1988年(昭和63年)10月吉日建立。 合祀者5柱(1)
「第十八日東丸」は徴傭漁船を改造した特設駆潜艇である。
特設駆潜艇は、主として潜水艦の駆逐および防材の監視に任じ、必要に応じ哨戒に従事する300トン級の捕鯨船および100トン内外の発動機漁船である。 「第十八日東丸」は1934年(昭和9年)6月に藤永田造船所で完成した日東漁業(下関)所有の底曳網漁船で、以西底曳漁業に従事していた。 以西底曳漁業とは、沿岸漁業との紛争を避けるため設定された禁止線の東経130度「以西」の東シナ海・黄海での操業をさす。
1941年(昭和16年)8月28日に徴傭された「第十八日東丸」は、佐伯防備隊に配属され内海西部〜日向灘での哨戒任務に従事していたが、1942年(昭和17年)9月に外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官)の指揮下に入り、ラバウルに進出した。 同年12月には第125駆潜隊に編入され、フィリピン、インドネシア方面で船団護衛や対潜掃蕩に従事した。 終戦時には残存しており、1945年(昭和20年)12月31日に解傭されている。(2)(3)(4)
漁船として新造時 | |
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建造所 | 藤永田造船所 |
船主 | 日東漁業 |
総トン数 | 96トン |
純トン数 | 45トン |
全長 | 27.44m |
型幅 | 5.44m |
深さ | 2.66m |
平均喫水 | 空艙2.05m/満載2.50m |
主機 | 無気噴油式4サイクルディーゼル1基(新潟鉄工所) |
推進器軸 | 1軸 |
出力 | 225馬力 |
速力 | 最大10ノット/航海9ノット |
燃料 | 重油:?トン |
航続力 | ? |
乗員 | ? |
その他 | 特設駆潜艇時代の兵装は不明。 1942年(昭和17年)9月13日佐伯防備隊指令発「伯防機密第13120095電」によれば、「呉鎮電令作第39号により連合艦隊長官の指揮下に入るべき船艇中玉星丸、第二十日東丸は爆雷投射機未装備に付14日佐伯発呉に回航せしむ装備に関し御手配を乞う」とあり、このとき派遣された特設駆潜艇は第十七、第十八、第十九、第二十日東丸であることから、本艇はラバウル進出時には少なくとも爆雷投射機は装備していたものと思われる。 |
年月日 | 艇暦 |
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藤永田造船所において起工。 | |
1934年(昭和9年)6月7日 | 進水、命名:第十八日東丸。 |
1941年(昭和16年)8月28日 | 徴傭。 |
1941年(昭和16年)9月12日 | 特設駆潜艇として入籍。 呉鎮守府所管。 |
1941年(昭和16年)8月27日 | 佐野安船渠で艤装工事開始。 |
1941年(昭和16年)10月7日 | 艤装工事完了。 |
1941年(昭和16年)10月15日 | 佐伯防備隊所属。 |
1941年(昭和16年)12月2日 | 古江発。 |
1941年(昭和16年)12月3日 | 古江着。 |
1941年(昭和16年)12月4日 | 古江発。 同日、古江着。 |
1941年(昭和16年)12月5日 | 古江発。 |
1941年(昭和16年)12月6日 | 古江着。 |
1941年(昭和16年)12月7日 | 古江発。 同日、佐伯着。 |
1941年(昭和16年)12月9日 | 佐伯発。 同日、古江着。 |
1941年(昭和16年)12月10日 | 古江発。 同日、深浦着。 |
1941年(昭和16年)12月11日 | 深浦発。 |
1941年(昭和16年)12月13日 | 佐伯着。 |
1941年(昭和16年)12月14日 | 佐伯発。 同日、古江着。 |
1941年(昭和16年)12月15日 | 古江発。 |
1941年(昭和16年)12月16日 | 古江着。 |
1941年(昭和16年)12月17日 | 古江発。 |
1941年(昭和16年)12月18日 | 古江着。 |
1941年(昭和16年)12月19日 | 古江発。 |
1941年(昭和16年)12月21日 | 蒲江着。 |
1941年(昭和16年)12月22日 | 蒲江発。 |
1941年(昭和16年)12月23日 | 佐伯着。 |
1941年(昭和16年)12月24日 | 古江発。 |
1941年(昭和16年)12月25日 | 古江着。 |
1941年(昭和16年)12月26日 | 古江発。 |
1941年(昭和16年)12月27日 | 古江着。 |
1941年(昭和16年)12月28日 | 古江発。 |
1941年(昭和16年)12月29日 | 佐伯着。 |
1941年(昭和16年)12月30日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)1月1日 | 蒲戸着。 |
1942年(昭和17年)1月2日 | 蒲戸発。 |
1942年(昭和17年)1月3日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月4日 | 佐伯発。 同日、蒲戸着。 |
1942年(昭和17年)1月5日 | 蒲戸発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月6日 | 佐伯発。 同日、網代着。 |
1942年(昭和17年)1月7日 | 網代発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月8日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)1月9日 | 須下着。 同日、須下発。佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月10日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)1月11日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月12日 | 佐伯発。 同日、網代着。 |
1942年(昭和17年)1月13日 | 網代発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月14日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)1月16日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月17日 | 佐伯発。 同日、深浦着。 |
1942年(昭和17年)1月18日 | 深浦発。 同日、深浦着。 |
