1974年(昭和49年)10月12日建立。 合祀者632柱。(1)
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二等巡洋艦「阿賀野」
「阿賀野」は阿賀野型巡洋艦の1番艦である。 阿賀野型巡洋艦は川内型巡洋艦の最終艦「那珂」[1925年(大正14年)11月30日竣工]以来途絶えていた、水雷戦隊旗艦用として計画された。 主砲は15.2cm砲6門とされ連装砲塔3基に収められた。 5,500トン型の14cm単装砲7門よりは強化されているが、他国の軽巡洋艦に対しては優勢とは言いがたかった。 対空火力は65口径8cm連装高角砲2基と25mm3連装機銃2基と貧弱なものであったが、阿賀野の場合、機銃の増備はされないまま戦没した可能性が高い。 水雷兵装は61cm4連装発射管2基と次発装填装置が装備され、夕雲型駆逐艦と同等の強力な雷装が施されていた。 航空兵装は射出機1基と水上偵察機2機とされ、5,500トン型巡洋艦に比べて格段に強化されている。
「阿賀野」は1942年(昭和17年)10月31日に竣工、11月には第十戦隊旗艦となりトラックに進出した。 しかしながら、阿賀野型計画時に想定されたような、駆逐隊を率いての戦闘は生起せず、主として輸送と警備任務に就いていた。 1943年(昭和18年)11月2日のブーゲンビル島沖海戦では、雷撃戦の機会に恵まれたが、敵艦を撃沈するには至らなかった。 その後はラバウルからタロキナ岬北方への陸軍部隊逆上陸を支援した。 11月11日、ラバウルで空襲を受け損傷したため、トラックへ回航したが、その途中にアメリカ潜水艦「スキャンプ (Scamp) 」の雷撃により損傷、航行不能となった。 僚艦に曳航されトラックに入港、工作艦「明石」により応急修理が行われた。 1944年(昭和19年)2月15日、応急修理を終えた阿賀野は佐世保へ向けてトラックを出港したが、16日にアメリカ潜水艦「スケート (Skate) 」の雷撃により航行不能となり、17日に沈没した。(2)
艦名は河川名。 阿賀野川は、栃木県藤原町と福島県岩館村の境にある荒海山にその源を発し、山間部から会津盆地に入り、猪苗代湖から流下する日橋川等の支川や阿賀野川水系最大の支川である只見川を合わせて、新潟県に入る。 以後、五泉市馬下より新潟平野に出て、新潟市松浜において日本海に注ぐ、幹川流路延長210km(阿賀野川水系全体)/87km(阿賀野川)、流域面積7,710km2(阿賀野川水系全体)/1,660km2(阿賀野川)の河川である。(3)
艦名 | 阿賀野 |
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新造時 | |
艦種 | 二等巡洋艦 |
建造所 | 佐世保海軍工廠 |
基準排水量 ※1 | 6,652トン |
公試排水量 ※2 | 7,710トン |
垂線間長 | 162.0m |
水線長 | 172.0m(公試状態) |
最大幅 | 15.20m |
喫水 | 5.63m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)6基 |
主機 | 艦本式オール・ギヤード・タービン4基 |
推進軸 | 4軸 |
出力 | 100,000馬力 |
速力 | 35.0ノット |
燃料 | 重油:1,420トン |
航続力 | 18ノットで6,000浬 |
装甲 | 水線60mm、甲板25mm |
兵装 | 50口径四一式15.2cm連装砲3基 60口径九八式8cm連装高角砲2基 九六式25mm3連装機銃2基 61cm九二式4連装発射管2基 九三式魚雷16本 |
射出機 | 呉式二号五型1基 |
航空機 | 水上偵察機2機(定数) |
乗員 | 726名 |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
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1940年(昭和15年)6月18日 | 佐世保海軍工廠において起工。 |
1941年(昭和16年)10月22日 | 進水。 |
1942年(昭和17年)10月31日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 |
1942年(昭和17年)10月31日 | 佐世保発。 当日、博多湾着 |
1942年(昭和17年)11月1日 | 博多湾発。 同日、呉着。 |
1942年(昭和17年)11月2日 | 重油、生糧品搭載。 |
1942年(昭和17年)11月4日 | 呉発。 同日、柱島着。 配置教育部署教練に従事。 |
1942年(昭和17年)11月11日 | 柱島発。 同日、安下庄着。 |
1942年(昭和17年)11月12日 | 出動訓練。 |
1942年(昭和17年)11月14日 | 安下庄発。 同日、呉着。 臨戦準備。 |
1942年(昭和17年)11月20日 | 第三艦隊第十戦隊に編入。 |
1942年(昭和17年)11月26日 | トラックへ向け呉発。 |
1942年(昭和17年)12月1日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)12月16日 | ウエワク、マダン攻略部隊支援のためトラック発。 |
1942年(昭和17年)12月18日 | ウエワク、マダン攻略部隊の揚陸に成功 |
