伊号第百七十四潜水艦は海大6型b(伊七十四型)潜水艦の6番艦である。
新造時 | |
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艦種 | 一等潜水艦 |
艦型 | 海大6型b(伊七十四型) |
建造所 | 佐世保工廠 |
水上排水量 ※1 | 1,420トン(基準)/1,810トン(常備) |
水中排水量 ※1 | 2,564トン |
垂線間長 | 98.40m |
全長 | 105.00m |
最大幅 | 8.20m |
喫水 | 4.60m |
主機 | 艦本式1号甲8型ディーゼル2基、2軸 |
主電動機 | 2基 |
蓄電池 | |
出力 | 9,000馬力(水上)/1,800馬力(水中) |
速力 | 23ノット(水上)/8.2ノット(水中) |
燃料 | 重油:440トン |
航続力 | 16ノットで10,000浬(水上)/3ノットで65浬(水中) |
乗員 | 68名 |
兵装 | 45口径十一年式12cm単装砲1基 九三式13mm連装機銃1基 九五式53cm魚雷発射管4門(艦首) 2門(艦尾) 八九式魚雷14本 |
安全潜航深度 | 85m |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1934年(昭和9年)10月15日 | 伊号第七十四潜水艦と命名。 |
1934年(昭和9年)10月16日 | 佐世保工廠において起工。 |
1937年(昭和12年)6月28日 | 進水。 |
1938年(昭和13年)8月15日 | 竣工。 本籍を呉鎮守府と定める。 呉鎮守府部隊に編入。 |
1938年(昭和13年)12月18日 | 第十一潜水隊(第二潜水戦隊・第二艦隊)に編入。 |
1939年(昭和14年)3月21日 | 戦隊と佐世保発。 北支方面に向かう。 |
1939年(昭和14年)4月3日 | 有明湾着 |
1939年(昭和14年)8月6日 | 戦隊と宿毛沖から南洋方面に向かう。 |
1939年(昭和14年)8月26日 | 岸和田沖に帰着。 |
1939年(昭和14年)11月15日 | 第二潜水戦隊は解隊、第十一潜水隊は第三潜水戦隊(第二艦隊)に編入。 |
1940年(昭和15年)3月26日 | 戦隊と中城湾発。 南支方面に向かう。 |
1940年(昭和15年)4月2日 | 高雄着。 |
1940年(昭和15年)8月25日 | 戦隊と横須賀から南洋方面に向かう。 |
1940年(昭和15年)9月21日 | 横須賀に帰着。 |
1940年(昭和15年)11月15日 | 第三潜水戦隊は第二艦隊から除かれ、第六艦隊に編入。 |
1941年(昭和16年)2月4日 | 第十一潜水隊は第三潜水戦隊と高知沖から南洋方面に向かう。 |
1941年(昭和16年)3月3日 | 高雄に到着。 |
1941年(昭和16年)3月25日 | 司令潜水艦を当艦から伊号第七十五潜水艦に変更。 |
1941年(昭和16年)6月11日 | 司令潜水艦を伊号第七十五潜水艦から当艦に変更。 |
1941年(昭和16年)9月1日 | 連合艦隊は戦時編制。 |
1941年(昭和16年)11月5日 | 第三潜水戦隊は先遣部隊(第六艦隊)に編入、ハワイ方面のアメリカ艦隊の監視、攻撃を下令される。 |
1941年(昭和16年)11月10日 | 第三潜水戦隊は先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、オアフ島南方海面において、奇襲、監視、ラハイナ泊地の隠密偵察、機動部隊不時着機人員収容を下令される。 |
1941年(昭和16年)11月11日 | 第三潜水部隊は佐伯湾からクェゼリンに何かう。 |
1941年(昭和16年)11月20日 | 第三潜水部隊はクェゼリンに到着、補給待機。 |
1941年(昭和16年)11月23日 | 13:30、クェゼリンからハワイ方面に向かう。 |
1941年(昭和16年)12月1日 | 部隊はハワイの800浬圏内に入り、隠密裡にオアフ島南方に向かう。 |
1941年(昭和16年)12月2日 | 開戦は8日と下令される。 |
1941年(昭和16年)12月7日 | ニイハウ島南方に到着、不時着搭乗員収容のため待機。 |
1941年(昭和16年)12月8日 | 部隊は開戦により、索敵を開始。 |
