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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

1905年(明治38年)1月15日建立。 合祀者249柱。(1)

軍艦高砂戦死下士卒墓

碑文

軍艦高砂戦死下士卒墓碑文

碑文の書写しにあたっては、字体および配置を極力合わせるようにしたが、使用している環境の限界により、一部相違しているものがある。 上掲碑文中の傍線は、実際の碑文では異体字が使用されていることを示すために、管理人が附したものである。

軍艦高砂について

高砂
二等巡洋艦「高砂」

「高砂」は吉野型防護巡洋艦の2番艦である。

日清戦争後の第一期拡張計画により改吉野型としてイギリスのアームストロング社に発注された。 船体は「吉野」とほぼ同じであるが、主砲を15.cm砲4門から20.3cm砲2門に強化するなどの改正が実施されている。 日露戦争では第一艦隊第三戦隊に所属し、旅順哨戒等に従事していたが、旅順攻略作戦で陸上砲撃中に触雷沈没した。(2)

艦名

艦名は名勝の名。 兵庫県南部、加古川の河口部西岸にある都市。 古来より播磨の要津で、風光明媚の地として知られている。(3)

要目(2)(4)

艦種二等巡洋艦
艦型2檣ミリタリー型
船質
建造所Armstrong Whitworth, Elswick(Newcastle, United Kingdom)
常備排水量 ※14,155トン
垂線間長109.73m
水線最大幅14.22m
喫水5.18m
主機直立式4気筒3連成レシプロ式蒸気機械2基、2軸
主缶円缶(石炭専焼)8基
出力15,750馬力
速力22.5ノット
燃料石炭:1,000
航続力10ノットで4,000浬
乗員380名
兵装45口径安式20cm単装砲2基
40口径安式12cm単装砲10基
40口径安式8cm単装砲12基
47mm単装砲6基
36cm保式魚雷発射管5門
装甲
その他新造時

※1:英トン(1.016メートルトン)

艦歴(5)

年月日履歴
1896年(明治29年)5月29日Armstrong Whitworth, Elswick(Newcastle, United Kingdom)において起工。
1897年(明治30年)5月17日進水。
1898年(明治31年)5月17日竣工。
1900年(明治33年)6月16日〜9月13日北清事変で芝罘、山海関、大沽派遣。
1902年(明治35年)4月7日〜11月28日エドワード7世即位観艦式で渡英。 ヨーロッパ歴訪。
1904年(明治37年)2月6日〜日露戦争。 旅順哨戒に従事。
1904年(明治37年)2月9日旅順口付近でロシア汽船マンチュリアを拿捕。
1904年(明治37年)8月10日黄海海戦に参加。
1904年(明治37年)12月13日旅順港外で触雷沈没。
1905年(明治38年)6月15日除籍。

参考資料

  1. 梶本光義(編集責任者).呉海軍墓地誌海ゆかば:合祀碑と英霊.呉海軍墓地顕彰保存会,2005,p52
  2. ab日本巡洋艦史.東京,海人社,1991,p50,世界の艦船.No.441 1991/9増刊号 増刊第32集
  3. 広辞苑 第四版 電子ブック版
  4. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p37
  5. 前掲.日本巡洋艦史.p188

謝辞

アイコンはsinn様の「アイコン工房」より、ご提供頂いた。