伊号第百七十一潜水艦は海大6型a(伊六十八型)潜水艦の4番艦である。
新造時 | |
---|---|
艦種 | 一等潜水艦 |
艦型 | 海大6型a(伊六十八型) |
建造所 | 三菱重工業神戸造船所 |
水上排水量 ※1 | 1,400トン(基準)/1,785トン(常備) |
水中排水量 ※1 | 2,440トン |
垂線間長 | 98.40m |
全長 | 104.70m |
最大幅 | 8.20m |
喫水 | 4.58m |
主機 | 艦本式1号甲8型ディーゼル2基、2軸 |
主電動機 | 閉鎖通風型2基 |
蓄電池 | |
出力 | 8,000馬力(水上)/1,800馬力(水中) |
速力 | 23ノット(水上)/8.2ノット(水中) |
燃料 | 重油:338トン |
航続力 | 10ノットで14,000浬(水上)/3ノットで65浬(水中) |
乗員 | 68名 |
兵装 | 50口径八八式10cm単装高角砲1基 保式13mm単装機銃1基 留式7.7mm単装機銃1基 八八式53cm魚雷発射管4門(艦首) 2門(艦尾) 魚雷14本 |
安全潜航深度 | 70m |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
---|---|
1932年(昭和7年)12月20日 | 伊号第七十叫潜水艦と命名。 |
1933年(昭和8年)6月15日 | 神戸川崎造船所において起工。 |
1934年(昭和9年)8月25日 | 進水。 |
1935年(昭和10年)12月24日 | 竣工。 本籍を呉鎮守府と定める。 呉鎮守府部隊に編入。 |
1937年(昭和12年)1月7日 | 第二十潜水隊(呉鎮守府部隊)に編入。 |
1938年(昭和13年)2月1日 | 第二十潜水隊(呉線守府部隊)から除かれる。 |
1938年(昭和13年)7月5日 | 第二十潜水隊(呉鎮守府部隊)に加える。 |
1938年(昭和13年)12月15日 | 第二十潜水隊は第二潜水戦隊(第二艦隊)に編入。 |
1939年(昭和14年)3月21日〜4月3日 | 隊は戦隊と佐世保から北支方面に向かい、有明湾に帰着。 |
1939年(昭和14年)3月21日〜4月3日 | 隊は戦隊と佐世保から北支方面に向かい、有明湾に帰着。 |
1939年(昭和14年)8月6日〜26日 | 隊は戦隊と宿毛沖から南洋方面に向かい、岸和田沖に帰着。 |
1939年(昭和14年)11月15日 | 第二潜水戦隊は解隊。 第二十潜水隊は第三潜水戦隊(第二艦隊)に編入。 |
1940年(昭和15年)3月26日〜4月2日 | 隊は戦隊と中城湾から南支方面に向かい、高雄に到着。 |
1940年(昭和15年)8月25日 | 戦隊と横須賀から南洋方面に向かう。 |
1940年(昭和15年)9月21日 | 横須賀に帰着。 |
1940年(昭和15年)11月15日 | 第三潜水戦隊は第六艦隊に編入。 |
1941年(昭和16年)3月3日 | 呉から南洋方面に向かう。 |
1941年(昭和16年)3月22日 | 司令潜水艦を伊号第七十二潜水艦から当艦に変更。 |
1941年(昭和16年)6月10日 | 司令潜水艦を当艦から伊号第七十三潜水艦に変更。 |
1941年(昭和16年)9月1日 | 連合艦隊は戦時編制。 |
1941年(昭和16年)11月5日 | 第三潜水戦隊は先遣部隊(第六艦隊)に編入、機動部隊(第一航空艦隊)の作戦に協力、ハワイ方面アメリカ艦隊の監視、攻撃を下令される。 |
1941年(昭和16年)11月10日 | 第三潜水戦隊は先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、オアフ島南方海面において、奇襲、監視、ラハイナ泊地の穏密偵察、機動部隊不時着機人員の収容を下令される。 |
1941年(昭和16年)11月11日 | 部隊は佐伯湾からクェゼリンに向かう。 |
1941年(昭和16年)11月20日 | 隊はクェゼリンに到着、補給待機。 |
1941年(昭和16年)11月23日 | 隊は13:30、クェゼリンからハワイ方面に向かう。 |
1941年(昭和16年)12月1日 | 隊はハワイの300浬圏内に入り、隠密裡にオアフ島南方に向かう。 |