1942年(昭和17年)1月19日 | 深浦発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月20日 | 佐伯防備隊電令作第18号: 機密海上防備部隊作戦命令第1号により明21日12:00より担任哨区を次の通り変更す 爾余の船艇は任務交代後、連絡のため可成速に帰投せよ G線上(AF間) 第二十五号、第二十六号駆潜艇 横島附近哨区 第十八日東丸 沖黒島附近哨区 第十二日東丸 機雷堰南方哨区 第二十一号駆潜艇 沖ノ島南方五浬附近哨区 第三十一号哨戒艇 深島南東五浬附近哨区 第十五長運丸 |
1942年(昭和17年)1月20日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)1月21日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月22日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)1月24日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月25日 | 佐伯発。 同日、深浦着。 |
1942年(昭和17年)1月27日 | 深浦発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月28日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)1月30日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)1月31日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)2月2日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)2月3日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)2月5日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)2月6日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)2月8日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)2月9日 | 深浦着。 |
1942年(昭和17年)2月10日 | 深浦発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)2月11日 | 佐伯発。 同日、深浦着。 |
1942年(昭和17年)2月13日 | 深浦発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)2月15日 | 佐伯発。 同日、呉着。 |
1942年(昭和17年)2月16日 | 呉発。 同日、呉着。 |
1942年(昭和17年)3月4日 | 呉発。 同日、呉着。 |
1942年(昭和17年)3月5日 | 呉発。 同日、安下庄着。 |
1942年(昭和17年)3月6日 | 安下庄発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)3月8日 | 佐伯発。 同日、園長着。 |
1942年(昭和17年)3月9日 | 園長発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)3月11日 | 佐伯発。 同日、岩松着。 |
1942年(昭和17年)3月12日 | 岩松発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)3月14日 | 佐伯発。 同日、船越着。 |
1942年(昭和17年)3月15日 | 船越発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)3月19日 | 佐伯発。 対潜訓練。 |
1942年(昭和17年)3月20日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)3月24日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)3月25日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)3月26日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)3月27日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)3月29日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)3月30日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月2日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月6日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)4月7日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月8日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月9日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月10日 | 佐伯発。 同日、岩松着。 |
1942年(昭和17年)4月11日 | 岩松発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月12日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)4月14日 | 深浦着。 |
1942年(昭和17年)4月15日 | 深浦発。 |
1942年(昭和17年)4月16日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月17日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)4月19日 | 深浦着。 |
