巡潜乙型(伊15型)
伊号第三十一潜水艦は巡潜乙型(伊十五型)潜水艦の11番艦である。
新造時 | |
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艦種 | 一等潜水艦 |
艦型 | 乙型(伊十五型) |
建造所 | 横須賀工廠 |
水上排水量 ※1 | 2,198トン(基準)/2,584トン(常備) |
水中排水量 ※1 | 3,654トン |
垂線間長 | 102.40m |
全長 | 108.70m |
最大幅 | 9.30m |
喫水 | 5.14m |
主機 | 艦本式2号10型ディーゼル2基、2軸 |
主電動機 | 特5型2基 |
蓄電池 | 2号5型×240 |
出力 | 12,400馬力(水上)/2,000馬力(水中) |
速力 | 23.6ノット(水上)/8ノット(水中) |
燃料 | 重油:774トン |
航続力 | 16ノットで14,000浬(水上)/3ノットで96浬(水中) |
乗員 | 94名 |
兵装 | 40口径十一年式14cm単装砲1基 九六式25mm連装機銃1基 九五式53cm魚雷発射管6門(艦首) 九五式魚雷17本 |
射出機 | 呉式一号四型1基 |
航空機 | 水上偵察機1機 |
安全潜航深度 | 100m |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1939年(昭和14年)12月16日 | 第百四十四号艦として、横須賀海軍工廠において起工。 |
1940年(昭和15年)5月1日 | 伊号第三十七潜水艦と命名。 |
1941年(昭和16年)3月13日 | 横須賀海軍工廠において進水。 本籍を呉鎮守府と定める。 |
1941年(昭和16年)11月1日 | 伊号第三十一潜水艦と改名。 |
1942年(昭和17年)5月30日 | 竣工。 第十五潜水隊(第一潜水戦隊・第六艦隊)に編入。 戦時編制。 先遣部隊(第六艦隊)第一潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入、内海西部において、就役訓練に従事。 艦の飛行機定数は水偵1と定める。 横須賀において、出港準備。 |
1942年(昭和17年)5月31日 | 横須賀発、内海西部に向かい訓練。 |
1942年(昭和17年)6月2日 | 呉に入港。 以後、内海西部において訓練。 |
1942年(昭和17年)7月 | 第一潜水部隊は、8月中旬以降、インド洋方面作戦を予定。 |
1942年(昭和17年)8月8日 | アメリカ軍のソロモン反攻により、第一潜水部隊は15日までに急速出撃準備を完成し、南東方面部隊の作戦支援を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月12日 | 元山航空隊機が本州東方洋上においてアメリカ軍の不時着水偵を発見、アメリカ機動部隊を警戒のため、第一潜水部隊は急遽出撃、東方海面に進出を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月15日 | 第一潜水部隊と呉発、東京湾東方に向かい索敵掃航したが、夕刻、東進は中止を下令され、ソロモン諸島海域に向かい南下。 |
1942年(昭和17年)8月20日 | 第一潜水部隊とA散開線(南緯7度40分、東経165度〜南緯9度40分、東経163度20分)に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月23日 | 第一潜水部隊とC散開線(南緯7度40分、東経164度〜南緯12度40分、東経162度20分)に配備を下令され、次いで、24日黎明時までにD散開線(南緯12度20分、東経164度40分〜南緯12度20分、東経162度20分)に配備の移動を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月24日 | 第一潜水部隊とD散開線に向かい掃航南下中、16:50、E散開線(南緯9度20分、東経165度06分〜南緯10度20分、東経163度20分)に配備の変更を下令される。 部隊の僚艦が同夜、敵機動部隊を発見、部隊は追撃を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月25日 | 第一潜水部隊と17:20、E2散開線(南緯10度10分、東経164度40分〜南緯12度40分、東経163度20分)に配備の変更を下令されたが、同日、艦は被爆損傷した旗艦伊号第九潜水艦に付き添い、トラックに帰投を下令され、解令北上。 |
1942年(昭和17年)8月26日 | 伊号第九潜水艦の被爆離脱により、南東方面海域の現地潜水部隊の統一指揮官は、第一潜水戦隊司令官から第三潜水戦隊司令官となる。 |