1941年(昭和16年)12月2日 | 開戦は8日と下令される。 |
1941年(昭和16年)12月7日 | オアフ島真珠湾口南の外側D1哨区に到着、待機。 |
1941年(昭和16年)12月8日 | 部隊は索敵を開始。 艦は真珠湾口南の内側E1哨区に移動。 |
1941年(昭和16年)12月11日 | 第三潜水戦隊は18日18:00、撤哨してクェゼリンに帰投を下令される。 |
1941年(昭和16年)12月12日 | 敵哨戒艦の爆雷攻撃を受ける。 |
1941年(昭和16年)12月16日 | 帰途、ジョンストン島の砲撃を下令される。 |
1941年(昭和16年)12月18日 | 部隊はオアフ島付近を撤収、クェゼリンに向かう。 |
1941年(昭和16年)12月22日 | 夜間、ジョンストン島に接近、砲撃を行ったが、視界不良のため効果不明。 砲撃ののちクェゼリンに向かう。 |
1941年(昭和16年)12月30日 | クェゼリンに帰着、補給休養。 |
1942年(昭和17年)1月10日 | 第三潜水戦隊は、ハワイ西方550浬においてアメリカ機動部隊を発見との報告により、急遽出撃準備を下令される。 |
1942年(昭和17年)1月12日 | クェゼリンからハワイ西方に向かい、索敵掃航。 |
1942年(昭和17年)1月22日 | ハワイ島付近に到着、監視哨戒。 |
1942年(昭和17年)1月26日 | ハワイ島東岸を北上、索敵。 |
1942年(昭和17年)1月27日 | 第三潜水部隊は2月11日、ハワイ方面監視を打切り、3月3日までに内地に帰投、次期作戦準備を下令される。 |
1942年(昭和17年)1月29日 | オアフ島北東30浬に進出、索敵。 艦はマウイ島西方2浬において、アメリカ貨物船「ジェネラル・ロイヤル・T・フランク(General Royal T Frank、622トン)」を雷撃により撃沈。 |
1942年(昭和17年)2月1日 | アメリカ機動部隊のマーシャル方面来襲により、第三潜水戦隊は4日中に、ニイハウ島西180浬から同南140浬のL散開線に配備、帰途邀撃を下令される。 |
1942年(昭和17年)2月4日 | L散開線に配備、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)2月11日 | 隊はハワイ・マーシャル間の索敵掃航を下令され、L散開線から撤収、クェゼリンに向かう。 |
1942年(昭和17年)2月16日 | クェゼリンに帰着、 |
1942年(昭和17年)2月17日 | 整備休養のため内地に回航予定のところ、アメリカ機動部隊ハワイ出撃の報告により、急遽出撃準備に当たり、ウェーク東方に進出を下令される。 クェゼリンからウェーク東方に向かう。 |
1942年(昭和17年)2月23日 | ウェーク東方に進出、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)2月26日 | ウェーク東方を撤収、呉に向かう。 |
1942年(昭和17年)3月5日 | 呉に帰着、入渠修理。 |
1942年(昭和17年)3月20日 | 第二十潜水隊は解隊、艦は第十二潜水隊(第三潜水戦隊・第六艦隊)に加えられる。 |
1942年(昭和17年)4月10日 | 第三潜水部隊は、東京湾東方700浬付近のG散開線(北緯35度、東経161度付近)に進出、アメリカ機動部隊を警戒、索敵掃航を下令される。 |
1942年(昭和17年)4月16日 | 艦は呉から隊主力を追及し、G散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)4月18日 | 対米艦隊作戦第三法発動を下令される。 部隊と犬吠埼東方410浬の散開線につき、アメリカ機動部隊の邀撃を下令される。 部隊は午後、敵方に進撃を下令され、16:00、第三潜水戦隊は18節で進撃。 |
