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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

1988年(昭和63年)10月吉日建立。 合祀者5柱(1)

特設駆潜艇第十八日東丸戦没者慰霊碑

特設駆潜艇第十八日東丸について

「第十八日東丸」は徴傭漁船を改造した特設駆潜艇である。

特設駆潜艇は、主として潜水艦の駆逐および防材の監視に任じ、必要に応じ哨戒に従事する300トン級の捕鯨船および100トン内外の発動機漁船である。 「第十八日東丸」は1934年(昭和9年)6月に藤永田造船所で完成した日東漁業(下関)所有の底曳網漁船で、以西底曳漁業に従事していた。 以西底曳漁業とは、沿岸漁業との紛争を避けるため設定された禁止線の東経130度「以西」の東シナ海・黄海での操業をさす。

1941年(昭和16年)8月28日に徴傭された「第十八日東丸」は、佐伯防備隊に配属され内海西部〜日向灘での哨戒任務に従事していたが、1942年(昭和17年)9月に外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官)の指揮下に入り、ラバウルに進出した。 同年12月には第125駆潜隊に編入され、フィリピン、インドネシア方面で船団護衛や対潜掃蕩に従事した。 終戦時には残存しており、1945年(昭和20年)12月31日に解傭されている。(2)(3)(4)

要目(5)(6)

漁船として新造時
建造所藤永田造船所
船主日東漁業
総トン数96トン
純トン数45トン
全長27.44m
型幅5.44m
深さ2.66m
平均喫水空艙2.05m/満載2.50m
主機無気噴油式4サイクルディーゼル1基(新潟鉄工所)
推進器軸1軸
出力225馬力
速力最大10ノット/航海9ノット
燃料重油:?トン
航続力
乗員
その他特設駆潜艇時代の兵装は不明。 1942年(昭和17年)9月13日佐伯防備隊指令発「伯防機密第13120095電」によれば、「呉鎮電令作第39号により連合艦隊長官の指揮下に入るべき船艇中玉星丸、第二十日東丸は爆雷投射機未装備に付14日佐伯発呉に回航せしむ装備に関し御手配を乞う」とあり、このとき派遣された特設駆潜艇は第十七、第十八、第十九、第二十日東丸であることから、本艇はラバウル進出時には少なくとも爆雷投射機は装備していたものと思われる。

艇暦(4)(6)(7)