1942年(昭和17年)8月30日 | 伊号第九潜水艦とトラックに帰着、補給休養。 |
1942年(昭和17年)9月5日 | 準備出来次第、トラック発、サンタクルーズ島方面に急行、なし得る限り、12日までに、ヌデニ島グランシオサ湾の敵飛行艇の撃滅を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月6日 | 南東方面海域の現地潜水部隊の統一指揮官は、第三潜水戦隊司令官から第一潜水戦隊司令官となる。 旗艦潜水艦を変更して再進出。 |
1942年(昭和17年)9月7日 | 既令任務に引き続き、バニコロ島飛行偵察を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月8日 | ヌデニ島攻撃後に、第一潜水部隊と、J散開線(南緯12度20分、東経165度〜南緯12度10分、東経162度42分)に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月11日 | 黎明時に、ヌデニ島グランシオサ湾を飛行偵察したのち、8:30湾口に接近、20:00同湾内に侵入。 |
1942年(昭和17年)9月12日 | 0:03、砲撃を開始したが、砲に故障を生じ、開始5分後、照明弾下に反撃(30発)され、至近弾もあり、0:12砲撃を止め潜航避退。 射弾は消炎火薬の焼夷弾10発、戦果は不明と報告。 |
1942年(昭和17年)9月13日 | 早朝、バニコロ島を飛行偵察したが、豪雨のため敵情は不明。 水偵は帰艦着水時に転覆破損。 その後、味方索敵機が、ツラギの123度345浬に敵機動部隊を発見、同地に急行、敵部隊の攻撃を下令される。 第一潜水部隊と、14日0200までに、K散開線(南緯11度40分ね東経165度40分〜南緯13度、東経163度20分)に、配備の移動を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月14日 | 第一潜水部隊と、K散開線に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)9月15日 | 第一潜水部隊と、アメリカ機動部隊を挿捉、攻撃のため、300度方向に進撃を下令され、移動。 艦を含む第一潜水部隊は、先遣部隊第二監視部隊(第一潜水戦隊)に編入、インディスペンサブル海峡南方に配備、ガダルカナル島に対する敵増援の遮断を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月16日 | 第一潜水部隊と、インディスペンサブル海峡南方到着、索敵。 艦は、第一潜水部隊と、Y日(19日の予定)航空撃滅戦に策応して、ソロモン南東海面の策敵掃航を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月17日 | エスピリッサント島の敵水上機基地の奇襲攻撃を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月18日 | 第一潜水部隊と南下、索敵掃航ののち、部隊と解列してエスピリッサント島に向かう。 |
1942年(昭和17年)9月21日 | エスピリッサント島の敵水上機基地を偵察したが、敵飛行艇と母艦は発見できず、インディスペンサブル海峡南方に向かう。 |
1942年(昭和17年)9月24日 | インディスペンサブル海峡南方に到着、部隊と索敵掃航。 |
1942年(昭和17年)9月30日 | 10月1日撤収し、トラックに帰投を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月1日 | ガダルカナル島南東方から撤収、トラックに向かう。 |
1942年(昭和17年)10月4日 | 先遣部隊乙潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入、トラックにおいて整備を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月6日 | トラックに帰着、整備休養。 第一五潜水隊司令は、司潜水艦を伊号第三十三潜水艦から当艦に変更。 |
1942年(昭和17年)10月8日 | 整備終了次第、トラックを出撃、以後の行動は後令と下令される。 |
1942年(昭和17年)10月14日 | トラック発、ソロモン諸島方面に向かう。 |