1942年(昭和17年)4月19日 | 部隊は1:30、90度方向に18節で進撃を下令される。 アメリカ機動部隊は東経155度以東に避退した算大で、戦隊は北緯34度以北を捜索し、敵情を得なければ、K散開線(東経160度)に向かうよう下令される。 部隊は23:00、20日2200までに、S散開線に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)4月20日 | 部隊は12:00、18:00までにT散開線に配備を下令され、次いで14:00、速やかにT散開線を経て250度方向に18節で進撃を下令される。 部隊は19:00、対米艦隊作戦第三法止めを下令されたが、引き続き、警戒を下令され、G散開線(犬吠埼東方950浬)に向かう。 |
1942年(昭和17年)4月21日 | G散開線に到達、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)4月29日 | G散開線を撤収、クェゼリンに向かう。 |
1942年(昭和17年)5月4日 | 第三潜水部隊は13:30、アメリカ機動部隊の出現を警戒して、マーシャル北方300浬のM散開線に移動を下令され、転針進航した。 |
1942年(昭和17年)5月5日 | 第三潜水部隊は、N−5日頃までにミッドウェー−ハワイ間に配備、ミッドウェー攻略作戦に協力を下令される。 |
1942年(昭和17年)5月6日 | 部隊とM散開線に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)5月8日 | M散開線を撤収、クェゼリンに向かう。 |
1942年(昭和17年)5月9日 | クェゼリンに到着、補給待機。 |
1942年(昭和17年)5月14日 | 5月20日付けで、伊号第百七十一潜水艦と改名。 |
1942年(昭和17年)5月21日 | N-5日までに、キューア島およびミッドウェー南東方の甲散開線(北緯20〜24度、西経167度)につき、敵艦船を奇襲、ミッドウェー攻略部隊の作戦に協力を下令される。 |
1942年(昭和17年)5月24日 | クェゼリンからM点(北緯19度、西経174度)に向かう。 |
1942年(昭和17年)5月29日 | M点に到着、待機。 |
1942年(昭和17年)5月31日 | 第二次K作戦は中止となり、艦はM点から甲散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)6月4日 | ミッドウェー南東方の甲散開線に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)6月5日 | 第三潜水部隊と速やかに丙散開線(北緯30度20分〜北緯27度、西経168度40分)の南半部に移動を下令され、北上して移動。 |
1942年(昭和17年)6月6日 | 第三潜水部隊と丙散開線に到着、索敵哨戒。 艦は第三潜水部隊と、16:00から274度方向に進撃し、丙二散開線(北緯30度40分〜北緯27度20分、東経174度)に到達すれば、待機と下令される。 |
1942年(昭和17年)6月7日 | 第三潜水部隊とミッドウェー南方を通過し、S散開線(北緯27度20分〜26度20分、西経180度)に急速進撃を下令される。 部隊と反転し、S散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)6月8日 | 敵機動部隊は7日夕刻、東方に引き揚げたものと判断され、散開線通過の算大として、警戒を下令される。 |
1942年(昭和17年)6月9日 | 第三潜水部隊とS散開線に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)6月13日 | 敵機動部隊はミッドウェー東方にあるとの情報により、艦は部隊とV散開線(北緯27度〜29度、西経175度)に配備の移動を下令される。 部隊と朝から東方に向かい、索敵掃航。 |
1942年(昭和17年)6月15日 | 第三潜水部隊とクェゼリンに帰投を下令される。 部隊とV散開線に到達することなく反転、クェゼリンに向かう。 |
1942年(昭和17年)6月20日 | クェゼリンに到着、補給待機。 |
1942年(昭和17年)6月29日 | 第三潜水部隊は、7月11日クェゼリン発、ニューカレドニア、フィジー、サモア、オーストラリア東岸および南岸の敵海上交通破壊を下令される。 |
1942年(昭和17年)7月 | フィジーからサモアに至る海域の作戦を下令される。 |
1942年(昭和17年)7月6日 | 司令潜水艦を伊号第百六十九潜水艦から当艦に変更。 |
