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妙心寺

「花園の地 広大な禅寺、妙心寺

妙心寺の沿革
 臨済宗妙心寺派大本山 山号は正法山
 1337年(建武4) 花園法皇が離宮萩原殿を禅寺に改めて開創。
            開山は、関山慧玄。
            その後 五山には選ばれず、一時は反足利派とされ衰退したが、戦国時代以降は武家の支持を得、繁栄

花園という魅惑的な地名、かって平安の時代、この地は貴族達の山荘がおかれ、数多くの草花が植えられたというところからきた地名。ここに離宮を建て、禅寺とした法皇には、花園法皇の名が贈られた。そんな、妙心寺も、五山には選ばれず、その後も室町幕府とは一線を画し、自らが自立していくという決意のもと、とことん修行と布教に専念してきた。その堅実ぶりを評して「そろばんづら」と揶揄されるようになったという。しかし、この歴史的な流れの中で、臨済宗派の中では、圧倒的な寺院や信徒の規模になっているし、大学などの教育機関も持つほどの力も持っている。そんな妙心寺だが、寺門を入ると、多くの塔頭が散在する境内は広大であり、厳粛な空気が満ちている感じがする。このように広い境内となったのも、室町時代中期に美濃の守護代を務めた斉藤利国に嫁いだ細姫が、利国が戦いに敗れ自害した後、出家し、合わせて利国の遺領を投げ打ち、妙心寺に広大な敷地を寄贈したという。そんな話が妙心寺という寺院の自立という考えを示す例にも思えるし、時の権力者ではなく、地方武士の支持を得ていた話とも通じる。
更に、妙心寺の宿坊として花園会館があるのも他の臨済宗寺院と違う感じだ。

尚、石庭で有名な龍安寺は、妙心寺の塔頭の一つだ。

山門

仏殿

法堂

方丈

方丈庭園

1599年(慶長4)に建てられた。

1827年(文政10)に建造で、本尊釈迦如来坐像を祀る。

1657年(明暦3)に完成。

江戸時代初期に建てられた方丈。

退蔵院

妙心寺の塔頭の中で有名な退蔵院。それは、国宝の瓢鯰図を有しているから。但し、原図は京都国立博物館に寄託されている。
退蔵院は、1404年(応永11)、波多野出雲守重道が下京に開創し、1459年頃には妙心寺の山内に移転し、応仁の乱後、現在地に移ったという。
四季折々の花や滝、池を配した南の庭園「余香苑」と、室町時代の画家狩野元信の作といわれる西庭「元信の庭」がある。「余香苑」は、巨岩の間より流れ落ちる滝王の滝が深山の大滝を見る風情という。「元信の庭」は、枯山水庭園で、三尊石・亀石などを配置し、滝水が河となり大海に流れ出るさまを表しているという。

桂春院(けいしゅんいん)

余香苑

元信の庭

妙心寺の北東に建つ塔頭・桂春院は、趣味の異なる四つの庭園、「清浄の庭」、「侘びの庭」、「思惟の庭」、そして「真如の庭」がある。さらに隠れた茶室「既白庵」があり、江戸時代前期に近江の長浜城から移したものといわれる。当時の妙心寺では、修行第一で詩歌、茶道などの趣味を禁止していたという。だが、茶道を楽しみたい僧たちは、ここで密かに茶を楽しんだという。
ガラスをはめ込んだ天窓があるが、江戸時代後期の改造されたとも云われている。
桂春院は、1598年(慶長3)創建の見性院を1632年(寛永9)、美濃の豪族石河貞政が亡父供養のため買取、桂春院と改称した。

茶室・既白庵

玉鳳院

大心院

大法院

大雄院

龍泉菴

天球院

開山堂の西隣にある塔頭である。この庭園には面白い話が残っている。妙心寺開山の慧玄禅師が「旅に出る」といい高弟を連れて、玉鳳院の庭園にある風水泉という井戸の傍らの大樹にもたれ訓戒を述べた。そしてそのまま息絶えたという。享年84。「自己とはいかなるものかと掘り下げることこそ、修行の根本。それに努めよ」それが最後の戒めだったとか。

玉鳳院の北隣に位置する塔頭で、宿坊にもなっている。そういえば、このお寺を訪ねた時、ご婦人連れが宿泊していたことを思い出す。室町幕府の管領を務めた細川政元が開いた塔頭で、後に細川幽斎によって現在の地に移築された。書院前の「阿吽庭」が有名だ。

1625年(寛永2)に信濃・松代藩主真田信之の孫長姫が、信之の菩提所として開基した妙心寺の塔頭。寺内には、真田家一統の墓や、幕末の頃真田家の儒臣であった佐久間象山の墓も安置されている。書院で庭園を眺めながらの抹茶も格別。

妙心寺山内の北側に位置し、1603年(慶長8)竜野城主であった石河光元の菩提を弔うため光元の長子光忠が創建。現住職の石河正久氏が、蚕繭紙(さんけんし)の研究家で、その成果が展示されていた。

妙心寺 南総門の傍に位置する塔頭。1481年(文明13)に妙心寺第六世の雪江宗深が高弟宗隆に敷地を与え創建された。方丈は江戸時代後期の1848年(嘉永元)に建立され、内部には堂本印象に師事した日本画家の由里本出氏が、平成11年3月の開祖500年遠諱に際し、自然を大切にとの「いのり」を込めて描かれた作品が、襖を飾っている。

妙心寺の北総門近くに位置する塔頭・天球院。1631年(寛永8)に岡山藩主池田光正が、伯母天久殿の為に創建した池田家の菩提寺。寺院建立の折、地中より球を掘り出したことから天球院になったと云われている。方丈内部には、狩野山楽・山雪親子の代表作である「竹虎図」 「梅に遊禽図」 「籬に草花図」などの方丈襖絵が有名だ。尚、狩野山楽・山雪親子は、狩野派の殆どが江戸に本拠を移したのに対し、京都に残り「京狩野」を確立したという。

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古都を歩く

京都五山

大雄院の庭園

龍泉菴の庭園

天球院

龍安寺

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