1941年(昭和16年)12月9日 | パールハーバー湾口南方の外側D1哨区の西端に配備を下令され移動中、アメリカ航空母艦「エンタープライズ(Enterprise)」を発見、追跡したが見失う。 |
1941年(昭和16年)12月11日 | 第三潜水部隊は18日18:00撤哨して、クェゼリンに帰投を下令される。 |
1941年(昭和16年)12月16日 | 帰途、キングマリンリーフの偵察を下令される。 |
1941年(昭和16年)12月18日 | 艦は撤哨して、キングマリンリーフに向かう。 |
1941年(昭和16年)12月23日 | 艦はキングマリンリーフに接近、偵察。 |
1941年(昭和16年)12月25日 | 艦はキングマリンリーフからクェゼリンに向かう。 |
1941年(昭和16年)12月31日 | 艦はクェゼリンに帰着、補給休養。 |
1942年(昭和17年)1月8日 | 艦はアリューシャン方面の要地偵察を下令される。 |
1942年(昭和17年)1月10日 | アメリカ機動部隊がハワイ西方550浬において発見の報告により、第三潜水部隊は急遽出撃を下令される。 第三潜水戦隊司令官は将旗を特設潜水母艦「靖国丸」から当艦に移揚。 |
1942年(昭和17年)1月12日 | クェゼリンからハワイ方面に向かい、掃航索敵。 |
1942年(昭和17年)1月20日 | 部隊と解列して、アリューシャン方面に向かう。 |
1942年(昭和17年)1月26日 | ウラナスカ島南方に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)1月29日 | ウラナスカ島南方において敵潜水艦を発見、艦は以後、西進。 |
1942年(昭和17年)2月4日 | アムタク島付近に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)2月7日 | アムタタ島付近から撒哨、横須賀に向かう。 |
1942年(昭和17年)2月19日 | 横須賀に帰着、補給休養。 |
1942年(昭和17年)3月31日 | 横須賀から呉に向かう。 |
1942年(昭和17年)4月2日 | 艦は呉に帰着、入渠修理。 |
1942年(昭和17年)4月10日 | 第三潜水部隊は東束湾東方700浬付近のG散開線(北緯35度、東経161度付近)に進出、アメリカ機動部隊を警戒、掃航索敵を下令される。 |
1942年(昭和17年)4月15日 | 部隊と呉から、G散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)4月18日 | 対米艦隊作戦第三法発動を下令される。 部隊と犬吠埼東方410浬の散開線につき、アメリカ機動部隊の邀撃を下令される。 午後、部隊は東方に進撃を下令され、18:00、18節で進撃。 |
1942年(昭和17年)4月19日 | 第三潜水部隊は1:30、90度方向に18節で進撃を下令される。 アメリカ機動部隊は東経155度以東に退避した算大で、第三潜水部隊は16:30、北緯34度以北を偵察し、敵情がなければK散開線(東経160度)に向かうよう下令される。 1700、漂流中の特設監視艇「岩手丸」の乗員を収容したのち、同艇を処分。 23:00、第三潜水部隊は20日22:00までにS散開線に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)4月20日 | 第三潜水部隊は12:00、18:00までにT散開線に配備を下令され、次いで、14:00速やかにT散開線を経て250度方向に18節で進撃と下令される。 19:00、対米艦隊作戦第三法止めを下令されたが、第三潜水部隊は引き続き警戒に当たるよう下令される。 |
1942年(昭和17年)4月21日 | 第三潜水部隊はG散開線(犬吠埼東方950浬)に到着、索敵。 |
1942年(昭和17年)4月22日 | 二等巡洋艦「木曾」と合同、救助した特設監視艇の乗員を移したのち解列した。 |
1942年(昭和17年)4月29日 | G散開線を撤哨して、クェゼリンに向かう。 |
