日時 | 隊歴 |
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1942年(昭和17年)6月20日 | 呉鎮守府所管の特設航空隊第三六航空隊としてボルネオ東岸バリクパパン所在の第二十二特別根拠隊付属水偵隊を改編して開隊。 定数は三座水上偵察機8機(内補用2機)。 第二十四特別根拠隊に編入、南西方面部隊東印部隊東部警備隊に部署され、アンボンに配備され、対潜哨戒に従事した。 |
1942年(昭和17年)7月4日 | バリクパパンからアンボン島ハロン水上基地に移転完了。 東印部隊T作戦部隊主隊に部署され、タニンバル諸島、アル諸島、ケイ諸島の戡定作戦参加を下令される。 |
1942年(昭和17年)7月28日 | 水偵6基が、バンダ諸島バンダナラに進出。 |
1942年(昭和17年)7月29日 | 水偵7基が、バンダ諸島バンダナラから攻略部隊の前路を哨戒。 |
1942年(昭和17年)7月30日 | タニンバル諸島サムラキ、アル諸島ドボ、ケイ諸島トアール、ラングールの上陸作戦を支援。 サムラキに来襲した双発爆撃機1機を撃墜。 |
1942年(昭和17年)7月31日 | サムラキ所在の陸戦隊指揮官より報告のあった、敵船の攻撃に向かい、小型木造戦2隻が逃走中と確認。 |
1942年(昭和17年)8月11日 | サムラキ警備隊からセラム海峡に敵輸送船団と艦艇が出現との報告があり、4機が発進、ケイ諸島付近まで索敵したが、会敵なく帰投。 夜間となったため、1機が着水に失敗したが、乗員は無事。 |
1942年(昭和17年)8月12日 | 引き続きケイ諸島付近まで索敵を実施。 |
1942年(昭和17年)11月1日 | 第三六航空隊は第九三四航空隊と改称。 |
1942年(昭和17年)12月1日 | 飛行機定数が、三座水上偵察機8機(内補用2機)、二三座水偵8機(内補用2機)となる。 |
1942年(昭和17年)12月2日 | 一部の水偵をケイ諸島トアールに派遣。 以後。豪州北方アラフラ海の索敵を開始。 |
1942年(昭和17年)12月5日 | アル諸島ドボの水上基地が完成。 トアール派遣隊はドボに移り、アンボンから隊主力が進出、6日から索敵を開始。 |
1942年(昭和17年)12月8日 | 零式水上偵察機1機が、ドボからニューギニア中部南岸メラウケを偵察。 |
1942年(昭和17年)12月15日 | 零式水上偵察機1機は、アラフラ海ウェッセル島北西5浬で敵商船3隻を発見、うち1隻を撃沈と報告。 |
1942年(昭和17年)12月16日 | 零式水上偵察機1機は、アラフラ海ウェッセル島西160浬で敵掃海艇2隻、駆逐艦1隻を発見、至近弾を与えたと報告。 |
1942年(昭和17年)12月222日 | 零式水上偵察機1機が、メラウケを偵察、敵船を爆撃。 |
1942年(昭和17年)12月25日 | 零式水上偵察機1機が、メラウケを偵察。 |
1942年(昭和17年)12月26日 | 零式水上偵察機1機が、メラウケを偵察、敵船を爆撃。 |
1942年(昭和17年)12月27日 | 零式水上偵察機1機が、メラウケを偵察、敵船を爆撃。 |
1943年(昭和18年)1月2日 | 以後5日まで、ドボに向う国玉丸の対潜哨戒。 |
1943年(昭和18年)1月7日 | 被爆損傷した水雷艇「友鶴」曳航の対潜哨戒と上空警戒にあたる。 |
1943年(昭和18年)1月21日 | 以後、31日まで、アラフラ海を索敵。 メラウケの偵察攻撃5回を実施して、ケ号作戦(ガダルカナル島撤収)の牽制を行う。 |
1943年(昭和18年)2月9日 | 水上偵察機1機が、対潜直衛後にアンボンの190度、160浬で行方不明。 乗員戦死。 |
1943年(昭和18年)3月3日 | ドボ基地での邀撃戦で1機自爆。 乗員戦死。 この頃九四三空はニューギア西南岸のカイマナに移り、アラフラ海を豪州北岸近くまで索敵。 また、ニューギア西部南岸の敵基地を偵察攻撃。 |
1943年(昭和18年)4月1日 | 飛行機定数に、二式水上戦闘機12機(内補用3機)が加えられる。 |
1943年(昭和18年)4月20日 | アル諸島マイコール水上基地が完成。 カイマナから派遣隊が進出。 アンボンからは二式水上戦闘機が同地に進出、基地の防空に、あたる。 |
