呂号第百十三潜水艦は小型(呂百型)潜水艦の14番艦である。
新造時 | |
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艦種 | 二等潜水艦 |
艦型 | 小型(呂百型) |
建造所 | 川崎重工業艦船工場(進水までは同社泉州工場) |
水上排水量 ※1 | 525トン(基準)/601トン(常備) |
水中排水量 ※1 | 782トン |
垂線間長 | 57.40m |
全長 | 60.90m |
最大幅 | 6.00m |
喫水 | 3.51m |
主機 | 艦本式24号6型ディーゼル2基、2軸 |
主電動機 | 特9型2基 |
蓄電池 | 1号15型×120 |
出力 | 1,000馬力(水上)/760馬力(水中) |
速力 | 14.2ノット(水上)/8.0ノット(水中) |
燃料 | 重油:50トン |
航続力 | 12ノットで3,500浬(水上)/3ノットで60浬(水中) |
乗員 | 38名 |
兵装 | 九六式25mm連装機銃1基 九五式53cm魚雷発射管4門(艦首) 九五式魚雷8本 |
安全潜航深度 | 75m |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1942年(昭和17年)7月11日 | 第四百四号艦として、川崎重工業泉州工場において起工。 |
1943年(昭和18年)2月5日 | 呂号第百十三潜水艦と命名。 本籍を呉鎮守府と仮定する。 |
1943年(昭和18年)4月24日 | 進水。 |
1943年(昭和18年)10月12日 | 川崎重工業艦船工場において竣工。 本籍を呉鎮守府と定める。 第十一潜水戦隊(第一艦隊)に編入。 戦時編制。 訓練部隊(第一艦隊)第十一潜水部隊(第十一潜水戦隊)に編入、内海西部において就役訓練に従事。 神戸発、内海西部に向かい訓練。 |
1943年(昭和18年)10月29日 | 呉に入港、補給整備。 |
1943年(昭和18年)11月5日 | 呉を出港、内海西部において訓練。 |
1943年(昭和18年)11月22日 | 呉に入港、補給整備。 |
1943年(昭和18年)11月25日 | 第十一潜水戦隊は、第一艦隊から除かれ、第六艦隊に編入。 |
1943年(昭和18年)11月 | 「山城」と触衝したとの回顧談あり。 |
1943年(昭和18年)12月2日 | 呉を出港、伊予灘において訓練。 |
1943年(昭和18年)12月9日 | 呉に入港、補給整備。 |
1943年(昭和18年)12月15日 | 損傷修理および、出撃前整備工事を、1月10日完了、更に訓練を 続行の上、1月末、内地出撃可能の予定と報告される。 |
1943年(昭和18年)12月18日 | 訓練部隊(第一艦隊)から除かれる。 先遣部隊(第六艦隊)第十一潜水部隊(第十一潜水戦隊)に編入、整備訓練に従事。 |
1944年(昭和19年)1月18日 | 呉を出港、伊予灘において訓練。 |
1944年(昭和19年)1月25日 | 呉に入港、補給整備。 |
1944年(昭和19年)1月28日 | 1月31日付けで、海上護衛司令長官の作戦指揮下に入るよう下令される。 |
1944年(昭和19年)1月31日 | 第十一潜水戦隊から除かれ、第三十潜水隊(第八潜水戦隊・第六艦隊)に加える。 先遣部隊(第六艦隊)から除かれ、海上護衛総司令部部隊付属部隊(海上護衛司令長官指揮)に編入、南西諸島方面において、対潜掃蕩作戦を下令される。 艦は囮の艤装をして作戦に従事。 |
1944年(昭和19年)2月1日 | 呉方面において、当分の間、整備訓練を下令される。 |
1944年(昭和19年)2月23日 | 呉発、南西諸島方面に向かう。 |
1944年(昭和19年)3月2日 | 呉に帰着、補給整備。 |
1944年(昭和19年)3月11日 | 呉発、南西諸島方面に向かう。 |
1944年(昭和19年)3月24日 | 呉に帰着、補給整備。 |
1944年(昭和19年)3月25日 | 第三十潜水隊は解隊。 第五十一潜水隊(第七潜水戦隊・第六艦隊)に編入。 |
1944年(昭和19年)4月3日 | 呉発、南西諸島方面に向かう。 |
1944年(昭和19年)4月21日 | アメリカ機動部隊が、西ニューギニア方面に来襲。 Z一作戦発動を下令される。 |
1944年(昭和19年)4月23日 | 呉に帰着、補給整備。 |
1944年(昭和19年)5月3日 | あ号作戦命令を下令される。 海上護衛司令長官の作戦指揮を解かれる。 海上護衛総司令部部隊から除かれ、先遣部隊(第六艦隊)第七潜水部隊(第七潜水戦隊)に編入、中部太平洋方面に進出を下令される。 |
1944年(昭和19年)5月20日 | あ号作戦開始を下令される。 |
1944年(昭和19年)5月21日 | 呉発、トラックに向かう。 |
1944年(昭和19年)5月29日 | サイパンに到着、補給待機。 |
1944年(昭和19年)5月30日 | サイパン発、トラックに向かう。 |
1944年(昭和19年)6月5日 | トラックに進出、補給待機。 |
1944年(昭和19年)6月6日 | 先遣部隊第七潜水部隊甲潜水部隊(第五十一潜水隊司令指揮)に編入、カロリン諸島南方に配備、敵機動部隊および攻略部隊に対する哨戒、偵察、奇襲を下令される。 B散開線の南緯1度20分、東経145度に配備を下令される。 |
