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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

伊号第二十八潜水艦について

伊号第二十八潜水艦
巡潜乙型(伊15型)

伊号第二十八潜水艦は巡潜乙型(伊十五型)潜水艦の9番艦である。

要目(1)(2)

新造時
艦種一等潜水艦
艦型乙型(伊十五型)
建造所三菱重工業神戸造船所
水上排水量 ※12,198トン(基準)/2,584トン(常備)
水中排水量 ※13,654トン
垂線間長102.40m
全長108.70m
最大幅9.30m
喫水5.14m
主機艦本式2号10型ディーゼル2基、2軸
主電動機特5型2基
蓄電池2号5型×240
出力12,400馬力(水上)/2,000馬力(水中)
速力23.6ノット(水上)/8ノット(水中)
燃料重油:774トン
航続力16ノットで14,000浬(水上)/3ノットで96浬(水中)
乗員94名
兵装40口径十一年式14cm単装砲1基
九六式25mm連装機銃1基
九五式53cm魚雷発射管6門(艦首)
九五式魚雷17本
射出機呉式一号四型1基
航空機水上偵察機1機
安全潜航深度100m
その他

伊号第二十八潜水艦艦歴(3)(4)

年月日履歴
1939年(昭和14年)9月25日第百四十一号艦として、三菱重工業神戸造船所において起工。 
1940年(昭和15年)9月1日伊号第三十一潜水艦と命名。 
1940年(昭和15年)12月17日進水。 
1941年(昭和16年)11月1日伊号第二十八潜水艦と改名。
1942年(昭和17年)2月6日竣工。 本籍を呉鎮守府と定める。 第六艦隊(連合艦隊)付属に編入。 戦時編制。 先遣部隊(第六艦隊)付属部隊(当潜水艦長指揮)に編入、内海西部において、就役訓練に従事。神戸発、呉に向かう。 
1942年(昭和17年)2月24日第六艦隊付属から除かれる。 第十四潜水隊(第六艦隊付属)に加える。 先遣部隊(第六艦隊)付属部隊(第十四潜水隊司令指揮)に編入。 引き続き、内海西部において、就役訓練に従事。 司令潜水艦に当艦が指定される。 
1942年(昭和17年)3月1日司令潜水艦を当艦から伊号第二十九潜水艦に変更。 
1942年(昭和17年)3月10日第十四潜水隊は、第六艦隊付属から除かれ、第八潜水戦隊(第六艦隊)に編入。 戦隊は、先遣部隊(第六艦隊)第八潜水部隊(第八潜水戦隊)に編入、就役訓練と出撃準備を下令される。 
1942年(昭和17年)3月20日隊は、内海西部において、甲標的との訓練に当たる。 
1942年(昭和17年)3月31日隊は、先遣部隊(第六艦隊)乙潜水部隊(第十四潜水隊司令指揮)に編入、敵主要艦隊の捜索、攻撃および敵海上交通破壊を下令される。 作戦予定地域は未定。 
1942年(昭和17年)4月10日隊は、先遣部隊(第六艦隊)東方先遣支隊(第三潜水隊司令指揮)に編入、MO作戦に協力、要地偵察ほかを下令される。 
1942年(昭和17年)4月15日呉発、広島湾において待機。 
1942年(昭和17年)4月16日隊は東方先遣支隊と、広島湾発、トラックに向かう。 
1942年(昭和17年)4月18日対米国艦隊作戦第三法を下令される。 アメリカ機動部隊が本土を空襲。 隊は、東方先遣支隊と、邀撃のため、小笠原北方を経て、50度方向に索敵掃航を下令される。 
1942年(昭和17年)4月19日隊は、東方先遣支隊と、第八潜水戦隊司令官の指揮下に、J散開線(東経147度)を経て、L散開線(東経160度)に向かい、索敵掃航を下令される。 隊は、東方先遣支隊と、夕刻、原任務に復帰を下令される。 隊は、東方先遣支隊と、転針、トラックに向かう。 
1942年(昭和17年)4月20日対米国艦隊作戦第三法止めを下令される。 
1942年(昭和17年)4月24日トラックに到着、補給待機。 
1942年(昭和17年)4月30日第十四潜水隊主力(当艦、伊号第二十九潜水艦)は、伊号第二十四潜水艦と、トラック発、ガダルカナル島南西方の散開線に向かう。 
1942年(昭和17年)5月3日僚艦2隻とガダルカナル島西方150〜250浬から、C散開線(基点:南緯15度40分、東経156度37分、待敵方向310度、散開距離40浬)に向かい、アメリカ機動部隊の退路において邀撃を下令され、転針移動。
1942年(昭和17年)5月4日僚艦2隻とD散開線(基点:南緯15度40分、東経156度37分、待敵方向27度、散開距離150浬)に配備の変更を下令されたが、更に6日黎明時までに、C散開線に復帰を下令される。 
1942年(昭和17年)5月6日僚艦2隻とC散開線に到着したが、7日黎明時までに、E散開線(基点:南緯16度40分、東経157度、待敵方向90度、散開距離40浬)に配備の変更を下令され、珊瑚海を南西に進航。 
1942年(昭和17年)5月7日僚艦2隻とE散開線に到着、索敵哨戒。 
1942年(昭和17年)5月8日僚艦2隻とアメリカ機動部隊の追撃を下令され、E散開線から南下。 
1942年(昭和17年)5月10日MO作戦(ポートモレスビー攻略)は中止となり、艦は伊号第二十四潜水艦と、トラックに帰投を下令される。 
1942年(昭和17年)5月11日伊号第二十四潜水艦と、ブーゲンビル島西岸クインカローラにおいて実施を予定した甲標的の搭載を、トラックに変更され、北上。 
1942年(昭和17年)5月16日6:30、ラバウル北方250浬において、機械故障、但し通常の航行に差し支えない旨を報告したのち、消息を絶つ。 
1942年(昭和17年)5月17日珊瑚海からトラックへ帰投中、北緯6度30分、東経6度30分でアメリカ潜水艦「トートグ(Tautog)」の雷撃を受け沈没。
1942年(昭和17年)6月15日除籍。

参考資料

  1. 日本潜水艦史.東京,海人社,1993,p65,世界の艦船.No469 1993/3増刊号 増刊第37集
  2. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p53
  3. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 19巻:伊号 機雷潜・巡潜・海大型・甲型・乙型・丙型.東京,光人社,1997,p133
  4. 渡辺博史.鉄の棺 日本海軍潜水艦部隊の記録 資料編3下.名古屋,ニュータイプ,2005,p639-641

謝辞

アイコンはsinn様の「アイコン工房」より、ご提供頂いた。