1943年(昭和18年)4月25日 | 二式水上戦闘機が、マイコール水上基地に来襲のイギリス双発爆撃機1機撃墜と報告。 |
1943年(昭和18年)4月26日 | 二式水上戦闘機が、マイコール水上基地に来襲のイギリス双発爆撃機1機撃墜と報告。 |
1943年(昭和18年)4月29日 | アメリカ陸軍B24爆撃機7機がアンボンに来襲。 九三四空本隊は天長節の遥拝式の最中だったため退避が遅れ、戦死45名、戦傷45名を出し、所在の整備員前部が戦死傷。 約1週間、作戦行動を停止。 |
1943年(昭和18年)5月1日 | 九七式飛行艇1機が配属され、アンボン―マイコール間の輸送・連絡任務にあたった。 |
1943年(昭和18年)5月6日 | イギリス軍ボーファイター戦闘機がマイコール基地に来襲。 係留中の水上偵察機3機が炎上大破。 |
1943年(昭和18年)5月7日 | 二式水上戦闘機がマイコール基地に来襲したイギリス軍ハドソン爆撃機5機を邀撃して2機撃墜と報告。 以後、6月初旬までイギリス軍機の来襲なし。 |
1943年(昭和18年)5月8日 | 零式偵察機2機が、ニューギニア南岸ミリギンビを攻撃、中型輸送船1隻撃破と報告。 |
1943年(昭和18年)5月9日 | 零式偵察機2機が、豪州北岸ミリギンビを攻撃、船団攻撃を図ったが、イギリス軍ボーファイター戦闘機が直衛中で接近できず。 |
1943年(昭和18年)5月11日 | 零式偵察機1機が、豪州北岸ミリギンビを攻撃、敵輸送船団を爆撃したのち、イギリス軍ボーファイター戦闘機に追撃され、ウィッセル島山中で自爆。 |
1943年(昭和18年)5月下旬 | 昼間の零式水上偵察機単独での偵察は不可能となり、水上戦闘機を伴う偵察攻撃となった。 水上戦闘機延べ6機、零式水上偵察機延べ7機が、ニューギニア南岸を攻撃したが、軍事施設は少なく、成果は乏しかった。 |
1943年(昭和18年)6月3日 | イギリス軍機のマイコール基地への来襲が再開。 |
1943年(昭和18年)6月12日 | イギリス軍機がマイコール基地へ来襲。 奇襲を受け、零式観測機1機が自爆、係留中の水上偵察機と水上戦闘機各1が炎上、水上戦闘機1機大破、2機中破の被害となった。 |
1943年(昭和18年)6月18日 | 零式偵察機1機が、水上戦闘機を伴わず豪州北岸ミリギンビを攻撃。 敵戦闘機と交戦して撃墜された。 |
1943年(昭和18年)6月20日 | 零式偵察機1機と水上戦闘機1機が豪州北岸ミリギンビの偵察に向い、イギリス軍ボーファイター戦闘機1機の攻撃を受けたが、水上戦闘機が撃墜した。 |
1943年(昭和18年)6月22日 | アメリカ陸軍B24爆撃機3機、イギリス軍ボーファイター戦闘機9機が相次いでマイコール基地へ来襲。 水上戦闘機延べ9機、零式観測機延べ3機が邀撃。 B24爆撃機1機、ボーファイター1機を撃墜と報告。 |
1943年(昭和18年)7月1日 | 飛行機定数が、二式水上戦闘機12機(内補用3機)、零式観測機8機(内補用2機)、零式水上偵察機16機(内補用3機)に改められる。 九三四空は第二十四特別根拠隊から除かれ、第二南遣艦隊付属に編入される。 |
1943年(昭和18年)7月2日 | 零式水上偵察機1機と水上戦闘機1機は、豪州北岸ツンダス海峡で敵船団を発見、輸送船を爆撃。 次いで、零式水上偵察機、水上戦闘機各2機で、この船団を攻撃。 零式水上偵察機1機が対空砲火で自爆。 |
1943年(昭和18年)7月3日 | 零式水上偵察機と水上戦闘機は、4日まで敵船団の捜索を続ける。 |
1943年(昭和18年)7月5日 | 零式水上偵察機と水上戦闘機は、敵輸送船団を攻撃したが、敵戦闘機の奇襲を受けて攻撃は不成功。 |
1943年(昭和18年)8月6日 | 零式水上偵察機1機と水上戦闘機1機は、アラフラ海で敵輸送船マクンバを撃沈。 |
1943年(昭和18年)8月10日 | 零式水上偵察機1機と水上戦闘機1機は、索敵中にイギリス軍スピットファイア3機の攻撃を受け、零式水上偵察機は撃墜されたが、敵1機を撃墜と報告。 |
