1982年(昭和57年)9月15日建立。 合祀者264柱。(1)
画像をクリックすると拡大表示。 戻るときには表示されたページ下部の「戻る」をクリック。
総トン数 | 17,128トン |
---|---|
載貨重量 | 9,785トン |
主機 | タービン2基 |
出力 | 25,200馬力 |
長さ | 170.3m |
幅 | 22.5m |
深さ | 12.4m |
速力 | 22.156ノット |
旅客 | 1等:127、2等:88、3等:70 |
「雲鷹」は、日本郵船の新田丸型貨客船「八幡丸」を改装した航空母艦である。 新田丸型は優秀船舶建造助成施設により建造された。 第一次大戦後の造船および海運不況は。昭和初期にその極に達した。 そこで造船業とそれに関連する中小企業の維持振興を図り、新鋭船の建造により後日の海外進出と国防強化のために、三次にわたる船舶改善施設が実施された。 これにより日本の造船・海運界は不況を脱したが、1936年(昭和11年)頃になると世界情勢の緊迫や満州事変の勃発により、造船・海運界への対策は、不況克服から国防強化のための施設実施へと切り替えられることとなった。 このような情勢下で、1937年(昭和12年)4.月1日から優秀船舶建造助成施設が実施された。 本施設により、新田丸型の他、後に特設巡洋艦となった大阪商船の報国丸型が建造された。
新田丸型貨客船
新田丸型は欧州航路用として計画され、「新田丸」、「八幡丸」、「春日丸」の3隻が建造された。 「八幡丸」は1940年(昭和15年)7月31日に竣工したが、第二次世界大戦が始まっていたため欧州航路には就航せず、北米航路に投入された。 1941年(昭和16年)10月21日に海軍に徴用され、11月21日より呉工廠で航空母艦に改装された。
航空母艦としての艤装は、客船時のプロムナードデッキを格納庫甲板とし、この上部5mの高さに飛行甲板を設けた。 飛行甲板は長さ162.0m×幅23.5mで、後に180mに延長されている。 搭載機は常用23機+補用4機で、艦の大きさのわりに少ないものであった。 武装は12cm単装高角砲4基、25mm連装機銃4基を備えて完成したが、後に増強されている。 機関は客船時のものをそのまま用いて、25,200馬力、21.0ノットを発揮したが、低速に過ぎ新型機の運用は困難であった。
航空母艦「雲鷹」
1942年(昭和17年)5月31日に改装完成し、特設航空母艦となった。 8月31日には軍艦に編入、航空母艦に類別され、「雲鷹」と改名した。 当初の計画では、艦隊決戦時の補助航空兵力と考えられていたようだが、前述のように新型機の運用が困難だったため、南方への航空機輸送や物件輸送に従事していた。 1943年(昭和18年)12月15日に海上護衛隊総司令部付属に編入され、船団護衛に従事していたが、1944年(昭和19年)9月17日、門司向けヒ74船団の護衛中、南支那海東沙島南東でアメリカ潜水艦「バーブ(Barb)」の雷撃を受け沈没した。(2)(3)(4)(5)(6)(7)
艦名は瑞祥動物名(漢語)。 雲を切って飛ぶ鷹の意。(8)
竣工時 | 最終時 | |
艦種 | 航空母艦 | |
建造所 | 建造:三菱重工業長崎造船所/改装:呉海軍工廠 | |
基準排水量 ※1 | 17,830トン | |
公試排水量 ※2 | 20,900トン | |
垂線間長 | 168.0m | |
水線長 | 173.70m | |
全長 | 180.24m | |
最大幅 | 22.5m | |
喫水 | 8.0m | |
飛行甲板 | 長さ162.0m×幅23.5m | 長さ180.0m×幅23.5m |
主缶 | 三菱式水管缶(重油専焼)4基 | |
主機 | 三菱ツェリー式オール・ギヤード・タービン2基 | |
推進器軸 | 2軸 | |
出力 | 25,200馬力 | |
速力 | 21.0ノット | |
燃料 | 重油:2,250トン | |
航続力 | 18ノットで8,500浬 | |
兵装 | 45口径十年式12cm単装高角砲4基 九六式25mm連装機銃4基 | 45口径十年式12cm単装高角砲6基 九六式25mm3連装機銃8基 同連装機銃2基 同単装機銃36基 九三式13mm単装機銃10基 |
航空機 | 艦上戦闘機11機(常用9機補用2機) 艦上爆撃機16機(常用14機補用2機) | |
乗員 | 747名 | |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
---|---|
1938年(昭和13年)12月14日 | 三菱重工業長崎造船所において、日本郵船八幡丸として起工。 |
1939年(昭和14年)10月31日 | 進水。 |
1940年(昭和15年)7月31日 | 竣工。 |
1940年(昭和15年)8月21日 | (第1次号)長崎〜門司〜神戸:8月26日〜名古屋〜横浜:8月31日〜9月10日:バンクーバー〜9月11日:シアトル:9月20日〜バンクーバー〜横浜〜10月9日:神戸 |
1940年(昭和15年)11月1日 | (第2次号)マニラ〜香港〜上海〜神戸:11月11日〜横浜〜ホノルル〜サンフランシスコ〜11月29日:ロサンゼルス:12月1日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜:12月20日〜12月21日:神戸:12月22日〜12月24日:大連 |
1940年(昭和15年)12月27日 | 大連〜12月29日:神戸〜12月31日:横浜〜1941年(昭和16年)1月21日:神戸:1月22日〜上海〜香港 |
1941年(昭和16年) | (第3次号)香港〜上海〜神戸:2月04日〜横浜〜ホノルル〜2月20日:サンフランシスコ〜2月22日:ロサンゼルス:2月24日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜3月16日:神戸:3月22日〜上海〜マニラ |
1941年(昭和16年) | (第4次号)マニラ〜香港〜上海〜神戸:4月8日〜横浜〜ホノルル〜サンフランシスコ〜4月26日:ロサンゼルス:4月28日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜5月18日:神戸:5月31日〜上海〜マニラ |
1941年(昭和16年)6月 | (第5次号)マニラ〜香港〜上海〜神戸:6月18日〜横浜〜ホノルル〜サンフランシスコ〜7月7日:ロサンゼルス:7月9日〜サンフランシスコ〜ホノルル〜横浜〜8月15日:神戸:8月16日〜上海 |
