1982年(昭和57年)12月2日建立。 合祀者260柱。(1)
松型駆逐艦
「桑」は松型駆逐艦(丁型)の5番艦である。
1942年(昭和17年)8月にガダルカナル戦が始まると、輸送作戦(東京急行)への投入や夜戦で多数の艦隊型駆逐艦を失った。 当時建造中の夕雲型や秋月型の建造計画では、この損失を埋めるだけの隻数を建造することは不可能だった。 また、これらの駆逐艦の構造は急速建造に不向きなものであった。 さらに、敵制空権下にあるガダルカナル島への輸送任務は、夜間に接近して揚陸を完了し、夜明け前に敵機の行動範囲外に離脱する必要があったが、建造中の艦隊型駆逐艦はこのような任務に不向きであった。
そこで、補給作戦や揚陸作戦に適した、急造にむく新型駆逐艦として松型駆逐艦を建造することとなった。 本型の線図は工事簡略化のため、平面構造を多用した設計になった。 また、鋼材も特殊鋼(DS鋼)ではなく、、艦底部に普通鋼を、上甲板に高張力鋼(HT鋼)を使用した。 機関配置において、本型は日本駆逐艦としてはじめてシフト配置方式を採用した。 これは前方より、前部缶室(右舷用)、前部機械室(右舷用)、後部缶室(左舷用)、後部機械室(左舷用)の配置とし、左右の軸系を独立させて被害時の生存性を高めたものである。 兵装は八九式12.7cm高角砲3門(連装1基、単装1基)、九六式25mm機銃20問(3連装4基、単装8基)、61cm九二式4連装発射管1基、九四式爆雷投射機2基とされ、従来の駆逐艦に比して対空・対潜能力を強化したものであった。(2)
艦名の「桑(2代)」は植物名で、クワ科クワ類の落葉高木の総称。
自生種では高さ10m以上に及ぶものがあるが、栽培種は養蚕のために刈りとるため長大なものは少ない。 春に淡黄緑色の花を穂状につける。 実は紫黒色で、味は甘い。 葉を養蚕用とする他、硬い自生樹の材は工芸用材として珍重される。 樹皮の繊維は製紙の原料となる。(3)
たらちねの母がそのなる桑すらに願へば衣に着るといふものを(万葉集)
艦種 | 一等駆逐艦 |
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建造所 | 藤永田造船所 |
基準排水量 ※1 | 1,262トン |
公試排水量 ※2 | 1,530トン |
全長 | 100.0m |
水線最大幅 | 9.4m |
喫水 | 3.3m |
主缶 | ロ号艦本式水管缶(重油専焼)2基 |
主機 | 艦本式オール・ギヤード・タービン2基 |
推進軸 | 2軸 |
出力 | 19,000馬力 |
速力 | 27.8ノット |
燃料 | 重油:370トン |
航続力 | 18ノットで3,500浬 |
乗員 | 211名 |
兵装 | 40口径八九式12.7cm連装高角砲1基 40口径八九式12.7cm単装高角砲1基 九六式25mm3連装機銃4基 九六式25mm単装機銃12基 九四式爆雷投射機2基 61cm九二式4連装発射管1基 |
その他 | 兵装は1944年9月30日時点 |
※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン
年月日 | 履歴 |
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1943年(昭和18年)12月20日 | 藤永田造船所において起工。 |
1944年(昭和19年)5月25日 | 進水。 |
1944年(昭和19年)7月25日 | 竣工。 呉鎮守府籍に編入。 第十一水雷戦隊に編入。 |
1944年(昭和19年)7月27日 | 大阪発。 内海西部に向かう。 |
1944年(昭和19年)7月28日 | 呉着。 諸修理及び弾薬、魚雷、燃料、需品搭載。 |