1942年(昭和17年)5月4日 | 第三潜水部隊は13:30、アメリカ機動部隊の出現を警戒して、マーシャル北方300浬のM散開線に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)5月5日 | 第三潜水部隊は、N-5日頃までにミッドウェー−ハワイ間に配備、ミッドウェー攻略作戦に協力を下令される。 |
1942年(昭和17年)5月6日 | 部隊とM散開線に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)5月8日 | 部隊とM散開線から撤哨し、クェゼリンに向かう。 |
1942年(昭和17年)5月10日 | クェゼリンに帰着、補給待機。 |
1942年(昭和17年)5月14日 | 5月20日付けで、伊号第百七十四潜水艦と改名。 |
1942年(昭和17年)5月20日 | クェゼリンからN点に向かう。 |
1942年(昭和17年)5月21日 | 第三潜水部隊と、N-5日までに、ミッドウェー南東方の甲散開線(北緯20〜24度、西経167度)につき敵艦船を奇襲、ミッドウェー攻略作戦に協力を下令される。 |
1942年(昭和17年)5月30日 | N点に到着、待機。 |
1942年(昭和17年)5月31日 | 第二次K作戦は中止となり、艦はN点から離れた。 |
1942年(昭和17年)6月1日 | ハワイ方面から撤収、甲散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)6月4日 | 甲散開線に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)6月5日 | 第三潜水部隊と速やかに丙散開線(北緯30度20分〜27度、西経168度50分)の南半部に移動を下令され、北上。 |
1942年(昭和17年)6月6日 | 部隊と丙散開線に到着、索敵哨戒。 部隊と16:00から274度方向に進撃し、丙二散開線(北緯30度40分〜27度20分、西経174度)に到達すれば待機と下令される。 |
1942年(昭和17年)6月7日 | 第三潜水部隊とミッドウェー南方を通過し、S散開線(北緯27度20分〜26度20分、西経180度)に急速進撃を下令される。 部隊と反転し、S散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)6月8日 | 敵機動部隊は7日夕刻、東方に引き揚げたものと判断され、散開線通過の算大として、警戒を下令される。 |
1942年(昭和17年)6月9日 | 部隊とS散開線に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)6月13日 | 敵機動部隊はミッドウェー東方にあるとの情報により、艦は部隊とV散開線(北緯27度〜29度、西経175度)に配備の移動を下令される。 部隊と朝から東方に向かい、索敵掃航。 |
1942年(昭和17年)6月15日 | 第三潜水部隊とクェゼリンに帰投を下令される。 部隊とV散開線に到達することなく反転、クェゼリンに向かう。 |
1942年(昭和17年)6月20日 | クェゼリンに帰着、補給休養。 |
1942年(昭和17年)6月29日 | 集三潜水部隊は7月11日、クェゼリン発、ニューカレドニア、フィジー、サモア、オーストラリア東岸および南岸の敵海上交通破壊を下令される。 |
1942年(昭和17年)7月 | ポートモレスビーの監視、オーストラリア東岸の海上交通破壊を下令される |
1942年(昭和17年)7月9日 | クェゼリンからポートモレスビーの監視に向かう。 |
1942年(昭和17年)7月19日 | ポートモレスビー沖に進出、監視任務についたが、漏油のため、撤収してラバウルに向かう。 |
1942年(昭和17年)7月23日 | ラバウルに到着、応急修理。 |
1942年(昭和17年)7月24日 | ラバウルからシドニー沖に向かう。 |
1942年(昭和17年)7月31日 | シドニー沖に進出、索敵哨戒。 シドニー沖で敵輸送船を雷撃したが、効果がなかった。 |
1942年(昭和17年)8月2日 | シドニー沖で敵輸送船を雷撃したが、効果がなかった。 |
1942年(昭和17年)8月5日 | シドニー沖を離れ、オーストラリア東岸を移動索敵。 |