1942年(昭和17年)4月21日 | 深浦発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月24日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)4月25日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月27日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)4月28日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)4月30日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月1日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月3日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月4日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月6日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月7日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月8日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月9日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月10日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月12日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月13日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月15日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月16日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月17日 | 佐伯発。 教練射撃。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月18日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月19日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月20日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月21日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月25日 | 佐伯発。 探知器講習。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月26日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月27日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)5月29日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)5月30日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月1日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)6月2日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月10日 | 佐伯発。 試運転。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月13日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)6月14日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月16日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)6月17日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月18日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月19日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)6月20日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月22日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)6月23日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月24日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月25日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)6月26日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)6月28日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)6月29日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月1日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)7月2日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月4日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)7月5日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月7日 | 佐伯発。 対潜訓練。 |
1942年(昭和17年)7月9日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月11日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)7月12日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月14日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)7月15日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月17日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)7月18日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月20日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)7月21日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月24日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)7月27日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月28日 | 佐伯発。 対潜訓練。 |
1942年(昭和17年)7月29日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)7月30日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)7月31日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月2日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)8月3日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月5日 | 佐伯発。 対潜訓練。 |
1942年(昭和17年)8月7日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月9日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)8月10日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月11日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)8月12日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月14日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)8月15日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月16日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)8月18日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月19日 | 佐伯発。 対潜訓練。 |
1942年(昭和17年)8月21日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月23日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)8月24日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月26日 | 佐伯発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)8月29日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)8月30日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)9月1日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)9月2日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)9月4日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)9月5日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)9月7日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)9月8日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)9月10日 | 佐伯発。 |
1942年(昭和17年)9月11日 | 佐伯着。 |
1942年(昭和17年)9月12日 | 軍令部総長発(大海指133号) 呉鎮守府部隊所属の特設捕獲網艇2隻、特設駆潜艇4隻は作戦に関し連合艦隊司令長官の指揮下に入る。 呉鎮守府司令長官発(呉鎮電令作第39号) 1.佐伯防備隊付属の特設捕獲網艇2隻および特設駆潜艇4隻を作戦に関し連合艦隊司令長官の指揮下に入らしむ。 2.呉防備隊司令官は艇名を通報するとともにPT(トラック)に向け進発の準備に着手せしむべし 連合艦隊司令長官発(連合艦隊電令作第286号) 大海指133号による艦艇を次により作戦に関し各部隊指揮官の指揮下に入る。 1.内南洋部隊(指揮官第四艦隊司令長官) 峯風、旗風、呉鎮守府所属の特設捕獲網艇2隻 2.外南洋部隊(指揮官第八艦隊司令長官) 鴻、鴎、呉鎮守府所属の特設駆潜艇4隻 各艦艇は速やかに「トラック」および「ラボール(ラバウル)」に進出すべし |
1942年(昭和17年)9月13日 | 佐伯防備隊指令発 呉鎮電令作第39号により連合艦隊長官の指揮下に入るべき船艇は次の通り 特設捕獲網艇 檜丸、玉星丸 特設駆潜艇 第十七日東丸、第十八日東丸、第十九日東丸、第二十日東丸 |
1942年(昭和17年)9月14日 | 呉鎮守府参謀長発 連合艦隊電令作第286号により呉鎮電令作第39号の船艇は作戦に関し各部隊指揮官の指揮下に入り速やかに各指定地に進出のことに発令ありたる 1.捕獲網艇2隻 内南洋部隊指揮官(第四艦隊司令長官)「トラック」 2.駆潜艇4隻 外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官)「ラボール(ラバウル)」 |
1942年(昭和17年)9月15日 | 佐伯発。 同日、呉着。 艦隊派遣準備。 |
1942年(昭和17年)9月22日 | 呉鎮守府参謀長発 連合艦隊電令作第286号による特捕網檜丸、玉星丸、特駆潜第十七、第十八、第十九、第二十日東丸の行動予定 呉発 9月23日 父島 9月27日着(28日発) PS(サイパン) 10月2日着(3日発) PT(トラック) 10月6日着 特駆潜はPTより分離7日同地発12日RR(ラバウル)着 |
1942年(昭和17年)9月23日 | 呉発。 同日、佐伯着。 |
1942年(昭和17年)9月24日 | 佐伯発。 作戦地へ。 |