年月日艇暦
藤永田造船所において起工。
1934年(昭和9年)6月7日進水、命名:第十八日東丸。
1941年(昭和16年)8月28日徴傭。
1941年(昭和16年)9月12日特設駆潜艇として入籍。 呉鎮守府所管。
1941年(昭和16年)8月27日佐野安船渠で艤装工事開始。
1941年(昭和16年)10月7日艤装工事完了。
1941年(昭和16年)10月15日佐伯防備隊所属。
1941年(昭和16年)12月2日古江発。 
1941年(昭和16年)12月3日古江着。
1941年(昭和16年)12月4日古江発。 同日、古江着。
1941年(昭和16年)12月5日古江発。 
1941年(昭和16年)12月6日古江着。
1941年(昭和16年)12月7日古江発。 同日、佐伯着。
1941年(昭和16年)12月9日佐伯発。 同日、古江着。
1941年(昭和16年)12月10日古江発。 同日、深浦着。
1941年(昭和16年)12月11日深浦発。
1941年(昭和16年)12月13日佐伯着。
1941年(昭和16年)12月14日佐伯発。 同日、古江着。
1941年(昭和16年)12月15日古江発。 
1941年(昭和16年)12月16日古江着。
1941年(昭和16年)12月17日古江発。 
1941年(昭和16年)12月18日古江着。
1941年(昭和16年)12月19日古江発。 
1941年(昭和16年)12月21日蒲江着。
1941年(昭和16年)12月22日蒲江発。
1941年(昭和16年)12月23日佐伯着。
1941年(昭和16年)12月24日古江発。
1941年(昭和16年)12月25日古江着。
1941年(昭和16年)12月26日古江発。
1941年(昭和16年)12月27日古江着。
1941年(昭和16年)12月28日古江発。
1941年(昭和16年)12月29日佐伯着。
1941年(昭和16年)12月30日佐伯発。
1942年(昭和17年)1月1日蒲戸着。
1942年(昭和17年)1月2日蒲戸発。
1942年(昭和17年)1月3日佐伯着。
1942年(昭和17年)1月4日佐伯発。 同日、蒲戸着。
1942年(昭和17年)1月5日蒲戸発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)1月6日佐伯発。 同日、網代着。
1942年(昭和17年)1月7日網代発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)1月8日佐伯発。
1942年(昭和17年)1月9日須下着。 同日、須下発。佐伯着。
1942年(昭和17年)1月10日佐伯発。
1942年(昭和17年)1月11日佐伯着。
1942年(昭和17年)1月12日佐伯発。 同日、網代着。
1942年(昭和17年)1月13日網代発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)1月14日佐伯発。
1942年(昭和17年)1月16日佐伯着。
1942年(昭和17年)1月17日佐伯発。 同日、深浦着。
1942年(昭和17年)1月18日深浦発。 同日、深浦着。
1942年(昭和17年)1月19日深浦発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)1月20日佐伯防備隊電令作第18号:
機密海上防備部隊作戦命令第1号により明21日12:00より担任哨区を次の通り変更す
爾余の船艇は任務交代後、連絡のため可成速に帰投せよ
G線上(AF間)    第二十五号、第二十六号駆潜艇
横島附近哨区      第十八日東丸
沖黒島附近哨区     第十二日東丸
機雷堰南方哨区     第二十一号駆潜艇
沖ノ島南方五浬附近哨区 第三十一号哨戒艇
深島南東五浬附近哨区  第十五長運丸
1942年(昭和17年)1月20日佐伯発。
1942年(昭和17年)1月21日佐伯着。
1942年(昭和17年)1月22日佐伯発。
1942年(昭和17年)1月24日佐伯着。
1942年(昭和17年)1月25日佐伯発。 同日、深浦着。
1942年(昭和17年)1月27日深浦発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)1月28日佐伯発。
1942年(昭和17年)1月30日佐伯着。
1942年(昭和17年)1月31日佐伯発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)2月2日佐伯発。
1942年(昭和17年)2月3日佐伯着。
1942年(昭和17年)2月5日佐伯発。
1942年(昭和17年)2月6日佐伯着。
1942年(昭和17年)2月8日佐伯発。
1942年(昭和17年)2月9日深浦着。
1942年(昭和17年)2月10日深浦発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)2月11日佐伯発。 同日、深浦着。
1942年(昭和17年)2月13日深浦発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)2月15日佐伯発。 同日、呉着。
1942年(昭和17年)2月16日呉発。 同日、呉着。
1942年(昭和17年)3月4日呉発。 同日、呉着。
1942年(昭和17年)3月5日呉発。 同日、安下庄着。
1942年(昭和17年)3月6日安下庄発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)3月8日佐伯発。 同日、園長着。
1942年(昭和17年)3月9日園長発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)3月11日佐伯発。 同日、岩松着。
1942年(昭和17年)3月12日岩松発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)3月14日佐伯発。 同日、船越着。
1942年(昭和17年)3月15日船越発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)3月19日佐伯発。 対潜訓練。 
1942年(昭和17年)3月20日佐伯着。
1942年(昭和17年)3月24日佐伯発。
1942年(昭和17年)3月25日佐伯着。
1942年(昭和17年)3月26日佐伯発。
1942年(昭和17年)3月27日佐伯着。
1942年(昭和17年)3月29日佐伯発。
1942年(昭和17年)3月30日佐伯着。
1942年(昭和17年)4月2日佐伯発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)4月6日佐伯発。
1942年(昭和17年)4月7日佐伯着。
1942年(昭和17年)4月8日佐伯発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)4月9日佐伯発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)4月10日佐伯発。 同日、岩松着。
1942年(昭和17年)4月11日岩松発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)4月12日佐伯発。
1942年(昭和17年)4月14日深浦着。
1942年(昭和17年)4月15日深浦発。
1942年(昭和17年)4月16日佐伯着。
1942年(昭和17年)4月17日佐伯発。
1942年(昭和17年)4月19日深浦着。
1942年(昭和17年)4月21日深浦発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)4月24日佐伯発。
1942年(昭和17年)4月25日佐伯着。
1942年(昭和17年)4月27日佐伯発。
1942年(昭和17年)4月28日佐伯着。
