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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

磯風について

磯風は陽炎型駆逐艦の12番艦である。

艦名

艦名は気象。 磯に吹く風の意。(1) マノゝウラヤヨセテハカエルナミノイロヲオハナニトメテイソカセソフク(真野の浦や寄せては返る波の色を尾花にとめて磯風ぞ吹く)(藤原為道/高良玉垂宮神秘書同紙背)。

要目(2)(3)(4)

新造時1944年6月30日時点
艦種一等駆逐艦
建造所佐世保海軍工廠
基準排水量 ※12,000トン
公試排水量 ※22,500トン
垂線間長111.00m
水線長116.20m
全長118.5m
水線最大幅10.80m
喫水3.76m
主缶ロ号艦本式水管缶(重油専焼)3基
主機艦本式オール・ギヤード・タービン2基
推進器軸2軸
出力52,000馬力
速力35.0ノット
燃料重油:622トン
航続力18ノットで5,000浬
兵装50口径三年式12.7cm連装砲C型3基
九六式25mm連装機銃2基
61cm九二式4連装発射管二型2基
九三式魚雷16本
50口径三年式12.7cm連装砲C型2基
九六式25mm3連装機銃4基
同連装機銃1基
同単装機銃7基
61cm九二式4連装発射管二型2基
乗員239名
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(5)

年月日履歴
1938年(昭和13年)11月25日佐世保海軍工廠において起工。
1939年(昭和14年)6月19日進水。
1940年(昭和15年)11月30日竣工。  呉鎮守府籍に編入。 第十七駆逐隊に編入。
1941年(昭和16年)11月26日単冠湾発。 ハワイ作戦に参加。
1942年(昭和17年)1月7日呉発。 ビスマルク諸島攻略作戦支援。
1942年(昭和17年)2月15日パラオ発。 ポートダーウィン機動作戦に参加。
1942年(昭和17年)2月25日スターリング湾発。 ジャワ南方機動作戦に参加。
1942年(昭和17年)3月26日スターリング湾発。 セイロン作戦に参加。
1942年(昭和17年)4月22日呉着。
1942年(昭和17年)5月11日修理。
1942年(昭和17年)5月15日修理完成。
1942年(昭和17年)5月27日柱島発。 ミッドウェー作戦に参加。
1942年(昭和17年)6月13日呉着。 修理。
1942年(昭和17年)7月4日呉発。 対潜警戒。
1942年(昭和17年)8月8日呉発。 ガダルカナル島輸送作戦に2回従事。
1942年(昭和17年)9月21日ラバウル発。 グッドイナフ島で佐世保第五特別陸戦隊を収容。
1942年(昭和17年)10月11日トラック発。 南太平洋海戦に参加。
1942年(昭和17年)11月12日佐世保着。 修理。
1942年(昭和17年)11月30日横須賀発。
1942年(昭和17年)12月16日トラック発。 ウエワク攻略作戦支援。
1943年(昭和18年)1月14日ショートランド発。 ガダルカナル島輸送作戦に従事。
1943年(昭和18年)2月1日ショートランド発。 ガダルカナル島撤退作戦に従事。
1943年(昭和18年)2月7日ガダルカナル島西方で敵機の攻撃をうけ損傷。
1943年(昭和18年)3月29日呉着。 修理。
1943年(昭和18年)7月8日修理完成。
1943年(昭和18年)7月9日呉発。 ブインへ陸兵輸送。
1943年(昭和18年)8月17日ラバウル発。 ベラ・ラベラ沖海戦に参加。
1943年(昭和18年)10月6日ベララベラ沖夜戦に参加。
1943年(昭和18年)11月4日カビエン港外で触雷、損傷。
1943年(昭和18年)11月18日呉着。 修理。
1943年(昭和18年)12月28日修理完成。
1944年(昭和19年)1月6日横須賀発。 ブラウンへの輸送に従事。
1944年(昭和19年)2月10日トラック発。
1944年(昭和19年)2月21日リンガ泊地着。 訓練。
1944年(昭和19年)3月16日リンガ泊地発。 パラオへ船団輸送。
1944年(昭和19年)5月15日リンガ泊地発。 タウイタウイへ進出。 訓練。
1944年(昭和19年)6月15日タウイタウイ発。 マリアナ沖海戦に参加。
1944年(昭和19年)7月8日呉発。 沖縄の陸軍部隊をリンガ泊地に輸送。
1944年(昭和19年)9月12日リンガ泊地発。 第二戦隊護衛のため内地間往復。
1944年(昭和19年)10月18日リンガ泊地発。 比島沖海戦に参加。
1944年(昭和19年)10月30日ブルネイ発。 オルモック輸送作戦支援。
1944年(昭和19年)11月16日ブルネイ発。
1944年(昭和19年)11月25日呉着。
1944年(昭和19年)11月25日呉発。 長門を護衛。
1944年(昭和19年)11月28日横須賀発。 航空母艦信濃を護衛。
1944年(昭和19年)11月29日信濃の被雷沈没により人員救助。
1944年(昭和19年)12月29日門司発。 高雄へ船団護衛。
1945年(昭和20年)4月6日徳山発。 大和と沖縄特攻に参加。
1945年(昭和20年)4月7日沖縄特攻作戦中、大隅諸島西方でアメリカ空母機の爆撃を受け大破。 北緯30度46分、東経128度9分の地点で、雪風の砲撃により処分。
1945年(昭和20年)5月25日除籍。

参考資料

  1. 広辞苑 第四版 電子ブック版
  2. 日本駆逐艦史.東京,海人社,1992,p108,世界の艦船.No453 1991/7増刊号 増刊第34集
  3. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p51
  4. 福井静夫.日本駆逐艦物語.東京,光人社,1993,軍艦七十五年回想記,第5巻,p280
  5. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 17巻 駆逐艦初春型 白露型 朝潮型 陽炎型 夕雲型 島風.東京,光人社,1997,p134