鳥居忠政(とりい・ただまさ) 1566〜1628

徳川家臣。鳥居元忠の二男。通称は新太郎。左京亮・従四位下。
父と共に徳川家康に仕え、天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦で功を挙げた。
天正16年(1588)4月に従五位下・左京亮に叙位・任官。また羽柴秀吉より豊臣の姓を授けられ、秀吉の命で滝川雄利の女を妻とした。
慶長5年(1600)の関ヶ原の役の際、父の元忠は伏見城の戦いで討死したが、忠政は江戸城の留守居役を命じられた。兄の康忠が早世していたため、家督を相続する。
慶長7年(1602)、父の遺功もあって、下総矢作4万石から陸奥磐木平10万石に加増転封。大坂冬の陣夏の陣に際しても江戸城留守居役を務めた。
元和8年(1622)、最上氏が改易されたあとを受けて出羽国山形城20万石の領主となり、寛永3年(1626)には加封を受けて22万石となった。
寛永5年(1628)9月5日、山形で没す。63歳。法号は俊岳院峯山玉雄。