初霜は初春型駆逐艦の4番艦である。
艦名は気象。 その冬になって初めておく霜。(1) うらかるる庭のあさちの初霜をおきかさねたる月の色かな(藤原行家)。
新造時 | 性能改善後 | 1944年9月7日時点 | |
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艦種 | 一等駆逐艦 | ||
建造所 | 浦賀船渠 | ||
基準排水量 ※1 | 1,400トン | ||
公試排水量 ※2 | 1,680トン | 2,061トン | |
垂線間長 | 103.00m | ||
水線長 | 105.5m | ||
全長 | 109.5m | ||
水線最大幅 | 10.0m | ||
水線下最大幅 | |||
喫水 | 3.03m | 3.49m | |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)3基 | ||
主機 | 艦本式オール・ギヤード・タービン2基 | ||
推進器軸 | 2軸 | ||
出力 | 42,000馬力 | ||
速力 | 33.3ノット | ||
燃料 | 重油:465トン | ||
航続力 | 14ノットで4,000浬 | ||
兵装 | 50口径三年式12.7cm連装砲B型改2基 50口径三年式12.7cm単装砲A型1基 毘式40mm単装機銃2基 九四式爆雷投射機1基 61cm九〇式3連装発射管二型3基 | 50口径三年式12.7cm連装砲B型改2基 50口径三年式12.7cm単装砲A型1基 毘式40mm単装機銃2基 九四式爆雷投射機1基 61cm九〇式3連装発射管二型2基 | 50口径三年式12.7cm連装砲B型改2基 九六式25mm3連装機銃3基 同連装機銃1基 同単装機銃10基 九三式13mm単装機銃4基 九四式爆雷投射機1基 61cm九〇式3連装発射管二型2基 |
乗員 | 205名 | 208名 | |
その他 |
年月日 | 履歴 |
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1933年(昭和8年)1月31日 | 浦賀船渠において起工。 |
1933年(昭和8年)11月4日 | 進水。 |
1934年(昭和9年)9月27日 | 竣工。 佐世保鎮守府籍に編入。 第二十一駆逐隊に編入。 |
1935年(昭和10年)8月13日 | 佐世保工廠入渠(前後部船体補強工事、11年5月9日まで)。 |
1941年(昭和16年)9月4日 | 佐世保工廠入渠。 |
1941年(昭和16年)9月11日 | 出渠。 |
1942年(昭和17年)1月14日 | 徳山発。 |
1942年(昭和17年)1月22日 | ダバオ着。 |
1942年(昭和17年)1月23日 | ダバオ発。 ケンダリー攻略作戦に参加。 |
1942年(昭和17年)2月6日 | ケンダリー発。 マカッサル攻略作戦に参加。 |
1942年(昭和17年)2月17日 | マカッサル発。 バリ島攻略作戦に参加。 |
1942年(昭和17年)3月16日 | マカッサル発。 |
1942年(昭和17年)3月30日 | 柱島着。 |
1942年(昭和17年)4月12日 | 佐世保に回航。 |
1942年(昭和17年)4月24日 | 佐世保工廠入渠。 |
1942年(昭和17年)5月1日 | 出渠。 |
1942年(昭和17年)5月20日 | 呉発。 |
1942年(昭和17年)5月21日 | 大湊着。 |
1942年(昭和17年)5月26日 | 大湊発。 アッツ攻略作戦に参加。 |
1942年(昭和17年)7月23日 | 横須賀着。 整備。 |
1942年(昭和17年)8月2日 | 横須賀発。 |
1942年(昭和17年)12月9日 | 千島、アッツ、キスカ方面を行動後、横須賀着。 |
1942年(昭和17年)12月16日 | 横須賀発。 千島方面へ君川丸を護衛。 |
1943年(昭和18年)1月6日 | 佐世保着。 |
1943年(昭和18年)1月9日 | 入渠。 |
1943年(昭和18年)1月23日 | 出渠。 |
1943年(昭和18年)1月31日 | 佐世保発。 千島、キスカ方面へ輸送船団を護衛。 |
1943年(昭和18年)3月27日 | アッツ島沖海戦に参加。 |
1943年(昭和18年)4月1日 | 第五艦隊第一水雷戦隊に編入。 |
1943年(昭和18年)4月3日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)4月15日 | 入渠。 |
1943年(昭和18年)4月20日 | 出渠。 |
1943年(昭和18年)5月11日 | 横須賀発。 千島方面で船団衛護。 |
1943年(昭和18年)7月22日 | 幌筵発。 キスカ撤収作戦に参加。 |
1943年(昭和18年)7月26日 | 濃霧中、若葉と接触。 |