1941年(昭和16年)8月23日 | 上海〜神戸:8月26日〜8月27日:横浜 |
1941年(昭和16年)10月21日 | 徴傭。 |
1941年(昭和16年)11月21日 | 呉海軍工廠において航空母艦に改造着手。 |
1941年(昭和16年)11月25日 | 特設軍艦籍に編入。 特設航空母艦に類別。 |
1942年(昭和17年)5月31日 | 改造完成。 連合艦隊付属に編入。 |
1942年(昭和17年)6月12日 | 呉発。 同日呉帰着。 |
1942年(昭和17年)6月 | 25mm3連装機銃2基増備 |
1942年(昭和17年)6月24日 | 呉発。 |
1942年(昭和17年)6月27日 | 呉着。 |
1942年(昭和17年)7月1日 | 呉発。 |
1942年(昭和17年)7月9日 | 呉着。 |
1942年(昭和17年)7月25日 | 呉発。 |
1942年(昭和17年)7月26日 | 横須賀着。 |
1942年(昭和17年)7月29日 | 横須賀発。 |
1942年(昭和17年)8月1日 | 買収。 |
1942年(昭和17年)8月2日 | サイパン着。 同日、サイパン発。 ビスマルク諸島方面へ飛行機輸送。 |
1942年(昭和17年)8月14日 | 呉着。 |
1942年(昭和17年)8月18日 | 呉発。 8月.20日〜宇佐沖にて着艦訓練 |
1942年(昭和17年)8月28日 | 呉着。 |
1942年(昭和17年)8月31日 | 軍艦に編入。 雲鷹と改名。 航空母艦に類別。 |
1942年(昭和17年)9月1日 | 呉発。 |
1942年(昭和17年)9月2日 | 横須賀着。 |
1942年(昭和17年)9月4日 | 横須賀発。 |
1942年(昭和17年)9月7日 | サイパン着。 同日、サイパン発。 トラック経由でビスマルク諸島方面へ飛行機輸送。 |
1942年(昭和17年)9月18日 | 呉着。 |
1942年(昭和17年)9月25日 | 呉発。 |
1942年(昭和17年)10月1日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)10月4日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)10月9日 | 横須賀着。 |
1942年(昭和17年)10月11日 | 横須賀発。 |
1942年(昭和17年)10月16日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)10月17日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)10月24日 | 横須賀着。 |
1942年(昭和17年)10月28日 | 横須賀発。 |
1942年(昭和17年)11月2日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)11月3日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)11月8日 | パラオ着。 |
1942年(昭和17年)11月11日 | パラオ発。 |
1942年(昭和17年)11月13日 | ダバオ着。 |
1942年(昭和17年)11月15日 | パラオ着。 |
1942年(昭和17年)11月16日 | パラオ発。 |
1942年(昭和17年)11月21日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)11月24日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)12月2日 | スラバヤ着。 |
1942年(昭和17年)12月5日 | スラバヤ発。 |
1942年(昭和17年)12月6日 | バリックパパン着。 |
1942年(昭和17年)12月7日 | バリックパパン発。 |
1942年(昭和17年)12月13日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)12月17日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)12月24日 | スラバヤ着。 |
1942年(昭和17年)12月26日 | スラバヤ発。 |
1942年(昭和17年)12月28日 | バリックパパン着。 |
1942年(昭和17年)12月29日 | バリックパパン発。 |
1943年(昭和18年)1月3日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)1月5日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)1月10日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)1月18日 | 横浜へ回航。 三菱重工横浜造船所に入渠、艦首・艦尾に25mm3連装機銃各2基増備。 |
1943年(昭和18年)1月24日 | 出渠。 同日、横須賀へ回航。 |
1943年(昭和18年)2月1日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)2月7日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)2月11日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)2月17日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)2月24日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)3月2日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)3月6日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)3月12日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)3月20日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)3月25日