1942年(昭和17年)4月30日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月1日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月3日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月4日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月6日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月7日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月8日佐伯発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)5月9日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月10日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月12日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月13日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月15日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月16日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月17日佐伯発。 教練射撃。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)5月18日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月19日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月20日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月21日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月25日佐伯発。 探知器講習。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)5月26日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月27日佐伯着。
1942年(昭和17年)5月29日佐伯発。
1942年(昭和17年)5月30日佐伯着。
1942年(昭和17年)6月1日佐伯発。
1942年(昭和17年)6月2日佐伯着。
1942年(昭和17年)6月10日佐伯発。 試運転。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)6月13日佐伯発。
1942年(昭和17年)6月14日佐伯着。
1942年(昭和17年)6月16日佐伯発。
1942年(昭和17年)6月17日佐伯着。
1942年(昭和17年)6月18日佐伯発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)6月19日佐伯発。
1942年(昭和17年)6月20日佐伯着。
1942年(昭和17年)6月22日佐伯発。
1942年(昭和17年)6月23日佐伯着。
1942年(昭和17年)6月24日佐伯発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)6月25日佐伯発。
1942年(昭和17年)6月26日佐伯着。
1942年(昭和17年)6月28日佐伯発。
1942年(昭和17年)6月29日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月1日佐伯発。
1942年(昭和17年)7月2日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月4日佐伯発。
1942年(昭和17年)7月5日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月7日佐伯発。 対潜訓練。
1942年(昭和17年)7月9日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月11日佐伯発。
1942年(昭和17年)7月12日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月14日佐伯発。
1942年(昭和17年)7月15日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月17日佐伯発。
1942年(昭和17年)7月18日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月20日佐伯発。
1942年(昭和17年)7月21日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月24日佐伯発。
1942年(昭和17年)7月27日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月28日佐伯発。 対潜訓練。
1942年(昭和17年)7月29日佐伯着。
1942年(昭和17年)7月30日佐伯発。
1942年(昭和17年)7月31日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月2日佐伯発。
1942年(昭和17年)8月3日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月5日佐伯発。 対潜訓練。
1942年(昭和17年)8月7日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月9日佐伯発。
1942年(昭和17年)8月10日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月11日佐伯発。
1942年(昭和17年)8月12日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月14日佐伯発。
1942年(昭和17年)8月15日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月16日佐伯発。
1942年(昭和17年)8月18日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月19日佐伯発。 対潜訓練。
1942年(昭和17年)8月21日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月23日佐伯発。
1942年(昭和17年)8月24日佐伯着。
1942年(昭和17年)8月26日佐伯発。 同日、佐伯着。
1942年(昭和17年)8月29日佐伯発。
1942年(昭和17年)8月30日佐伯着。
1942年(昭和17年)9月1日佐伯発。
1942年(昭和17年)9月2日佐伯着。
1942年(昭和17年)9月4日佐伯発。
1942年(昭和17年)9月5日佐伯着。
1942年(昭和17年)9月7日佐伯発。
1942年(昭和17年)9月8日佐伯着。
1942年(昭和17年)9月10日佐伯発。
1942年(昭和17年)9月11日佐伯着。
1942年(昭和17年)9月12日軍令部総長発(大海指133号)
呉鎮守府部隊所属の特設捕獲網艇2隻、特設駆潜艇4隻は作戦に関し連合艦隊司令長官の指揮下に入る。