1942年(昭和17年)10月17日 | 先遣部隊甲潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、ガダルカナル島に対する敵増援遮断のため、サンクリストバル島東方のE散開線に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月18日 | 敵部隊が、南緯12度15分、東経162度22分から東北東に向かうのが発見され、艦は甲潜水部隊と、F散開線に移動を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月19日 | F散開線に到着、甲潜水部隊と索敵哨戒。 甲潜水部隊とY日(22日の予定)、ガダルカナル島総攻撃に策応して、Y−1日以降、南東方に索敵掃航、Y+1日零時、巳散開線(南緯17度50分、東経163度30分〜南緯16度10分、東経166度30分)に到達するよう下令される。 |
1942年(昭和17年)10月20日 | Y日を22日と予定される。 |
1942年(昭和17年)10月21日 | 甲潜水部隊と零時、F散開線から南東方に索敵掃航、巳散開線に向かったが、Y日が23日となり、G散開線において待機を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月22日 | R方面航空部隊の哨戒機が、南緯12度55分、東経161度12分において、戦艦を基幹とする敵部隊の発見を報告。 12:30、艦は甲潜水部隊とこの敵を捕捉するため、F1散開線にY日黎明時まで待機と下令され、23:00到着、待機。 |
1942年(昭和17年)10月23日 | 甲潜水部隊と零時、F1散開線から南東方に索敵掃航、巳散開線に向かったが、Y日が24日となり、H散開線において待機と下令される。 |
1942年(昭和17年)10月24日 | 甲潜水部隊と黎明時から南下、巳散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)10月25日 | 甲潜水部隊と南下中、26日敵艦隊はガダルカナル島南東海面に出現の算大として、]散開線において待機と下令される。 |
1942年(昭和17年)10月26日 | 南太平洋海戦が起こり、味方機がレンネル島西方に敵戦艦部隊の発見を報告したが、甲潜水部隊は45度方向に水上進撃、サンタクルーズ諸島北方の敵空母の攻撃を下令される。 艦は甲潜水部隊と、18:15以降に水上進撃に移り、先遣部隊指揮官は敵機動部隊の攻撃に間に合わず、敵はエスピリッサント方面に避退すると判断。 艦は、バンクス諸島東方のJ1散開線に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月27日 | 甲潜水部隊と、J1散開線に到着、待敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)10月31日 | 先遣部隊直率潜水部隊(第六艦隊司令長官指揮)に編入、スバおよびツツイラの飛行偵察を下令される。 サンクリストバル島南方から、フィジー諸島に向かう。 |
1942年(昭和17年)11月4日 | フィジー諸島に進出、スバを飛行偵察。 |
1942年(昭和17年)11月11日 | パゴパゴを飛行偵察。 |
1942年(昭和17年)11月12日 | 先遣部隊乙潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入、ガダルカナル島に対する敵増援遮断を下令される。 サモア方面から、サンクリストバル島南方に向かう。 |
1942年(昭和17年)11月16日 | ショートランドに回航、乙潜水部隊指揮官の指揮下に、ガダルカナル島に対する補給輸送を1回実施後、トラックに帰投を下令される。 サンクリストバル島南方からショートランドに向かう。 |
1942年(昭和17年)11月20日 | ショートランドに到着、輸送準備。 搭載水偵は卸されたと思われる。 |
1942年(昭和17年)11月25日 | ショートランド発、ガダルカナル島に向かう。 |
1942年(昭和17年)11月27日 | ガダルカナル島カミンボ着、糧食等30トンを揚陸、帰航。 |
1942年(昭和17年)11月29日 | ショートランドに帰着、同日発、トラックに向かう。 |
1942年(昭和17年)12月2日 | トラックに帰着、整備休養。 |
1942年(昭和17年)12月22日 | トラック発、ショートランドに向かう。 |
1942年(昭和17年)12月25日 | ショートランドに寄港、同日発、ガダルカナル島に向かう。 |
1942年(昭和17年)12月27日 | ガダルカナル島カミンボ着、ゴム袋糧食等15トンを揚陸、帰航。 |
1942年(昭和17年)12月28日 | モノ島135度40浬において、浮上潜水艦を雷撃、効果なし。 |
1942年(昭和17年)12月29日 | 敵潜水艦を更に二回雷撃したが、命中しなかった。 |