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)4月5日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)4月10日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)4月25日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)4月30日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)5月8日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)5月13日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)5月24日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)5月29日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)6月5日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)6月9日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)6月16日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)6月21日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)6月28日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)7月2日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)7月6日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)7月11日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)7月19日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)7月24日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)7月31日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)8月5日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)8月12日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)8月16日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)8月26日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)9月2日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)9月6日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)9月11日 | 呉着。 |
1943年(昭和18年)9月31日 | 入渠。 |
1943年(昭和18年)10月3日 | 出渠。 |
1943年(昭和18年)10月13日 | 呉発。 |
1943年(昭和18年)10月19日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)10月31日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)12月5日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)12月12日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)12月15日 | 海上護衛隊総司令部付属に編入。 |
1943年(昭和18年)12月17日 | トラック着。 |
1943年(昭和18年)12月24日 | トラック発。 |
1943年(昭和18年)12月29日 | 横須賀着。 |
1944年(昭和19年)1月4日 | 横須賀発。 |
1944年(昭和19年)1月9日 | トラック着。 |
1944年(昭和19年)1月18日 | トラック発。 |
1944年(昭和19年)1月19日 | サイパン島近海でアメリカの潜水艦Haddockの雷撃により、二本被雷。 損傷をうける。 |
1944年(昭和19年)1月20日 | サイパン着。 工作艦「明石」により応急修理。 |
1944年(昭和19年)1月27日 | サイパン発。 |
1944年(昭和19年)2月7日 | 波浪により損傷した艦首部を切断・喪失。 |
1944年(昭和19年)2月8日 | 横須賀着。 |
1944年(昭和19年)4月2日 | 横須賀工廠第四船渠に入渠、飛行甲板前端部の延長、12cm高角砲2門、機銃増備等。 |
1944年(昭和19年)6月28日 | 出渠。 |
1944年(昭和19年)8月12日 | 横須賀発。 |
1944年(昭和19年)8月14日 | 呉着。 |
1944年(昭和19年)8月15,16日 | 呉海軍工廠で船体兵器機関の修理整備。 |
1944年(昭和19年)8月17日 | 呉発。 内海西部で待機。 |
1944年(昭和19年)8月25日 | 六連発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)8月29日 | 高雄着。 同日、高雄発。 |
1944年(昭和19年)9月5日 | セレター着。 |
1944年(昭和19年)9月11日 | セレター発。 |
1944年(昭和19年)9月17日 | 門司向けヒ74船団の護衛中、南支那海東沙島南東でアメリカ潜水艦「バーブ(Barb)」の雷撃を受け沈没。 |
1944年(昭和19年)11月10日 | 除籍。 |
コンテンツは特に記載されてない限り、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。