1942年(昭和17年)7月9日 | クェゼリンから、フィジーに向かう。 |
1942年(昭和17年)7月16日 | スパ付近に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)7月24日 | フィジー沖からサモアに向かう。 |
1942年(昭和17年)7月28日 | パゴパゴの偵察に当たる。 |
1942年(昭和17年)7月29日 | ツツイラ方面において商船を雷撃したが、効果がなかった。 |
1942年(昭和17年)8月1日 | サモア沖から撤収、トラックに向かう。 |
1942年(昭和17年)8月7日 | 第三潜水部隊は先遣部隊(第六艦隊)から除かれる。 外南洋部隊(第八艦隊)に編入、ツラギ方面来襲の敵攻撃を下令される。 艦は外南洋部隊(第八艦隊)潜水部隊(第七潜水戦隊)に編入、サンクリストバル島東方海面に配備を下令される。 トラック帰航を止め、マライタ島東方に急行。 |
1942年(昭和17年)8月8日 | 外南洋部隊は南東方面部隊(第十一航空艦隊)に編入。 マライタ島東方に進出、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)8月10日 | 行動力限度に達し、マライタ島東方を撤収、トラックに向かう。 |
1942年(昭和17年)8月15日 | トラックに帰着、応急修理、補給待機。 外南洋部隊から除かれ、先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、内地に帰投、修理を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月17日 | トラックから呉に向かう。 |
1942年(昭和17年)8月24日 | 呉に帰着、入渠修理。 |
1942年(昭和17年)9月 | 司令潜水艦を当艦から伊号第百七十二潜水艦に変更。 |
1942年(昭和17年)10月31日 | 先遣部隊(第六艦隊)直率潜水部隊に編入、第六艦隊司令長官の直率下に、内地において修理整備を下令される。 |
1943年(昭和18年)2月1日 | 先遣部隊(第六艦隊)から除かれる。 北方部隊(第五艦隊)潜水部隊(第十二潜水隊)に編入、アリューシャン列島方面の敵海上交通破壊および、キスカ島の防備に協力を下令される。 |
1943年(昭和18年)2月15日 | 呉から甲標的を搭載して、キスカ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)2月23日 | 北方部隊潜水部隊指揮官は第五艦隊司令長官となる。 |
1943年(昭和18年)2月26日 | キスカ島に到着、甲標的、魚雷、便乗者を揚陸。 |
1941年(昭和16年)2月27日 | キスカ島からアムチトカ島方面の哨区に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月1日 | アムチトカ島付近から撤収、キスカ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月2日 | 15:00キスカ島に到着、航空基地員および物件を収容して、同日アッツ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月4日 | アッツ島に到着、輸送人員物件を揚陸、同日アムチトカ島方面の哨区に向かう。 |
1941年(昭和16年)3月7日 | アムチトカ島方面の哨区に進出、索敵哨戒。 |
1943年(昭和18年)3月13日 | アムチトカ島方面の哨区を撤収、幌筵に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月18日 | 幌筵に到着、補給待機。 |
1943年(昭和18年)3月22日 | 幌筵からアダック島南方の第一散開線に向かう。 |
1943年(昭和18年)3月25日 | 北緯52度55分、西経174度の配備点に到着、索敵哨戒。 |
1943年(昭和18年)3月28日 | アダック島南方から撤哨、キスカ島に向かったが、転輪機故障のため、横須賀に向かう。 |