呉鎮守府司令長官発(呉鎮電令作第39号)
1.佐伯防備隊付属の特設捕獲網艇2隻および特設駆潜艇4隻を作戦に関し連合艦隊司令長官の指揮下に入らしむ。
2.呉防備隊司令官は艇名を通報するとともにPT(トラック)に向け進発の準備に着手せしむべし

連合艦隊司令長官発(連合艦隊電令作第286号)
大海指133号による艦艇を次により作戦に関し各部隊指揮官の指揮下に入る。
1.内南洋部隊(指揮官第四艦隊司令長官)
峯風、旗風、呉鎮守府所属の特設捕獲網艇2隻
2.外南洋部隊(指揮官第八艦隊司令長官)
鴻、鴎、呉鎮守府所属の特設駆潜艇4隻
各艦艇は速やかに「トラック」および「ラボール(ラバウル)」に進出すべし
1942年(昭和17年)9月13日佐伯防備隊指令発
呉鎮電令作第39号により連合艦隊長官の指揮下に入るべき船艇は次の通り
特設捕獲網艇 檜丸、玉星丸
特設駆潜艇 第十七日東丸、第十八日東丸、第十九日東丸、第二十日東丸
1942年(昭和17年)9月14日呉鎮守府参謀長発
連合艦隊電令作第286号により呉鎮電令作第39号の船艇は作戦に関し各部隊指揮官の指揮下に入り速やかに各指定地に進出のことに発令ありたる
1.捕獲網艇2隻
 内南洋部隊指揮官(第四艦隊司令長官)「トラック」
2.駆潜艇4隻
 外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官)「ラボール(ラバウル)」
1942年(昭和17年)9月15日佐伯発。 同日、呉着。 艦隊派遣準備。
1942年(昭和17年)9月22日呉鎮守府参謀長発
連合艦隊電令作第286号による特捕網檜丸、玉星丸、特駆潜第十七、第十八、第十九、第二十日東丸の行動予定
呉発      9月23日
父島      9月27日着(28日発)
PS(サイパン) 10月2日着(3日発)
PT(トラック) 10月6日着
特駆潜はPTより分離7日同地発12日RR(ラバウル)着
1942年(昭和17年)9月23日呉発。 同日、佐伯着。 
1942年(昭和17年)9月24日佐伯発。 作戦地へ。
1942年(昭和17年)10月1日軍隊区分「カ」号作戦兵力部署):R方面防備部隊
1942年(昭和17年)12月29日外南洋部隊から除かれる。 第百二十五駆潜隊所属となる。
1942年(昭和17年)12月29日戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第二南遣艦隊第二十五特別根拠地隊第百二十五駆潜隊。
1942年(昭和17年)12月29日軍隊区分:主隊。
1943年(昭和18年)1月15日ラバウル発。
1943年(昭和18年)1月16日カビエン着。
1943年(昭和18年)1月17日カビエン発。
1943年(昭和18年)1月21日ホーランジャ着。
1943年(昭和18年)1月22日ホーランジャ発。
1943年(昭和18年)2月1日ホーランジャ着。
1943年(昭和18年)2月4日ホーランジャ発。
1943年(昭和18年)2月5日ワクデ着。
1943年(昭和18年)2月17日ワクデ発。
1943年(昭和18年)2月20日マノクワリ着。
1943年(昭和18年)3月2日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)3月3日ソロン着。
1943年(昭和18年)3月5日ソロン発。 「海城丸」護衛。
1943年(昭和18年)3月6日ブラ着。 同日、ブラ発。
1943年(昭和18年)3月8日アンボン着。
1943年(昭和18年)3月27日アンボン発。 「北昭丸」護衛。
1943年(昭和18年)3月30日ブラ着。
1943年(昭和18年)4月6日ブラ発。
1943年(昭和18年)4月7日アンボン着。
1943年(昭和18年)4月10日アンボン発。
1943年(昭和18年)4月12日ケンダリ着。
1943年(昭和18年)4月14日ケンダリ発。 「若鷹」護衛。
1943年(昭和18年)4月16日マカッサル着。 同日、マカッサル発。 「大丸」「鳶丸」護衛。
1943年(昭和18年)4月22日スラバヤ着。
1943年(昭和18年)6月スラバヤ発。 ジャカルタで入渠 。
1943年(昭和18年)6月21日ジャカルタよりアンボン着。
1943年(昭和18年)6月27日アンボンよりソロン着。
