牧野宗興(まきの・むねおき) ?〜?

伊達家臣。伊達稙宗晴宗に仕える。安芸守。
牧野家は累代伊達氏の宿老を勤めるという。
永正年間の後期から大永年間にかけて、稙宗は幕府に左京大夫および陸奥守護職への任官を働きかけているが、宗興が宿老としてその実務を執っている。
また天文2年(1533)に定められた『蔵方の掟』、同5年(1536)に制定された『塵芥集』(いずれも伊達氏の分国法)に家老評定人として連署するなど、重く用いられた。
同年、稙宗が陸奥国大崎氏の内紛に介入して大崎義直を支援した際、宗興も1千騎を率いて稙宗に従って出陣、古川城の攻撃に功を挙げた。
天文11年(1542)に勃発した稙宗・晴宗父子の抗争(伊達氏天文の乱)において、当初は稙宗方であったようだが天文13年(1545)2月頃までには晴宗方に属し、乱の渦中に戦死した。
子・景仲も相次いで卒したため、牧野氏の名跡は中野宗時の二男・久仲が継承した。