1944年(昭和19年)6月8日 | トラック発、B散開線の配備に向かう。 |
1944年(昭和19年)6月10日 | FG散開線のF点(北緯0度20分、東経153度40分)に配備を下令される。 |
1944年(昭和19年)6月13日 | あ号作戦決戦用意を下令される。 |
1944年(昭和19年)6月14日 | 部隊とマリアナへ急行を下令される。 |
1944年(昭和19年)6月15日 | あ号作戦決戦発動を下令される。 アメリカ軍がサイパン島に上陸。 |
1944年(昭和19年)6月16日 | 在サイパンの第六艦隊司令部は、アメリカ軍の上陸により、作戦指揮が困難となり、第七潜水戦隊司令官に、部隊の指揮を委ねた。 艦は、丁潜水部隊(第七潜水戦隊司令官指揮)に編入、サイパン島周辺に配備を下令される。 |
1944年(昭和19年)6月17日 | 20日以降、サイパン、テニアン付近の敵機動部隊に殺到、反復攻撃を下令される。 ロタ東方東哨区に配備を下令される。 |
1944年(昭和19年)6月19日 | ウルシー東方のQ散開線上の北緯10度、東経141度40分に、配備を下令される。 |
1944年(昭和19年)6月22日 | 丁潜水部隊は、トラック回航を下令される。 Q散開線付近を撤収、トラックに向かう。 |
1944年(昭和19年)6月27日 | トラックに帰着、補給待機。 |
1944年(昭和19年)7月2日 | 在トラック潜水艦は、内地に帰投を下令される。 |
1944年(昭和19年)7月7日 | トラック発、佐世保に向かう。 |
1944年(昭和19年)7月10日 | 先遣部隊第七潜水部隊から除かれ、同第一潜水部隊(第六艦隊司令長官指揮)に編入、内地において次期作戦準備を下令される。 |
1944年(昭和19年)7月17日 | 佐世保に帰着、整備休養。 |
1944年(昭和19年)8月15日 | 第五十一潜水隊は解隊。 第八潜水戦隊(第六艦隊)に編入。 艦は先遣部隊(第六艦隊)から除かれ、南西方面部隊(南西方面艦隊)潜水部隊(第八潜水戦隊)に編入、インド洋方面の作戦を下令される。 |
1944年(昭和19年)8月24日 | 佐世保発、呉に向かう。 |
1944年(昭和19年)8月26日 | 呉に入港、補給待機。 |
1944年(昭和19年)9月7日 | 呉発、シンガポールに向かう。 |
1944年(昭和19年)9月10日 | 捷一号作戦警戒を下令される。 ダバオ誤報事件。 |
1944年(昭和19年)9月11日 | 捷一号作戦警戒を解かれる。 |
1944年(昭和19年)9月 | シンガポールに進出、補給待機。 |
1944年(昭和19年)10月 | シンガポールから、ペナンに進出、補給待機。 |
1944年(昭和19年)10月17日 | 捷一号作戦発動を下令される。 アメリカ軍がレイテ島に上陸。 |
1944年(昭和19年)10月25日 | ペナン発、ベンガル湾北部の敵海上交通破壊に向かう。 |
1944年(昭和19年)11月6日 | セイロン付近の北緯10度40分、東経81度10分において、イギリス貨物船「マリオン・モラー(Marion Moller、3,827トン)」を雷撃により撃沈。 戦果報告は4千トン級貨物船撃沈。 |
1944年(昭和19年)11月13日 | ペナンに帰着、整備休養。 |
1944年(昭和19年)11月28日 | ペナン発、輸送を兼ね、ベンガル湾方面に向かう。 |
1944年(昭和19年)12月18日 | ベンガル湾において敵輸送船1隻を撃沈と報告。 連合軍側に該当の記録なし。 |
1944年(昭和19年)12月19日 | ベンガル湾において敵輸送船1隻を撃沈と報告。 連合軍側に該当の記録なし。 |
1944年(昭和19年)12月 | ペナンに帰着、整備休養。 |
1945年(昭和20年)1月 | ペナンから、シンガポールに回航、補給休養。 |
1945年(昭和20年)1月20日 | シンガポール発、ルソン島西方に向かう。 |
1945年(昭和20年)1月26日 | 南西方面部隊(南西方面艦隊)から除かれる。 先遣部隊第一潜水部隊(第六艦隊司令長官指揮)に編入、比島方面作戦を下令される。 ルソン島西方に進出、索敵。 |
1945年(昭和20年)2月2日 | 撤収して、ルソン島北部から陸軍搭乗員を収容し、高雄に1回輸送したのち、佐世保に帰投を下令される。 |
1945年(昭和20年)2月7日 | 高雄に到着、予備魚雷を揚陸、補給、輸送準備。 |
1945年(昭和20年)2月9日 | 高雄発、ルソン島北岸バトリナオに向かう。 以後、艦は連絡がなく、消息を絶つ。 |
1945年(昭和20年)2月12日 | ルソン海峡(北緯19度10分、東経121度23分)でアメリカ潜水艦「バットフィッシュ (Batfish) 」の雷撃を受け沈没。 |
1945年(昭和20年)2月20日 | 第八潜水戦隊は解隊。 第三十四潜水隊(第六艦隊)に編入。 艦はルソン島水域において亡失認定。 |
1945年(昭和20年)5月10日 | 除籍。 |
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