1942年(昭和17年)10月1日 | 軍隊区分「カ」号作戦兵力部署):R方面防備部隊 |
1942年(昭和17年)12月29日 | 外南洋部隊から除かれる。 第百二十五駆潜隊所属となる。 |
1942年(昭和17年)12月29日 | 戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第二南遣艦隊第二十五特別根拠地隊第百二十五駆潜隊。 |
1942年(昭和17年)12月29日 | 軍隊区分:主隊。 |
1943年(昭和18年)1月15日 | ラバウル発。 |
1943年(昭和18年)1月16日 | カビエン着。 |
1943年(昭和18年)1月17日 | カビエン発。 |
1943年(昭和18年)1月21日 | ホーランジャ着。 |
1943年(昭和18年)1月22日 | ホーランジャ発。 |
1943年(昭和18年)2月1日 | ホーランジャ着。 |
1943年(昭和18年)2月4日 | ホーランジャ発。 |
1943年(昭和18年)2月5日 | ワクデ着。 |
1943年(昭和18年)2月17日 | ワクデ発。 |
1943年(昭和18年)2月20日 | マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)3月2日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)3月3日 | ソロン着。 |
1943年(昭和18年)3月5日 | ソロン発。 「海城丸」護衛。 |
1943年(昭和18年)3月6日 | ブラ着。 同日、ブラ発。 |
1943年(昭和18年)3月8日 | アンボン着。 |
1943年(昭和18年)3月27日 | アンボン発。 「北昭丸」護衛。 |
1943年(昭和18年)3月30日 | ブラ着。 |
1943年(昭和18年)4月6日 | ブラ発。 |
1943年(昭和18年)4月7日 | アンボン着。 |
1943年(昭和18年)4月10日 | アンボン発。 |
1943年(昭和18年)4月12日 | ケンダリ着。 |
1943年(昭和18年)4月14日 | ケンダリ発。 「若鷹」護衛。 |
1943年(昭和18年)4月16日 | マカッサル着。 同日、マカッサル発。 「大丸」「鳶丸」護衛。 |
1943年(昭和18年)4月22日 | スラバヤ着。 |
1943年(昭和18年)6月 | スラバヤ発。 ジャカルタで入渠 。 |
1943年(昭和18年)6月21日 | ジャカルタよりアンボン着。 |
1943年(昭和18年)6月27日 | アンボンよりソロン着。 |
1943年(昭和18年)7月1日 | ソロン発。 |
1943年(昭和18年)7月2日 | コカス着。 |
1943年(昭和18年)7月3日 | ソロン着。 |
1943年(昭和18年)7月6日 | ソロン発。 |
1943年(昭和18年)7月9日 | マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)7月11日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)7月13日 | ファクファク着。 同日、ファクファク発。 |
1943年(昭和18年)7月15日 | カイマナ着。 |
1943年(昭和18年)7月16日 | カイマナ発。 |
1943年(昭和18年)7月17日 | ファクファク着。 同日、ファクファク発。 |
1943年(昭和18年)7月19日 | バボ着。 |
1943年(昭和18年)7月20日 | バボ発。 |
1943年(昭和18年)7月21日 | ソロン着。 |
1943年(昭和18年)7月22日 | ソロン発。 |
1943年(昭和18年)7月23日 | マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)7月26日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)8月2日 | セルイ着。 |
1943年(昭和18年)8月3日 | セルイ発。 |
1943年(昭和18年)8月4日 | ナビレ着。 |
1943年(昭和18年)8月5日 | ナビレ発。 |
1943年(昭和18年)8月6日 | マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)8月7日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)8月8日 | ソロン着。 |
1943年(昭和18年)8月13日 | ソロン発。 |
1943年(昭和18年)8月14日 | マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)8月15日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)8月16日 | セルイ着。 |
1943年(昭和18年)8月18日 | セルイ発。 |
1943年(昭和18年)8月27日 | セルイ着。 |
1943年(昭和18年)9月2日 | セルイ発。 同日、ナビレ着。 |
1943年(昭和18年)9月3日 | ナビレ発。 |
1943年(昭和18年)9月4日 | セルイ着。 |
1943年(昭和18年)9月26日 | セルイ発。 |
1943年(昭和18年)9月28日 | セルイ着。 |
1943年(昭和18年)10月1日 | セルイ発。 |
1943年(昭和18年)10月2日 | マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)10月4日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)10月7日 | コカス着。 |
1943年(昭和18年)10月8日 | コカス発。 |
1943年(昭和18年)10月9日 | カイマナ着。 |
1943年(昭和18年)10月17日 | カイマナ発。 |
1943年(昭和18年)10月18日 | ファクファク着。 |
1943年(昭和18年)10月19日 | ファクファク発。 |
1943年(昭和18年)10月20日 | カブイ湾着。 |
1943年(昭和18年)10月25日 | カブイ湾発。 同日、ソロン着。 ソロン発。 |
1943年(昭和18年)11月4日 | カウ湾泊地発。 |
1943年(昭和18年)11月6日 | マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)11月7日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)11月9日 | カウ着。 |
