_00.html.2021年2月12日確認
  5. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p37
  6. 前掲.日本巡洋艦史.p185