1974年(昭和49年)10月10日建立。 合祀者171柱。(1)
一等巡洋艦「古鷹」新造時
「古鷹」は古鷹型巡洋艦の1番艦である。 古鷹型巡洋艦は、1920年(大正9年)の八八艦隊計画で要求された8,000トン型巡洋艦の発展型である。 古鷹型巡洋艦は、従来の5.500トン型巡洋艦(球磨型、長良型、川内型:14cm砲7門、35〜36ノット)が、アメリカのオマハ級巡洋艦(15.2cm砲12門、34ノット)やイギリスの改バーミンガム級巡洋艦(19cm砲7門、30ノット)に対して非力であるため、これらに対抗するものとして計画されたものである。
主任設計者の平賀譲造船大佐(当時)は、軽量構造の20cm単装砲塔の採用、防御甲鉄と船体構造材との兼用などの徹底した重量軽減を行い、大きさ(基準排水量7,100トン)に比して強力な攻撃/防御力を備えた艦としてまとめあげた。 しかしながら、造船所の力量不足などにより、完成時の基準排水量は7,950トンとなり、速力も要求の35ノットに対し34.5ノットに低下した。
「古鷹」は、1937年(昭和12年)4月1日〜1939年(昭和14年)4月30日にかけて呉工廠で大改装された。 改装の内容は、主砲塔を連装3基とし主砲を20.3cm砲に換装、魚雷発射管の換装と九三式魚雷(酸素魚雷)の塔載、缶の重油専焼化、上構の刷新とバルジの装着などが実施された。 「古鷹」はこの状態で開戦を迎え、1942年(昭和17年)10月11日のサボ島沖海戦で戦没した。(2)
艦名は山岳名。 古鷹山は広島県江田島市にある標高394mの山。 名前の由来は、その昔一葉の小舟が荒れ狂う暴風雨のため難破寸前にせまった時、どこからか一羽の大鷹が現れ、波静かな入り江 (江田島湾)に導いて、小舟を助けた後、この山中に姿を消したことから、いつの頃から「古鷹山」と呼ばれるようになった。 明治21年の旧海軍兵学校開校以後は、心身鍛錬のために兵学校生徒が登りはじめ、現在でも、多くの海上自衛隊員が登っている。(3)
完成時 | 1939年主砲換装後 | |
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艦種 | 一等巡洋艦 | |
建造所 | 三菱造船長崎造船所 | |
基準排水量 ※1 | 7,100トン(計画)/7,950トン(実測) | 8,700トン |
公試排水量 ※2 | 9,544トン | 10,630トン |
垂線間長 | 176.78m | → |
水線長 | 183.53m | 183.47m |
全長 | 185.17m | → |
最大幅 | 16.55m | 16.93m |
喫水 | 5.56m | 5.61m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)10基 ロ号艦本式水管缶(石炭・重油混焼)2基 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)12基 |
主機 | パーソンズ式オール・ギヤード・タービン4基 | → |
推進軸 | 4軸 | → |
出力 | 104,000馬力 | 103,340馬力(公試) |
速力 | 32.95ノット | 32.95ノット |
燃料 | 重油:1,400トン 石炭:400トン | 重油:1,858 |
航続力 | 14ノットで7,000浬 | → |
装甲 | 水線76mm、甲板36mm | → |
完成時 | 1939年主砲換装後 | |
兵装 | 50口径三年式20cm単装砲6基 40口径三年式8cm単装高角砲4基 61cm一二式連装発射管6基(固定式) 八年式魚雷24本 |
50口径三年式二号20cm連装砲3基 45口径十年式12cm単装高角砲4基 九六式25mm連装機銃4基 九三式13mm連装機銃2基 61cm九二式4連装発射管2基 九三式魚雷16本 |
射出機 | 呉式二号三型1基 | |
航空機 | 水上偵察機1機 | 水上偵察機2機(定数) |
