松田元成(まつだ・もとなり) 1419?〜1483

赤松氏の重臣・松田元隆(妙善)の嫡男。左近将監。備前国金川(かながわ)城主。
南北朝時代の初期に備前守護の地位に在った松田盛朝の後裔。松田氏は代々が日蓮宗を強く信仰したことでも知られる。
文明5年(1473)の父の死没を受けて家督を相続し、播磨・備前・美作3国の守護を兼ねた赤松政則に属して備前守護代、あるいはそれに准ずる地位に在って備前国西域に勢力を張った。
はじめは御野郡の富山(とみやま)城に居したが、文明12年(1480)に要害の城である津高郡の金川城に移り、ここを本拠とした。
文明15年(1483)、主君の赤松政則から国政を私物化したとされて不和となると、備後国の山名俊豊と結んでこれに対抗。同年9月下旬より赤松方の備前国福岡城に侵攻、翌年1月下旬に陥落させた(福岡合戦)。その余勢を駆って赤松氏重臣・浦上則宗の居城である三石城をも攻略しようとして進撃したが、吉井川畔の天王原で戦って敗走し、浦上方の追撃に遭って自刃した。65歳か。法名は妙国・華光院日唱。