1943年(昭和18年)4月6日 | 横須賀に到着、入渠修理。 |
1943年(昭和18年)4月21日〜22日 | 横須賀から呉に回航、補給待機。 |
1943年(昭和18年)4月22日 | 北方部隊(第五艦隊)から除かれる。 先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、次期作戦準備を下令される。 |
1943年(昭和18年)5月10日 | 司令潜水艦を伊号第百六十九潜水艦から当艦に変更。 |
1943年(昭和18年)5月13日 | アメリカ軍のアッツ島来攻に伴い、先遣部隊(第六艦隊)から除かれ、北方部隊(第五艦隊)に編入、準備出来次第、西部アリューシャン方面に進出を下令される。 |
1943年(昭和18年)5月15日 | 北方部隊(第五艦隊)潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入、敵退路遮断、敵艦隊攻撃を下令される。 司令潜水艦を当艦から伊号第百七十五潜水艦に変更。 |
1943年(昭和18年)5月17日〜19日 | 呉から横須賀に回航、補給待機。 |
1943年(昭和18年)5月20日 | 北方部隊潜水部隊はケ号作戦により、キスカ島守備隊の撤収輸送を下令される。 |
1943年(昭和18年)5月21日 | 横須賀からアッツ島沖に向かう。 |
1943年(昭和18年)5月29日 | 12:00、アッツ島方面の哨区に到着、索敵哨戒。 |
1943年(昭和18年)5月31日 | アッツ島守備隊の玉砕により、カナガ島北東方のY散開線に移動を下令される。 |
1943年(昭和18年)6月1日 | 18:30、アッツ島方面を撤哨、カナガ島北東方に向かう。 |
1943年(昭和18年)6月3日 | 北方部隊潜水部隊は、ケ号作戦により、キスカ島守備隊の撤収輸送を下令される。 Y散開線に到着、索敵哨戒。 |
1943年(昭和18年)6月4日 | 北緯52度32分、西経178度30分において、敵駆逐艦2隻と遭遇、回避。 タナガ島北方のZ散開線に配備の移動を下令される。 |
1943年(昭和18年)6月5日 | Z散開線に到着、索敵哨戒。 |
1943年(昭和18年)6月6日 | Z散開線を撤収して、キスカ島に向かうよう下令される。 |
1943年(昭和18年)6月7日 | 17:55、Z散開線を撤収し、キスカ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)6月12日 | 18:50キスカ島に到着、弾薬1トン、糧食2トンを揚陸、撤収員60名を収容して、19:40、幌筵に向かう。 |
1943年(昭和18年)6月16日 | 10:00、幌筵に帰着、撤収員を揚陸、補給待機。 |
1943年(昭和18年)6月21日 | 11:00、幌筵からキスカ島に向かう。 |
1943年(昭和18年)6月22日 | 撤収輸送を中止して、帰投を下令され、反転、幌筵に向かい、8:30幌筵に帰着、待機。 |
1943年(昭和18年)6月23日 | 北方部隊潜水部隊は、ケ号作戦の輸送中止を下令される。 |
1943年(昭和18年)6月26日 | 幌筵から、北緯55〜58度、西経170度の配備に向かう。 |
1943年(昭和18年)6月28日 | 潜水部隊(第一潜水戦隊)監視隊に編入、第一潜水戦隊司令官の指揮下に、ケ号第二期作戦に協力、要地監視、敵艦隊攻撃を下令される。 |
1943年(昭和18年)7月1日 | 配備につき、索敵哨戒。 2日後、配備を撤収してウニマク水道北方の監視哨戒を下令される。 |
1943年(昭和18年)7月3日 | 撤哨して、ウニマク水道北方に向かう。 |
1943年(昭和18年)7月8日 | ウニマク水道北方に到着、索敵哨戒。 |
1943年(昭和18年)7月15日 | 東部アリューシャン方面において、敵海上交通破壊の開始を下令される。 |
1943年(昭和18年)7月18日 | 24日0:00までに、E散開線(キスカ島南方東経178度上)につくよう、下令される。 |
1943年(昭和18年)7月24日 | E散開線に到着、索敵哨戒。 |
1943年(昭和18年)7月30日 | 隊はキスカ島南方東西のF散開線につき、敵艦隊攻撃を下令される。 潜水部隊は17:22、ケ号作戦の成功により、撤哨して幌筵に帰投を下令される。 キスカ島南方から幌筵に向かう。 |
