1981年(昭和56年)3月30日建立。(1)
工作艦「明石」
「明石」は、工作任務専用として建造された日本海軍唯一の工作艦である。 アメリカ海軍の工作艦「メデューサ(AR-1:Medusa)」をタイシップとして建造された。 艦内の工場床面積を広くとるため、水平甲板型船体で高い乾絃を全長にわたり有している。 2本の煙突のうち、前部煙突が艦内工場用のロ号艦本缶2基分の排煙を受け持ち、後部煙突はディーゼル主機の排気筒2本を内蔵している。 艦内工場は機械工場、仕上組立工場、鋳造工場などがあり、連合艦隊の年間修理量35万工数の約40%をまかなえた。
「明石」の艦内電源には、三相交流440Vが採用された。 艦艇の艦内電源は当初直流であったが、交流化により電気機器重量および価格の低減ができるため、まず朝潮型駆逐艦に電圧220Vが採用された。 続いて、大型艦用の実験をかねて、明石に電圧440Vが採用された。 なお、明石が交流電化艦とされた理由は、実験艦としての目的の他に、三相交流440Vとすれば、艦内工場の機械類が陸上の工廠で使用しているものを、そのまま使用できたためと考えられる。
「明石」は開戦直前にパラオへ進出、その後はダバオ、スターリング湾、アンボンなどで艦艇修理に従事した。 1942年(昭和17年)6月以降は、呉に補給のため帰港した以外はトラックにあり、艦船の修理に従事していたが、1944年(昭和19年)2月17日のトラック島空襲により損傷、パラオに回航されるが、同年3月30日のパラオ空襲で大破、着底した。(2)(3)(4)(5)
艦名は海峡名。 大阪湾と播磨灘とを分ける、淡路島北方の幅約4kmの海峡。(6)
艦種 | 工作艦 |
---|---|
建造所 | 佐世保海軍工廠 |
基準排水量 ※1 | 9,000トン |
公試排水量 ※2 | 10,500トン |
垂線間長 | 146.60m |
水線長 | 154.66m |
水線下最大幅 | 20.5m |
喫水 | 6.29m |
主機 | 三菱横浜マン式60型複動ディーゼル機関2基 |
推進器軸 | 2軸 |
出力 | 10,000馬力 |
速力 | 19.2ノット |
燃料 | 重油:1,493 |
航続力 | 14ノットで8,000浬 |
乗員 | 336名、工作部員:433名 |
兵装 | 40口径八九式12.7cm連装高角砲2基 96式25mm連装機銃2基 |
その他 | 工場設備は次表 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
工場名 | 甲板位置 | 面積(m2) | 主な工作機械の数 |
---|---|---|---|
第1機械工場 | 下甲板 | 約510 | 42 |
第2機械工場 | 最下甲板 | 110 | 20 |
第1仕上組立工場 | 第1機械工場内 | 約130 | 2 |
第2仕上組立工場 | 中甲板 | 100 | 6 |
工具室 | 第1機械工場内 | 35 | |
焼入工場 | 最下甲板 | 42 | 2 |
第1鋳造工場 | 下甲板 | 250 | 10 |
第2鋳造工場 | 最下甲板 | 58 | 1 |
第3鋳造工場 | 最下甲板 | 60 | 2 |
鍛冶および鈑金工場 | 下甲板 | 305 | 14 |
鍛冶工場 | 上甲板 | 約75 | 18 |
銅工場 | 上甲板 | 100 | 4 |
溶接工場 | 中甲板 | 100 | 9 |
木具工場 | 中甲板 | 170 | 13 |
青写真室 | 中甲板 | 11 | 1 |
兵器工場 | 中甲板 | 80 | 8 |
電気工場 | 下甲板 | 100 | 8 |
年月日 | 履歴 |
---|---|
1937年(昭和12年)1月18日 | 佐世保海軍工廠において起工。 |
1938年(昭和13年)6月29日 | 進水。 |
1939年(昭和14年)7月31日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 |
1939年(昭和14年)11月15日 | 連合艦隊附属に編入。 |
1941年(昭和16年)12月1日 | 呉発。 |
1941年(昭和16年)12月6日 | パラオ着。 艦船修理に従事。 |
1942年(昭和17年)1月2日 | パラオ発。 |
1942年(昭和17年)1月4日 | ダバオ着。 艦船修理に従事。 |
1942年(昭和17年)2月15日 | ダバオ発。 |
1942年(昭和17年)2月18日 | スターリング湾着。 艦船修理に従事。 |
1942年(昭和17年)3月27日 | スターリング湾発。 |
1942年(昭和17年)3月28日 | アンボン着。 艦船修理に従事。 |
1942年(昭和17年)4月23日 | アンボン発。 |
1942年(昭和17年)4月30日 | 呉着。 |
1942年(昭和17年)5月20日 | 呉工廠に入渠。 修理。 |
1942年(昭和17年)5月24日 | 呉工廠を出渠。 |
1942年(昭和17年)5月28日 | 呉発。 |
1942年(昭和17年)6月4日 | トラック着。 最上の修理などに従事。 |
1942年(昭和17年)8月5日 | トラック発。 |
1942年(昭和17年)8月11日 | 呉着。 補給。 |
1942年(昭和17年)8月17日 | 呉発。 |
1942年(昭和17年)8月23日 | トラック着。 以後、同地で艦艇の修理に従事。 |
1944年(昭和19年)2月17日 | トラックでアメリカ空母機の空襲をうけ損傷。 |
1944年(昭和19年)3月30日 | パラオでアメリカ空母機の爆撃をうけ沈没。 |
1944年(昭和19年)5月10日 | 除籍。 |
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