1983年(昭和58年)4月2日建立。 合祀者82柱。(1)
敷設艦「初鷹」
「初鷹」は初鷹型急設網艦の1番艦である。
急設網艦とは、艦隊泊地や前進基地において、有事に迅速に防潜網(機雷付)を展張することを目的とする敷設艦の1種である。 ただし、本型の完成時の類別では敷設艦である。 急設網艦の類別は1927年(昭和2年)に設けられたが、1929年(昭和4年)3月に削除され敷設艦に統一されている。 日本海軍初の急設網艦は、大正12年度計画による「白鷹」である。 基準排水量1,345トンで、兵装は12cm単装高角砲3門、12mm単装機銃1挺、防潜網6カイリ分もしくは五号機雷100個を搭載した。 そのほか艦尾両舷に爆雷投下台を設け、爆雷18個を搭載した。 機関は往復動式、缶は石炭専焼式で速力は16ノット、航続力は10ノットで2,000浬であった。
初鷹型は「白鷹」の改正型として、第三次海軍軍備充実計画(マル3計画)により建造された。 兵装は高角砲にかえて40mm連装機銃2基とした。 搭載する防潜網は九六式24組(6カイリ分)で、1組に15個の九六式機雷が付属する。 防潜網を搭載しない場合は、九三式1型機雷100個を搭載した。 また艦尾に爆雷投射機1基と両舷に爆雷投下台を設け、爆雷18個を搭載した。 機関を艦本式タービン 、缶も混焼式に改め、速力は20ノット、航続力は14ノットで3,000浬に向上した。 本型は大戦中には、主として機雷庫のスペースを利用した物件輸送、対潜哨戒や船団護衛に用いられた。(2)(3)
艦名は鳥の名。 秋になって、夏に脱けた羽が出揃った鷹。(4)
新造時 | |
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艦名 | 初鷹 |
艦種 | 敷設艦 |
建造所 | 播磨造船所 |
基準排水量 ※1 | 1600トン |
公試排水量 ※2 | 1,890トン |
垂線間長 | 82.00m |
水線長 | 86.50m |
水線最大幅 | 11.30m |
喫水 | 4.00m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(石炭・重油混焼)3基 |
主機 | 艦本式オール・ギヤード・タービン2基 |
推進器軸 | 2軸 |
出力 | 6,000馬力 |
速力 | 20ノット |
燃料 | 石炭:265トン 重油:116トン |
航続力 | 14ノットで3,000浬 |
乗員 | 199名 |
兵装 | 毘式40mm連装機銃2基 防潜網24組6浬分(または九三式1号機雷100個) 九四式爆雷投射機1基 爆雷投下台4基 爆雷18個 |
その他 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
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1938年(昭和13年)3月29日 | 播磨造船所において起工。 |
1939年(昭和14年)4月28日 | 進水。 |
1939年(昭和14年)10月31日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 予備艦となる。 |
1940年(昭和15年)5月1日 | 呉鎮守府部隊に編入。 |
1940年(昭和15年)11月15日 | 第二艦隊第一根拠地隊に編入。 |
1941年(昭和16年)3月23日 | 徳山発。 中支方面行動。 |
1941年(昭和16年)4月4日 | 唐津着。 |
1941年(昭和16年)4月10日 | 第三艦隊第一根拠地隊に編入。 |
1941年(昭和16年)6月10日 | 佐世保発。 南支方面行動。 |
1941年(昭和16年)9月7日 | 呉着。 |
1941年(昭和16年)9月20日 | 玉造船所に入渠。 |
1941年(昭和16年)9月25日 | 玉造船所を出渠。 |
1941年(昭和16年)11月1日 | 南遣艦隊第九根拠地隊に編入。 |
1941年(昭和16年)11月9日 | 呉発。 |
1941年(昭和16年)11月12日 | 厦門着。 |
1941年(昭和16年)11月14日 | 厦門発。 |
1941年(昭和16年)11月17日 | 三亜着。 戦備作業。 |
1941年(昭和16年)12月3日 | 三亜発。 船団護衛。 |
1941年(昭和16年)12月8日 | シンゴラ沖着。 同方面の海面防備に従事。 |
1942年(昭和17年)1月3日 | 第一南遣艦隊第九根拠地隊に編入。 |
1942年(昭和17年)1月26日 | アナンバス着。 附近の海面哨戒に従事。 |
1942年(昭和17年)2月12日 | アナンバス発。 パレンバン攻略作戦支援。 |