1943年(昭和18年)7月1日ソロン発。
1943年(昭和18年)7月2日コカス着。
1943年(昭和18年)7月3日ソロン着。
1943年(昭和18年)7月6日ソロン発。
1943年(昭和18年)7月9日マノクワリ着。
1943年(昭和18年)7月11日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)7月13日ファクファク着。 同日、ファクファク発。
1943年(昭和18年)7月15日カイマナ着。
1943年(昭和18年)7月16日カイマナ発。
1943年(昭和18年)7月17日ファクファク着。 同日、ファクファク発。
1943年(昭和18年)7月19日バボ着。
1943年(昭和18年)7月20日バボ発。
1943年(昭和18年)7月21日ソロン着。
1943年(昭和18年)7月22日ソロン発。
1943年(昭和18年)7月23日マノクワリ着。
1943年(昭和18年)7月26日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)8月2日セルイ着。
1943年(昭和18年)8月3日セルイ発。
1943年(昭和18年)8月4日ナビレ着。
1943年(昭和18年)8月5日ナビレ発。
1943年(昭和18年)8月6日マノクワリ着。
1943年(昭和18年)8月7日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)8月8日ソロン着。
1943年(昭和18年)8月13日ソロン発。
1943年(昭和18年)8月14日マノクワリ着。
1943年(昭和18年)8月15日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)8月16日セルイ着。
1943年(昭和18年)8月18日セルイ発。
1943年(昭和18年)8月27日セルイ着。
1943年(昭和18年)9月2日セルイ発。 同日、ナビレ着。
1943年(昭和18年)9月3日ナビレ発。
1943年(昭和18年)9月4日セルイ着。
1943年(昭和18年)9月26日セルイ発。
1943年(昭和18年)9月28日セルイ着。
1943年(昭和18年)10月1日セルイ発。
1943年(昭和18年)10月2日マノクワリ着。
1943年(昭和18年)10月4日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)10月7日コカス着。
1943年(昭和18年)10月8日コカス発。
1943年(昭和18年)10月9日カイマナ着。
1943年(昭和18年)10月17日カイマナ発。
1943年(昭和18年)10月18日ファクファク着。
1943年(昭和18年)10月19日ファクファク発。
1943年(昭和18年)10月20日カブイ湾着。
1943年(昭和18年)10月25日カブイ湾発。 同日、ソロン着。 ソロン発。
1943年(昭和18年)11月4日カウ湾泊地発。
1943年(昭和18年)11月6日マノクワリ着。
1943年(昭和18年)11月7日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)11月9日カウ着。
1943年(昭和18年)11月15日カウより第4次船団護衛。 マノクワリ着。
1943年(昭和18年)11月16日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)11月18日カウ着。
1943年(昭和18年)11月26日マノクワリ着。
軍隊区分:機密第六警備部隊命令作第1号:南西方面部隊東印部隊第六警備部隊主隊。
軍隊区分:第二十六特別根拠地隊指揮官の作戦指揮下。
1943年(昭和18年)11月28日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)11月30日ワシレ着。
戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第四南遣艦隊第二十五特別根拠地隊第百二十五駆潜隊。
1943年(昭和18年)12月4日「鎮海丸」護衛。カウ発。 同日、ソロン着。