1942年(昭和17年)12月20日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)1月16日 | トラックで改造工事のため工作艦明石に横付け。 |
1943年(昭和18年)1月26日 | 明石の横付けを離れる。 |
1943年(昭和18年)1月31日 | ガダルカナル島撤収作戦支援のためトラック発。 ソロモン東方海面に向かう。 |
1943年(昭和18年)2月8日 | ガダルカナル島撤収作戦完了により反転北上。 |
1943年(昭和18年)2月9日 | トラック着。 4月末まで訓練に従事。 |
1943年(昭和18年)5月3日 | 呉に向けトラック発。 |
1943年(昭和18年)5月8日 | 呉着。 補給、休養。 |
1943年(昭和18年)5月15日 | 各種試験のため呉発。 同日、柱島着。 |
1943年(昭和18年)5月16日 | 確認運転のため柱島発。 同日、徳山着。 |
1943年(昭和18年)5月17日 | 徳山発。 同日、室積沖着。 |
1943年(昭和18年)5月18日 | 速力試験および自差測定のため出動。 |
1943年(昭和18年)5月19日 | 横須賀に向け徳山発。 |
1943年(昭和18年)5月21日 | 横須賀着。 北方作戦に備えて待機。 |
1943年(昭和18年)5月25日 | 横須賀発。 同日、木更津着。 |
1943年(昭和18年)5月26日 | 訓練のため出動。 |
1943年(昭和18年)5月27日 | 訓練および自差測定のため出動。 |
1943年(昭和18年)5月29日 | 木更津発。 同日、横須賀着。 |
1943年(昭和18年)5月30日 | 呉に向け横須賀発。 |
1943年(昭和18年)6月1日 | 呉着。 整備作業。 |
1943年(昭和18年)6月23日 | 呉工廠に入渠。 |
1943年(昭和18年)6月30日 | 呉工廠を出渠。 |
1943年(昭和18年)7月2日 | 諸公試および諸訓練のため内海西部に出動。 |
1943年(昭和18年)7月8日 | 宇品に向け呉発。 同日、宇品着。 陸軍部隊人員および軍需品搭載。 |
1943年(昭和18年)7月9日 | 宇品発。 同日、八島錨地着。 |
1943年(昭和18年)7月10日 | トラックに向け八島錨地発。 |
1943年(昭和18年)7月15日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)7月9日 | ラバウルへ向けトラック発。 |
1943年(昭和18年)7月21日 | ラバウル着。 陸軍部隊人員および軍需品揚陸。 |
1943年(昭和18年)7月24日 | トラックに向けラバウル発。 |
1943年(昭和18年)7月26日 | トラック着。 訓練、警戒待機。 |
1943年(昭和18年)9月18日 | アメリカ機動部隊ギルバート来攻により、同方面に向けトラック発。 |
1943年(昭和18年)9月20日 | ブラウン島着。 待機。 |
1943年(昭和18年)9月23日 | ブラウン島発。 |
1943年(昭和18年)9月26日 | トラック着。 警泊、待機。 |
1943年(昭和18年)10月17日 | ブラウン島へ向けトラック発。 |
1943年(昭和18年)10月19日 | ブラウン島着。 |
1943年(昭和18年)10月23日 | ブラウン島発。 |
1943年(昭和18年)10月26日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)10月30日 | トラック発。 ろ号作戦用航空基地物件輸送のため、ラバウルへ向かう。 |
1943年(昭和18年)11月1日 | ラバウル着。 航空基地物件揚陸。 連合軍がブーゲンビル島タロキナに上陸との情報により、同方面に出撃。 |
1943年(昭和18年)11月2日 | ブーゲンビル島沖海戦に参加。 |
1943年(昭和18年)11月5日 | ラバウルで艦載機の攻撃をうける。 至近弾により戦死1名。 |
1943年(昭和18年)11月6日 | ラバウル発。 タロキナ岬北方への陸軍部隊逆上陸を支援。 |
1943年(昭和18年)11月7日 | ラバウル着。 |
1943年(昭和18年)11月11日 | ラバウルで至近弾により損傷。 |
1943年(昭和18年)11月12日 | ラバウル発。 トラックへ回航中、アメリカ潜水艦「スキャンプ (Scamp) 」の雷撃により損傷。 航行不能。 |
1943年(昭和18年)11月13日 | 能代に曳航されてトラックに向かう。 |
1943年(昭和18年)11月14日 | 能代の曳航索が切断したため、長良、浦風に曳航されトラックに向かう。 |
1943年(昭和18年)11月16日 | トラック着。 明石に横付けし応急修理。 |
1944年(昭和19年)2月15日 | 修理完成し、トラック発。 |
1944年(昭和19年)2月16日 | 内地へ回航中、トラック島北方160浬の地点で、アメリカ潜水艦「スケート (Skate) 」の雷撃により航行不能。 |
1944年(昭和19年)2月17日 | 沈没。 |
1944年(昭和19年)3月31日 | 除籍。 |
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