私の音楽遍歴(32)<僕を育ててくれた音楽(4)−フォーク>


♪「バラが咲いた」、「今日の日はさようなら」、「翼をください」、「竹田の子守唄」、「この広い野原いっぱい」
 私のフォークは、これらの曲から始まります。学校の音楽の授業で習った曲、集会で歌った曲、『純フォー
 ク
』という言葉があるかどうか知りませんが、名前をつけるとしたらそんな感じに思える曲達です。

♭「帰ってきたヨッパライ」−この曲は、子供心にも強烈でした。それはコミックソングとの出会いであり、『歌
 でこんなおもしろい事を歌ってもいいんだ〜』という新しい発見でもありました。ジャケットがピンクの骸骨イラ
 ストのシングル盤も買ってしまいました。

♯「戦争を知らない子供たち」−フォークがまた一歩自分の方へ近づいたと感じた曲でした。杉田次郎の声
 も素敵でしたし、サビや三番の歌の追っかけもカッコ良かったです。ジローズは、2曲目のビックヒットがなかっ
 た事が寂しかったです。ソロになった杉田次郎の「男どうし」という曲も、良かったです。

フォーク⇒ニューミュージック⇒ニューエイジミュージック⇒J−POPS。この矢印(⇒)が正しいかどうか
 わかりませんが、私は、ニューミュージックと呼ばれる頃から、フォークに対する感動の度合いが増してきた
 様に思います。吉田拓郎、かぐや姫を経て井上陽水、中島みゆきと音楽の方向性がどんどん内面の方に深く
 なって行く事と比例して感動の内容や深さも変わってきた様に思います。

♯井上陽水−「断絶」、「センチメンタル」、「氷の世界」、「二色の独楽」。これらの初期アルバムが私の高校
 時代と重なり、出るアルバム毎に陽水の『感性の鋭さ』に感動し続けていました。当時、「井上陽水=孤独の
 世界」みたいな図式と現代若者の代表選手みたいな表現がありましたが、その当時若者だった私は、「何か
 違うな〜?」と感じていました。井上陽水は、三浪までしたが医者になれなかったという世の不条理みたいな
 事を感じていたかもしれませんでしたが、井上陽水の世界は、「孤独の世界」という一種類の言葉では表現
 できないもっと深くて広い世界だと私は思っていました。そして井上陽水は、現代若者の代表選手というより
 は、新しい感性を持った才能のある若者が出現した中の代表選手だったと思います。これは、日本フォーク
 界にとって、とても大きなインパクトだったと私は思っています。

♭中島みゆき−みゆき姉さんには、随分とお世話になりました。ほぼ全レコードをレンタルしてMDに落として
 毎晩、みゆき姉さんのBGMで酒とゲームの日々。(何故か仕事に疲れた心の息抜きには、ピッタリでした。)
 「あぶな坂」から始まり、「夜風の中から」、「一人上手」、「悪女」。一番好きなアルバムは、「臨月」ですが、
 「おかえりなさい」、「お色直し」等他の歌手にあげた曲を自分で歌っているアルバムも好きでした。中島みゆき
 をして「演歌」それも「怨歌」だという人がいます。(「うらみます」とそのものズバリの曲名もありますが)
 演歌にも名曲はたくさんありますが、私は、中島みゆきにもっと別のものを感じていました。それは、別の方が
 言った『忘れ去られた者の悲しみ』という表現が一番当たっていると思います。「ファイト」、「空と君のあいだに」、
 「ヘッドライト テールライト」等励ましの曲や達観したような人生観を感じる曲もまた良いでネ。

(2002年6月22日掲載)


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