織田信興(おだ・のぶおき) ?〜1570

織田信秀の子。織田信長の弟。通称は彦七郎。
生年や元亀元年(1570)以前の事跡は詳らかでない。
元亀元年9月、兄の信長と本願寺法主・顕如との抗争(石山合戦)が勃発すると、顕如の檄を受けた門徒の集団(一向一揆)が各地で蜂起し、織田軍を苦しめた。
時期は不詳ながら、信興は伊勢国長島の一向一揆との最前線にあたる尾張国海部郡小木江城主に任じられてその警戒と防衛にあたっていたが、元亀元年9月以降、織田軍の主力が近江国坂本付近で釘づけにされると、その機に乗じた長島の一向一揆より圧迫を受けた。
しかし援軍も望めず、ついには一揆軍の猛攻に抗しきれずに11月21日に自殺し、小木江城は陥落した(小木江城の戦い)。