1942年(昭和17年)8月7日 | 敵輸送船を雷撃したが、効果がなかった。 第五潜水戦線は先遣部隊(第六艦隊)から除かれる。 外南洋部隊(第八艦隊)に編入。 ツラギ方面来襲の敵攻撃を下令される。 オーストラリア東岸からツラギ方面に向かう。 |
1942年(昭和17年)8月8日 | 外南洋部隊(弟八艦隊)は南東方面部隊(第十一航空艦隊)に編入。 |
1942年(昭和17年)8月10日 | ニューカレドニア島北端に到達、サンクリストバル島西方に向かう。 |
1942年(昭和17年)8月14日 | サンクリストバル島西方に進出、索敵したか会敵せず、ラバウルに回航を下令され、撤哨帰航。 |
1942年(昭和17年)8月17日 | ラバウルに帰着、補給修理。 |
1942年(昭和17年)8月21日 | 第三潜水戦隊は南東方面部隊(第十一航空艦隊)から除かれ、先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、南東方面部隊の作戦に協力を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月22日 | 準備出来次第出撃し、第三潜水部隊とレンネル島西方のB散開線(南緯12度0分、東経159度20分〜南緯12度20分、東経158度20分)に配備、待敵を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月23日 | ラバウルからB散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)8月24日 | 第三潜水部隊とサンクリストバル島南方のF散開線(南緯12度20分、東経162度〜東経163度)に、急遽配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月25日 | 第三潜水部隊とF2散開線(南緯13度、東経162度40分〜東経162度20分)に配備の変更を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月27日 | 第三潜水部隊とF2散開線に到着、索敵哨戒。 8:30、先遣部隊(第六艦隊)第七潜水部隊(第七潜水戦隊)に編入、ガダルカナル島に対する敵増援の阻止と、補給路遮断のため、同島付近に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月29日 | マライタ島とサンクリストバル島の中間、南緯10度、東経181度40分の監視哨区に配備を下令される。 |
1942年(昭和17年)8月31日 | インディスペンサブル海峡において、敵輸送艦1隻と駆逐艦1隻を発見と報告。 |
1942年(昭和17年)9月1日 | インディスペンサブル海峡において、敵駆逐艦多数を発見。 |
1942年(昭和17年)9月2日 | インディスペンサブル海峡において、敵駆逐艦2隻を発見。 雷撃したが効果がなかった。 ルンガ泊地を偵察。 |
1942年(昭和17年)9月3日 | 先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に復帰。 第七潜水部隊と交替して、ガダルカナル島に対する敵増援の阻止を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月4日 | 軸受故障のため、沈座して応急措置にあたる。 |
1942年(昭和17年)9月6日 | 第三潜水部隊は第一潜水戦隊司令官の指揮下に入る。 |
1942年(昭和17年)9月10日 | サンクリストバル島北方において、20:30に駆逐艦1隻を発見。 |
1942年(昭和17年)9月13日 | サンクリストバル島とレンネル島の中間において、20:20、敵巡洋艦または駆逐艦2隻を発見した。 |
1942年(昭和17年)9月15日 | 第三潜水部隊は先遣部隊(第六艦隊)第一監視部隊に編入、第三潜水戦隊司令官の指揮下に、インディスペンサブル海峡に配備、ガダルカナル島に対する敵増援の阻止を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月17日 | 隊主力(当艦と伊号第百七十五潜水艦)は日没後、撤哨してトラックに帰投を下令される。 |
1942年(昭和17年)9月22日 | トラックに帰投。 補給休養。 |