1943年(昭和18年)8月11日 | 二式水上戦闘機はマイコール基地に来襲したイギリス軍ボーファイター6機を邀撃、うち1機撃墜と報告。 水上戦闘機2機喪失。 |
1943年(昭和18年)8月21日 | 二式水上戦闘機はマイコール基地に来襲したイギリス軍ボーファイター6機を邀撃、うち4機撃墜と報告。 |
1943年(昭和18年)8月26日 | 二式水上戦闘機はマイコール基地に来襲したイギリス軍ボーファイター6機を邀撃、うち1機撃墜と報告。 零式観測機1機が大破沈没。 |
1943年(昭和18年)8月30日 | 二式水上戦闘機はマイコール基地に来襲したイギリス軍ボーファイター6機を邀撃、うち1機撃墜と報告。 水上戦闘機1機自爆、水上戦闘機1機大破沈没、零式観測機1機大破沈没。 |
1943年(昭和18年)10月9日 | 水上偵察機1機が、マイコール基地からアラフラ海の索敵に向かい行方不明となる。 |
1943年(昭和18年)10月26日 | 水上戦闘機1機がアンボンで邀撃のため離水時に転覆、乗員戦死。 |
1943年(昭和18年)11月2日 | 水上戦闘機数機がニューギニア北岸マノクワリに派遣され、3日以降来襲する敵機の邀撃を開始。 |
1943年(昭和18年)11月5日 | 水上偵察機6機が、マイコール基地からニューギニア西部カウ湾ダル基地に派遣され、6日以降翌年初頭まで、船団の対潜護衛にあたる。 |
1943年(昭和18年)11月11日 | マイコール派遣隊から、零式水上偵察機2機、水上戦闘機1機が索敵に発進したが、零式水上偵察機1機が未帰還となる。 |
1943年(昭和18年)11月19日 | 零式水上偵察機3機、水上戦闘機1機が敵小型巡洋艦2隻を攻撃。 |
1943年(昭和18年)11月21日 | アメリカ陸軍B25爆撃機3機、B24爆撃機7機、イギリス軍ボーファイター戦闘機3機が相次いでマイコール基地へ来襲。 空戦でボーファイター1機を撃墜したが水上戦闘機1機を喪失。 |
1943年(昭和18年)11月23日 | ダル基地の零式観測機4機は、敷設艦「若鷹」と協同してカウ湾で対潜攻撃。 撃沈確実と報告。 |
1943年(昭和18年)11月28日 | アメリカ陸軍B24爆撃機7機がマノクワリに来襲、水上戦闘機2機は、エフマン基地所在の零式艦上戦闘機と協同して邀撃。 |
1943年(昭和18年)11月29日 | アメリカ軍大型機とイギリス軍双発戦闘機がマイコール基地へ来襲。 空戦で水上戦闘機1機を喪失。 |
1943年(昭和18年)11月30日 | 九三四空は第二南遣艦隊付属から除かれ、新編の第四南遣艦隊付属に編入。 南西方面部隊東印部隊殻除かれ、南西方面部隊豪北部隊に部署される。 |
1943年(昭和18年)12月10日 | マイコール基地での水上戦闘機による上空哨戒を終わり、飛行機隊は基地を撤収。 三座水上偵察機と水上戦闘機はマノクワリに、二座水上偵察機はダルに転進。 |
1944年(昭和19年)1月31日 | 南西方面艦隊司令部は、陸軍第二方面軍司令部と協議し、航空兵力の配備先を決定。 九三四空関係は、マノクワリに水上偵察機3機、陸上基地完成まで水上戦闘機数機。 カイマナに必用の都度、水上戦闘機数機。 マイコールに余裕ができた場合は、水上偵察機、水上戦闘機各数機。 ラランツカの基地完成次第、水上偵察機2機。 |
1944年(昭和19年)3月1日 | 飛行機定数から、水上戦闘機が除かれる。 |
1944年(昭和19年)3月9日 | 九三四空の水上戦闘機隊は、第三八一航空隊に転属となる。 |
1944年(昭和19年)4月22日 | アメリカ軍がニューギニア北岸西部のホランジャに上陸。 以後、九三四空はマノクワリ、カウから逐次撤収、後退。 |
1944年(昭和19年)5月12日 | 分隊長の中熊案山子大尉が、バンダ海方面の哨戒で未帰還となる。 |
1944年(昭和19年)8月中旬 | 零式水上偵察機5機、零式観測機2機はアケシラカ基地で空襲を受け炎上。 メナド、アンボン方面への空襲も激化、九三四空はマカッサル方面に後退。 |
1944年(昭和19年)10月1日 | 九三四空は解隊。 第四南遣艦隊付属から除かれる。 |
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