1942年(昭和17年)12月30日 | ショートランドに帰着、待機。 先遣部隊直率潜水部隊(第六艦隊司令長官指揮)に編入、内地に帰投、整備を下令される。 |
1943年(昭和18年)1月1日 | ショートランド発、トラックに向かう。 |
1943年(昭和18年)1月4日 | トラックに帰着、補給待機。 |
1943年(昭和18年)1月7日 | 第十五潜水隊司令は、司令潜水艦を当艦から伊号第三十二潜水艦に変更。 トラック発、呉に向かう。 |
1943年(昭和18年)1月13日 | 呉に帰着、整備休養。 |
1943年(昭和18年)2月1日 | 先遣部隊(第六艦隊)から除かれる。 北方部隊(第五艦隊)潜水部隊(第十二潜水隊司令指揮)に編入、アリューシャン列島方面の敵海上交通破壊、キスカ島防備に協力を下令される。 |
1943年(昭和18年)2月23日 | 北方部隊潜水部隊は、第五艦隊司令長官の直率となり、アッツ島防備協力および、敵艦隊撃滅を下令される。 |
1943年(昭和18年)2月25日 | 呉発、幌筵に向かう。 |
1941年(昭和16年)3月3日 | 幌筵に到着、輸送物件を搭載、13:00発、アッツ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月9日 | アッツ島着、物件を揚陸して、同日、キスカ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月13日 | キスカ島着、物件を揚陸して、同日、幌筵島に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月19日 | 幌筵に帰着、輸送準備。 |
1943年(昭和18年)3月22日 | 幌筵発、アガッツ島南方に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月25日 | アガッツ島南方の監視配備につく。 |
1943年(昭和18年)3月29日 | 搭載物件をキスカ島に揚陸後、セミチ島に至り、周辺を偵察、敵艦隊攻撃を下令される。 この発令に、高松宮は何の理由かと疑問を日記に付記、艦はこの命令とは違う行動となる。 |
1943年(昭和18年)3月31日 | 17:00キスカ島着、物件を揚陸、同日、アッツ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)4月2日 | アッツ島着、弾薬を搭載、同日、キスカ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)4月5日 | キスカ島着、弾薬を揚陸、同日発、幌筵に向かう。 |
1943年(昭和18年)4月10日 | 19:00、幌筵に帰着、輸送準備。 |
1943年(昭和18年)4月15日 | 陸軍北海守備隊第二地区隊長山崎大佐ほかと、物件を収容して、20:00幌筵発、アッツ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)4月18日 | 17:00、アッツ島着、人員、物件を揚陸、同日発、幌筵に向かう。 |
1943年(昭和18年)4月21日 | 幌筵に帰着、輸送準備。 |
1943年(昭和18年)4月23日 | 6:00、幌筵発、キスカ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)4月27日 | キスカ島着、物件を揚陸、同日発、幌筵に向かう。 |
1943年(昭和18年)5月1日 | 幌筵に帰着、輸送準備。 |
1941年(昭和16年)5月8日 | 第五艦隊参謀江本少佐を収容し、幌筵発、アッツ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)5月10日 | アッツ島着、江本参謀等を揚陸、同日、キスカ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)5月12日 | アメリカ軍はアッツ島上陸。 先遣部隊は速やかに同島方面に潜水艦を集中、敵艦隊と輸送船の撃滅を下令される。 キスカ島に到着、物件を揚陸、同日、アッツ島沖に向かう。 |
1943年(昭和18年)5月13日 | アッツ島沖着、13:25、ホルツ湾において、米戦艦ペンシルバニアを雷撃(2本)、命中と報告。 (アメリカ軍側に該当資料なし。) 以後、消息を絶つ。 アメリカ艦隊襲撃後、アメリカ駆逐艦「エドワーズ(Edwards)」と「ファラガット(Farragut)」の爆雷攻撃および砲撃により沈没。 |
1943年(昭和18年)5月14日 | アッツ島付近において亡失認定。 |
1943年(昭和18年)8月20日 | 除籍。 |
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