1942年(昭和17年)10月4日 | 甲潜水部隊に編入、第三潜水戦隊司令官の指揮下に、引き続き、整備休養を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月8日 | 準傭出来次第、トラック発、ガダルカナル島に対する敵増援の阻止を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月16日 | トラックからインディスペンサブル海峡に向かう。 |
1942年(昭和17年)10月19日 | 先遣部隊(第六艦隊)乙潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入。 インディスペンサブル礁西方のK散開線に配備を下令される。 乙潜水部隊はY日(22日の予定)、ガダルカナル島総攻撃に応じて、Y-1日零時から南東方に掃航、戊散開線(南緯18度30分、東経160度10分〜南緯18度10分、東経162度10分)に到達するよう下令される。 |
1942年(昭和17年)10月20日 | Y日は22日と下令される。 K散開線に到着、索敵哨戒。 |
1942年(昭和17年)10月21日 | 甲潜水部隊と零時、南東方に掃航、戊散開線に向かう。 乙潜水部隊はY日の延期により、戊散開線到達を一日遅らせ、M散開線において待敵を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月22日 | Y日の1日延期を下令される。 部隊と反転、1:00、G散開線に到着、索敵哨戒。 R方面航空部隊の哨戒機は南緯12度55分、東経161度12分において、戦艦基幹の敵艦隊を発見。 乙潜水部隊は12:30、M散開線に配備、Y日黎明時まで待敵を下令される。 |
1942年(昭和17年)10月23日 | Y日は更に一日延期を下令される。 甲潜水部隊と零時、南東方に掃航、戊散開線に向かったが、Y日の再延期により、途中の散開線に留まり待敵。 |
1942年(昭和17年)10月24日 | 乙潜水部隊と零時、南東方に掃航、戊散開線に向かう。 |
1942年(昭和17年)10月25日 | 敵艦隊は26日、ガダルカナル島南東海面に出現の算大と判断され、乙潜水部隊はインディスペンサブル礁南方のY散開線に配備を下令される。 艦は部隊と反転北上。 |
1942年(昭和17年)10月26日 | 乙潜水部隊はサンタクルーズ諸島北方の敵空母を攻撃のため、11:42、230度方向に水上進撃を下令される。 艦は部隊と18:15以降、水上進撃に入ったため、追撃が遅れた。 |
1942年(昭和17年)10月27日 | 乙潜水部隊の伊号第二十四潜水艦ほか2隻は、0:50から3:30にかけて敵大部隊を発見、伊号第二十一潜水艦は南緯15度30分、東経160度42分において敵部隊を攻撃。 敵機動部隊はヌーメアに帰投するものと判断して、艦は部隊と追跡したが、会敵できなかった。 |
1942年(昭和17年)10月31日 | 乙潜水部隊から除かれる。 先遣部隊直率潜水部隊に編入、第六艦隊司令長官の直率下に、トラックに帰投を下令され、北上帰航。 |
1942年(昭和17年)11月4日 | トラックに帰着、補給。 |
1942年(昭和17年)11月5日 | 内地に帰投、整備修理を下令される。 |
1942年(昭和17年)11月6日 | トラックから呉に向かう。 |
1942年(昭和17年)11月12日 | 呉に帰着、入渠修理、整備休養。 |
1942年(昭和17年)12月24日 | 司令潜水艦を当艦から伊号第百七十六潜水艦に変更。 |
1943年(昭和18年)3月12日 | 司令潜水艦を伊号第百七十六潜水艦から当艦に変更。 |
1943年(昭和18年)3月15日 | 第十一潜水隊は解隊、第十二潜水隊(第三潜水戦隊・第六艦隊)に編入。 |
1943年(昭和18年)3月 | 呉工廠から出渠、のち内海西部で訓練。 |
1943年(昭和18年)5月5日 | 呉発。 トラックに向かう。 |
1943年(昭和18年)5月11日 | トラックに到着、補給待機。 先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、オーストラリア東方の敵海上交通破壊を下令される。 |
1943年(昭和18年)5月16日 | トラック発。 オーストラリア東方海域に向かう。 |