1943年(昭和18年)12月6日ソロン発。
1943年(昭和18年)12月8日カウ着。
1943年(昭和18年)12月15日軍隊区分:南西方面部隊濠北部隊第六警備部隊主隊。
1943年(昭和18年)12月15日カウ発。 船団護衛。
1943年(昭和18年)12月17日マノクワリ着。
1943年(昭和18年)12月20日マノクワリ発。
1943年(昭和18年)12月22日ワシレ。
1943年(昭和18年)12月26日カウ発。 「金鈴丸」」護衛。
1943年(昭和18年)12月27日ソロン着。
1943年(昭和18年)12月29日ソロン発。
1943年(昭和18年)12月31日アンボン着。
1944年(昭和19年)1月1日アンボン発。 対潜掃蕩。
1944年(昭和19年)1月4日アンボン着。
1944年(昭和19年)1月15日アンボン発。
1944年(昭和19年)1月17日アンボン着。
1944年(昭和19年)1月18日アンボン発。
1944年(昭和19年)1月20日カウ着。
1944年(昭和19年)1月29日カウ発。 船団護衛。
1944年(昭和19年)1月31日ソロン着。
1944年(昭和19年)2月3日ソロン発。 漁船団護衛。
1944年(昭和19年)2月5日マノクワリ着。
1944年(昭和19年)2月8日マノクワリ発。 漁船団護衛。
1944年(昭和19年)2月9日セルイ着。
1944年(昭和19年)2月11日セルイ発。
1944年(昭和19年)2月13日ワクデ着。
1944年(昭和19年)2月14日第六警備部隊電令作第10号:第六警備部隊亀輸送護衛艦。
1944年(昭和19年)2月15日ワクデ
1944年(昭和19年)2月16日ホーランジャ着。
1944年(昭和19年)2月17日ホーランジャ発。
1944年(昭和19年)2月19日セルイ着。
1944年(昭和19年)2月20日セルイ発。
1944年(昭和19年)2月21日マノクワリ着。
1944年(昭和19年)2月23日マノクワリ発。
1944年(昭和19年)2月25日ワシレ着。
1944年(昭和19年)2月27日ワシレ発。 船団護衛。
1944年(昭和19年)2月29日マノクワリ着。
1944年(昭和19年)3月1日第六警備部隊電令作第60号:
3月6日ワシレ発予定の「~祐丸」「山形丸」「昌元丸」「日泰丸*」「天長丸」をワシレからマノクワリ迄
「~祐丸」「山形丸」及びマノクワリ在泊中の「豐丸」をマノクワリよりビアク迄
「~祐丸」「山形丸」「豐丸」をビアクよりマノクワリ迄
「~祐丸」「山形丸」の外にマノクワリ在泊中の「昌元丸」「日泰丸」「天長丸」「~隆丸」を第百五號掃海特務艇と共にマノクワリよりワシレ迄護衛
(* 実際には「日泰丸」は船団に加わらず、その後の加入船も変更)
1944年(昭和19年)3月2日第六警備部隊電令作第64号:電令作第60号中「第十八日東丸」の行動改正
「豐丸」貨物搭載出来次第同船のマノクワリ−ビアク間往復護衛に任じたる後何分の令ある迄マノクワリにて待機。
1944年(昭和19年)3月5日マノクワリ発。 同日、ボム着。
1944年(昭和19年)3月6日ボム発。 同日、マルメラ着。
1944年(昭和19年)3月10日マルメラ発。 同日、ボム着。
1944年(昭和19年)3月11日ボム発。 同日、マノクワリ着。
1944年(昭和19年)3月14日第六警備部隊電令作第73号:特令ある迄未発航船団の出発を止め所在地にて待機。
1944年(昭和19年)3月19日第六警備部隊電令作第78号:予定の如く行動。
1944年(昭和19年)3月22日マノクワリ発。
1944年(昭和19年)3月24日ワシレ発。
1944年(昭和19年)3月28日ワシレ着。
1944年(昭和19年)3月30日アンボン着。
1944年(昭和19年)4月3日アンボン発。 船団護衛。
1944年(昭和19年)4月6日ケンダリ着。
1944年(昭和19年)4月7日ケンダリ発。
1944年(昭和19年)4月9日マルメラ着。
1944年(昭和19年)4月10日マルメラ発。
1944年(昭和19年)4月14日スラバヤ着。
1944年(昭和19年)4月18日入渠。
1944年(昭和19年)4月24日出渠。
1944年(昭和19年)5月1日スラバヤ発。
1944年(昭和19年)5月4日マカッサル着。