1943年(昭和18年)11月15日 | カウより第4次船団護衛。 マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)11月16日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)11月18日 | カウ着。 |
1943年(昭和18年)11月26日 | マノクワリ着。 軍隊区分:機密第六警備部隊命令作第1号:南西方面部隊東印部隊第六警備部隊主隊。 軍隊区分:第二十六特別根拠地隊指揮官の作戦指揮下。 |
1943年(昭和18年)11月28日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)11月30日 | ワシレ着。 戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第四南遣艦隊第二十五特別根拠地隊第百二十五駆潜隊。 |
1943年(昭和18年)12月4日 | 「鎮海丸」護衛。カウ発。 同日、ソロン着。 |
1943年(昭和18年)12月6日 | ソロン発。 |
1943年(昭和18年)12月8日 | カウ着。 |
1943年(昭和18年)12月15日 | 軍隊区分:南西方面部隊濠北部隊第六警備部隊主隊。 |
1943年(昭和18年)12月15日 | カウ発。 船団護衛。 |
1943年(昭和18年)12月17日 | マノクワリ着。 |
1943年(昭和18年)12月20日 | マノクワリ発。 |
1943年(昭和18年)12月22日 | ワシレ。 |
1943年(昭和18年)12月26日 | カウ発。 「金鈴丸」」護衛。 |
1943年(昭和18年)12月27日 | ソロン着。 |
1943年(昭和18年)12月29日 | ソロン発。 |
1943年(昭和18年)12月31日 | アンボン着。 |
1944年(昭和19年)1月1日 | アンボン発。 対潜掃蕩。 |
1944年(昭和19年)1月4日 | アンボン着。 |
1944年(昭和19年)1月15日 | アンボン発。 |
1944年(昭和19年)1月17日 | アンボン着。 |
1944年(昭和19年)1月18日 | アンボン発。 |
1944年(昭和19年)1月20日 | カウ着。 |
1944年(昭和19年)1月29日 | カウ発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)1月31日 | ソロン着。 |
1944年(昭和19年)2月3日 | ソロン発。 漁船団護衛。 |
1944年(昭和19年)2月5日 | マノクワリ着。 |
1944年(昭和19年)2月8日 | マノクワリ発。 漁船団護衛。 |
1944年(昭和19年)2月9日 | セルイ着。 |
1944年(昭和19年)2月11日 | セルイ発。 |
1944年(昭和19年)2月13日 | ワクデ着。 |
1944年(昭和19年)2月14日 | 第六警備部隊電令作第10号:第六警備部隊亀輸送護衛艦。 |
1944年(昭和19年)2月15日 | ワクデ |
1944年(昭和19年)2月16日 | ホーランジャ着。 |
1944年(昭和19年)2月17日 | ホーランジャ発。 |
1944年(昭和19年)2月19日 | セルイ着。 |
1944年(昭和19年)2月20日 | セルイ発。 |
1944年(昭和19年)2月21日 | マノクワリ着。 |
1944年(昭和19年)2月23日 | マノクワリ発。 |
1944年(昭和19年)2月25日 | ワシレ着。 |
1944年(昭和19年)2月27日 | ワシレ発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)2月29日 | マノクワリ着。 |
1944年(昭和19年)3月1日 | 第六警備部隊電令作第60号: 3月6日ワシレ発予定の「~祐丸」「山形丸」「昌元丸」「日泰丸*」「天長丸」をワシレからマノクワリ迄 「~祐丸」「山形丸」及びマノクワリ在泊中の「豐丸」をマノクワリよりビアク迄 「~祐丸」「山形丸」「豐丸」をビアクよりマノクワリ迄 「~祐丸」「山形丸」の外にマノクワリ在泊中の「昌元丸」「日泰丸」「天長丸」「~隆丸」を第百五號掃海特務艇と共にマノクワリよりワシレ迄護衛 (* 実際には「日泰丸」は船団に加わらず、その後の加入船も変更) |
1944年(昭和19年)3月2日 | 第六警備部隊電令作第64号:電令作第60号中「第十八日東丸」の行動改正 「豐丸」貨物搭載出来次第同船のマノクワリ−ビアク間往復護衛に任じたる後何分の令ある迄マノクワリにて待機。 |
1944年(昭和19年)3月5日 | マノクワリ発。 同日、ボム着。 |
1944年(昭和19年)3月6日 | ボム発。 同日、マルメラ着。 |
1944年(昭和19年)3月10日 | マルメラ発。 同日、ボム着。 |
1944年(昭和19年)3月11日 | ボム発。 同日、マノクワリ着。 |
1944年(昭和19年)3月14日 | 第六警備部隊電令作第73号:特令ある迄未発航船団の出発を止め所在地にて待機。 |
1944年(昭和19年)3月19日 | 第六警備部隊電令作第78号:予定の如く行動。 |
1944年(昭和19年)3月22日 | マノクワリ発。 |
1944年(昭和19年)3月24日 | ワシレ発。 |
1944年(昭和19年)3月28日 | ワシレ着。 |
1944年(昭和19年)3月30日 | アンボン着。 |
1944年(昭和19年)4月3日 | アンボン発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)4月6日 | ケンダリ着。 |
1944年(昭和19年)4月7日 | ケンダリ発。 |
1944年(昭和19年)4月9日 | マルメラ着。 |
1944年(昭和19年)4月10日 | マルメラ発。 |
1944年(昭和19年)4月14日 | スラバヤ着。 |
1944年(昭和19年)4月18日 | 入渠。 |
1944年(昭和19年)4月24日 | 出渠。 |
1944年(昭和19年)5月1日 | スラバヤ発。 |
1944年(昭和19年)5月4日 | マカッサル着。 |
1944年(昭和19年)5月6日 | マカッサル発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)5月8日 | ケンダリ着。 |
1944年(昭和19年)5月15日 | アンボン着。 |
1944年(昭和19年)5月15日 | 軍隊区分:機密第六警備部隊命令作第7号:南西方面部隊濠北部隊第六警備部隊主隊。 |
1944年(昭和19年)5月17日 | アンボン発。 「宮浦丸」護衛。 |
1944年(昭和19年)5月20日 | 16:00頃モロタイ水道西口で陸軍徴傭船「宮浦丸」被雷沈没。 |
1944年(昭和19年)5月21日 | ハルマヘラ島ワシレ着。 |