1943年(昭和18年)6月4日 | ブリスベン付近のモレトン湾東方20浬において、アメリカ貨物船「エドワード・チェンバーズ(EdwardChambers、4,113トン)」を砲撃したが、効果がなかった。 |
1943年(昭和18年)6月16日 | カッフス港南東60浬において、アメリカ貨物船「ポートマー(Portmar、5,551トン)」を雷撃により撃沈、同時にアメリカ戦車揚陸艦「LST-469(1,652トン)を雷撃により撃破。 |
1943年(昭和18年)7月1日 | トラックに帰着。 整備休養。 |
1943年(昭和18年)8月6日 | 先遣部隊(第六艦隊)から除かれる。 南東方面部隊(南東方面艦隊)潜水部隊(第悌七潜水戦隊)に編入。 東部ニューギニア方面に対する作戦輸送を下令される。 |
1943年(昭和18年)8月9日〜13日 | トラックからラバウルに進出、輸送準備。 |
1943年(昭和18年)8月14日〜17日 | ラバウルから東部ニューギニアのラエ沖に到着、輸送人員と物件を揚陸、帰航。 |
1943年(昭和18年)8月19日 | ラバウルに帰着、輸送準備。 |
1943年(昭和18年)8月23日〜26日 | ラバウルからラエ沖に到着、輸送人員と物件を揚陸、帰航。 |
1943年(昭和18年)8月28日 | ラバウルに帰着、輸送準備。 |
1943年(昭和18年)8月31日 | ラバウルからラエ沖に向かったが、途中、敵機の制圧爆撃と敵潜水艦の雷撃を受けたが、回避。 |
1943年(昭和18年)9月2日 | ラエ沖に到着、輸送物件、人員を揚陸、帰航したが、帰途も敵機の制圧爆撃を受けた。 |
1943年(昭和18年)9月4日 | ラバウルに帰着、輸送準備。 |
1943年(昭和18年)9月7日 | ラバウルからラエ沖に向かったが、途中、数回にわたり敵機の制圧爆撃を受けたが、回避。 |
1943年(昭和18年)9月9日 | ラエ沖に到着、輸送物件、人員を揚陸、帰航。 |
1943年(昭和18年)9月10日 | ラエからの帰途、敵駆逐艦の攻撃を受け、爆雷26個を投下されたが回避。 |
1943年(昭和18年)9月15日 | 第三潜水戦隊は解隊、第十二潜水隊は第六艦隊に編入。 |
1943年(昭和18年)9月19日 | ラバウルからフィンシュハーフェンに向かったが、途中、敵機の制圧を受けた。 |
1943年(昭和18年)9月21日 | フィンシュハーフェンに到着、輸送物件を揚陸、帰航。 |
1943年(昭和18年)9月22日 | アント岬方面に配備を下令され、反転。 |
1943年(昭和18年)9月24日 | 撒哨して、ラバウルに向け帰航。 |
1943年(昭和18年)9月26日 | ラバウルに帰着、輸送準備。 |
1943年(昭和18年)9月30日 | ラバウルから東部ニューギニア北岸のシオに向かう。 |
1943年(昭和18年)10月2日 | シオに到着、輸送物件を揚陸、帰航。 |
1943年(昭和18年)10月4日 | ラバウルに帰着、輸送準備。 伊号第十六潜水艦がラバウルに回航後に交替、11日付で、先遣部隊に復帰の予定で、トラックに帰投を下令される。 |
1943年(昭和18年)10月6日 | ラバウルからシオに向かったが、途中、敵機の制圧を受けた。 |
1943年(昭和18年)10月7日 | 伊号第十六潜水艦との交替を取り消される。 |
1943年(昭和18年)10月8日 | シオに到着、輸送物件を揚陸、帰航。 再び、伊号第十六潜水艦との交替を下令される。 |
1943年(昭和18年)10月10日 | ラバウルに帰着、待機。 |
1943年(昭和18年)10月11日 | 南東方面部隊(南東方面艦隊)から除かれる。 先遣部隊(第六艦隊)第一潜水部隊に編入。 第六艦隊司令長官の直率下に、トラックに帰投を下令される。 |
1943年(昭和18年)10月14日〜17日 | ラバウルからトラックに帰着。 補給休養。 |
1943年(昭和18年)11月19日 | アメリカ軍のギルバート諸島来攻により、丙作戦第三法警戒を下令される。 先遣部隊は速やかに、なるべく多数の潜水艦をギルバート諸島方面に配備するよう下令される。 |
1943年(昭和18年)11月20日 | 丙作戦第三法用意を下令される。 甲潜水部隊に編入、第二潜水隊司令の指揮下に入り、ギルバート諸島方面に急行を下令される。 |
