宮瀬英治
宮瀬英治は国際協力NGO風の会を立ち上げ、衆議院選挙、埼玉3区(草加市・越谷市)で立候補した。草加駅の街頭演説で、宮瀬さんにお会いし、日本のみならず世界の報われない人達への優しい気持ちに感動した。
宮瀬英治(みやせ英治)の略歴
- 早稲田大学商学部 入学。1995年
- NGO風の会を一人で設立。現在のNPO法人国際協力NGO風の会。1999年
- ベネッセコーポレーション入社。2001年
- 広告部へ異動。たまひよ、サンキュ!、いぬのきもち、ウィメンズパークなど、担当。2003年
- ベネッセコーポレーションを退社。2012年
- 2012年、衆議院選挙、埼玉3区(草加市・越谷市)で立候補するも、落選。
- 2013年から都議会議員(板橋区選挙区)
「風の会」からNPO法人「国際協力NGO風の会」へ
- 国際協力NGO風の会は設立者である宮瀬英治氏(早稲田大学在学中)がアジア各国で国際協力活動を行い、明日さえ定かでない身寄りのない子どもたちへの「優しい追い風」になりたいという思いから、「すべての子どもたちが未来への希望を持てる社会」を目指し、1999年12月に設立されました。
- NPO法人「国際協力NGO風の会」
設立認証年月日:2011年10月17日
代表者氏名:宮P 英治
活動分野:国際協力/子どもの健全育成
カンボジアの子どもたちへの教育支援を行っている、早稲田大学の学生を中心としたNPO法人。宮瀬英治氏一人で立ち上げた「風の会」から、12年目です。
宮瀬英治の国際協力NGO風の会(NPO法人)での活動
国際協力団体「風の会」会長の宮瀬英治さん(26)が、このほど戦地の混乱が続くイラクの子どもたちに文房具などを贈るために現地を訪れた。寄付金と勤め先のボーナスや給与を合わせた70万円。「現地の子どもたちの追い風になりたい」と、宮瀬さんは語る。
宮瀬さんは早稲田大生当時の99年、風の会を設立。大学を休学してアジア各国を1年間放浪した経験から「厳しい状況で生きる子どもたちの力になりたい」と思った。 教材販売会社に勤める。夏休みを利用して、6月13日から22日まで現地を訪れた。
ヨルダンのアンマンで鉛筆2千本、ノート2千冊、消しゴムなどを約 500ドル分購入してからバグダッド入りした。 宮瀬さんが向かったのはバグダッド北東部のサドルシティ(旧サダムシティー)。通訳兼運転手を雇って、地元の小学校を回った。大半の校舎は破壊され、校庭はゴミ捨て場と化していた。 ある学校の校長先生に文具を渡したところ、周囲に集まってきた人たちから「我々にも金を配れ」と要求された。「教育が大事だ。ただ物を上げるのではない。子供の可能性にかけたい」との説明を繰り返したが、興奮して銃を持ち出して来る人も。「まず地域のリーダー役に交渉してから活動を始めました」 文房具以外に黒板や、冷蔵庫の購入、校舎の修理などに資金を充てた。
「ノートや鉛筆はもちろんだが、危険な中こうして来てくれた、その気持ちがうれしい」 校長からそう言われた時、「本当に来てよかった」と感じた。 「ぎりぎりの状況の中で生き抜いている子どもたちを、これからも援助し続けていきたい」
2003年9月5日 朝日新聞より
NGO風の会(NPO法人)の活動により国家建設功労一等勲章
昨年、当会の活動(チャリティーコンサート)は、日本政府とカンボジア政府による「日カンボジア友好年2008」の実行委員会により認定事業として選出されておりましたが、さらに2009年2月に、カンボジア政府より勲章をいただくこととなりました。 「国家建設功労一等勲章」です。 日本のNGOとして子どもたちへ10年間におよぶ地道な教育支援活動とバッタンバン州ロムチェックにて小学校を建てたことが対象となりました。 もちろん勲章をもらうために活動をしているわけではないので 当初は辞退させていただきましたが、カンボジア現地パートナーNGOの強い薦めといままで子どもたちのために活動してきたメンバー社会人・学生150名を代表して私が代わりにお受けすることといたしました。 今後はカンボジアはもとより中国の四川大地震の被災地の子どもを中心とし、カンボジア、イラク、アフガニスタン、スリランカを結ぶシルクロードプロジェクトというプロジェクトも着々とすすめております。 どうぞ今後の国際協力NGO風の会の活動にご期待ください。
宮瀬英治の思い
宮瀬英治 結いの党 板橋区支部長より
大切な人が会社の仕事を苦に自らの命を絶ちました。まだ25歳でした。
日本の自殺者は年間3万人。先進国の中でも異常に高い。ふと私の周りを見渡してみれば、みな不況の中で歯を食いしばりながら、文字通り身を粉にして限界ギリギリまで必死に働いています。改めて足元の日本を見つめ直すと、そこはさまざまな不安を抱えて途方にくれる人々であふれています。子育て、将来の不安、20年の不況、原発、孤独死、介護、、、みな必死に頑張っているのに、なぜでしょうか?私が幼い頃、感じた“ささやかだけれども確かな幸せ”それが年々失われているように思えてなりません。この国の未来に希望が見えてこない。それは政治の責任です。政治は結果責任だと言いながら、20年間も結果が出てない。誰も責任を取らない。
私は日本が好きです。この国に住む人が大好きです。今、この国に必要なことは、未来を見据えた上での、明日への希望です。人が生まれ、年を重ねれば重ねるほど、確かな幸せを実感できる社会です。
宮瀬英治の思いについてのM君の感想
政治家で日本の自殺者が年間3万人という事にあえて言及する人は少ない。全ての政治家は、その事を知っている。聞かれれば、「それは解決しなければならない問題です」と、答えるだろうが、訊ねる前には言わないのが多数だ。
高校生の自殺が年間、100人を越えているのを知ってる政治家は、どれくらいいるのだろう。
自殺対策基本法を政治家は覚えているか
多少の反論。明日への希望・確かな幸せは、必ずしも物質的豊かさとは限らない。宮瀬さんがアジアで活動していた時の充実感を多くの人に伝えて欲しい。
宮瀬英治と木下博信草加市長の共通項
- 議員の定数削減
- 国主導ではなく地域主導
- 世界、地球のことまで考えている
草加市のNPO法人
最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。