1943年(昭和18年)8月1日 | 幌筵で応急修理後、同方面で船団衛護に従事。 |
1943年(昭和18年)8月30日 | 横須賀着。 |
1943年(昭和18年)9月15日 | 入渠。 |
1943年(昭和18年)10月1日 | 出渠。 |
1943年(昭和18年)10月9日 | 横須賀発。 |
1943年(昭和18年)10月10日 | 佐伯着。 |
1943年(昭和18年)10月11日 | 佐伯発。 |
1943年(昭和18年)10月19日 | セレター着。 |
1943年(昭和18年)10月26日 | セレター発。 |
1943年(昭和18年)11月5日 | 徳山着。 |
1943年(昭和18年)11月24日 | 呉発。 飛鷹を護衛。 |
1943年(昭和18年)12月3日 | セレター着。 |
1943年(昭和18年)12月11日 | セレター発。 タランカ、パラオ、トラックを経由して、29日横須賀着。 |
1944年(昭和19年)1月4日 | 横須賀発。 瑞鳳、雲鷹を護衛。 |
1944年(昭和19年)1月9日 | トラック着。 |
1944年(昭和19年)1月18日 | トラック発。 雲鷹を護衛。 |
1944年(昭和19年)2月5日 | 横須賀着。 |
1944年(昭和19年)2月14日 | 横須賀発。 徳島、鹿児島をへて千歳を護衛。 |
1944年(昭和19年)2月26日 | サイパン着。 |
1944年(昭和19年)3月5日 | サイパン発。 |
1944年(昭和19年)3月11日 | 横須賀着。 |
1944年(昭和19年)3月29日 | 伊勢湾発。 瑞鳳、龍鳳を護衛。 |
1944年(昭和19年)4月1日 | サイパン着。 |
1944年(昭和19年)4月3日 | サイパン発。 |
1944年(昭和19年)4月7日 | 呉着。 |
1944年(昭和19年)4月14日 | 佐世保へ回航。 |
1944年(昭和19年)4月22日 | 入渠。 |
1944年(昭和19年)5月6日 | 出渠。 |
1944年(昭和19年)6月6日 | 佐世保発。 速吸を護衛。 |
1944年(昭和19年)6月11日 | ダバオ着。 |
1944年(昭和19年)6月16日 | ダバオ発。 マリアナ沖海戦に参加。 |
1944年(昭和19年)7月2日 | 門司着。 |
1944年(昭和19年)7月6日 | 三池発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)7月15日 | マニラ着。 |
1944年(昭和19年)7月25日 | マニラ発。 |
1944年(昭和19年)8月4日 | 呉着。 |
1944年(昭和19年)8月20日 | 鹿児島発。 船団護衛。 |
1944年(昭和19年)8月28日 | 高雄着。 |
1944年(昭和19年)8月31日 | 高雄発。 |
1944年(昭和19年)9月4日 | 呉着。 訓練整備。 |
1944年(昭和19年)10月11日 | 入渠。 |
1944年(昭和19年)10月14日 | 出渠。 |
1944年(昭和19年)10月15日 | 呉発。 |
1944年(昭和19年)10月22日 | マニラ着。 同日、マニラ発。 |
1944年(昭和19年)10月24日 | 敵機の攻撃をうけ被弾。 |
1944年(昭和19年)10月25日 | マニラ着。 |
1944年(昭和19年)10月31日 | マニラ発。 オルモック輸送に従事。 |
1944年(昭和19年)11月4日 | マニラ着。 |
1944年(昭和19年)11月13日 | マニラ発。 |
1944年(昭和19年)11月23日 | リンガ泊地着。 |
1944年(昭和19年)11月28日 | リンガ泊地発。 馬公まで榛名を護衛。 |
1944年(昭和19年)12月18日 | カムラン湾発。 妙高を護衛。 |
1944年(昭和19年)12月27日 | シンガポール着。 |
1945年(昭和20年)2月7日 | 伊勢、日向を護衛してシンガポール発。 |
1945年(昭和20年)2月20日 | 呉着。 訓練整備。 |
1945年(昭和20年)4月6日 | 徳山発 大和を基幹とする沖縄特攻に参加。 |
1945年(昭和20年)4月7日 | 矢矧、濱風乗員を救助。 |
1945年(昭和20年)4月8日 | 佐世保着。 |
1945年(昭和20年)5月16日 | 舞鶴へ回航。 |
1945年(昭和20年)6月16日 | 宮津湾で砲術学校練習艦となる。 |
1945年(昭和20年)7月30日 | 宮津湾で対空戦闘中触雷、擱座。 |
1945年(昭和20年)9月30日 | 除籍。 |
1948年(昭和23年)〜1949年(昭和24年) | 飯野産業舞鶴造船所(現ユニバーサル造船舞鶴事業所)により浮揚、解体。 |
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