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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

雪風について

雪風は陽炎型駆逐艦の8番艦である。

艦名

艦名は気象。降雪にはげしい風の伴ったものの意。 風雪。暴風雪。(1) 雪風がまだうしろふく山ざくら(黒岩鷺白/足利大岩毘沙門天俳額)。

要目(2)(3)(4)

新造時1944年8月28日時点
艦種一等駆逐艦
建造所佐世保海軍工廠
基準排水量 ※12,000トン
公試排水量 ※22,500トン
垂線間長111.00m
水線長116.20m
全長118.5m
水線最大幅10.80m
喫水3.76m
主缶ロ号艦本式水管缶(重油専焼)3基
主機艦本式オール・ギヤード・タービン2基
推進器軸2軸
出力52,000馬力
速力35.0ノット
燃料重油:622トン
航続力18ノットで5,000浬
兵装50口径三年式12.7cm連装砲C型3基
九六式25mm連装機銃2基
61cm九二式4連装発射管二型2基
九三式魚雷16本
50口径三年式12.7cm連装砲C型2基
九六式25mm3連装機銃4基
同連装機銃1基
同単装機銃10基
九三式13mm単装機銃4基
九四式爆雷投射機1基
61cm九二式4連装発射管二型2基
乗員239名
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(5)

年月日履歴
1938年(昭和13年)8月2日佐世保海軍工廠において起工。
1939年(昭和14年)3月24日進水。
1940年(昭和15年)1月20日竣工。  呉鎮守府籍に編入。 第十六駆逐隊に編入。
1941年(昭和16年)12月6日パラオ発。 レガスビー攻略作戦支援。
1941年(昭和16年)12月19日レガスビー発。 ラモン湾上陸作戦に参加。
1942年(昭和17年)1月9日ダバオ発。 メナド攻略作戦に参加。
1942年(昭和17年)1月21日バンカ泊地発。 ケンダリー攻略作戦に参加。
1942年(昭和17年)1月28日バンカ泊地発。 アンボン攻略作戦に参加。
1942年(昭和17年)2月17日アンボン発。 クーパン攻略作戦に参加。
1942年(昭和17年)2月25日マカッサル発。 スラバヤ沖海戦に参加。
1942年(昭和17年)3月29日アンボン発。 西部ニューギニア攻略作戦に参加。
1942年(昭和17年)4月30日呉着。 修理。
1942年(昭和17年)4月22日呉発。
1942年(昭和17年)5月28日サイパン発。 ミッドウェー作戦に参加。
1942年(昭和17年)6月21日横須賀着。
1942年(昭和17年)7月11日横須賀発。
1942年(昭和17年)8月12日ラバウルより横須賀着。
1942年(昭和17年)9月4日横須賀発。 ソロモン方面作戦支援。
1942年(昭和17年)10月26日南太平洋海戦に参加。
1942年(昭和17年)10月30日トラック着。
1942年(昭和17年)11月9日トラック発。 第三次ソロモン海戦に参加。
1942年(昭和17年)12月10日呉着。 修理。
1943年(昭和18年)1月18日呉発。
1943年(昭和18年)1月25日ショートランド発。 ガダルカナル島撤退作戦に従事。
1943年(昭和18年)2月28日ラバウル発。 ラエ輸送作戦に従事。
1943年(昭和18年)3月7日ラバウル発。 コロンバンガラ輸送作戦に従事。
1943年(昭和18年)5月8日呉着。 修理。
1943年(昭和18年)6月16日呉発。
1943年(昭和18年)6月30日トラック発。 コロンバンガラ輸送作戦に従事。
1943年(昭和18年)7月12日コロンバンガラ島沖海戦に参加。
1943年(昭和18年)7月29日トラック着。 整備。
1943年(昭和18年)9月2日呉着。
1943年(昭和18年)10月8日呉発。 シンガポールへ航空母艦護衛。
1943年(昭和18年)11月15日呉発。 トラックへ艦船護衛。
1944年(昭和19年)1月11日門司発。 シンガポールへ船団護衛。
1944年(昭和19年)2月15日呉発。 サイパンへの航空母艦護衛に2回従事。
1944年(昭和19年)4月21日呉発。 リンガ泊地へ戦艦大和を護衛。
1944年(昭和19年)6月15日タウイタウイ発。 マリアナ沖海戦に参加。
1944年(昭和19年)9月22日呉発。 リンガ泊地へ第二戦隊を護衛。
1944年(昭和19年)10月18日ブルネイ発。 比島沖海戦に参加。
1944年(昭和19年)11月25日呉着。
1944年(昭和19年)11月27日呉発。 戦艦長門を護衛。
1944年(昭和19年)11月28日横須賀発。 航空母艦信濃を護衛。 信濃の被雷沈没により人員救助。
1945年(昭和20年)4月6日徳山発。 大和と沖縄特攻に参加。
1945年(昭和20年)5月15日舞鶴へ回航。 同方面の警備に従事。
1945年(昭和20年)7月30日宮津湾で敵機の攻撃をうけ損傷。
1945年(昭和20年)10月5日除籍。
1945年(昭和20年)12月1日特別輸送艦に指定。
1945年(昭和20年)12月20日〜1946年(昭和21年)2月10日舞鶴で輸送用に改造。 復員輸送に従事。
1946年(昭和21年)12月30日特別保管艦に指定。
1947年(昭和22年)7月6日賠償艦として中国に引渡。 国府海軍、丹陽(TAN-YANG)と命名。
1971年(昭和46年)除籍、解体。

参考資料

  1. 広辞苑 第四版 電子ブック版
  2. 日本駆逐艦史.東京,海人社,1992,p108,世界の艦船.No453 1991/7増刊号 増刊第34集
  3. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p51
  4. 福井静夫.日本駆逐艦物語.東京,光人社,1993,軍艦七十五年回想記,第5巻,p280
  5. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 17巻 駆逐艦初春型 白露型 朝潮型 陽炎型 夕雲型 島風.東京,光人社,1997,p133