1944年(昭和19年)8月3日 | 呉発。 同日、柱島着。 第四十三駆逐隊に編入。 佐世保鎮守府長官の指揮下で南西方面諸島緊急輸送任務に従事中の二等軽巡洋艦「長良」に代わり、第十一水雷戦隊の旗艦となる(7月30日〜8月3日は戦艦「扶桑」が旗艦)。 |
1944年(昭和19年)8月9日 | 柱島発。 大津島射場に回航。 諸訓練。 |
1944年(昭和19年)8月10日 | 大津島出動、諸訓練。 |
1944年(昭和19年)8月11日 | 大津島発。 同日、八島着。 同日、八島発。 同日、亀川着。 諸訓練。 |
1944年(昭和19年)8月14日 | 亀川出動、諸訓練。 亀川発。 同日、安岐崎着 |
1944年(昭和19年)8月15日 | 安岐崎発。 八島回航。 諸訓練。 |
1944年(昭和19年)8月16日 | 八島出動、諸訓練。 |
1944年(昭和19年)8月17日 | 八島出動、諸訓練。 |
1944年(昭和19年)8月21日 | 八島出動、諸訓練。 同日、柱島着。 |
1944年(昭和19年)8月23日 | 柱島出動、諸訓練。 同日、呉着。 |
1944年(昭和19年)8月30日 | 旗艦を桑から二等巡洋艦「多摩」に変更。 |
1944年(昭和19年)8月31日 | 呉発。 同日、柱島着。 諸訓練。 |
1944年(昭和19年)9月5日 | 柱島発。 同日、八島着。 諸訓練。 |
1944年(昭和19年)9月6日 | 八島出動、諸訓練。 |
1944年(昭和19年)9月7日 | 八島出動、諸訓練。 |
1944年(昭和19年)9月6日 | 八島出動、姫島仮泊。 同日、姫島発。 八島着。 諸訓練。 |
1944年(昭和19年)9月10日 | 八島出動、諸訓練。 同日、八島発、柱島着。 |
1944年(昭和19年)9月11日 | 柱島発、呉に回航。 |
1944年(昭和19年)9月12日 | 呉工廠に入渠。 |
1944年(昭和19年)9月18日 | 呉発、柱島に回航。 |
1944年(昭和19年)9月20日 | 柱島出動、諸訓練。 |
1944年(昭和19年)9月21日 | 八島着。 同日、八島出動、諸訓練。 |
1944年(昭和19年)9月23日 | 八島発、諸訓練。 |
1944年(昭和19年)9月24日 | 岩国沖着。 |
1944年(昭和19年)10月4日 | 対潜掃蕩部隊に編入。 |
1944年(昭和19年)10月5日 | 岩国沖発、呉に回航。 |
1944年(昭和19年)10月20日 | 捷一号作戦発動により八島発。 |
1944年(昭和19年)10月25日 | エンガノ岬沖海戦でアメリカ空母機と交戦。 空母「瑞鳳」と「瑞鶴」の生存者救助。 |
1944年(昭和19年)10月26日 | 中城湾着。 |
1944年(昭和19年)10月30日 | 呉着。 |
1944年(昭和19年)11月9日 | 戦艦「伊勢」、二等巡洋艦「五十鈴」とともにマニラに向け六連発。 同月13日のマニラ空襲のため、南沙諸島で待機。 |
1944年(昭和19年)11月15日 | 杉、樅、樫、檜とともに第五十二駆逐隊を編成。 |
1944年(昭和19年)11月18日 | マニラ着。 |
1944年(昭和19年)11月19日 | シンガポールに向け、マニラ発。 |
1944年(昭和19年)11月23日 | 第五十二駆逐隊は第三十一戦隊に編入。 |
1944年(昭和19年)11月25日 | サイゴン着。 |
1944年(昭和19年)11月30日 | 第七次多号作戦のためマニラ発。 |
1944年(昭和19年)12月1日 | オルモック着。 |
1944年(昭和19年)12月2日 | アメリカ軍水上部隊と交戦。 被弾沈没。 |
1945年(昭和20年)2月10日 | 除籍。 |
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