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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

谷風について

谷風は陽炎型駆逐艦の14番艦である。

艦名

艦名は気象。 谷を吹き通る風。(1) 氷たにとまらぬ春の谷風にまたうちとけぬ鴬の声(源順/拾遺集)

要目(2)(3)(4)

新造時
艦種一等駆逐艦
建造所藤永田造船所
基準排水量 ※12,000トン
公試排水量 ※22,500トン
垂線間長111.00m
水線長116.20m
全長118.5m
水線最大幅10.80m
喫水3.76m
主缶ロ号艦本式水管缶(重油専焼)3基
主機艦本式オール・ギヤード・タービン2基
推進器軸2軸
出力52,000馬力
速力35.0ノット
燃料重油:622トン
航続力18ノットで5,000浬
兵装50口径三年式12.7cm連装砲C型3基
九六式25mm連装機銃2基
61cm九二式4連装発射管二型2基
九三式魚雷16本
乗員239名
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)

艦歴(5)

年月日履歴
1939年(昭和14年)10月18日藤永田造船所において起工。
1940年(昭和15年)11月1日進水。
1941年(昭和16年)4月25日竣工。  呉鎮守府籍に編入。 第十七駆逐隊に編入。
1941年(昭和16年)11月26日単冠湾発。 ハワイ作戦に参加。
1941年(昭和16年)12月17日ハワイ作戦の帰途、航空母艦飛龍の警戒艦となりウェーキ攻略支援。
1942年(昭和17年)1月10日呉発。 ビスマルク諸島攻略作戦支援。
1942年(昭和17年)2月15日パラオ発。 ポートダーウィン機動作戦に参加。
1942年(昭和17年)2月25日スターリング湾発。 ジャワ南方機動作戦に参加。
1942年(昭和17年)3月26日スターリング湾発。 セイロン作戦に参加。
1942年(昭和17年)4月22日横須賀着。
1942年(昭和17年)4月27日呉へ回航。 修理。
1942年(昭和17年)5月27日柱島発。 ミッドウェー作戦に参加。
1942年(昭和17年)6月6日ミッドウェー作戦で至近弾により損傷。
1942年(昭和17年)8月8日呉発。  ガダルカナル島輸送作戦に3回従事。
1942年(昭和17年)10月26日南太平洋海戦に参加。
1942年(昭和17年)12月4日ラバウル発。 ラエ輸送作戦に従事。
1943年(昭和18年)2月1日ショートランド発。 ガダルカナル島撤退作戦に従事。
1943年(昭和18年)2月11日ラバウル発。 トラック方面で護衛に従事。
1943年(昭和18年)4月6日パラオ発。 ハンサ輸送作戦に従事。
1943年(昭和18年)4月26日トラック着。 トラック〜内地間護衛に従事。
1943年(昭和18年)7月5日ショートランド発。 クラ湾夜戦に参加。
1943年(昭和18年)7月19日トラック発。 隼鷹を護衛(トラック〜呉〜シンガポール〜呉〜トラック〜呉)
1943年(昭和18年)12月20日横須賀発。 カビエンへ陸軍部隊輸送。
1944年(昭和19年)1月10日トラック発。 パラオ方面で護衛に従事。
1944年(昭和19年)2月21日リンガ泊地着。 訓練。
1944年(昭和19年)3月16日リンガ泊地発。 パラオ、ダバオ、サイパン方面へ船団護衛。
1944年(昭和19年)5月28日タウイタウイ着。 機動部隊と合同。
1944年(昭和19年)6月9日タウイタウイ沖(北緯4度55分、東経119度40分)で対潜掃討中、アメリカ潜水艦「ハーダー (Harder) 」の雷撃を受け沈没。
1944年(昭和19年)8月10日除籍。

参考資料

  1. 広辞苑 第四版 電子ブック版
  2. 日本駆逐艦史.東京,海人社,1992,p108,世界の艦船.No453 1991/7増刊号 増刊第34集
  3. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p51
  4. 山本義秀,吉原幹也.日本海軍艦載兵器大図鑑.東京,ベストセラーズ,2002,179p
  5. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 17巻 駆逐艦初春型 白露型 朝潮型 陽炎型 夕雲型 島風.東京,光人社,1997,p134-135