乗員 | 627名 | 639名 |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
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1922年(大正11年)12月5日 | 三菱造船長崎造船所において起工。 |
1925年(大正14年)2月25日 | 進水。 |
1926年(大正15年)3月31日 | 竣工。 横須賀鎮守府籍に編入。 |
1926年(大正15年)4月1日 | 第二艦隊第五戦隊に編入。 |
1927年(昭和2年)3月27日 | 佐伯発。 厦門方面行動。 |
1927年(昭和2年)5月5日 | 馬公着。 |
1928年(昭和3年)3月29日 | 有明湾発。 青島方面行動。 |
1928年(昭和3年)4月9日 | 旅順着。 |
1928年(昭和3年)4月17日 | 大連発。 第二次山東出兵に参加。 |
1929年(昭和4年)3月28日 | 呉発。 芝罘方面行動。 |
1929年(昭和4年)4月3日 | 旅順着。 |
1929年(昭和4年)11月7日 | 第二艦隊第五戦隊よりのぞかれる。 |
1930年(昭和5年)12月1日 | 第二艦隊第五戦隊に編入。 |
1931年(昭和6年)3月29日 | 福岡発。 青島方面行動。 |
1931年(昭和6年)5月29日 | 横須賀工廠に入渠。 |
1931年(昭和6年)9月29日 | 横須賀工廠を出渠。 |
1931年(昭和6年)12月1日 | 第二艦隊第五戦隊よりのぞかれ予備艦となる。。 |
1932年(昭和7年)2月1日 | 横須賀鎮守府籍から呉鎮守府籍へ転籍。 |
1932年(昭和7年)2月23日 | 呉工廠に入渠。 艦艇保護亜鉛修理。 |
1932年(昭和7年)4月30日 | 呉工廠を出渠。 |
1933年(昭和8年)8月7日 | 館山発。 南洋方面行動。 |
1933年(昭和8年)8月21日 | 木更津沖着。 |
1933年(昭和8年)11月15日 | 第二艦隊第六戦隊に編入。 |
1933年(昭和8年)11月20日 | 呉工廠に入渠。 無線兵装改造工事。 |
1934年(昭和9年)1月31日 | 呉工廠を出渠。 |
1934年(昭和9年)9月5日 | 舞鶴工廠に入渠。 船体不良箇所一部修理。 |
1934年(昭和9年)9月8日 | 舞鶴工廠を出渠。 |
1934年(昭和9年)9月27日 | 旅順発。 青島方面行動。 |
1935年(昭和10年)3月29日 | 油谷湾発。 馬鞍群島方面行動。 |
1935年(昭和10年)5月28日 | 呉工廠に入渠。 修理。 |
1935年(昭和10年)6月20日 | 呉工廠を出渠。 |
1935年(昭和10年)11月15日 | 第二艦隊第六戦隊よりのぞかれ予備艦となる。。 |
1936年(昭和11年)2月15日 | 第二艦隊第七戦隊に編入。 |
1936年(昭和11年)4月13日 | 福岡発。 青島方面行動。 |
1936年(昭和11年)4月22日 | 佐世保着。 |
1936年(昭和11年)8月4日 | 馬公発。 厦門方面行動。 |
1936年(昭和11年)8月6日 | 高雄着。 |
1936年(昭和11年)12月1日 | 第二艦隊第七戦隊よりのぞかれ予備艦となる。。 |
1937年(昭和12年)3月6日 | 呉工廠に入渠。 改装工事に着手。 |
1939年(昭和14年)1月30日 | 改装工事終了。 呉工廠を出渠。 |
1939年(昭和14年)11月15日 | 第一艦隊第六戦隊に編入。 |
1940年(昭和15年)3月26日 | 有明湾発。 南支方面行動。 |
1940年(昭和15年)4月2日 | 高雄着。 |
1941年(昭和16年)2月24日 | 佐世保発。 南支方面行動。 |
1941年(昭和16年)3月3日 | 馬公着。 |
1941年(昭和16年)10月5日 | 呉発。 室積沖に回航。 |
1941年(昭和16年)10月20日 | 佐伯に回航。 |
1941年(昭和16年)11月1日 | 宿毛湾に回航。 |
1941年(昭和16年)11月5日 | 佐伯に回航。 |
