1983年(昭和58年)7月23日建立。 合祀者29柱。(1)
松型駆逐艦
「椿」は松型駆逐艦(丁型)の15番艦である。
1942年(昭和17年)8月にガダルカナル戦が始まると、輸送作戦(東京急行)への投入や夜戦で多数の艦隊型駆逐艦を失った。 当時建造中の夕雲型や秋月型の建造計画では、この損失を埋めるだけの隻数を建造することは不可能だった。 また、これらの駆逐艦の構造は急速建造に不向きなものであった。 さらに、敵制空権下にあるガダルカナル島への輸送任務は、夜間に接近して揚陸を完了し、夜明け前に敵機の行動範囲外に離脱する必要があったが、建造中の艦隊型駆逐艦はこのような任務に不向きであった。
そこで、補給作戦や揚陸作戦に適した、急造にむく新型駆逐艦として松型駆逐艦を建造することとなった。 本型の線図は工事簡略化のため、平面構造を多用した設計になった。 また、鋼材も特殊鋼(DS鋼)ではなく、、艦底部に普通鋼を、上甲板に高張力鋼(HT鋼)を使用した。 機関配置において、本型は日本駆逐艦としてはじめてシフト配置方式を採用した。 これは前方より、前部缶室(右舷用)、前部機械室(右舷用)、後部缶室(左舷用)、後部機械室(左舷用)の配置とし、左右の軸系を独立させて被害時の生存性を高めたものである。 兵装は八九式12.7cm高角砲3門(連装1基、単装1基)、九六式25mm機銃20問(3連装4基、単装8基)、61cm九二式4連装発射管1基、九四式爆雷投射機2基とされ、従来の駆逐艦に比して対空・対潜能力を強化したものであった。(2)
艦名の「椿(2代)」は植物名でツバキ科の常緑高木の総称。
ヤブツバキは暖地に自生し、高さ数mに達する。 葉は光沢があり、革質。 春に赤色の花を咲かせる。 果実は円形で、黒色の種子をもつ。 種子から椿油を製し、材は工芸用.となる。(3) 呉市の市花でもある。
奥山の八峯の椿つばらかに今日は暮らさね大夫のとも(大伴家持)
艦種 | 一等駆逐艦 |
---|---|
建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
基準排水量 ※1 | 1,262トン |
公試排水量 ※2 | 1,530トン |
全長 | 100.0m |
水線最大幅 | 9.4m |
喫水 | 3.3m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)2基 |
主機 | 艦本式オール・ギヤード・タービン2基 |
推進軸 | 2軸 |
出力 | 19,000馬力 |
速力 | 27.8ノット |
燃料 | 重油:370トン |
航続力 | 18ノットで3,500浬 |
乗員 | 211名 |
兵装 | 40口径八九式12.7cm連装高角砲1基 40口径八九式12.7cm単装高角砲1基 九六式25mm3連装機銃4基 九六式25mm単装機銃12基 61cm九二式4連装発射管1基 |
その他 | − |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
---|---|
1944年(昭和19年)6月20日 | 舞鶴海軍工廠において起工。 |
1944年(昭和19年)9月30日 | 進水。 |
1944年(昭和19年)11月30日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 第十一水雷戦隊に編入。 |
1944年(昭和19年)12月1日 | 舞鶴発。 |
1944年(昭和19年)12月2日 | 徳山着。 給油。 |
1944年(昭和19年)12月3日 | 徳山発。 諸訓練。 同日、安下庄着。 |
1944年(昭和19年)12月5日 | 安下庄発。 諸訓練。 同日、呉着。 需品搭載。 |
1944年(昭和19年)12月9日 | 呉発。 諸訓練。 同日、安下庄着。 |
1944年(昭和19年)12月15日 | 安下庄発。 諸訓練。 同日、亀川着。 |
1944年(昭和19年)12月18日 | 亀川発。 諸訓練。 杵築を経て安下庄着。 |
1944年(昭和19年)12月22日 | 安下庄発。 諸訓練。 長浜沖を経て安下庄着。 |
1944年(昭和19年)12月27日 | 安下庄発。 諸訓練。 同日、呉着。 |
1945年(昭和20年)1月6日 | 呉発。 諸訓練。 安下庄を経て八島着。 |
1945年(昭和20年)1月10日 | 八島発。 諸訓練。 |
1945年(昭和20年)1月11日 | 安下庄着。 |
1945年(昭和20年)1月15日 | 安下庄発。 同日、亀川着。 |
1945年(昭和20年)1月17日 | 亀川発。 諸訓練。 同日、杵築着。 |
1945年(昭和20年)1月20日 | 杵築発。 諸訓練。 同日、八島着。 |
1945年(昭和20年)1月22日 | 射撃訓練協力のため、八島発。 同日、八島着。 |
1945年(昭和20年)1月24日 | 八島発。 諸訓練。 大津島回航。 |
1945年(昭和20年)1月25日 | 大津島着。 27日まで第一特別基地隊の訓練に協力。 |
1945年(昭和20年)1月27日 | 大津島発。 同日、呉着。 呉工廠で修理。 |
1945年(昭和20年)2月5日 | 支那方面部隊に編入。 第一海上護衛隊の指揮下に入る。 |
1945年(昭和20年)2月14日 | 呉発。 同日、門司着。 |
1945年(昭和20年)2月16日 | モタ38船団を護衛して門司発。 |
1945年(昭和20年)2月18日 | 上海着。 |
1945年(昭和20年)3月15日 | 「桜」「楢」「欅」「柳」「橘」とともに第五十三駆逐隊を編成 |
1945年(昭和20年)4月10日 | 寿丸(旧イタリア客船コンテ・ヴェルデ)を護衛して、上海発。 呉淞沖を航行中に磁気機雷に触雷し中破。 |
1945年(昭和20年)4月13日 | 江南船渠に入渠。 修理。 |
1945年(昭和20年)5月8日 | シモ04船団を護衛して上海発。 |
1945年(昭和20年)5月17日 | 油谷湾着。 |
1945年(昭和20年)5月23日 | 油谷湾発。 同日、門司着。 |
1945年(昭和20年)5月25日 | 呉鎮守府部隊に編入。 |
1945年(昭和20年)5月26日 | 門司発。 |
1945年(昭和20年)5月27日 | 呉着。 呉工廠で修理。 |
1945年(昭和20年)7月13日 | 呉発。 備讃瀬戸に向かう。 |
1945年(昭和20年)7月24日 | 岡山沖でアメリカ空母機の爆撃を受け中破。 終戦時、呉に所在。 |
1945年(昭和20年)11月30日 | 除籍。 |
1948年(昭和23年)7月1日〜28日 | 播磨造船所呉船渠(現アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド呉工場)で解体。 |
アイコンはsinn様の「アイコン工房」より、ご提供頂いた。
コンテンツは特に記載されてない限り、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスのもとで利用できます。