武田家臣。小幡盛次(日浄)の子。通称は孫十郎。織部・山城守。武田信虎・信玄の2代に仕え、信虎から諱を受けて虎盛と名乗る。
生まれは遠江国勝間田であるが、永正9年(1512)に武田信虎に仕えることになった父・盛次に随従して甲斐国に移住する。
永正15年(1518)に盛次の死去によって家督を相続。大永元年(1521)の上条河原の合戦が初陣とされ、信虎時代には騎馬15騎、足軽75人持ちの足軽大将だった。信玄の代に至っては『鬼虎』の異名で知られた。剛将で、合戦に臨むこと38回、身に受けた傷が41ヶ所という。
永禄年間の初期に高坂昌信の副将として信濃国海津城二の曲輪の守備についていたが、永禄4年(1561)9月の川中島の合戦:第4回目前の6月2日に病死した。57歳だったというが、生年を永正2年(1491)、享年71とする説もある。
遺言は「よく身のほどを知れ」だったという。