1941年(昭和16年)11月13日 | 佐伯発。 柱島に回航。 |
1941年(昭和16年)11月15日 | 呉に回航。 |
1941年(昭和16年)11月19日 | 呉発。 柱島に回航。 |
1941年(昭和16年)11月29日 | 柱島〜呉往復。 |
1941年(昭和16年)11月30日 | 呉発。 |
1941年(昭和16年)12月1日 | 南洋部隊支援隊となる。 |
1941年(昭和16年)12月2日 | 母島着。 |
1941年(昭和16年)12月4日 | 母島発。 グアム島攻略部隊を支援。 |
1941年(昭和16年)12月12日 | トラック着。 重油補給。 |
1941年(昭和16年)12月13日 | トラック発。 |
1941年(昭和16年)12月16日 | ルオット着。 |
1941年(昭和16年)12月21日 | ルオット発。 |
1941年(昭和16年)12月23日 | ウェーキ島上陸作戦支援。 |
1941年(昭和16年)12月25日 | ルオット着。 |
1942年(昭和17年)1月5日 | ルオット発。 アメリカ機動部隊に備えていたが、敵情を得ず帰投。 |
1942年(昭和17年)1月7日 | ルオット発。 |
1942年(昭和17年)1月10日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)1月18日 | トラック発。 ラバウル攻略作戦支援。 |
1942年(昭和17年)1月25日 | 艦載機でマヌス島ロレンゴウ爆撃。 |
1942年(昭和17年)1月30日 | ラバウル着。 同日、ラバウル発。 |
1942年(昭和17年)1月31日 | イサベルパセージ着。 |
1942年(昭和17年)2月1日 | イサベルパセージ発。 |
1942年(昭和17年)2月4日 | マーシャル方面へアメリカ機動部隊来襲により、同方面へ急行し、ルオット着。 |
1942年(昭和17年)2月5日 | クェゼリン着。 |
1942年(昭和17年)2月6日 | クェゼリン発。 |
1942年(昭和17年)2月10日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)2月20日 | アメリカ機動部隊来攻の報により、トラック発。 |
1942年(昭和17年)2月23日 | 敵情を得ずトラックに帰投。 |
1942年(昭和17年)3月2日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)3月5日 | ラバウル着。 |
1942年(昭和17年)3月5日 | ラエ、サラモア攻略部隊支援部隊として、ラバウル発。 |
1942年(昭和17年)3月8日 | ラエ、サラモア上陸成功。 |
1942年(昭和17年)3月9日 | ブカ島クインカロラ着。 |
1942年(昭和17年)3月10日 | クインカロラ発。 |
1942年(昭和17年)3月11日 | ラバウル着。 |
1942年(昭和17年)3月14日 | ラバウル発。 |
1942年(昭和17年)3月15日 | クインカロラ着。 |
1942年(昭和17年)3月17日 | クインカロラ発。 |
1942年(昭和17年)3月18日 | メウエパセージ着。 |
1942年(昭和17年)3月26日 | メウエパセージ発。 |
1942年(昭和17年)3月27日 | ラバウル着。 |
1942年(昭和17年)3月28日 | ラバウル発。 ブーゲンビル島攻略作戦参加。 |
1942年(昭和17年)4月1日 | ラバウル着。 同日、ラバウル発。 |
1942年(昭和17年)4月2日 | メウエパセージ着。 |
1942年(昭和17年)4月5日 | メウエパセージ発。 |
1942年(昭和17年)4月7日 | ハーミット諸島各島に陸戦隊を揚陸。 |
1942年(昭和17年)4月8日 | ハーミット発。 |
1942年(昭和17年)4月10日 | トラック着。 整備作業。 |