1944年(昭和19年)5月6日マカッサル発。 船団護衛。
1944年(昭和19年)5月8日ケンダリ着。
1944年(昭和19年)5月15日アンボン着。
1944年(昭和19年)5月15日軍隊区分:機密第六警備部隊命令作第7号:南西方面部隊濠北部隊第六警備部隊主隊。
1944年(昭和19年)5月17日アンボン発。 「宮浦丸」護衛。
1944年(昭和19年)5月20日16:00頃モロタイ水道西口で陸軍徴傭船「宮浦丸」被雷沈没。
1944年(昭和19年)5月21日ハルマヘラ島ワシレ着。
1944年(昭和19年)5月28日ハルマヘラ島カウ発。  同日、モロタイ着。
1944年(昭和19年)5月29日モロタイ発。
1944年(昭和19年)5月30日モロタイ着。
1944年(昭和19年)5月31日モロタイ発。 同日、カウ着。
1944年(昭和19年)6月4日カウ発。 船団護衛。
1944年(昭和19年)6月7日ソロン着。
1944年(昭和19年)6月10日艦隊区分:機密第四南遣艦隊法令第20号:第二十五特別根拠地隊(2402)。
1944年(昭和19年)6月10日軍隊区分:機密濠北部隊命令作第8号:第六警備部隊。
1944年(昭和19年)6月11日ソロン発。 船団護衛。
1944年(昭和19年)6月13日カウ着。
第六警備部隊電令作第153号:陸軍船「湖北丸」をワシレよりアンボン迄護衛後カウに帰投
1944年(昭和19年)6月15日カウ発。 船団護衛。 同日、インゲラン島北端着。 インゲラン島北端発。
1944年(昭和19年)6月16日オウタク島着。
1944年(昭和19年)6月17日オウタク島発。 同日、コタニア湾着。
1944年(昭和19年)6月18日コタニア湾発。 同日、ロバンツレ着。
1944年(昭和19年)6月19日ロバンツレ発。 同日、アンボン着。
1944年(昭和19年)6月24日アンボン発。 船団護衛。 同日、ブル島ナムレア着。
1944年(昭和19年)6月25日ブル島ナムレア発。
1944年(昭和19年)6月26日バンガイ北端着。
1944年(昭和19年)6月27日バンガイ北端発。 同日、プロトア着。 プロトア発。 フレスコ岬着。
1944年(昭和19年)6月28日フレスコ岬発。 同日、ビートン着。
1944年(昭和19年)7月1日艦隊区部:機密第四南遣艦隊法令第22号:第二十五特別根拠地隊(425)。
1944年(昭和19年)7月7日ビートン発。 「湖北丸」護衛。
1944年(昭和19年)7月8日テルナテ着。
1944年(昭和19年)7月11日テルナテ発。 「星光丸」護衛。
1944年(昭和19年)7月13日カウ着。
1944年(昭和19年)7月19日カウ発。 「辰泰丸」護衛。 同日、トベロ着。
1944年(昭和19年)7月20日トベロ発。 同日、ロロダ着。
1944年(昭和19年)7月21日パチヒ発。
1944年(昭和19年)7月22日オビラツ着。
1944年(昭和19年)7月23日オビラツ発。 同日、ワンラブ着。
1944年(昭和19年)7月24日アンボン着。
1944年(昭和19年)7月25日軍隊区分:機密濠北部隊命令作第14号:第五警備部隊。
1944年(昭和19年)7月26日アンボン発。 「せれべす丸」護衛。
1944年(昭和19年)8月1日ビートン着。
1944年(昭和19年)8月2日濠北部隊電令作第171号:カウ回航。
1944年(昭和19年)8月2日ビートン発。
1944年(昭和19年)8月4日カウ着。
1944年(昭和19年)8月6日カウ発。 「昌榮丸」「東祥丸」護衛。
1944年(昭和19年)8月11日アンボン着。
1944年(昭和19年)8月14日「東祥丸」護衛。アンボン発。
1944年(昭和19年)8月15日(S04.30-E125.36)でアメリカ陸軍航空隊B-24の空襲により「東祥丸」遭難、乗員救助。
1944年(昭和19年)8月17日ケンダリ着。
1944年(昭和19年)8月19日ケンダリ発。
1944年(昭和19年)8月20日(S04.42-E126.15)で対空戦闘。
1944年(昭和19年)8月21日アンボン着。
1944年(昭和19年)8月24日アンボン発。
1944年(昭和19年)8月25日濠北部隊電令作第195号:第五号掃海艇を護衛。
