1938年(昭和13年)5月15日建立。 合祀者303柱。(1)
碑文の書写しにあたっては、字体および配置を極力合わせるようにしたが、使用している環境の限界により、一部相違しているものがある。
二等巡洋艦「吉野」
吉野型防護巡洋艦の1番艦である。
明治24年(1891年)度計画によりイギリスのアームストロング社に発注された。 防護巡洋艦「和泉」(元チリ海軍エスメラルダ)や浪速型防護巡洋艦を設計したフィリップ・ワッツ(Sir Phillip Watts)の手になり、公試では23.031ノットを発揮し、世界最高速の巡洋艦といわれた。 砲は全て速射砲であり、15cm砲4門、12cm砲8門とし、艦首方向の火力を重視し、15cm砲のうち3門を前部中心線及び両舷のスポンソンに配備した。(1)
日清戦争に参戦し、黄海海戦では第一遊撃隊の旗艦として、速力と砲力を生かして活躍した。 日露戦争では第一艦隊第三戦隊に所属し、旅順、浦塩哨戒に従事していたが、1904年(明治37年)5月15日、山東角沖で装甲巡洋艦「春日」と衝突沈没した。(2)
艦名は山岳名。 奈良県中部、大峰山脈の北側の一支脈の称。 南朝の所在地で史跡に富み、古来より桜の名所として知られている。(3)
艦種 | 二等巡洋艦 |
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艦型 | 2檣ミリタリー型 |
船質 | 鋼 |
建造所 | Armstrong Whitworth, Elswick(Newcastle, United Kingdom) |
常備排水量 ※1 | 4,216トン |
垂線間長 | 109.73m |
水線最大幅 | 14.22m |
喫水 | 5.18m |
主機 | 直立式4気筒3連成レシプロ式蒸気機械2基、2軸 |
主缶 | 円缶(石炭専焼)12基 |
出力 | 15,900馬力 |
速力 | 23ノット |
燃料 | 石炭:1,000 |
航続力 | 10ノットで4,000浬 |
乗員 | 360名 |
兵装 | 40口径安式15cm単装砲4基 40口径安式12cm単装砲8基 47mm単装砲22基 36cm朱式魚雷発射管5門 |
装甲 | ? |
その他 | 新造時 |
※1:英トン(1.016メートルトン)
年月日 | 履歴 |
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1892年(明治25年)3月1日 | Armstrong Whitworth, Elswick(Newcastle, United Kingdom)において起工。 |
1892年(明治25年)12月23日 | 進水。 |
1893年(明治26年)9月30日 | 竣工。 |
1894年(明治27年)6月11〜23日 | 仁川へ陸兵輸送船団護衛。 |
1894年(明治27年)7月23日〜 | 日清戦争。 |
1894年(明治27年)7月25日 | 豊島沖海戦に参加。 |
1894年(明治27年)9月17日 | 黄海海戦に参加。 |
1896年(明治29年)12月1日〜1897年(明治30年)4月3日 | フィリピン独立運動で、邦人保護のためマニラ派遣。 |
1898年(明治31年)3月21日 | 二等巡洋艦に類別。 |
1900年(明治33年)6月16日〜9月13日 | 北清事変で大沽派遣。 |
1904年(明治37年)2月6日〜 | 日露戦争。 朝鮮基地から旅順、浦塩哨戒に従事。 |
1904年(明治37年)5月15日 | 山東角沖で春日と衝突沈没。 |
1905年(明治38年)5月21日 | 除籍。 |
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