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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

伊号第五十二潜水艦について

伊号第五十二潜水艦は巡潜丙型改(伊五十二型)潜水艦の1番艦である。

要目(1)(2)

新造時
艦種一等潜水艦
艦型丙型改(伊五十二型)
建造所呉工廠
水上排水量 ※12,095トン(基準)/2,564トン(常備)
水中排水量 ※12,644トン
垂線間長102.40m
全長108.70m
最大幅9.30m
喫水5.12m
主機艦本式22号10型ディーゼル2基、2軸
主電動機特8型2基
蓄電池1号13型×240
出力4,700馬力(水上)/1,200馬力(水中)
速力17.7ノット(水上)/6.5ノット(水中)
燃料重油:842.8トン
航続力16ノットで21,000浬(水上)/3ノットで105浬(水中)
乗員94名
兵装40口径十一年式14cm単装砲2基
九六式25mm連装機銃1基
九五式53cm魚雷発射管6門(艦首)
九五式魚雷17本
安全潜航深度100m
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)

艦歴(3)(4)

年月日履歴
1942年(昭和17年)3月18日呉海軍工廠において起工。
1942年(昭和17年)8月20日伊号第五十二潜水艦と命名。 本籍地を呉鎮守府籍と仮定。
1942年(昭和17年)11月10日進水。 本籍地を呉鎮守府籍と定める。
1943年(昭和18年)12月28日竣工。  先遣部隊(第六艦隊)第十一潜水部隊(第十一潜水戦隊)に編入。 呉発。 伊予灘で訓練。
1944年(昭和19年)1月13日別府着。 休養待機。
1944年(昭和19年)1月15日別府発。 伊予灘で訓練。
1944年(昭和19年)1月22日呉着。 補給整備。
1944年(昭和19年)1月24日遣独連絡艦に指定される。
1944年(昭和19年)1月31日呉発。 江田内着。 待機。
1944年(昭和19年)2月1日江田内発。 伊予灘で訓練。
1944年(昭和19年)2月9日別府着。 休養待機。
1944年(昭和19年)2月11日別府発。 伊予灘で訓練。
1944年(昭和19年)2月22日呉着。 遣独準備。
1944年(昭和19年)3月金塊2トン他を大阪造幣局から運び、積み込む。
1944年(昭和19年)3月10日先遣部隊(第六艦隊)から除かれ、南東方面部隊(南東方面艦隊)潜水部隊(第八潜水戦隊)に編入。 インド洋を経由して、遣独任務の実施を下令される。 呉発。 シンガポールへ向かう。
1944年(昭和19年)3月23日シンガポール着。 補給。 遣独準備。
1944年(昭和19年)4月28日シンガポール発。 インド洋を経てフランス北岸へ向かう。
1944年(昭和19年)6月10日北大西洋に到達したが、連合軍のノルマンディ上陸が開始され、入港予定先のロリアンは危険となったため、離脱南下し、ベルリンと入港先の連絡にあたる。
1944年(昭和19年)6月21日ドイツ潜水艦との会合を指定される。
1944年(昭和19年)6月23日アゾレス諸島西方の指定水域において、ドイツ潜水艦「U-530」と会合。 ドイツ側連絡士官「シェーファー大尉」と電探操作員2名を収容。
1944年(昭和19年)6月24日ドイツ潜水艦と離別し、ビスケー湾に向かうが、以後消息不明。
1944年(昭和19年)6月24日ビスケー湾(北緯15度16分、西経39度55分)でアメリカ護衛空母「ボーグ(Bogue)」艦載機の爆撃を受け沈没。
1944年(昭和19年)8月2日ビスケー湾で亡失認定。 
1944年(昭和19年)12月10日除籍。

参考資料

  1. 日本潜水艦史.東京,海人社,1993,p72,世界の艦船.No469 1993/3増刊号 増刊第37集
  2. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p53
  3. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 19巻:伊号 機雷潜・巡潜・海大型・甲型・乙型・丙型.東京,光人社,1997,p136
  4. 渡辺博史.鉄の棺 日本海軍潜水艦部隊の記録 資料編 3下.名古屋,ニュータイプ,2005,p833-835