1944年(昭和19年)8月26日濠北部隊電令作第197号:第五号掃海艇を護衛終了後、マニラ回航、同地付近の対潜哨戒に協力。
1944年(昭和19年)8月27日スターリング着。
1944年(昭和19年)8月28日ウオウオニ着。
1944年(昭和19年)8月30日濠北部隊電令作第199号:マニラ回航の途次各部協議に応じ護衛に協力。
1944年(昭和19年)9月2日マカッサル着。
1944年(昭和19年)9月3日マカッサル発。
1944年(昭和19年)9月6日バリックパパン着。
1944年(昭和19年)9月8日バリックパパン発。 「金鈴丸」他護衛。
1944年(昭和19年)9月9日タラカン着。
1944年(昭和19年)9月13日タラカン発。
1944年(昭和19年)9月15日ボンガオ着。
1944年(昭和19年)9月15日内令第1086号:第二十五特別根拠地隊所属。
1944年(昭和19年)9月0日戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第四南遣艦隊第二十五特別根拠地隊。
1944年(昭和19年)9月16日ボンガオ発。
1944年(昭和19年)9月17日サンダカン着。
1944年(昭和19年)9月19日サンダカン発。
1944年(昭和19年)9月24日パラハタ着。
1944年(昭和19年)9月25日パラハタ発。 同日、マニラ着。
1944年(昭和19年)10月10日コロン湾発。
1944年(昭和19年)10月11日コレヒドール島着。 同日、コレヒドール島対岸Real Pt沖に避泊。
1944年(昭和19年)11月6日マニラで修理中。
1945年(昭和20年)1月10日内令第34号:第二十五根拠地隊所属。
1945年(昭和20年)1月10日戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第四南遣艦隊第二十五根拠地隊。
1945年(昭和20年)3月1日内令第194号:第十六警備隊所属。
1945年(昭和20年)8月15日終戦時残存。
1945年(昭和20年)12月31日解傭。
1947年(昭和22年)5月3日除籍。

参考資料

  1. 梶本光義(編集責任者).呉海軍墓地誌海ゆかば:合祀碑と英霊.呉海軍墓地顕彰保存会,2005,p114
  2. 日本造船学会編.昭和造船史 第1巻.東京,原書房,1978,p403-408.明治百年史叢書;第207巻
  3. 福井静夫.日本特設艦船物語.東京,光人社,2001,p117-118,125-128,軍艦七十五年回想記,第11巻.(ISBN4-7698-0998-0)
  4. ab戸田源五郎.大日本帝國海軍特設艦船DATABASE.http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
  5. 昭和16年版 日本汽船名簿 其の3(2).アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C08050076400.昭和16年版 日本汽船名簿 其の3,(防衛省防衛研究所)
  6. ab昭和17年9月1日〜昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(1).アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C08030325500.昭和17年9月1日〜昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌,(防衛省防衛研究所)
  7. 昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3).アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C08030022700.昭和17年9月14日〜昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌,(防衛省防衛研究所)

謝辞

第十八日東丸戦歴のデータは戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。