1942年(昭和17年)2月18日 | パレンバン発。 シンガポール水路掃海に従事。 |
1942年(昭和17年)2月26日 | 第一南遣艦隊第九特別根拠地隊に編入。 |
1942年(昭和17年)2月26日 | セレター発。 マラッカ海峡水路啓開に従事。 |
1942年(昭和17年)3月8日 | セレター発。 陸軍輸送船団を護衛。 |
1942年(昭和17年)3月21日 | ペナン発。 ビルマ作戦陸軍輸送船団を護衛。 |
1942年(昭和17年)4月30日 | ペナン発。 |
1942年(昭和17年)5月1日 | セレター着。 |
1942年(昭和17年)5月4日 | 入渠。 |
1942年(昭和17年)5月12日 | 出渠。 |
1942年(昭和17年)5月15日 | セレター発。 ビルマ方面陸軍輸送船団を護衛。 |
1942年(昭和17年)6月11日 | ペナン発。 ニコバル諸島攻略作戦に従事。 |
1942年(昭和17年)6月13日 | ナンコウリに陸戦隊を揚陸。 |
1942年(昭和17年)6月16日 | ペナン着。 |
1942年(昭和17年)6月30日 | ペナン発。 船団護衛。 |
1942年(昭和17年)7月17日 | ペナン着。 |
1942年(昭和17年)7月28日 | ペナン発。 ビルマ方面で船団護衛。 |
1942年(昭和17年)8月18日 | シンガポール着。 次期作戦準備。 |
1942年(昭和17年)9月11日 | シンガポール発。 |
1942年(昭和17年)9月14日 | スラバヤ着。 |
1942年(昭和17年)9月16日 | スラバヤ発。 |
1942年(昭和17年)9月22日 | アンボン着。 |
1942年(昭和17年)9月24日 | アンボン発。 |
1942年(昭和17年)9月30日 | ラバウル着。 警泊。 |
1942年(昭和17年)10月12日 | カビエンへ回航。 警泊。 対潜警戒に従事。 |
1942年(昭和17年)10月24日 | カビエン発。 |
1942年(昭和17年)10月28日 | ブイン着。 対潜警戒。 |
1943年(昭和18年)3月12日 | ブイン発。 |
1943年(昭和18年)3月13日 | ラバウル着。 |
1943年(昭和18年)3月15日 | ラバウル発。 |
1943年(昭和18年)3月22日 | アンボン着。 |
1943年(昭和18年)3月22日 | アンボン発。 マカッサル経由で30日スラバヤ着。 |
1943年(昭和18年)4月1日 | スラバヤ発。 |
1943年(昭和18年)4月4日 | セレター着。 入渠修理。 |
1943年(昭和18年)4月25日 | セレター発。 |
1943年(昭和18年)5月1日 | ペナン着。 |
1943年(昭和18年)5月25日 | ペナン発。 |
1943年(昭和18年)5月30日 | メルギー着。 兵要資料調査。 |
1943年(昭和18年)6月2日 | メルギー発。 陸軍輸送船団を護衛。 |
1943年(昭和18年)6月8日 | ペナン着。 同方面で船団護衛に従事。 |
1943年(昭和18年)9月1日 | スマトラ方面調査警戒に従事。 |
1943年(昭和18年)11月1日 | シンガポール着。 入渠修理。 |
1943年(昭和18年)11月14日 | シンガポール発。 スマトラ方面で船団護衛に従事。 |
1943年(昭和18年)12月29日 | サバン着。 待機補給。 |
1944年(昭和19年)1月12日 | サバン発。 サバンを基地として対潜警戒。 |
1944年(昭和19年)5月1日 | シンガポール、サバン方面行動。 |
1944年(昭和19年)6月1日 | シンガポールで修理、整備作業。 |
1944年(昭和19年)6月26日 | マラッカ海峡で訓練に従事。 |
1944年(昭和19年)7月1日 | シンガポール、サンジャック方面で船団護衛に従事。 |
1944年(昭和19年)7月27日 | シンガポール着。 |
1944年(昭和19年)8月3日 | 触雷により小破。 |
1944年(昭和19年)10月1日 | ペナンで戦備作業。 |
1944年(昭和19年)10月10日 | シンガポール、ペナン方面で機雷敷作業。 |
1944年(昭和19年)12月1日 | シンガポール、ペナン方面で補給および輸送任務に従事。 |
1945年(昭和20年)5月16日 | マレー半島ツングン沖でアメリカ潜水艦「ホークビル(Hawkbill)」の雷撃を受けて沈没。 |
1945年(昭和20年)8月10日 | 除籍。 |
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