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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

1971年(昭和46年)11月23日建立。 合祀者146柱。(1)

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第参号輸送艦戦没者慰霊之碑

第参号輸送艦戦没者慰霊之碑

碑文

第参号輸送艦戦没者慰霊之碑

第参号輸送艦について

一等輸送艦
一等輸送艦 (呉工廠建造艦)

「第参号」輸送艦は第一号型輸送艦(一等輸送艦)の1艦である。

海洋に囲まれた日本は、外征ま場合には陸上兵力の洋上輸送が必要であり、このため日本陸軍は戦前より、大発動艇(上陸用舟艇)や神州丸(揚陸艦)のような上陸作戦支援艦艇を整備していた。 日本海軍においても、旧式駆逐艦を転用した哨戒艇の艦尾にスリップ・ウェイを設けて、大発を発進させる機能を持たせ、緒戦の島嶼攻略戦に使用した、 1942年(昭和17年)8月に始まったガダルカナル戦では敵制空権下での兵員物資輸送が実施された。 これは、夜間に駆逐艦などの高速艦艇で突入し、夜明けまでに敵制空権外に脱出する任務であり、多くの駆逐艦を喪失することとなった。 このような背景から、高速大量輸送ができる輸送専門の艦艇が要求され、1943年(昭和18年)中期ごろに軍令部より2種の輸送艦の計画要求があり、これにより出現したのが第一号型輸送艦(一等輸送艦)および第百一号型輸送艦(二等輸送艦)である。

第一号型輸送艦の当初案では、松型駆逐艦を1軸にして、空いたスペースを船倉として物件搭載にあてようとしたものであったが、新しい艦を計画したほうが得策であるとされ、新規計画となった。 設計にあたっては、戦時急造に適するように簡易化につとめ、兵装や艤装も最低限にとどめられた。 また、船体線図も簡易型が採用され、ブロック建造方式に適するように考慮されて、電気溶接が大幅に使用された。 本型は艦尾にスリップ・ウェイを設けて、ここから兵員物資を搭載した大発を発進させる仕組みで、このための喫水調整用タンクや注排水装置を有した。 搭載できるのは14m大発4隻、補給物件260トンであった。 兵装は12.7cm連装高角砲1基、25mm3連装機銃15挺(後に増強)、爆雷18個を搭載した。

46隻が計画され、21隻が完成し、16隻が戦没した。 竣工後に充分な訓練が行われないまま南方方面の輸送作戦に投入され、その多くが極めて短期間に失なわれた。 「第三号」輸送艦は竣工後78日で沈没したが、短いものでは28日(「第十四号」、「第十五号」)というものがある。(2)(3)

第参号輸送艦要目(3)

新造時
艦種一等輸送艦
建造所呉海軍工廠
基準排水量 ※11,500トン
公試排水量 ※21,800トン
垂線間長89.00m
水線長94.00m
水線最大幅10.20m
喫水3.60m
主機艦本式オール・ギヤード・タービン1基、1軸
主缶ホ号艦本式水管缶(重油専焼)2基
出力9,500馬力
速力22.0ノット
燃料重油:415トン
航続力18ノットで3,700浬
乗員148名
能力搭載能力:貨物260トン、14m特型運貨船4隻
兵装40口径八九式12.7cm連装高角砲1基
九六式25mm3連装機銃3基
九六式25mm連装機銃1基
九六式25mm単装機銃4基
二式爆雷18個
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(3)(4)(5)

年月日履歴
1944年(昭和19年)2月9日呉海軍工廠において起工。
1944年(昭和19年)3月20日進水。
1944年(昭和19年)6月29日竣工。
1944年(昭和19年)7月呉発。 六連、高雄経由でマニラに向う。
1944年(昭和19年)8月10日マニラ発。 巡洋艦「名取」とともに、緊急防備物件輸送任務のためパラオに向う。
1944年(昭和19年)8月11日敵機動部隊フィリピン東方海面に所在との情報によりセブに退避。
1944年(昭和19年)8月13日セブ発。 敵機動部隊フィリピン東方海面に所在との情報により、サンベルナルジノ海峡西側で仮泊。
1944年(昭和19年)8月14日仮泊地発。 セブに回航。 燃料補給待機。
1944年(昭和19年)8月16日セブ発。 サンベルナルジノ海峡西側で仮泊。
1944年(昭和19年)8月17日サンベルナルジノ海峡発。
1944年(昭和19年)8月18日「名取」がアメリカ潜水艦「ハードヘッド (Hardhead)」の雷撃を受け沈没したため、乗員の捜索にあたる。
1944年(昭和19年)8月19日捜索を打ち切り、パラオに向う。
1944年(昭和19年)8月20日パラオ着。 物件揚陸、燃料補給・
1944年(昭和19年)8月21日パラオ発。 マニラに向う。
1944年(昭和19年)9月6日歩兵第三百五十三大隊のミンダナオ島輸送とサランガニ病院の傷病兵後送任務のため、マニラ発。 
1944年(昭和19年)9月8日セブ着。 待機。
1944年(昭和19年)9月10日セブ発。
1944年(昭和19年)9月12日ダバオ着。 兵員揚陸。 同日ダバオ発。
1944年(昭和19年)9月14日ミンダナオ島南端サランガニ水道で触礁して行動不能。
1944年(昭和19年)9月15日アメリカ潜水艦「ガヴィナ (Guavina)」の雷撃を受け沈没。
1944年(昭和19年)11月10日除籍。

参考資料

  1. 梶本光義(編集責任者).呉海軍墓地誌海ゆかば:合祀碑と英霊.呉海軍墓地顕彰保存会,2005,p126
  2. 雑誌「丸」編集部編.写真日本の軍艦 13巻 小艦艇.東京,光人社,1990,p248-250
  3. abc日本海軍特務艦船史.東京,海人社,1997,世界の艦船.No522 1997/3増刊号 増刊第47集,p106
  4. 昭和19年8月18日〜 軍艦名取戦闘詳報(1).アジア歴史資料センター,リファレンスコード:C08030579600(第2〜9画像目).昭和19年8月18日〜 軍艦名取戦闘詳報,(防衛省防衛研究所)
  5. 松永市郎.三号輸送艦帰投せず.東京,光人社,1986,p11-15,20-21,30-39.(ISBN978-4-89063-223-7)

謝辞

アイコンはsinn様の「アイコン工房」より、ご提供頂いた。