1942年(昭和17年)4月30日 | トラック発。 モレスビー攻略作戦に向かう。 |
1942年(昭和17年)5月4日 | クインカロラ着。 同日、クインカロラ発。 |
1942年(昭和17年)5月5日 | ショートランド着。 石廊より重油補給をうける。 |
1942年(昭和17年)5月7日 | 珊瑚海海戦に参加。 航空母艦祥鳳を援護。 |
1942年(昭和17年)5月8日 | 機動部隊と合同、航空母艦翔鶴を援護。 |
1942年(昭和17年)5月12日 | 機動部隊と分離、キエタ着。 同日、キエタ発。 |
1942年(昭和17年)5月13日 | ショートランド着。 |
1942年(昭和17年)5月14日 | カビエン着。 |
1942年(昭和17年)5月15日 | キエタ発。 |
1942年(昭和17年)5月17日 | トラック着。 整備作業。 |
1942年(昭和17年)5月31日 | トラック発。 呉に向かう。 |
1942年(昭和17年)6月5日 | 呉着。 |
1942年(昭和17年)6月10日 | 呉工廠に入渠。 |
1942年(昭和17年)6月15日 | 呉工廠を出渠。 |
1942年(昭和17年)6月27日 | 全力確認運転に出動。 |
1942年(昭和17年)6月28日 | 呉発。 同日、長浜沖着。 |
1942年(昭和17年)6月30日 | 長浜沖発。 |
1942年(昭和17年)7月4日 | トラック着。 |
1942年(昭和17年)7月7日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)7月9日 | キエタ着。 宝洋丸より重油補給をうける。 |
1942年(昭和17年)7月10日 | キエタ発。 同日、レカタ着。 |
1942年(昭和17年)7月14日 | レカタ発。 |
1942年(昭和17年)7月16日 | メウエパセージ着。 |
1942年(昭和17年)7月18日 | メウエパセージ発。 |
1942年(昭和17年)7月19日 | クインカロラ着。 |
1942年(昭和17年)7月22日 | クインカロラ発。 同日、ラバウル着。 |
1942年(昭和17年)7月23日 | ラバウル発。 同日、メウエパセージ着。 |
1942年(昭和17年)7月24日 | メウエパセージ発。 同日、イサベルパセージ着。 |
1942年(昭和17年)7月26日 | イサベルパセージ発。 同日、メウエパセージ着。 |
1942年(昭和17年)8月7日 | ガダルカナル島にアメリカ軍来攻来攻の報によりガダルカナル島に向かう。 |
1942年(昭和17年)8月8日 | 第一次ソロモン海戦に参加。 他艦と共同して重巡洋艦4隻撃沈。 |
1942年(昭和17年)8月10日 | 被雷により沈没した加古の乗員を救助しメウエパセージ着。 |
1942年(昭和17年)8月17日 | メウエパセージ発。 |
1942年(昭和17年)8月19日 | レカタ着。 |
1942年(昭和17年)8月20日 | レカタ発。 |
1942年(昭和17年)8月22日 | ショートランド着。 同日、ショートランド発。 |
1942年(昭和17年)8月27日 | ショートランド着。 |
1942年(昭和17年)8月28日 | ショートランド発。 |
1942年(昭和17年)9月1日 | キエタに進出。 |
1942年(昭和17年)9月9日 | ラバウル着。 |
1942年(昭和17年)9月10日 | ラバウル発。 |
1942年(昭和17年)9月11日 | キエタ着。 同日、キエタ発。 |
1942年(昭和17年)9月14日 | ショートランド着。 |
1942年(昭和17年)10月11日 | ガダルカナル島砲撃のためショートランド発。 |
1942年(昭和17年)10月11日 | サボ島沖海戦でアメリカ艦隊と交戦、被弾。 |
1942年(昭和17年)10月12日 | 沈没。 |
1942年(昭和17年)11月10日 | 除籍。 |
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