1944年(昭和19年)5月28日 | ハルマヘラ島カウ発。 同日、モロタイ着。 |
1944年(昭和19年)5月29日 | モロタイ発。 |
1944年(昭和19年)5月30日 | モロタイ着。 |
1944年(昭和19年)5月31日 | モロタイ発。 同日、カウ着。 |
1944年(昭和19年)6月4日 | カウ発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)6月7日 | ソロン着。 |
1944年(昭和19年)6月10日 | 艦隊区分:機密第四南遣艦隊法令第20号:第二十五特別根拠地隊(2402)。 |
1944年(昭和19年)6月10日 | 軍隊区分:機密濠北部隊命令作第8号:第六警備部隊。 |
1944年(昭和19年)6月11日 | ソロン発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)6月13日 | カウ着。 第六警備部隊電令作第153号:陸軍船「湖北丸」をワシレよりアンボン迄護衛後カウに帰投 |
1944年(昭和19年)6月15日 | カウ発。 船団護衛。 同日、インゲラン島北端着。 インゲラン島北端発。 |
1944年(昭和19年)6月16日 | オウタク島着。 |
1944年(昭和19年)6月17日 | オウタク島発。 同日、コタニア湾着。 |
1944年(昭和19年)6月18日 | コタニア湾発。 同日、ロバンツレ着。 |
1944年(昭和19年)6月19日 | ロバンツレ発。 同日、アンボン着。 |
1944年(昭和19年)6月24日 | アンボン発。 船団護衛。 同日、ブル島ナムレア着。 |
1944年(昭和19年)6月25日 | ブル島ナムレア発。 |
1944年(昭和19年)6月26日 | バンガイ北端着。 |
1944年(昭和19年)6月27日 | バンガイ北端発。 同日、プロトア着。 プロトア発。 フレスコ岬着。 |
1944年(昭和19年)6月28日 | フレスコ岬発。 同日、ビートン着。 |
1944年(昭和19年)7月1日 | 艦隊区部:機密第四南遣艦隊法令第22号:第二十五特別根拠地隊(425)。 |
1944年(昭和19年)7月7日 | ビートン発。 「湖北丸」護衛。 |
1944年(昭和19年)7月8日 | テルナテ着。 |
1944年(昭和19年)7月11日 | テルナテ発。 「星光丸」護衛。 |
1944年(昭和19年)7月13日 | カウ着。 |
1944年(昭和19年)7月19日 | カウ発。 「辰泰丸」護衛。 同日、トベロ着。 |
1944年(昭和19年)7月20日 | トベロ発。 同日、ロロダ着。 |
1944年(昭和19年)7月21日 | パチヒ発。 |
1944年(昭和19年)7月22日 | オビラツ着。 |
1944年(昭和19年)7月23日 | オビラツ発。 同日、ワンラブ着。 |
1944年(昭和19年)7月24日 | アンボン着。 |
1944年(昭和19年)7月25日 | 軍隊区分:機密濠北部隊命令作第14号:第五警備部隊。 |
1944年(昭和19年)7月26日 | アンボン発。 「せれべす丸」護衛。 |
1944年(昭和19年)8月1日 | ビートン着。 |
1944年(昭和19年)8月2日 | 濠北部隊電令作第171号:カウ回航。 |
1944年(昭和19年)8月2日 | ビートン発。 |
1944年(昭和19年)8月4日 | カウ着。 |
1944年(昭和19年)8月6日 | カウ発。 「昌榮丸」「東祥丸」護衛。 |
1944年(昭和19年)8月11日 | アンボン着。 |
1944年(昭和19年)8月14日 | 「東祥丸」護衛。アンボン発。 |
1944年(昭和19年)8月15日 | (S04.30-E125.36)でアメリカ陸軍航空隊B-24の空襲により「東祥丸」遭難、乗員救助。 |
1944年(昭和19年)8月17日 | ケンダリ着。 |
1944年(昭和19年)8月19日 | ケンダリ発。 |
1944年(昭和19年)8月20日 | (S04.42-E126.15)で対空戦闘。 |
1944年(昭和19年)8月21日 | アンボン着。 |
1944年(昭和19年)8月24日 | アンボン発。 |
1944年(昭和19年)8月25日 | 濠北部隊電令作第195号:第五号掃海艇を護衛。 |
1944年(昭和19年)8月26日 | 濠北部隊電令作第197号:第五号掃海艇を護衛終了後、マニラ回航、同地付近の対潜哨戒に協力。 |
1944年(昭和19年)8月27日 | スターリング着。 |
1944年(昭和19年)8月28日 | ウオウオニ着。 |
1944年(昭和19年)8月30日 | 濠北部隊電令作第199号:マニラ回航の途次各部協議に応じ護衛に協力。 |
1944年(昭和19年)9月2日 | マカッサル着。 |
1944年(昭和19年)9月3日 | マカッサル発。 |
1944年(昭和19年)9月6日 | バリックパパン着。 |
1944年(昭和19年)9月8日 | バリックパパン発。 「金鈴丸」他護衛。 |
1944年(昭和19年)9月9日 | タラカン着。 |
1944年(昭和19年)9月13日 | タラカン発。 |
1944年(昭和19年)9月15日 | ボンガオ着。 |
1944年(昭和19年)9月15日 | 内令第1086号:第二十五特別根拠地隊所属。 |
1944年(昭和19年)9月0日 | 戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第四南遣艦隊第二十五特別根拠地隊。 |
1944年(昭和19年)9月16日 | ボンガオ発。 |
1944年(昭和19年)9月17日 | サンダカン着。 |
1944年(昭和19年)9月19日 | サンダカン発。 |
1944年(昭和19年)9月24日 | パラハタ着。 |
1944年(昭和19年)9月25日 | パラハタ発。 同日、マニラ着。 |
1944年(昭和19年)10月10日 | コロン湾発。 |
1944年(昭和19年)10月11日 | コレヒドール島着。 同日、コレヒドール島対岸Real Pt沖に避泊。 |
1944年(昭和19年)11月6日 | マニラで修理中。 |
1945年(昭和20年)1月10日 | 内令第34号:第二十五根拠地隊所属。 |
1945年(昭和20年)1月10日 | 戦時編制:連合艦隊南西方面艦隊第四南遣艦隊第二十五根拠地隊。 |
1945年(昭和20年)3月1日 | 内令第194号:第十六警備隊所属。 |
1945年(昭和20年)8月15日 | 終戦時残存。 |
1945年(昭和20年)12月31日 | 解傭。 |
1947年(昭和22年)5月3日 | 除籍。 |
第十八日東丸戦歴のデータは戸田源五郎様の「大日本帝國海軍特設艦船DATABASE」より、ご提供頂いた。
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