1943年(昭和18年)11月21日 | アメリカ軍のマキン、タラワ上陸により、丙作戦第三法発動を下令される。 |
1943年(昭和18年)11月24日 | トラックからギルバート諸島方面に向かう。 |
1943年(昭和18年)11月26日 | マキン・ミレ両島間のA散開線(基点:北緯3度48分、東経172度07分、 待敵方向:150度、間隔:25浬)の西端に配備を下令される。 |
1943年(昭和18年)11月27日 | マキン島西方のB散開線の西端(北緯8度50分、東経171度42分)に配備を下令される。 |
1943年(昭和18年)11月29日 | マキン島の港口を扼するよう下令される。 |
1943年(昭和18年)12月1日 | 味方哨戒機はマキンに向かう敵船団6隻を発見、艦はこの船団の攻撃を下令される。 21:34、敵船団を捕捉できない時は、マキン港口の配備につくよう下令される。 |
1943年(昭和18年)12月2日 | タラワ島東方のD散開線(基点:北緯1度37分、東経174度08分、待敵方向:50度、距離:25浬)の中央に配備を下令される。 マキン島付近から配備を移動。 |
1943年(昭和18年)12月3日 | 19:24、F散開線(D散開線の140度120浬)に配備を下令される。 |
1943年(昭和18年)12月4日 | 丙作戦第三法の終結を下令される。 甲潜水部隊の編成を解かれ、先遣部隊第一潜水部隊に編入、第六艦隊司令長官の指揮下に、カントン−パナマ間の敵海上交通破壊を下令される。 タラワ東方130浬付近において、敵機および駆逐艦の攻撃を受け爆雷37個を投下され、船体を損傷。 |
1943年(昭和18年)12月5日 | 損傷のため戦闘航海に支障がある旨を報告。 |
1943年(昭和18年)12月6日 | トラックに帰投を下令される。 タラワ東方から、トラックに向かう。 |
1943年(昭和18年)12月13日 | トラックに帰着、応急修理休養。 |
1943年(昭和18年)12月18日 | 先遣部隊(第六艦隊)第十一潜水部隊(第十一潜水戦隊)に編入。 内地に帰投、修理を下令される。 |
1943年(昭和18年)12月23日 | トラックから呉に向かう。 |
1943年(昭和18年)12月30日 | 呉に帰着、入渠修理。 |
1944年(昭和19年)3月13日〜14日 | 神戸から呉に回航、以後、訓練に当たる。 |
1944年(昭和19年)3月19日 | 先遣部隊(第六艦隊)第一潜水部隊に編入、第六艦隊司令長官の直率下に、敵艦隊攻撃を下令される。 |
1944年(昭和19年)3月30日 | アメリカ機動部隊の西カロリン諸島来襲により、丙作戦第六法および丁作戦警戒を下令される。 内地所在潜水艦は、パラオ方面に進出を下令される。 |
1944年(昭和19年)4月2日 | 艦は呉を出航、広島湾において待機。 |
1944年(昭和19年)4月3日 | 先遣部隊(第六艦隊)第二潜水部隊に編入、第六艦隊司令長官の直率下に、パラオ方面に出撃、アメリカ機動部隊の索敵を下令される。広島湾からパラオ東方に向かう。 |
1944年(昭和19年)4月4日 | アメリカ機動部隊は北上の算がありとして、その警戒のため、所在点から90度方向300浬に掃航索敵を下令される。 |
1944年(昭和19年)4月6日 | パラオ東方への進出を取り止め、ブラウン東方に進出を下令される。 転針してブラウン東方に向かう。 |
1944年(昭和19年)4月7日 | 先遣部隊(第六艦隊)第二潜水部隊の編成を解かれ、同第一潜水部隊に復帰、既令任務の続行を下令される。 |
1944年(昭和19年)4月10日 | 前日カビエン北方において発見された敵大部隊を警戒のため、トラック南方に配備を変更され、転針してトラック南方に向かう。 |
1944年(昭和19年)4月11日 | 17:46、行動予定を求められたが、応答がなく消息を絶つ。 |
1944年(昭和19年)4月13日 | 撤哨してトラックに帰投を下令されたが、未帰還となる。トラック南方で亡失認定。 |
1944年(昭和19年)6月10日 | 除籍。 |
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