1943年(昭和18年)8月2日 | 幌筵に帰着、補給待機。 |
1943年(昭和18年)8月3日 | 第十二潜水隊は北方部隊(第五艦隊)から除かれる。 先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、内地に帰投、次期作戦準備を下令される。 |
1941年(昭和16年)8月4日 | 幌筵から横須賀こ向かう。 |
1941年(昭和16年)8月10日 | 横須賀に帰着、待機。 |
1943年(昭和18年)9月15日 | 第三潜水戦隊は解隊。 第十二潜水隊は第六艦隊に編入。第十二潜水隊は先遣部隊(第六艦隊)第一潜水部隊に編入、第六艦隊司令長官の指揮下に、南洋方面に進出を下令される。 司令潜水艦を伊号第百六十九潜水艦から当艦に変更。 |
1943年(昭和18年)9月17日〜24日 | 横須賀からトラックに進出。 |
1943年(昭和18年)10月5日 | 7日トラック発、ニューヘブライズ諸島西方において、敵艦船の攻撃を下令される。 |
1943年(昭和18年)10月7日 | アメリカ機動部隊のウェーク来攻により、艦は伊号第十六潜水艦とともに、ウェーク方面に進出を下令される。 トラックからウェーク方面に向かう。 |
1943年(昭和18年)10月8日 | 既令任務に復帰を下令され、ニューヘブライズ諸島に向かう。 |
1943年(昭和18年)10月16日 | 丙作戦第五法警戒が発令される。 |
1943年(昭和18年)10月19日 | 乙潜水部隊に編入、第十二潜水隊司令の指揮下に、真珠湾の222度300浬において、伊号第三十六潜水艦が発見した敵大型輸送船団6隻を、ハワイ−フィジー間で邀撃と下令される。 |
1943年(昭和18年)10月20日 | 乙潜水部隊とカントン島の230度300浬付近のA散開線に向かい、待敵警戒を下令される。 |
1943年(昭和18年)10月26日 | アメリカ輸送船団の所在が掴めず、乙潜水部隊は編成を解かれる。 艦はハワイ方面に配備を下令される。 |
1943年(昭和18年)11月 | ハワイ南方に進出、索敵。 |
1943年(昭和18年)11月15日 | トラックに帰着、補給休養。 |
1943年(昭和18年)11月16日 | アメリカ軍のギルバート諸島来攻により、丙作戦第三法警戒を下令される。 |
1943年(昭和18年)12月4日 | 丙作戦第三法終結を下令される。 |
1943年(昭和18年)12月18日 | 先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊に編入、第六艦隊司令長官の指揮下に、南太平洋方面の作戦を下令される。 |
1944年(昭和19年)1月9日 | 司令潜水艦を当艦から伊号第百七十五潜水艦に変更。 トラックからラバウルに向かう。 |
1944年(昭和19年)1月10日 | 先遣部隊(第六艦隊)から除かれる。 南東方面部隊(南東方面艦隊)潜水部隊(第七潜水戦隊)に編入、作戦輸送等を下令される。 |
1944年(昭和19年)1月13日〜17日 | トラックからラバウルに進出、輸送準備。 |
1944年(昭和19年)1月17日 | ラバウルから東部ニューギニア北岸ガリに向かう。 |
1944年(昭和19年)1月20日 | 艦はガリ沖に到着したが、敵艦の妨害と制圧を受け、待機。 |
1944年(昭和19年)1月22日 | ガリ沖において輸送物件を揚陸ののち、帰航。 |
1944年(昭和19年)1月26日 | ラバウルに帰着、次の輸送準備。 |
1944年(昭和19年)1月30日 | ラバウルから、ブカ島に向かい、以後、消息を絶つ。 |
1944年(昭和19年)2月1日 | ブカ島南西沖5浬において、アメリカ駆逐艦「ハドソン(Hudson)」、「ゲスト(Guest)」の爆雷攻撃を受け沈没。 |
1944年(昭和19年)3月12日 | ソロモン諸島水域において亡失認定。 |
1944年(昭和19年)4月30日 | 除籍。 |
コンテンツは特に記載されてない限り、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。