私の音楽遍歴(31)<僕を育ててくれた音楽(3)−ロック>
♪私にとってロックというとビートルズ、レッド・ツェペリン、ディープ・パープルの3大バンドとなります。
クイーン、GFR、ピンク・フロイド、フー、クリムゾン・キング、ベイ・シティー・ローラーズ,バン・ヘイレン等
いろいろなロック・バンドの音楽を聞きましたが、最後は、3大バンド特にビートルズに戻って来てしまい
ます。
♭初めて買ったシングル「Let it be」。FMの「ビートルズ特集」で、ビートルズのほぼ全曲を聞きました。
中学のバンドでやった「And I Love Her」、「悲しみはぶっとばせ」、「Yesterday」。「Let it be」は、ピアノ
が弾けずに断念しました。ちょうどこの頃から詩を書き始め、3コードながら作曲も始めました。
♯高校では、フォークの影響を受けてまたもやバンドを結成。オリジナリティーの高いメンバーが揃ったせ
いかコンサートは、オリジナル曲ばかり。それが逆効果か?客受けの方は、さっぱりでした。今から思うと、
プロのコピーもやった方が客受けも良くなり、自分達の実力も上がっていたと思いますが、三人のオリジナ
ル曲数は、二回コンサートをやっても余るくらいあったのですから、デキはともかくとして曲数は、抜群(?)
だった訳です。
♭高校の頃に、レッド・ツェペリンとデープ・パープルに出会い、押し入れの中で雄叫びを上げていました。
(注:自分の部屋の押し入れで音楽を聞ける様にしてローバート・プラントやイアン・ギランになっていまし
た。)ハード・ロック−あれは若者の血を沸き立たせる怪しい魅力あふれる音楽です。たぶん、ハード・
ロックがうるさいとしか感じられなくなったら「オジン」に成長した証になるのかと思います。
♯大学に入り寮の仲間に誘われて入った「フォーク同好会」。リーダー(?)の趣味のN.S.Pとか風とか
をやりましたが、リーダーのワンマン過ぎにバンドは解散。その後、3人でバンドを作ったりしましたが、
またもや解散。しかしながら、「フォーク同好会」でのバンド活動でドラムとベースのコンビネーションや
ハーモニーの重ね方等学んだ事は、多かったです。
♭次の私の挑戦は、クラシック音楽でした。私は、教育学部に在席していたので音楽の授業や実技を受講
できる所に転籍してピアノや声楽や簡単なアレンジ等の授業を受講し始めました。ピアノは、毎日必死に練習
してバイエルは、終わりにしました。20歳からのピアノですから指が動かず苦労しましたが、一応ピアノを弾
ける様になった事は、それからの作曲方法にプラスになりました。声楽では、複式呼吸を習い、イタリア歌曲、
ドイツ歌曲に触れる事ができ勉強になりました。その頃から沖縄の音楽の素晴らしさに目覚め、大学の卒論は、
「沖縄のわらべうたの教育指導方法」でした。
♯題材は、ロックなのにロック・バンドをやったと言う話が出てきません。そうです、正解です。私は、ロック・
バンドをやった事はないのです。大学時代の「フォーク同好会」でもロックもどきをやるバンドの音合わせの
時のうるささに辟易していた私ですから、ロックは適正なボリュームで聞くものであり、プレーするものでは
ないという感覚を持っていました。
♭ビートルズの方は、ファンクラブに入ったり、CD全曲集を買ったりしました。ポール、ジョージ、ジョンのトリ
ビュートコンサートにも行きました。ポールが故リンダを『僕のかみさん』と紹介した事を覚えています。今でも、
ビートルズCD全曲集は、何かあるとひっぱり出して聞く常連さんです。そして「Let it be」は、私のギター
弾き語りの定番となっています。
(2002年6月15日掲載)