1935年(昭和10年)6月2日建立。(1)
吹雪型駆逐艦
「白雲」は吹雪型駆逐艦の4番艦である。 吹雪型駆逐艦は特型駆逐艦とも呼ばれる。 1921年(大正10年)のワシントン条約により、主力艦の対米英比率を6割とされた日本海軍は、条約の制限を受けない巡洋艦以下の補助艦艇を強化し、これにより敵主力艦隊に先制攻撃をかけて漸減させる作戦を打ち出した。 この場合でも、彼我の建造能力を考慮する必要があり、その結果、個艦性能の優越を重視するようになった。 このため軍令部は新型駆逐艦に対して、12.7cm砲6門、61cm魚雷9射線、速力37ノットの要求を出した。 これをうけた艦政本部は「特型駆逐艦対策委員会」を設置し、新型駆逐艦の検討を実施し、軍令部要求を基準排水量1,680トンでまとめあげた。
峯風型から睦月型までの駆逐艦が艦橋直前に1段下がったウエルデッキを設け、ここで波浪を受け止めて艦橋への直撃を避けていたのに対し、吹雪型では長船首楼型とし、乾絃を大きくとり、艦首に強いシアとフレアを設けて凌波性を向上させた。 主砲は連装3基6門とし、砲塔形式のシールドに収め、前部1基、後部2基の配置とした。 魚雷発射管は3連装3基9射線とし魚雷は予備を含め18本を搭載した。 この艦形と主砲配置は、その後の日本駆逐艦の基礎となり、夕雲型まで引き継がれた。
軍令部要求の重武装と高速力発揮の機関を基準排水量1,680トンに収めるために、外板厚の減少、軽合金の使用等、徹底した重量軽減策が講じられたが、1928年(昭和3年)8月10日に竣工した1番艦「吹雪」は、公試排水量が1,980トンの計画に対し、2,097トンと大幅に超過していた。 しかし、速力は最大37.98ノットを記録し、航洋性にも問題はなかった。 ところが、1934年(昭和9年)に発生した友鶴事件による復原性能の改善、1935年(昭和10年)に発生した第四艦隊事件による船体強度の見直し等が実施されることとなった。 特に吹雪型駆逐艦は第四艦隊事件で2隻が船体破断、他の艦も船体屈曲や亀裂が発生したため、徹底的な改善対策がなされた。 このため、兵装は保たれたものの、排水量の増大により速力と航続力が低下した。
1929年(昭和4年)6月29日に竣工した「深雪」は、第二艦隊第二水雷戦隊第十一駆逐隊に編入され、敵主力艦隊に先制攻撃をかける水上雷撃戦部隊の主力として期待されていたが、1934年(昭和9年)6月29日済州島南方で演習中、「電」と衝突、船体を切断し沈没した。(2)(3)
艦名は気象。 深く積った雪、または雪の美称。(4) 茜さす光は空に曇らぬをなどて深雪に目を切らしけむ(源氏物語)。
新造時 | |
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艦種 | 一等駆逐艦 |
建造所 | 浦賀船渠 |
基準排水量 ※1 | 1,680トン |
公試排水量 ※2 | 1,980トン |
垂線間長 | 112.00m |
水線長 | 115.30m |
全長 | 118.00m |
水線最大幅 | 10.36m |
平均喫水 | 3.20m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)4基 |
主機 | 艦本式オール・ギヤード・タービン2基 |
推進器軸 | 2軸 |
出力 | 50,000馬力 |
速力 | 38.0ノット |
燃料 | 重油:475トン |
航続力 | 14ノットで4,500浬 |
兵装 | 50口径三年式12.7cm連装砲A型3基 留式7.7mm単装機銃2基 61cm一二年式3連装発射管3基 八年式魚雷18本 |
乗員 | 219名 |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
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1927年(昭和2年)4月30日 | 浦賀船渠において起工。 |
1928年(昭和3年)6月26日 | 進水。 |
1929年(昭和4年)6月29日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 第二艦隊第二水雷戦隊第十一駆逐隊に編入。 |
1930年(昭和5年)5月17日 | 古仁屋発。 南洋方面に行動。 |
1930年(昭和5年)6月19日 | 横須賀着。 |
1931年(昭和6年)3月29日 | 福岡発。 青島方面に行動。 |
1931年(昭和6年)4月5日 | 裏長山列島着。 |
1931年(昭和6年)10月10日 | 呉工廠入渠。 缶用乙型一号噴燃器換装など。 |
1931年(昭和6年)12月1日 | 第二予備艦となる。 |
1932年(昭和7年)7月8日 | 改修工事終了。 出渠。 |
1932年(昭和7年)12月1日 | 第二艦隊第二水雷戦隊第十一駆逐隊に編入。 |
1933年(昭和8年)6月29日 | 佐世保発。 馬鞍群島方面に行動。 |
1933年(昭和8年)7月5日 | 馬公着。 |
1933年(昭和8年)7月13日 | 高雄発。 南洋方面に行動。 |
1933年(昭和8年)8月11日 | 木更津着。 |
1934年(昭和9年)4月7日 | 呉工廠入渠。 重油取入れ管装置新設。 |
1934年(昭和9年)6月15日 | 出渠。 |
1934年(昭和9年)6月29日 | 済州島南方で演習中、電と衝突沈没。 |
1934年(昭和9年)8月15日 | 除籍。 |
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